双子、それは頑固。
ま、断られたもんはしょうがない。あのまま言い合いになって収拾がつかなくなるよりはマシだ。メスブタの発言があまりにも幼稚だったからイラついてしょうがなかった。
さて、『冥竜』の正体を掴むためにまずはその『冥竜』と対峙して負傷した狩人を調べるという目標は完全に失敗した。
今ある情報はといえば、その『冥竜』は霊王の大森林の奥、アイテル山脈の中腹で目撃されたというだけ。霊王の大森林は昨日僕らが入った森の反対側の森だ。めちゃくちゃ深い大樹海で、モンスターが湧くこともある不気味なところ。
今からその霊王の大森林に向かうのは気が引けた。情報も何もなしにいきなり戦闘に及ぶのはやや危険だからだ。周りに被害を及ぼさないために、素早く正確に仕留めなければならない。せめて大きさや攻撃方法など、最低限の情報は手に入れておきたかった。
「あ? 人間がこんなところに何の用だ、悪いことは言わないからさっさと国に帰った方がいいぞ」
ダメ元で、里を守る警備隊のエルフに『冥竜』のことを聞いてみた。しかし、話しかけた途端にこれだ。会話になりゃしない。
「はー、エルフって人間に対してはこんな対応をするのね。もっと丁寧な種族だと思っていたわ」
スズミの言葉が耳に届く。僕も最初の頃は彼女と同じ印象を抱いていた。
しかし会ってみればこれだ。人間を見下すわ自分達を持ち上げるわプライドが高いわ自分勝手だわ傲慢だわ。自らを特別な存在だと信じ込んでいるのはいいが、人間も同じく特別なんだと理解してもらいたい。
「どうするー? シルム」
「何も考えが浮かばない。そっちは何か案はある?」
「もうこのまま行っちゃうとか? リスクは高いけど、もうどうしようもないし」
イルシィの言う通りだ。エルフ達の反応を見て考えてみると、ほぼ全員が僕らに対して敵意やそれに近い感情を抱いている。そんな彼らに「冥竜って知っとる?」と聞いても相手にしてくれないのは明白だ。
共闘してくれるエルフ達が居れば1番ありがたいんだけど、それはもう不可能と言ってもよいだろう。情報の1つ2つも得られなかった。
無理なものは無理。ダメなものはダメなのだから、悲観しても仕方がない。この任務を遂行するために、出来ることを考えよう。
情報が欲しいなら、知っている人に聞くのが手っ取り早い。知っている人が見つからないのであれば、自分の脚を使うしかない。リスクはかなり高いが、1度霊王の大森林に出向いて『冥竜』を探そう。
遠くからやつが見つかれば、大成功だ。その見た目や得物、戦い方を知ることが出来れば戦略をたてやすくなる。
最も防ぎたい最悪の事態とは、その場で戦闘に発展すること。もうこうなったらどちらかが倒れるまでやるしかない。下手に逃亡すればエルフの里を襲うかもしれないからだ。影の力で竜の脚と木の幹を結んで、モノリスを発現させ逃げられないようにバリアを張る。後は頑張るしかない。
仕方ないかぁ、そんな思いで彼女に頷いた。
「……そうだね。もうエルフ達は相手にしてくれないだろうし、霊王の大森林に行くしかないっぽい」
すると彼女は、やむを得ないね、と言ってから生返事を返して面倒くさそうな顔をした。
「ん。竜相手に偵察かあ、不安だなぁそれ」
「んな事言っても、僕だって本当は行きたくない」
ちぇっ、やや大きめな舌打ちをかましたイルシィは、不満そうに眉をひそめて宿の方向へ歩き出す。顔をチラッと見てみれば、面倒臭いと書いてあった。
さて、そうと決まれば次なる行動は決まっている。
宿屋に戻り次第持ち物を手に取り、フル装備を身に纏う。万全を期すために防具や武器の点検を改めて行い、簡単な食事を済ませ腹を満たした。
「隠密魔法をガン振りして霊王の大森林を突っ走る。『冥竜』を確認ししだい、バレていなければ短時間観察して帰ってくる。バレたら、戦うよ」
「まあするしかないよねえ」
宿を後にすると、霊王の大森林へ続く通りをスタスタと進み出す。
街を歩くエルフ達は僕達を見れば避けるように前をどき、横から聞こえるほどの声でヒソヒソと陰口も叩いた。
「これはこれは……」
イルシィが苦笑混じりの声を漏らす。人々が海が割れるように僕らを避け道ができていく様を見れば、「モーゼかよ」とツッコミを入れたいくらいだ。
見上げた空は、昨日の快晴とは打って変わってどんよりと濁った雲が所狭しと浮かんでいた。しっとり湿った空気が、僕の肌を沿うように撫でる。
何も言わず、冒険者風のローブについたフードを被った。それは道行くエルフ達からの視線を遮るためであり、ポツポツ降り出した雨を凌ぐためでもあった。
「ここは人間差別が深刻だね」
「ね。明らかに見下すような態度をとってるし、昔あったことを忘れてないんじゃない?」
周りへ聞こえないくらいに小さな声で話すイルシィへ、もしものためよいしょと1歩近づいて返事をする。
人間によるエルフの奴隷売買は一時期、というか今現在でも行われることがある。やはり内面はどうあれ見た目麗しく、個体価値が高いエルフを手に入れたい輩は多いのだ。その後のエルフをどうするかなど、口にせずとも察することができる。
「元々交流があまりない種族だったしね。誇り高い生き物、っていうのは知ってたけど、あんなに攻撃的な方たちだったとは……」
まさにその通り、疑問に思っていたのだ。実際に会ってみての印象とのあまりの乖離に驚愕していた。
辞典や歴史書に記載されているエルフの特徴としては、森を愛し精霊を受け入れ、知恵と共に賢く生き、命を尊び争いを嫌い、平和を重んじると書いてある。
しかし実際に向き合い話した相手といえば、喧嘩口調で人間を見下し、人を騙して利用し、態度が悪く人格を否定する連中だ。
お前らは本当にエルフを見て実際に接触したのかと、関連書を書いた連中に問いただしてやりたい。これは明らかにおかしかった。おかしすぎた。なにか大きな出来事や事件があったのかも、と思った。
最初に里に着いたとき長老のヨボヨボエルフに『冥竜』討伐の約束をしたのを、覚えてないのだろうか。その場にはそこそこの数のエルフが居たはずなのに。
と、思ったが首を振って否定する。彼らは信じてない、というか無謀だと笑っているのだ。たかが人間2人に出来るわけないと。だから、エルフは協力してくれないしむしろ意地悪する。
いやまあ、確かに気持ちは分かるけど。ガキ2人に何が出来るって話だし、あのヨボヨボエルフもあれだけ頑なで報酬の約束もしていたけど、腹の内では笑っていたのかもしれない。確認する術は、この世にはありゃしないが。
「まあ、僕らは子供2人だし彼らの年齢からしたら赤子同然なんじゃない?」
子供は親の言うことを聞けっ! 的なやつだろうか。個人的にその意見には賛成だが。
「あぁ、長生きさんだもんね。寿命はどれくらいなんだろ?」
「さぁ? 数百から数千くらいか………いや、もっとかな。病気とかにも耐性がありそうだし、そうとうご長寿だよ」
「だから偉そうなのかなっ」
やはりイルシィもご不満はあったらしい。出来ればそれを例の女医にちゃんと言って欲しかった。
なんでさっきの療養所の中であんなに静かだったの? と聞けば、『わたしは人間じゃないからなあ。でも、ちょっとは嫌な気持ちだったよ?』と言った。そんなこと言ったら僕も吸血鬼ですよ、余裕出すの辞めてください。
さて、数分もしない内に霊王の大森林の入口に到着した。簡単な木製の門が建てられており、木の板に大きく【霊王の大森林】と書かれてある。いいね、これなら僕みたいな間違える人はでない。昨日みたいな惨事は起こらないのに。
まあ、そんなことはどうでもいいのだ。
僕らは2人とも隠密魔法をかなりの強度で自身に付与し、森を突っきるために足に力を込めた。モンスターとのエンカウントを極力、というか完全に防ぐために全速力で突っ走る。
ビュッ!
風を突き抜ける音が辺り一面に響き渡った。その音の正体は、岩や木の根、切り株を悠々と飛び越え速度を落とさず突き進む。
雨に濡れながらも木々に寄り添う葉の揺らめきが、一瞬にして風圧で嵐の如く荒れ狂う。美しい緑色の葉が空中を激しく舞い、枝やツタなどは音を立てて折れ飛ばされ、そして雨に打たれ地面に落ちる。
雨足がかなり強くなった。水滴が地面を打ち付け、飛び散った泥がブーツを汚す。予め決めたポイントまで一直線に進んでいるため、もはや道という道はなく木々の間を縫うように走る。視界はかなり悪く、強く降りつける雨の影響で2人とも走るスピードが落ちていた。
めちゃくちゃに降り出しやがって、くそっ。
と心の中で悪態をつくが、それが何か気に障ったのか更にドンドンと雨の粒が大きくなった。豪雨と言って差し支えない、久しぶりの雨だ。雷が鳴っていないだけマシと考えるべきなんだろうか。
ローブが水を吸って重くなる。吐く息が白くなり、足元が泥濘に取られて危うくなってきた。足元へ少しだけ目線を向けながら、それでも全力で駆け抜ける。
「…………っ」
体の末端が少しだけ冷えてきたのを自覚した。もしかして、なんていう曖昧は根拠の無い不安が渦巻く。
「………ねえイルシィ」
小さな声でそう呟いた。しかし今はお互い全力疾走中で、しかも大雨が大音を立てて降る中だ。彼女に聞こえるはずがない。はずが無かった。
「なに?」
「あ、いや………なんでも」
しかしイルシィは、しっかりと聞き取ったらしく返事をした。思わず一瞬だけ体が固まる。特に用事はないから、何の気なしに名前を呼んだだけだから。不思議そうな顔をしたイルシィは、もう興味無いのか余裕そうな表情だ。
なんで僕はいま、イルシィの名前を呼んだんだろう。そんなことをぼんやりと考えていたときだった。
──────ッ!!!!
前方から、ものすごい爆音が轟く。大地を揺らすほどのその音は、豪雨の音を吹き飛ばし脳裏に最悪の展開を描かせた。
間違いない、あれは『冥竜』の叫びだ。
思わず足を止め、耳を両手で塞ぐ。10秒ほど鳴り響き続けた爆音は、世界の裏まで届きそうなほど大きかった。
「今のって……っ!」
「違いない、『冥竜』だよっ」
顔を見合せ、頷く。『冥竜』が寝ていたところを誰かに起こされた、そんなところだろうか。先程の咆哮は、怒りを含んでいるように感じた。
「急ごうよっ! ちょっとヤバいかも!」
余裕をなくした真剣そうな顔で僕の手を引っ張るイルシィに、あぁと短く告げる。
しかし、先程から嫌な予感がするのだ。なんだろう、この言葉に言い表せない微かな違和感は。拭えないこの感情を前に、体が動かなくなってしまった。
「シルム! はやく!」
「わ、わかってる!」
無理矢理その音の方向へ腕を引かれ、ハッとなる。そうだ、今は変な妄想なんぞ気にするべきじゃない、そう思い彼女の後を追うように走り出す。
「……っ!?」
その時だった。
イルシィの右前方から、3本の矢が放たれた。雨が降りしきる中、鈍色に光るその矢尻は彼女を穿かんと迫り来る。
僕が剣を抜いたのと、イルシィが3本の矢を叩き落としたのはほぼ同時だった。奇襲だと判断し、お互いに背を向け合い360度周囲を見渡す。雨の音が耳から消え、2人の息の音だけが響く。
そして、とんっ、と何かが跳ねたような音を、僕は聞き逃さなかった。
「……う、くっ!」
まるで赤い弾丸。
風の速さで肉薄したそいつの刃を、左手までも柄に添えなんとか鍔迫り合いに持ち込んだ。ガツン、と金属同士が激しく衝突する音が響く。
今のは危なかった、反応が瞬き1つ遅れたら真っ二つになっていただろう。
魔力を練り込み膂力を底上げし、力任せに相手を押し飛ばす。しかし体術も得手なのか、直前に後ろへ飛び勢いを削ぎ落としやがった。
「挨拶もなしに襲撃とは、どういうつもりですか」
剣先を向けたまま、目の前のコイツを射抜くように睨みつける。確かに奇襲や待ち伏せは僕らもよくやるもんだが、いざやられると腹が立つな。
「別に、ただ命令が来たから」
ぶっきらぼうにそう告げる彼女。紅の髪を持つエルフだった。しかも歳は僕らに近い、少女と言って差し支えない容姿だ。
「そちらの目的を知りたい」
「侵入者の首を持って帰ること、かな」
その長い髪は、雨に濡れても綺麗なままだ。大きく束ねたポニーテールに、キュッと吊り上げられた大きな瞳。燃えるように真っ赤なふたつの眼に、僕の姿が映る。
「侵入者? つまりここは、君たちのテリトリーなのか?」
「うん、そう。そしてボクたちに与えられた命令は、侵入者を抹殺して首を持ち帰ること」
さも当たり前かのように、澄ました顔で言葉を紡ぐ彼女。
流石に黙って従う訳には行かなかった。
「出来れば見逃してほしい。冒険者として、先程の『冥竜』を退治しなくてはいけないんだ」
『冥竜』という単語に反応したソイツは、パチリと目をはためかせて吐き捨てるように言った。
「『冥竜』なら、里のみんなで討伐しに行ったよ。さっきの咆哮は断末魔だったんじゃない?」
ほんとか? そう彼女の発言を疑った。
本当にエルフが『冥竜』を倒してくれたなら、本当にありがたいのだが。断末魔には聞こえなかったけどな。
「確認のために、せめて『冥竜』の死体を確認したい。本当に倒されているなら、大人しく帰る」
「ダメ。これ以上奥には行かせない、今此処で死んでもらうから」
そう言って、彼女は手に持つ得物をこちらに向ける。なんと彼女の武器は刀だった。ゼラさんの得物と同じような、反り返った片刃の剣。
「どうしても、『冥竜』の姿を見させてはくれないかな? 本当に一目でいいんだ。その間は手錠をかけるなり拘束するなり、甘んじて受け入れる」
剣を彼女から外し、敵意はないとアピールをする。しかし彼女はゆっくりと首を振り、右手に持つ刀を僕の目に向けた。
「悪いけど、ダメだよ。ボクたちが受けた任務は侵入者の抹殺。今此処で武器を捨てても、もう遅い」
言い終わるや否や、武器を構えてもいない僕へ向けて横薙ぎに刀を振るった。慌てて飛び退き、最後にもう一度だけ見逃してくれないかと頼んだ。
「今ここで君と殺し合っても意味がない。そちら側に危害を与えるつもりは決してないんだ、ただ一目だけ、『冥竜』の死体を確認したいだけだ。通してくれないだろうか」
彼女からの言葉は、帰ってこなかった。代わりに放たれた斬撃が、その応えだったのだろう。
大義名分を作るため、敢えてギリギリ剣先が届くところまで体を反らす。ギラギラと輝く刀身は、狙い通りに僕の頬を軽く撫でた。ゆっくりと血が流れ始める。
「………はぁ」
ため息をつきながら渋々といった様子で剣を構えた僕に対し、彼女はムッとした表情を浮かべながらジリジリとにじみ寄る。
「シルム・レートグリア。そっちの名前は?」
返事が戻ってくることは無い。風の音と共に彼女の体が消え、気付けば左方向から刀が迫っていた。
下手にカウンターを狙うことはせず、無難に攻撃を受け流す。彼女の両腕は止まることを知らないようで、嵐の様な追撃が僕を襲う。僕の防御を無視するかの如く、全身を切り刻むように刀を振るった。
しかし、その全ての刃が身体に届かない。まるで彼女の行動を先読みしているかのような、一切無駄のない防御。
出来るだけ小さく、素早く、軽やかに剣を動かす。正面から刃部で打ち合うのではなく、腹で滑らせるように受け流す。
「……くっ」
ガツ、ガツ、ガヅ。なんて硬い音は響かない。ただ2本の得物が織り成すのは、金属を擦り合わせたような柔らかいふわふわした音。
悔しさを滲ませるような声が、彼女の口から漏れる。フェイントや速攻、蹴り、時間差攻撃、リズム崩しなど、あらゆる手段を使っても僕のガードを破れない。
「く、なんで……っ!」
全ての攻撃を、涼しい顔で難なく捌き続ける僕に対し焦りの感情が見えてきた。
「なんで当たらない……っ!?」
その理由は簡単だ。
戦いを長引かせる必要は無いため、普段から僕はこのような守り一辺倒な剣術は使わない。
攻撃は最大の防御、という言葉通り、攻めることで相手への牽制にもなり勝利にも繋がる。というか攻めなければいつまで経っても勝てない。
しかし、だ。
僕がイルシィに剣を教えてもらい、これまで1番大切だと感じることは守りだ。致命的な一撃を防ぎ、また必殺の一撃をも防ぎ、返す刀で斬り殺す。このカウンターの一撃に全てを込め、機会を伺う。
敵からの攻撃に対し身を守るには、避けるか捌くしかない。僕は回避と防御の練習を飽きるほど積み重ねた。全てはカウンターのために。そして相手の攻撃を誘うため、彼女の美しい連撃を真似た。
僕の戦いを見たイルシィは、その感想として『猛獣みたい』と言った。
強引で荒々しく、ただ命を奪うための、ただ命を刈り取る為だけの剣術。しかし彼女は、僕のカウンターを見てこう言葉を改めた。
『まるで芸術だよ』
「かはっ、!」
滑らかに跳ね上げられた刀。ガラ空きになった少女の腹へ、魔力を纏った右足がめり込む。そして接触同時に、纏われた魔力が弾け飛び彼女の体を揺らした。
鳩尾へ叩き込まれた一撃に、彼女は息が止まり体が硬直した。その隙を、まさか逃すわけが無い。腹から引き抜いた右足を軸として、左足を浮かせて魔力を練り込む。
「ぐあぁ……っ!!」
右耳の上、少女の右側頭部にハイキックを放った。魔力によって増幅された力は、その軽い体を吹き飛ばすには十分な威力だった。全身泥だらけになりながら、固い土の上を転がる。革製のボールみたいに面白いほどバウンドした。
追撃しようか一瞬だけ迷いが生じる。しかしそれも瞬き1つ分程。普段と同じ速度で彼女の前まで足を進め、赤い髪まで泥に染る彼女を見下ろす。
「武器を離して、顔を上げろ」
雨足は強くなる一方だ。ザーザーと木の葉を打ち付け震えを思わせる音を奏でる。僕の声は、きちんと目の前の泥団子に届いているだろうか。
ムクっ。イモムシを思わせる緩慢な動きで体を起こした少女。口に入った泥をペっと吐き出す。その顔は悔しさでいっぱいであり、憎悪の念を僕に向けていた。
「や、ぁぁぁあ!」
そして予想通り、右手に持った刀を僕へ向け突き出した。恐るべきスピードだ。この森の風が彼女に味方をしていると感じるほど、少女の攻撃は鋭く速い。だが、彼女の攻撃はあまりに素直だ。どうぞ読んでくださいと言っているようなもの。
「………よっ!」
猛烈な殺意が込められた剣先を、半身に反らして回避するとそのまま少女の右手を掴んだ。
「く、は…っ!」
背負い投げの如く、彼女の背中を地面に激しく叩きつける。空気が肺からもれる音が聞こえた。ビチャッ、水分を含みドロドロになった土が大きく跳ね、僕のズボンを汚す。
少女の顔は、悔しさで歪んでいる。降り止まない雨を顔に浴び、ぐしゃぐしゃに濡らしていた。
「……ふーん」
感じたことのある感覚が体全体に走った。あまりにも大きな存在を目の当たりにし、手足の先が震えるような感覚。
なるほど、と納得する。
目の前の少女、精霊使いだろう。それも風の精霊。彼女の斬撃一つ一つに風の音が極端なほど乗っていたことが気になっていたのだが、これで全て辻褄があう。
彼女は強い。恐らく同年代の子供相手なら負け知らずだろう。何なら大人でも倒すことが出来る。彼女が持っていた天性のスピードと、風の精霊が編み出す風。僕やイルシィよりも、一撃一撃は速かった。ただあまりにも、僕との相性が悪すぎたのだ。その才能と実力には、賞賛を送らざるを得ない。
「じゃ、僕はもう行くけど、最後に名前を教えてくれないかな」
「ま、待て………最後、まで……たた、かえよ……っ!」
名前を聞きたいだけなんだが、彼女は絶対に言うつもりは無いようだ。赤から暗い茶色へと色が変わった髪をドロドロにベタつかせ、なんとか立ち上がろうと努力している。
最後まで戦えよ、と言う割には随分と弱々しいお姿。
別に戦っても構わないが、無抵抗の相手を斬り付けるのは躊躇われる。ただの弱いものいじめだからだ。そんなことに掛ける時間はない。
「………ま、そこで休んでな」
しかし彼女は、やはり立ち上がることは出来ず土の上に体を沈めた。ちょっと寒いけど、まあ死ぬことは無いだろう、と安直に考え『冥竜』の叫びが聞こえた方向へ走り出す。
途中、気絶しているもう1人のエルフを目の前にしたイルシィに声をかけ、2人並んで激しい雨の中疾走した。




