精霊、それは凶暴。
精霊だとすれば、話は変わってくる。
対精霊魔法の出番だ。
「《対精霊魔法》、発動」
先程の対精霊魔法は、精霊への忌避領域、つまり精霊を騙す効果を発揮させた。
今回は違う効果を発動する。まずは1発、挨拶代わりだ。
魔力を空中で練り込み大きな不可視の弾丸を作る。そしてその弾丸に対精霊魔法を付与し、精霊へダメージが届くようにする。
そしてそのまま黒い塊へ向け投射する。黒い塊は避けようともしない。どうせ当たらないとでも思っているのだろう。
───ッ!!??
黒い塊は、何かに弾かれたかのように後ろへ飛ばされた。その際、僕を空中へ浮遊させていた力も解いたのか、ボスっと尻もちを着く。うん、土硬いねぇなかなか痛いよ。
立ち上がり、剣を抜いて構える。既に対精霊魔法は付与済みだ。
黒い塊へ意識を集中させ、呼吸を整え全身から周りの景色の色を抜く。目の前のそいつに舐めてかかるな、と本能が叫んでいた。大きく、全身を使って呼吸をする。酸素を出来るだけ多く取り込み、その酸素に魔力を練り込むイメージで全身へと巡らせた。
と、同時にその魔力を使い吸血鬼の力を解放する。全身から力が沸き上がり、視界から伝わる情報量が一気に爆増する。頭の中は先程よりも冷ややかに。静かに見定める様な視線で、目の前の黒い塊を見やった。
───ッ!!
黒い塊が動いた。
はやい。動物では、いや魔物でもありえないほどの初速。当たり前だ、精霊だもの。肉体的制約を持たないとは、そういう事だ。
対精霊魔法を付与した剣で、突進する黒い塊と切り結ぶ。ガチガチガチッ! と嫌な音が響き、頑丈なハズの剣は刃こぼれをおこした。
有り得ないほどに硬く、重い。そんな黒い塊の攻撃を受け止めてられているのは、奇跡だろうか。普通ではありえない、絶対に有り得ないことだが、幸運にも僕は吸血鬼だ。有り得ないの塊みたいなやつだ。
吸血鬼の力で、剣を通して黒い塊へ毒を流し込む。
ピクッ。
そんな反応を示した、その一瞬。今度は目にも止まらぬスピードで後退した。あまりにも速い、他事に気を割いていたこともあるが、目で追えなかった。
だが、黒い塊へ毒を流すことは出来た。少量だけだが、最終的に量は関係なくなる。それと同時に目の前の黒い塊の情報なんかも、頭の中に流れ込んできた。
………ふんふんふん、なるほど。暗闇を司る大影霊【ストラズミラージ】、ネームドなのか? それとも仲間内でそう呼ばれているのか? それか、変な脳内妄想か? ハッ、随分痛々しいことを頭の中で作り出しているんだなぁ。
そんな小馬鹿を知ってか知らずか、黒い塊は再度突進してきた。先程と場所とスピードは変わらない。となると………こうか?
目の前に魔障壁を手早く展開し、対精霊魔法を付与。魔障壁の方にもうひと手間加えて、僕自身の攻撃は通るように設定し直した。
殴るように肉薄する黒い塊は、僕から放たれた斬撃を受け止めると………細長い針のようなものが、顔面にまで伸びてきた。
パキッ!
音を出して割れる魔障壁。一瞬動きが止まった黒い塊へ、チャンスとばかりに簡単な衝撃魔法と対精霊魔法をダブルレイニング展開。展開終了と同時に魔力を注入。多すぎず少なすぎす、適度な量をキッチリ入れる。
魔法がしっかりと発動された。対精霊魔法を展開された上の衝撃魔法。黒い塊は瞬きの間に吹き飛ばされ、それと同時に僕は足へ全ての筋力と体重を乗せる。
カタパルトの如く打ち出された僕の体は、吹き飛ばされた黒い塊へ優に追い付くと、そのまま空気抵抗に逆らい剣を突き刺す。速さは吹き飛ばされた黒い塊の2倍はあった。
ギギギギギッ!!
耳を劈くような金属音。しかしもう刃こぼれは起こさない。剣を繰り出す途中で、薄く表面に魔力の膜を纏わせたからだ。手応えといえば………なんだろうか、無理やり金属の塊に刃を突き立てた感じ、だろうか。手応えのての字もない。
お返しと言わんばかりに繰り出された触手の鞭を、全身を丸く包み込んだ防殼へ当てさせ、その衝撃を使って後退する。同じように鞭からの縦横無尽の連撃を、流れるように綺麗に弾き飛ばしていく。この連撃術は、イルシィから学んだものだ。
全身を柔らかくしならせる。それが連撃術の本質。全身を支配する吸血鬼の能力によって、強制的に魔力を体内で循環させ、無理やり力ずくで柔らかくしならせていた。
2分ほど続いた攻撃は、結局一本も僕に浴びせることがないまま終了。埒が明かないと判断したのか、黒い塊は撤退しようと後ろへ下がった──────
しかしもう遅い、遅すぎた。
「月魔法:モノリス、発動」
2人の間に1本の石柱が発現する。その石柱が光り輝き、何本かの光の筋が走ったと思えば………その光るエネルギーは真上に向かって発出され、やがて空中でドームのように展開された。そして、閉じ込められた中にいるのは、黒い塊と僕だけだ。
黒い塊は、その突進で光の壁にぶつかるが、破壊は愚か振動すらしない。当たり前だろう、その光の壁は物理的なものではなく魔力的なもの。壊すには地中深くの魔力溜りへ根を伸ばした《モノリス》を壊さねばならない。
多分、壊れないと思うけど。
「さあ、さっきの続きといこうよ、大影霊【ストラズミラージ】さん」
なぜ知っている。とばかりに、光の壁への突進が終わった。そしてゆっくりと僕の前まで移動する。その黒い全身から、夥しい量の殺気が漏れ出ていた。
ふぅ、と大きく息を吐き出す。そのドス黒い殺気をモロに浴びせられ、今にも地面にへたたりこみそうになる。全身の震えと悪寒、そして、冷や汗が止まらない。誘ったのはいいがその後に困るなんて、初めてのナンパみたいだな。
───ッ!!
先程と全く一緒の攻撃。
やばい、嫌な予感がする。足の震えが止まらない、なんなんだこの奇妙な感覚は。まるで大地が揺れてるみたいだ……っ。
流星の如く撃ち込まれた黒い塊は、僕の方へ超速で向かって───
「っ……そうかっ」
───全身を丸い防殼で包み込んだ。出来るだけの魔力を込めて、極めて頑丈に。
そしてその数瞬後。最初の攻撃は、背後からだった。バキィッ、という音と共に後ろの防殼を突き破る。そして僕は、このときを待っていた。
吸血鬼の力を付与し切れ味を増した剣を両手に持ち、両腕に魔力を練り込んで思い切り突き破った針を斬り付ける。
金属を無理やり捻じ曲げたような、甲高い音が防殼内に広がる。そして同時に、地面へボトッと何かが落下した音がした。
「………くっ!」
───バキィッ!
まだ終わっていなかった。今度は左から、防殼が破られた音が。振りかぶる暇もなく、剣を左手で握り針と切り結んだ。一瞬でも力を緩めると串刺しにされる。そう思うと自然に力が湧いてくる。
空中に魔力を練り込みダガーのイメージを構築する。今背中に持っている緊急用のダガーを魔力で再現し、対精霊魔法を付与。
「ぅ、ぅぅぅぅっ……!」
その鋭いダガーを針に向けて飛ばした。ガギギギギッ! そんな音を響かせながら針を斬り裂いていき、ついには───
「あ、あぁぁぁぁっ!?」
血が、ドクドクと流れる。焼け付くような痛さと猛烈な倦怠感。腹部から真っ黒い針が貫かれていた。
「ぐ、あぁぁぁぁっ……!」
使い手のイメージが崩壊したことにより、透明のダガーは無音で消滅する。もはや剣を持つ手に力が入らない。今にも、倒れそうで…………、
「うがっ……っ!!!」
剣に押えられていた針は、さらに押し込む力を強めた。もう抵抗するだけの余力はあるはずが無く、左肩を穿たれる。骨を砕く音と肉を突き破る音が鮮明に聞こえた。
(や、やばい………っ)
左手はもう使えない、ならこの腹から出るやつだけでも。
そう思い、激痛の中ダガーを魔力で練り直す。これまでで1番濃密な魔力を練り込み、脆さを引き換えに鋭さを増大させる。
「ぐ、ぐぁぁぁぁあ……!!」
口から放たれる声は、もはや言葉ではない。ただ、自然に漏れる意味の無い叫び。そして激痛を誤魔化し、自らを奮い立たせようと絞り出した魂の叫び。
「し、しね………っ!」
薄紫のダガーは、僕の腹を貫く針を切断した。その振動により、腹の中を引き裂いた針が蠢き益々の激痛を与える。
「う、ぁぁぁぁあ……っ!!!」
目の前にあった防殼にヒビが入っている。そう意識したのは一瞬だった。妖しく光る黒い何かが、僕の左目に飛び込んだ。
血が、血が溢れる。止まらない、止まらない血が溢れる。痛い、いたいいたいいたい………血が、止まらない。
視界が真っ赤に染まり、血の匂いが鼻にこびりつく。なにも、みえない。頭が痛い、ズキズキと痛いが大きくなる。めが、みえない。
「ぐ、あ、あ、ぁ………っ!」
全身の力が入らない。息ができない、めがみえない。鼻に血が入る。舌に血の味が広がる。全身がいたい、左肩の感覚がない、お腹が、つめたい。めがみえない、めがみえないめがみえない…………
「───し、ね……っっ!!!」
最後の力、正しく最後の力を振り絞った。吸血鬼の力を全て感覚のない左肩へ集め、僅かな修復と共に毒素を全て針に向けて流し込んだ。
お腹の針が、ぶるぶると震えた。そして、引っこ抜かれる。冷たかったお腹が一気に熱くなる。あつい、あついあつい…………
左肩にあった、何かがつっかえたような感覚も消え、顔に刺さった針も抜かれた。支えが無くなった僕は、そのまま倒れ込む。あぁ、血の匂い………土の匂いが嗅ぎたかったのに、血の匂いしかしない………
あぁ、あたまがいたい。ズキズキして収まらない、なんで収まらないんだ、めがみえない。全身の力が抜けていく。息ができない、空気が吸えない、お腹が熱い………あぁ、しぬ、のか。
いたい、いたいよ………まさか、こんなことになるなんて………もっと、楽に死ねると思ってた………あたま、いたい…………。
◆❖◇◇❖◆
『ま、不味いわね。なによ、このヘンテコな魔力は……っ!」
まさか、こんなことになるとは思わなかった。
いつも見たく狩りを終え、家に帰っている時だった。1匹の服を着たサル………じゃなくて、変な髪色の人間が木の枝にしがみついていたのだ。
なにをしているのかしら。
そう思い、近くまでよって観察していた。どうやら小さなおサルさん………じゃなくて人間は、木に生えたキノコを採っているらしい。それもあんなに必死な顔をして。頑張っている小さな子を見れば、応援したくなるのは当たり前だろう。
全部とり終えたのか、安心した顔になった───のも束の間、彼が捕まっていた枝から嫌な音が聞こえた。
あぁ、落ちちゃうなあ。
この後起こる展開が何となく想像出来たところで、彼の顔が目に入った。
必死、と言うよりかは焦ったような顔をしている。本気でビビっているのか、助けてくれと言いたそうな顔だ。
あんな顔をされては、助けてあげるのも吝かではない。
ただの気まぐれで、落下し始めた彼の体を優しく受け止めた。
受け止めた、まではよかった。問題は、そこからだった。
吸血鬼、生まれて初めて出会った。全身から溢れる魔力の濃さ、それは先程食べた魔物の比ではなかった。
ごめんなさいね、おサルさん。心の中ではそう思いながらも、体の動きは正直だった。
優しく地面に近づけ、そして手を伸ばす。こういうのは直ぐに食べるのはダメだ、家に持ち帰り最高の状況で頂かなくては。そう思っていた。
魔力の流れに異変があった。水みたいな、綺麗な魔力の流れ。見たところ、何かボールみたいなものを形作っているみたいだけど、何をしたいのかしら………そう、思っていた。
吹き飛ばされた、物の見事に。一瞬、何が起きたのか分からなかった。けどすぐに分かった、彼がやったんだと。
そして、疑問に思った。私が見えるまでは良い。問題は、なぜ私に攻撃できたのか。私は精霊だ、故に物理攻撃や魔法攻撃も効かない。仮に精霊魔法だとしても、彼の中に精霊の気配は感じられなかった。
しかし、これで私の心に火がついた。この小さなおサルさん、逃がしてなるものですか。吸血鬼なんてそうそうお目にかかれないし、そもそも彼以外に居るのかすら分からない。このチャンスを逃す手はなかった。
まずは、牽制も兼ねて様子見だ。彼に向かって体を打ち付ける。なんと、手に持つ長剣で止められた。先程の魔物ならこの程度で頭を吹き飛ばしたけれど、この子はそんなものたちよりももっともっと戦えるみたい。そう思っていたら………ナニカが、私の中に流れ込んできた。
これはやばい、よくない。
本能的に理解した。いや、理解させられた。そこからは、もうよく覚えていない。久しぶりに本気を出した。でも防がれた。だから最後は、全力を出させてもらった。こんな小さなおサルさんには大人気ないかな、と一瞬だけおもったけど、もう躊躇はなかった。
結局、腕を2本斬られただけで圧勝した。左目を奪ってしまったのは申し訳ないし、痛かったでしょうけど、あれは仕方がなかった。このまま引き摺るのも可哀想だし、浮かせて持って帰ろうかな、と思っていたその時。
「───し、ね……っっ!!!」
やられた、と思った。
完全に気を抜いていた。そうだ、彼は奇妙な毒を使えるんだたった、全く失念していた。
そこから、私の行動は早かった。急いでこの子から腕を抜いて、とりあえずこのヘンテコな毒素を全身に回した。私の魔力と大地から吸い出した霊気で、中和してどうにかするしかないと思ったから。
でも、目論見は外れた。全身に駆け巡った毒素は、私を内側から壊そうとした。心が蝕まれる。まずい、と思った。
何かしようにも、もう時間が少な過ぎた。あと少しでもすれば、体の中の魔力が心諸共全て破壊されるだろう。最後に置き土産を貰ったな、って内心笑った。
でもその時、地面で這い蹲る少年が見えた。小さく丸まっていた。何かに必死にもがいていた。いや、何かじゃない。お腹と左肩、そして左目の痛みだろう。
ごめんなさいね、と内心謝ると同時に、ある策を思い付いた。もうこれしか無かった。私は、迷わなかった。迷えなかった。




