名誉、それは価値。
ただ、全速力で走り続けた。先程から短い間隔で『冥竜』の叫びが聞こえてくる。何者かが『冥竜』と戦っている、ということは容易に想像がついた。
近づくにつれ、音がどんどん大きくなる。耳を劈くような爆音が、激しい雨をも跳ね除ける勢いで轟く。
「な、なにこれ……っ」
たどり着いたそこは、地獄といっても過言ではない惨状であった。木々がなぎ倒され拓けた場所に、甲冑を纏ったエルフ達の体が山のように積み重なっている。その下には、流れ続ける真っ赤な血が1箇所に集まり溜池のようになっていた。
「あ、あそこっ、!」
そしてその元凶は、木の幹にしがみつきエルフを口にくわえていた。そのエルフは両足が千切れ、腕は魂を失ったかのようにぶらんと力無くぶら下がっている。
「あのエルフ、まだ生きてるよ!」
指を指したイルシィは、その血だらけのエルフにまだ息があることを確認した。すぐさま剣を抜き、『冥竜』へ近づく。
「彼を、離してっ!」
おおよそ人間には考えられないほど高く飛び上がり、空中で剣を横一文字に薙ぎ払う。
その剣には魔力が練り込まれていたのか、『冥竜』の硬い鱗を突き破り顔に大きな傷跡を残した。
声にならない絶叫を上げた『冥竜』は、そのまま木からずり落ちるように地面に落下し、地震のような揺れを引き起こす。
口にくわえられたエルフをイルシィは空中でキャッチし、急いで『冥竜』の傍から離れる。
「今だっ………『影よ』!」
そして僕はここぞとばかりに、発現させたモノリスと『冥竜』の脚とを影の縄で括り付け、自由を奪った。これで、『冥竜』は空へ飛び立つことは出来ない。
「い、今だ! 突撃ぃぃい!」
その掛け声に慌てて後ろを振り向くと、大剣を構えた騎士風のエルフを先頭に10名ほどのエルフが『冥竜』へ向かって行く。黄色く濁った血走った目でその集団を睨みつける『冥竜』は、翼と一体化している鉤爪を大きく掲げた。
「ま、待てっ……とまれ!」
僕の制止など聞くはずもなく、大剣を肩に背負い『冥竜』へ接近する。消して速いとは言えない速度だが、死を恐れぬその勇気を心に宿し、鬼の形相で力一杯得物を振り下ろした。
「しねぇぇえ!!」
──────!!!!
そして、同時に振り下ろされたその爪が、大剣が落とされるより早く隊長格のエルフに命中した。断末魔をあげることすら出来ず、全身がひしゃげたそのエルフは、後ろにいたエルフ達が思わず足を止めるには十分な衝撃だった。
「うぁぁあぁぁあぁあ!」
両手に握る槍や長剣、盾などを放り投げ、いの一番に背を向けながら反対方向へ逃げ出すエルフ達。その表情は涙と鼻水を垂らしながら、懇願するように震えていた。
大きく口を開け、魔力を集め始める『冥竜』。嫌な予感が脳をよぎり、冷たい汗が頬を伝わるのと同時だった。
紅蓮の炎が火炎放射器の如く放出され、10名に満たないエルフ達を焼き尽くす。激しい豪雨の中でも、その強烈な炎は彼らの背中で焼け続ける。言葉にならない声を上げのたうち回るエルフ達だが、やがて大雨の音に遮られ、声は聞こえなくなった。
「彼、まだ息してる?」
「してる、けど………」
イルシィが抱えるエルフの顔を伺うと、出血が多すぎたのか顔色は青白く、皮膚は鉄を思わせるほど冷えていた。今も尚、ちぎれた両足の断面から血を流し続けるエルフ。狩人の格好をしたそいつは、息も絶え絶えに小さく目を見開いた。
「に、人間………その手を、離せよ……っ!」
ここまで人間嫌いを目の当たりにすれば、ため息よりも先に苦笑が漏れた。イルシィも彼を草の上に寝かせ、傷口を抑える手を離す。
苦しそうに息を吐き続けるエルフは、僕を見やると屈辱的な顔をして短く吐き捨てた。
「きえ、ろ………人間、っ!」
「………」
ありがとうの一言もないもんかねぇ。そんなことを考えつつも、『冥竜』に目線を戻した。括り付けられた足がもどかしいのか、無理やりにも自らの足を引きちぎりそうに引っ張っている。
「イルシィ、どうだった?」
極端に短くそう声をかけると、彼女もまた端的な言葉で応じる。「いけるよ」と。
剣に魔力を込め『吸血』の属性を付与する。そして、全身にも魔力を回して『吸血』を。爆発的な身体能力をもって、『冥竜』へ一足で肉薄した。
「喰らえ…っ!」
先程のエルフの恨みを剣に乗せ、全力で『冥竜』へぶつける。勇気も何もない、ただエルフへの怒りと僅かな同情だけが頭に残る。
迫り来る鋭い爪を軽やかにステップで回避すると、驚く程鮮やかに羽根の付け根を斬り飛した。片翼を失った『冥竜』は、バランスを失い地面に再度落下する。前と同じように、地震を思わせる地響きを鳴らした。
そのまま木の枝にしがみつき、力任せによじ登る。高所から見た『冥竜』の全容は、片翼がもげてなお威圧的で、伝説の竜の威厳を放っていた。
「イルシィ! 舌を!」
僕の声に耳を傾けたかそうでないかは定かではないが、取り敢えずイルシィは『冥竜』の顔面、口の当たりを攻撃する。
痛みを表すように暴れ回る『冥竜』へ向け、僕は静かに何も無い空中へ一歩踏み出す。そのまま体は『冥竜』の背中に着地し、ゴツゴツとした鱗の背中へ長剣を突き立てた。
────グガァァァ!!
叫び声をあげる『冥竜』は、背中にまとわりつく僕を振り落とそうと身を捩り飛び跳ねるが、絶対に離さないと両手で剣の柄を握りしめる。
しかし、硬い鱗と骨で構成された長い尻尾が、僕の肋骨へ命中し嫌な音をたてながらこの体を吹き飛ばした。雨の影響でぐちょぐちょになった地面を転がりながら、岩に何度もぶつかることでやっと止まる。
意識が朦朧としながらも、体内に張り巡らせておいた魔力で傷口を簡単に修復する。しかし大量の出血を伴う怪我であったため、立ち上がることは出来ず地面に膝をつき顔を手で支えた。
「う……気持ち悪っ………」
胃の中から何かが口に向かって走りだす感覚に、思わず口を抑える。泥だらけになったローブを脱ぎ捨て、両足に力を込め立ち上がる。いつまでも狂い続ける三半規管へ向け、舌を軽く噛むことで喝を入れた。
『冥竜』へ向けて走りだすと同時に、頭の中で考えを巡らせた。メイン武器であった長剣が『冥竜』の背に刺さったままであるために、もう一本のダガーで戦わざるを得ない。左手に持ったこのダガーで出来ることは少ないので、イルシィの援護をする形で『冥竜』の背後に周り、長剣を回収することを目的に設定する。
「『影よ、剣を寄越せ』」
足元の影が歪み、伸びてきたツタが真っ黒い長剣に姿を変える。手に取ると、随分軽いがそこそこ扱いやすかった。
しかし、見たところ耐久性は無視したようだ。確かに剛性に指定はしていないが、それにしてもこの剣はちょっとな。一撃で割れてしまいそうだ。
ま、この際仕方ないことだ。
ダガーと影の長剣をそれぞれ左右の手に持ち、『冥竜』の元まで駆け寄る。イルシィは、舌を斬ろうと口元への斬撃を続けていた。影を身に纏い、スピードを上げて『冥竜』に突進する。丁度イルシィの体の影になるよう集中しながら、『冥竜』の意識が完全にイルシィへ向いていることを確認した。
彼女の剣が、『冥竜』の牙に命中し破壊した。ご自慢の立派な牙を割られたことにご立腹な様子の『冥竜』は、彼女をこの世から葬る為に口を開き魔力を口内に集め始める。
「いけっ、!」
その舌へ向けて、魔力を込めたダガーを投げ込んだ。狙い通りに舌へ突き刺さったダガーは、練り込まれた魔力が口内へ集められた魔力と反応して暴走を引き起こす。
その隙をついて、大きく飛び上がり右手に持った影の長剣を『冥竜』の左目に突き刺した。血が勢いよく噴き出し、片目から光が消えたことに暴れる『冥竜』の背中へ上り、勢いよく愛剣を引っこ抜く。血は一滴も流れない。緑の鱗をした背中は、剣が刺さっていた部分だけ黒く変色していた。周辺の血を吸い抜き続けたのだろう。相変わらず恐ろしい。
吸い抜かれた『冥竜』の血液を魔力へ変換し、自らの体へ取り込む。失われた血液分を魔力で補給し、余った分は全身へ満遍なく巡らす。
「危な……っ!」
またもや、伸びてきた尻尾に払い飛ばされるところだった。硬いコブのような尻尾の先端を、剣を盾のように構えることで受け止め、挨拶代わりに一撃を放つ。コブに命中したものの、あまりダメージは見込めない。
再度伸びてきたコブへ向け、影の触手を伸ばして捕まえた。ジタバタと活きのいい魚のように跳ねるコブへ、剣に魔力を練り込み一閃。しかしこれでも切り落とすことは出来ず、諦めて地上に降り立ち距離をとる。
「シルムっ、どこ行ってたの」
「別に。ちょっと野暮用で」
合流したイルシィと軽く言葉を交わし、剣を構える。見たところ、『冥竜』は片翼を失った以外大したダメージは負っていない。スタミナも抜群だな、おい。
「首を切り落とすために背中に登ったんだけど、尻尾のコブが邪魔でね」
「じゃあそのコブ、というか尻尾を切り落とせば?」
簡単に言ってくれる。
僕もそうしたいのは山々なんだが、警戒されて中々上手くはいかないのだ。誰かもう1人くらい居ないものか、そう考えていると。
魔力を帯びた1本の矢が『冥竜』の右目を射抜いた。叫び声を出し暴れる『冥竜』へ、風を纏う大きな赤い弾丸が肉薄した。
「せいやぁっ!」
その少女は、『冥竜』の背後から尻尾を斬り裂いた。真っ赤な血がぶしゃっと噴き出し、返り血を浴びた彼女も全身を赤く染める。
「あ、あの人たちって!」
見間違えようもない、先程のキチガイエルフどもだ。矢を放ったのも、尻尾を斬り裂いたのも。先程気絶させたはずだが、もう復活したのか。
「と、とりあえず『冥竜』を倒さないと…!」
「聞きたいことが山ほどあるけど、まずは『冥竜』だね』
僕たちが話している間にも、4本の矢が『冥竜』の顔面を直撃する。両の眼を失いその場で暴れるだけとなった『冥竜』は、何も考えることはなく片方の翼をブンブンと振り回す。
「はぁっ!』
『冥竜』の周囲を走り回りながら、全身をその刀で斬り付け続ける少女へ、その援護をするように彼女が1歩離れたところを入れ替わる。振り下ろされた鉤爪を弾き飛ばし、邪魔にならないよう横に逸れる。
「せいっ!」
すげぇ。そんな感想をうっかり漏らしてしまうほど、素晴らしい太刀筋で『冥竜』の顔面を撃ち抜く。イルシィも彼女に負けず脚や尻尾を攻撃し、その機動力を奪った。
「これで決めるっ!」
飛来した2本の矢が目玉に深く突き刺さり声を張り上げる『冥竜』。隙ができた、とばかり少女は『冥竜』の正面に立ち正眼の構えをとった。
罠だ。そう気付いたとき、僕の体は意識せずとも勝手に動いていた。ここで死なせる訳には行かない、と。
大きく口を開き、これまでで最も多くの魔力を練り込む『冥竜』。その魔力は最早暴走気味であり、口から炎が溢れ出していた。
「ルノアっ! 離れなさい!」
後方からそんな声が響くのと、『冥竜』が大砲のような口を彼女に向けたのは同時だった。
この身の持てる力を全て引き出し、呆然と立ち竦む彼女の肩を掴んだ。そのまま彼女を後ろへ投げ飛ばす。驚いて口を開けっぱにする彼女の顔が印象的だった。
「シルムっ!」
背中に猛烈な熱の塊が襲いかかる。影の力を使えばよかったな、と思っても後の祭り。死んだな、と悟りまぶたを閉じたが、いつになっても身を貫くような灼熱は襲ってこなかった。
確かめるようにまぶたを開き、『冥竜』を見やった。
僕と『冥竜』の間で、何か透明な膜のようなものが覆っている。この正体がなんなのか、答えを出すのにそう時間は掛からなかった。
「風の、精霊か……っ」
あの少女を助けようと手を伸ばしたとき、あのギリギリの瞬間まで『冥竜』から目を離さなかったが、こんな膜は出現していなかった。主を守ろうとこの膜を張ったのなら、位置的に絶対に間に合わないタイミングだったはずだ。
(まあいい、それより誰か決めてくれ!)
この思いが通じたのか、飛んできた矢が『冥竜』の目をまた射抜いた。それにより口からの火炎放射が止まり、同じく透明な膜のようなものも消滅した。
「やあぁあっ!」
少女の声が高く響く。
刃物が生ものを斬り裂いた音と同時に、竜の頭が地面にボトッと落下した。
耳を痛めるほどの大きな叫び声はピタリと止み、代わりに大粒の雨が先程よりも大きく地面を叩きつける。ザーザーと鳴り続ける音を感じながら、ドサッと泥だらけの地面に腰を落とした。




