奴隷、それは逸材。
明日の昼前までに出発してくれとゼラに言われたシルム達は、出発の準備を整えると同時に市場にやって来た。2人にとって昨日ぶりであるこの場所は、平日にもかかわらず人が多い。賑やかな活気に包まれていた。
「ポーションも買ったし電笏も買ったし非常食と水も買った………あとは、何かいるものある?」
イルシィは、手に持つ袋の中を覗きながらシルムに話しかけた。先程まで買い物をしており、彼女の中ではもうこれ以上買うものは無いと思っていたからだ。
「何言ってんのっ。これからがメインと言ってもいいくらいだよ…!」
勢いよく振り向きながらそう言う少年に、イルシィはなんの事だかさっぱり分からないという様子。とりあえずついていってみると、着いたのは奴隷商館だった。
「え、なに。シルム奴隷欲しいの?」
「うん。今朝貰った紙に、使用人の登用に制限はないって書いてあったでしょ? だから街中でスカウトするよりお金で契約した方が安全で楽だと思って」
おぉー、とイルシィは感心しながらシルムの話を聞いていた。彼女の頭の中に、奴隷を使用人にするという考えが浮かんでいなかった。そして同時に、シルムは奴隷制度自体を否定していると思っていた。
「ふーん………ちなみにその奴隷って、女の人にするの?」
「当たり前じゃん」
男の使用人の何がいいのか。戦闘ならば屈強な男奴隷が大歓迎だが、自分の世話をする使用人を何故男性にやらせるのかシルムには理解出来なかった。
「へ、へぇー……」
シルムの名誉のために言うが、彼が男嫌いや女好きという事ではなく、シンプルに使用人には性格や能力的に女性の方が優れていると考えているからなだけだ。決して他意はない………はずだ。
「イルシィも、誰か契約してもらう?」
「え? あ、あぁ………わたしはいいや。自分のことが自分で出来なくなったらいやだし」
意外だった。
「おー、それは意外。お前のことだから誰かにやってもらってグーダラしたいーとでも思ってるかと思ってた」
「相変わらずキミはわたしをイラつかせるねーっ。いつも変わらずの飛ばしっぷり」
「うん、今日も絶好調だよ」
こんな調子の会話をしながらも、商館に入る。その内装は、そこまで広くないながらもシャンデリアやカーペットなど、高級感溢れる場所だった。
2人の入店に気付いた店主の男が、手をこねながら近づく。
「いらっしゃいませ、ようこそエレホス奴隷商館へ。本日はどのような奴隷をご所望でしょうか?」
その男性は、いかにも高級そうな衣服や装飾を身にまとい、着飾っていた。ここでかなり儲けていることがひと目でわかる。客に信頼と安心感を与えたいのだろう。
「えーっと………使用人として仕事が出来る奴隷はいますか? 出来れば女性で」
「はい。使用人として、ですね………因みにお客さま」
シルムは、ん? と首を傾げるが、その男は彼に1歩近づいて先程より小さな声で言った。
「見た限り冒険者のようですけど、夜伽の相手をお求めですか……?」
ちょっ!? そんな声が後ろから聞こえた。男2人揃って声の聞こえた方向に目を向けると、イルシィが顔を赤くして動揺していた。その反応に、商人の男はしまったという表情をし、シルムは面白がった。
「……いえ、あくまで使用人ですよ………えぇ」
誘惑に打ち勝ったシルムは、そのような相手ではないと念を入れた。……少し怪しかったが。
「そうですか、そうですよね。こんなに可愛らしい彼女さんがおりますし。無粋な質問をしてしまい申し訳ございません」
「いいえ、気にしてませんよ」
彼女ではないが、その事には触れないでおいた。また余計な一言を頂戴することになってしまいそうだからだ。
「使用人として仕事が出来る女性、ですね。いくつか候補がありますので、待機場にご案内しますね」
「はい。よろしくお願いします」
◆❖◇◇❖◆
商人の背中に続いて、僕達は地下の奴隷待機場にやってきた。薄暗く、電笏の光がゆらゆらと揺らめくこの空間は、行き場をなくした魂が漂っているみたいだ。牢屋の鉄格子が、光を妖しく反射する。
「使用人にするならば、こちらの奴隷は如何でしょう。23歳の女奴隷でして、家事全般を教え込んでおります。価格は金額30枚でございます」
茶色の髪に黒色の瞳。言っちゃ悪いが至って平凡で普通な人だ。確かに使用人にするのに顔は関係ないけども、やっぱ可愛い人がいいじゃん? あとこの方は人族だ。出来れば人外の種族がいい。となればハーフエルフくらいしか居ないだろうけど。
「出来れば、人間以外の種族の奴隷がいいですね。例えばハーフエルフとか……」
「おぉ。お兄さんはそっち系が好きでしたか……」
そっち系って言わんでくれます? いや確かにハーフエルフ好きだけども、そんな趣味とか性癖とかじゃないですからね?
でも思い返して見れば、貰った紙には人族はダメとは書いていなかった気がするな。この商館にめぼしい人外がいなければ、別に人族の方でいっか。
「でしたら、こちらのハーフエルフか猫人族がいいでしょう。料理や洗濯など、まだ拙い部分はありますが伸び代はありますから。そして、戦闘もこなせますよ」
隣合った牢屋の中に、ハーフエルフの女性と猫人族の少女がいた。2人とも死んだ目をしている。ベッドの役目を果たす布切れに横たわり、こちら側をボケーッと眺めていた。
(うーん……戦闘に駆り出すなら、流石にキツイだろうな。魔力回路の異常に、左足が壊死しかけてる。この猫人族、早く措置しないと死んでしまう)
まあ使用人だからといって、家事の全てを任せる訳ではない。隊員寮に暮らしている訳だし、簡単で身近な世話をしてくれればいいだけだ。戦闘が出来ないのならば、先程の女性と契約するか………。
そう思っていた時だった。
ハーフエルフの魔力を調べようとしたとき、地下のもっと向こう側から強烈な魔力波動を感じた。後ろに立っていたイルシィと同じく、その方向を向いた。
「商人さん。向こう側に何か飼ってるんですか? 魔法動物とか、植物とか……」
小さく指さして暗い通路の突き当たりを指差すと、商人の男はおぉと感心したよう、驚いたような声を上げた。
「よく、わかりましたね。確かにそんな奴隷はいるんですけど………」
随分と歯切りが悪い言い方だ。商人の目がその方向を向いた時、僅かな恐怖の色が見えた。
「気になりますね。見に行ってもいいですか?」
「え? ま、まあいいですけど……見ても驚かないでくださいよ」
驚く様なものがあるのだろうか。果たしてどんな魔物だろう。大きな牙が生えてるとか、奇妙な翼が生えているとかだろうか。非常に興味がある。
コツコツコツ、と靴が鳴らす音を聞きながら、石畳の上を歩く。奥に行くにつれて、電笏の明かりは小さくなり、不気味な雰囲気が増していた。
「………着きました」
待機場の突き当たり。他の牢屋と切り離されたこの場所で、僅かな光の中精霊の揺らぎを感じた。最初に感じた魔力は段々と強くなり、突き当たりの鉄扉の前では肌が震えるような感覚に陥っていた。
「本当に開けますか? 魔力酔いで気持ち悪くなってしまうかも知れませんよ? ほんとうによろしいんですか?」
「はい、お願いします」
商人は不安そうな顔をしながら、鉄扉の鍵を開けた。商人が最後の確認とばかりに僕たちの顔色を見やる。ひとつ頷くと、金属質の音が響きながら重く長大な扉が開いた。
(っ………なるほど、アルラウネか)
扉がほんの少しだけ開いたとたん、暴風か吹き荒れた。金属製の重たい扉がバコンと開かれ、驚いた商人は尻もちをつく。急いで扉を閉めようとするが、風に押されてたどり着くことは出来ない。
イルシィ───!
「………っ」
僕がそう言う間でもなく、彼女は魔力の壁を扉の前に展開した。それすらも吹き飛ばす勢いで風が強くなるが、綺麗な水色の壁はビクともしない。
「あ、ありがとうございますお嬢さん。助かりました………」
「いえ、気にしないでください。それより、彼女は………」
3人の目線の先には、1本の幹にもたれ掛かる一人の少女がいた。薄暗い部屋の中、鉄格子を挟んで対峙するその少女は、死んでいるようにぐったりとしていた。
「……アルラウネ。大地の精霊魔族です。数年前、知り合いに格安で買わされました」
アルラウネと言えば、大地に住む精霊魔族であり、人間たちにとっての敵性種族だ。森林の過剰伐採や彼らへの不法捕縛、奴隷化、理由のない討伐などの歴史を経て人族を嫌った。
元々排他的な性格であり、交流を嫌う種族であったため今では森中でひっそりと暮らしている。個体数も減少し、簡単に見ることは出来ないと思っていたが………。まさかこんなところでお目にかかれるとは。
「……とても弱っていますね。魔力を垂れ流している」
魔力特性に地属性が含まれているのか、彼女が座りこむ地面から円弧形に緑色の芝生や草が広がり、背中には太い幹が伸び体が半分取り込まれていた。
「ええ。死んでしまうのも時間の問題だろうと思っていたのですが………見ての通り、日を追うごとに室内が緑豊かになりまして。食事を与えようにも、風が吹いて入れないのです」
彼女の顔が、木の幹に取り込まれながらも僅かに確認できた。芝と同じ緑色の髪に、痩せこけ頬骨がくっきり見える顔。その目は、既に色がなく何も写していなかった。
「何も食べずに、生きていけるんですね……流石精霊、といったところでしょうか」
「まったくその通りです。いつか上の天井を突き破って、街の人に迷惑をかけるのではとヒヤヒヤしていますよ……」
……………。
ふーむ。
欲しい、是非欲しい。なんなら金貨50枚くらい払ってでも手に入れたい。あの伝説のアルラウネだぞ………言っちゃ悪いが、この商人がなぜこんな状態で放置しているのか分からない。金の成る木だぞ?
「この子、この子がいいです。いくらですか?」
やや興奮気味にそう伝える。商人は、ありえないといいたげな顔をしながら返事をした。
「正気ですか、お客さま」
信じられない、という表情だが僕の気持ちは変わらなかった。どうしてもこの子が欲しい、何がなんでも手に入れたかった。
「家事なんてできませんし、そもそも意識が戻るかすらも分からないんですよ? それに、部屋にも入れませんし………」
チラ、と部屋の中を覗けば、枝や草が風によって強く揺さぶられ、抑えられない魔力を撒き散らしながら少女は幹と共に佇んでいた。
確かに商人の言う通り、この状態では家事はおろか歩くことすら出来ない。しかし、僕には考えがあった。この少女を、最高の使用人にするための考えが。
「実は考えがあります。彼女に、聖霊樹を与えてやるんです」
「聖霊樹、ですか………ああ。確かにそれなら……」
なるほど、という様子の商人は僕の言葉に頷き納得した。
聖霊樹の力で彼女の意識を取り戻し、無秩序に放たれた魔力を全て収束。その回収された魔力を彼女に返すことにより、健全な状態へと戻す。
これが成功すれば、彼女はアルラウネ本来の強力さを取り戻すだろう。そうすれば、色々と使えるかもしれない。
というか、アルラウネ程の莫大な魔力を持つ種族なら聖霊樹や神聖根などの魔力制御用の杖を持っているはずだ。彼女の周りにそれらしきものが見えないことを考えると、奪われたか無くしたのだろう。
「ちょうど僕達は、霊王の大森林に赴く用があるんです。そのついでに、取ってこようかなって」
「しかしお客さま、聖霊樹は聖霊に認められた者しか手に入れられないという代物。最近は流通量が極端に減ったと言われています。本当に手に入れられるんですか……?」
分からない。
わからないが、この少女を手に入れるためにはそうするしかないのだ。寧ろ問題は聖霊樹を手に入れることではない、その後の彼女のことだと思っている。
僕に懐いてくれるか不安だ。いきなりブチ切れられて魔法が飛んでくるかもしれない。もし懐いてくれなかったら、その時は自然に返してやろうと思っているが。
「………どうでしょう。しかしやってみるしかありません。このアルラウネ、前金として金貨25枚をお渡しします。そして……」
「………分かりました。では、金貨25枚でアルラウネを預かります。聖霊樹を入手し戻ってこれたら、残りの………そうですね、金貨15枚でいいですよ」
全部で金貨40枚。他の奴隷よりは当然高いが、この少女の将来性を鑑みれば格安だ。
この商人。モンスターの知識が無いのか、アルラウネの価値がわかっていないらしい。言うなれば伝説上の聖霊生物だと言うのに。金貨100枚………いや、500枚でも安すぎるくらいだ。
「ありがとうございます。では、約束の金貨25枚を」
ピッタリ25枚が入った皮袋を商人の手のひらに乗せる。ずっしりとした重量感があり、彼の顔がにニヤリと歪む。懐のポケットにそっとしまい、握手のための右手を差し出してきた。
「お買い上げ頂き、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。近いうちに聖霊樹と一緒に取りに戻ります」
「はい。心よりお待ちしております」
最後に、少女を一瞥してから鉄の扉を閉じ地下の待機所を去る。薄暗く不気味な雰囲気は、先程よりも増したように思えた。
「ちなみに、彼女の名前はなんて言うんですか?」
「名前ですか? ───・─────です」
◆❖◇◇❖◆
約1時間ぶりの陽の光。
その眩しさに2人は若干目を細めながら外の道を歩き始めた。心なしか、薄暗かった心が晴れた気がする。
「……金貨40枚。大儲けだねシルム」
「うん。あの商人、言っちゃ悪いけど奴隷商失格だ」
確かに奴隷商は一定の需要があり、利益も大きいがその分リスクが高い。そこら辺を加味すれば大変な職業なのだろうが、如何せん知識が乏しすぎた。もしアルラウネを手に入れたとき、魔物図鑑やらで彼女のことを調べていたら、今頃は大富豪となり僕たちとは無縁の生活を送っていただろう。
あの男の知識のなさにシルムはバッサリと切り捨て、失格だと言い切った。そこら辺はきっちりとした奴である。
「んじゃ、局に戻って準備しよっか。馬の手配はしてあるんだよね?」
イルシィは話を切り上げ、局への道を歩き始める。その横を歩くシルムへ、これからのことを聞いた。
「手配したのはゼラさんだけどね。何でも、中々いい馬が手に入ったとか言ってたけど……」
「ふぅん」
馬のことには全く詳しくない2人は、特に話が続くこともなかった。静かに、ゆったりとした歩調で足を進めた。
世界大辞典:聖フランシャール著
世界地図編。
モレス帝国の北。デウス島から北西の地域には、有名な『霊王の大森林』が広がる。霊王竜がかつて支配していたこの領域は、緑豊かな木々が生え揃う。さらに北西に進めば、霊峰アイテル山脈そびえ立ち、その麓にはエルフ族が暮らす集落と、『大精霊の聖樹』。また霊峰を超えた先にある『大王の渓谷』には、ドワーフの生まれ故郷が位置し、鉄を打ち付ける鍛治の音が鳴り響く。




