影霊、それは女狐。
「実は生きていたりする」
しかしここは、一体全体どこなんだろうか。辺り一面、真っ黒だ。何も映さず、ただ永遠の空間に浮かんでいる。
僕はあの黒い塊に倒されて、力尽きたはずだ。吸血鬼だからといっても、決して不死なわけではない。人と同じく大量出血で死ぬこともあるし、魔力枯渇で動けなくなることもある。
あの時の僕は、まさに満身創痍だった。大きな穴を穿かれ魔力を使い果たし、血を流した。
間違いなく、死んだ。
力が抜けて視界が黒くなった感覚が残っている。それも、鮮明に思い出せた。でも何故か、目を覚ました。いや、気が付いたらここにいた。
真っ暗闇な世界に、ポツンと1人取り残された。何も見えないし、何も感じない。身体を動かす感覚も、冷たさも感じない。時間の感覚すら曖昧で、時が止まったみたいに変化のない世界。
ここは所謂、死後の世界、なのか? 何も無い虚空の空間を、たださまよっているみたいだ。もし本当に死後の世界だとしたら、想像してたものとは随分違うな。もっと楽しくて明るいところをそうぞうしていたんだけど。
それともあれかな。僕が吸血鬼だから、神様が『お前は地獄行きだ!』ってなったのかな。だとしても、何とも味気ない地獄なもんだ。マグマが吹き出したり火だるまの悪魔たちがお出迎えしてくれないのかね。浄玻璃鏡もないみたいだし。
『うふふ。面白いことを考えてるのね、少年』
みゅ?
どこからともなく女性の声が聞こえた。辺りを見渡す。しかしその声の主はどこにもおらず、探しても探しても何も見えない。
『ここは死後の世界ではありませんよ。天国でも地獄でも、冥府でも極楽浄土でもありません』
優しい口調で、暖かな声。
包容力に溢れ全てを包み込んでくれそうな音色。美しい楽器の音よりも、綺麗に聞こえる。
しかし、天国でも地獄でも冥府でも極楽浄土でもないと? じゃあ、つまりここはヴァルハラ!? あの伝説のヴァルハラ!?
『……いえ、ヴァルハラでもありません。ついでに言うとドゥアトでもなければアケルトでもないですよ』
ドゥアトとアケルトは一緒なのでは?
『………うるさいですね、少年。まあいいでしょう、取り敢えずここは、貴方が想像するようは死後の世界ではありません』
どうやら違うみたいです。
でも、まあそうだよね。もし天国とか地獄とか、冥府やらだとしたら三途の川やプレゲトーンがあるはずだ。せめて死後の世界に誘うならば、そこら辺はちゃんとしてくれないと困る。
『はあ、よく分かりませんね』
さいですか、それはすいませんした。それで本題に戻りますが、ここはどこなんですか? 貴方はどなたで、どこにいらっしゃるのですか? 僕は、死んではいなかったのですか?
『質問が多いですね、少年』
それは答えられないという回答ですか? それともただの感想ですか?
『………ただの愚痴よ』
あぁ、よかったです。答えられないと言われてしまったら、困ってしまいますから。でしたらまず、そちらのお名前から伺ってもいいですか? 僕の名前はシルム・レートグリアです。
『ふむ、シルム君。私の名前はストラズミラージ、暗闇を司る影の精霊よ、よろしくね』
ストラズミラージさんですね、こちらこそよろしくお願いします。ストラズミラージさんといえば、先程まで戦っていた黒い塊と関係がありますか?
『えぇ、その黒い塊は私のこと。でもその黒い塊って呼び方は不愉快だからこれからはやめてちょうだいね』
あ、それは失礼しました。
『いいえ、こちらこそごめんなさい。吸血鬼なんて初めて見たものだから、つい舞い上がってしまったわ』
なるほど。でしたらこちらも申し訳ありませんでした。いきなり突き飛ばす様なことをしてしまって。それと触手を斬ってしまったり、毒を送ってしまったのも。
『うふふ、そうね。勝ったと思って油断してしまった。初めてだわ、あそこまで粘られたのも、倒されてしまったのも』
倒される? ということは、僕達は2人とも死んでしまったのですか?
『いいえ、2人とも死んではいないの。ただ、そうねぇ……』
言いずらそうだな。
しかし死んでいないと? あの傷は致命傷ではないが出血していたし、死んでもおかしくないとは思ったけど。ストラズミラージさんへ送った毒も、普通の人間なら即死を通り越してもう大変なことになるだろうけど、精霊にそこまで効果があったとは思えない。
『なぁに、謙虚なのね少年』
そりゃいつもから謙虚であることを心がけていますからね。
『うふっ、大切なことです』
あ、そっか。心読めるんだストラズミラージさん。でもそうだよね、さっきから声が出せないのになんでコミュニケーションが取れてるのか疑問だった。
『コミュニケーション云々の話だけれど、それはこの空間が貴方の精神世界の中だから、が答えになるでしょう』
精神世界? なんだそれ、聞いたこともないな。
『貴方が最後に私に送った毒。私はその毒に全身を犯され、瀕死になりました。危うく相打ちになるところでしたよ』
では、死ななかったのですね? あなたも、僕も。ただ倒れだけで済んだのですね?
『その通りです、少年。貴方の毒に犯されたのだから、この毒をどうにか出来るのは貴方しかいない。だから、私は貴方の体と契約を交わしたの』
契約? 消費者契約ですか?
『うふふ、つまらないわねぇ』
あらら、ウケませんでしたか。遮ってしまってごめんなさい、お話を続けてください。
『えぇ。貴方の体と契約、と言うよりも貴方の魂に住み着くことにしたのよ。人間の魂に憑依して、主導権を奪うことは精霊の中では常套手段なのだけど、貴方は吸血鬼。魂の強さが段違いだった』
魂の強さですか。僕は自分のことを優柔不断だと自負していますけど、そうでもないんですね。
『いえ、意志の問題ではないの。魂の強さというのは、ありたいていに言えば魔力の総量のことよ。魔力総量が圧倒的な貴方の魂、1度憑依した私を離してくれないのよ』
離してくれない? 捕まえた覚えはないんだけど。魂が勝手にやってるのかな。
『まあ、そうね。私が憑依しようとしたところ、魂の中に閉じ込められてしまった。魂ごと支配しようとすれば、私も消滅しかねないから』
なるほど……?
分かったような分からないような。ではストラズミラージさんは一緒僕の魂から出られないんですか?
『んー、そうねぇ。魂から出ること自体は出来ないけど、実体化して何らかの姿を見せることは出来るはずよ』
実体化? 実体化というのは先程のモヤモヤの状態のことかな。でも、それでも何も触れないし、楽しくないのでは。モヤモヤだし、気味悪がられるかもしれない。
『いいえ、大丈夫。あくまで私の本質は貴方の魂の中だけど、魔力を練り込んだ体を実体化させることは出来る。魔力で出来た肉体だから、形も自由自在よ。これから貴方と一生を過ごすことになるのだから、外に出る時は人間の姿にでもなるわ』
ほぇー、便利なんだなぁ魔力って。というか、一生だって? でもそうか、魂に閉じ込められちゃったんだもんね。僕が死んで、魂の力が弱まらないと出れないんだから。
『そう、そういうことよ。だから、できるだけ仲良く、協力しましょう、シルム君』
賛成だ。これから長い間共に歩むわけだから、喧嘩でも起こそうものなら大変なことになる。それに、面白くない。
協力、といっても。元の体の支配やストラズミラージさんの影霊の力はどうするんですか?
『シルム・レートグリアの肉体は、もちろん貴方のものよ。私の影霊の力は、そうねえ………貸してあげる、というのはどう?』
貸してあげる? じゃあ僕は触手をびゃぁーって出せるようになるんですか? ジュドォーって。
『うふふ、私の力はそんなものではないわよ。私は暗闇を司る影霊。影を支配下に置いて、文字通り様々なものを実体化できる』
影を支配下において様々なものを実体化? イマイチ分からない。影から剣や槍を造形して取り出せたり、ツタを伸ばせるってこと?
『正しく! 他にも獣の姿にさせて暴れさせたり、影の中に入ったり物を仕舞ったりもできるのよ。すごいでしょ? ね、すごいでしょう?』
はしゃぐような声を上げる彼女。
にしても影を実体化ねぇ。さしずめ、影を操るといったところかな? 影をいろんな形に実体化できるなら、敵さんの影から針を伸ばしたり、弾丸を飛ばしたり、縄で締め上げたりも出来るってこと?
『うふふ、分かってきたわね、私の力を。但し、あくまでこの力を貴方のものにすることは出来ない。だから、貴方の考えを私に伝えてくれないとダメ。というか、魂の中で閉じ込められて目も耳も聞こえなくなった私の力を貸し出すために、その事を強くイメージして魂の向こうに魔力を渡さないと全く伝わらない』
確かに、ストラズミラージさんは魂の中にいるのだから、魔力を通してイメージを伝えないと何も出来ない。目も見えないし耳も聞こえないとなれば、光景や言葉も分からないから魔力しか伝える手段がないのか。
『言霊、というものを知っているかしら』
言霊? 確か言葉に魔力を込めるやつだったっけ。聞いたことはあるけれど試したことは1度もない。
『そう、その言霊よ。貴方のやりたいことを魔力を通して私に教えて。その魔力にイメージを乗せることも忘れずに。鮮明であればあるほど、思い通り実体化できる。逆に曖昧だと、私におまかせになっちゃうわね』
言霊でストラズミラージさんを呼び起こすと同時にイメージを伝える、か。すごい、よく思いつくなそんなこと。
『《暗闇を司りし影霊よ、何とかせよ!》みたいな感じ? 最初の《暗闇を司りし影霊》って単語で、私の事だなって理解出来るわ。あとは何とかせよ! って言ってもらったら言われた通りに頑張る。というか、貴方のイメージ通りに実体化させるわ』
暗闇を司りし影霊、かぁ。
長いけど、カッコイイな。僕の心の底の何かが引っ張られる感覚がある。1回こういう詠唱的なのやってみたかったんだよね。
『そう、詠唱よ。ただ叫ぶだけじゃなくて、あくまで魔力とイメージを乗せること。イメージ通りに出来ないこともあるかもしれないけれど、その時はゴメンね』
軽いなぁ。
けどまあ、ストラズミラージさんに頼りきりなのはよくないから、その時は自分でなんとかするしかない。そのために学んだ剣術でもあるしね。
『そ。その通りよ、少年。カッコイイわねぇ。思わず惚れてしまいそう、うふふ』
ははは、いいゾいいゾ。
どんどん惚れちゃってくださいな、一緒にご飯食べるくらいなら付き合ってやらんこともない。ワハハ。
『うふふ、それは嬉しいわ。っと、そろそろ起きる時間ね』
む、起きる時間?
『そう、起きる時間よ。忘れてしまったの? ここは貴方の精神世界、いつまでも閉じこもったままでは居られないでしょう? 中々居心地がいいから、私はずっと居させてもらうけれど』
そう、この世界はかなり居心地がいいのだ。何も感じないから、特にやるべきことも無いし変な圧迫感もない。あるとしたら、猛烈に暇なくらいだ。
『貴方の体に、残っていた私の魔力を渡しておいたから。もう動けるはずよ。傷も全快しているわ。左目は、新しくしたけどね』
そう言えば左目は抉り取られたんだった。あのまま片目生活かなと思ってたけど、大丈夫みたいだ。
『うふふ。じゃあ、少しの間お別れね。多分、起きたらすぐ私の力を使うことになるだろうから』
ぬ、どういう事だろ。
起きたらすぐ力を使う?
『また会いましょう、少年』
あ、ちょっ。
はやい、はやいって───




