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ハーミット・モノリス 【暗躍する月の使徒】  作者: 五輪亮惟
序章・記憶と思い出。
20/37

変わったこと、変わらないこと。


 ここ最近は、毎日酷い目覚めだ。寝る度に、泣き叫ぶ女の子の悲痛な顔が蘇ってくる。人助けをした、いや、しようとしたはずなのに、女の子を更に傷つけてしまった。


 欠伸を噛み殺しながら、身支度を整える。リビングの扉をあけると、イルシィはそこにいなかった。あれ以来、彼女はより一層鍛錬に力を入れている。


 彼女も僕と同じなんだろう。心にモヤモヤが陰り、何かスッキリしない日々が続いている。

 玄関を見に行くと、また靴が一足なくなっていた。鍛錬を行い、自分がより強くなることを実感することだけが、彼女の心の靄を晴らす唯一の方法なのだ。


 少し歩くと、すぐにイルシィを見つけた。真剣な眼差しで、二刀を振り回している。鮮やかな剣筋で、迫り来る魔物を斬り裂いていた。


 水を指すのも申し訳ないと思い、近くの切り株に腰を下ろす。持ってきたバスケットからたまごサンドを取り出し、口に運ぶ。頬に触れる早朝の爽やかな風が心地いい。


 僕の分を食べ終えた頃、ようやく魔物の襲来は終わった。イルシィは二振りの剣を仕舞い、空に浮かぶ光源を見つめる。あれは太陽ではなく、この地下迷宮内の魔力の集まりだ。ここの魔物生命の源であり、本物の太陽と同じように何故か動く。


 昔、イルシィが教えてくれた話を思い出した。


 『あれは冥府の神・ハデスの魂だって言われてるんだ。何でも、この地下迷宮は神々の時代神話の死後の世界らしくてね。地上で命を落とした生物や神々が働かされていたんだって。ハデスはそこを仕切ってたらしいよ?』


 その時は、どうせフィクションだろ? って笑い飛ばしたけど、今ああやってハデスの魂を見つめると、地上のアポロン太陽神と同じように、こっちもハデスが支配してたのかも知れないな、と思う。

 根拠はないし、理由も無いけど、ああやって不思議な力で浮かんでる魂を見たら、そんな大きな存在がいてもおかしくないと思える。


 まあ、僕は無神論者だからあまり深くは考えたことがないんだけれども。


「あ、シルム」


 手ぬぐいをイルシィに放り投げながら、おはようと挨拶する。隣の倒れた木の幹に座ったイルシィは、はぁと一息ついて汗を拭った。


「くんくん……なんかいい匂いがする」


「朝ごはん持ってきたからね。イルシィの分入ってるから、食べて」


 こいつ飯の匂いには敏感だな。そう思いながら膝の上に置いたバスケットをイルシィに渡し、早く食べるよう促す。生ものだし、お腹がすいてると思ったから。


「ありがとう。気が利くね」


「まあね」


「……少しは謙虚にしたら?」


 呆れたような表情と共に、ベーコンサンドを頬張る彼女。イルシィの好みの味付けをしたので、まあ不味くは無いはずだ。彼女も美味しいおいしいと言いながら食べている。


「………じゃ、僕もやろっかな」


 手にいつもの剣を持ちながら、切り株を立ち上がる。広場の中心点に《餌場魔法》を発動し、周囲の魔物や動物を誘引する。イルシィに勝てるとは思ってないけど、それでも近づくことは出来る。ほんの少しでも近づき、少しでも肩を並べられる存在になる。それは目標でもあり、僕の活力でもある。


 わらわらと集まってくる魔物たちを切り刻みながら、考え事をしていた。それはもちろん、女の子のことだ。


 この事件は、まだ終わっていないように思える。少女のご両親を殺した真の犯人。

 成人男性を見下ろすほどの体躯にギラギラした目。まさかなと思いつつも、魔力を纏わせた刃で魔物を葬っていった。


◆❖◇◇❖◆


 半月ほど経って。僕は今例の家の前にいる。誰も近寄らない山中にあるため、雑草が無造作に伸び広がり、木々の揺らめく音がいやに不気味だ。


 イルシィは、以前よりもハイペースで剣を振り続けていた。それに付き合う僕も、当然よりキツい鍛錬を続けている。それは彼女の気持ちの裏返しであり、求める強さの危機感によるところだ。


 鍛錬の間の休憩時間や食事中、寝る前などで、ずっと悩み考えていたことがある。自分の中でとある結論に至った僕は、それを確かめるためにここまで来ていた。


 ドアの前まで歩き、軽く触れる。重厚感のある頑丈なドア。大きく引っかかれた爪痕。どこか見覚えがあった。


 ゆっくりと膝を下ろし、目を閉じ意識を集中する。自らの全身にゆったりと魔力を流した。ほんの少量、ほぼなんの効果もない魔力量。意味を持たない魔力は、循環することなく体外に放出された。


 体外に漏れた魔力は、周囲を漂う空魔力からまりょくと結び付き、ほんの少しだけ僕に辺りの環境を教えてくれる。深く集中しないと感じ取れない些細な情報量だが、僕は全ての意識を集中して、与えられた全情報を掻き集める。


 そして、見つけた。およそ半月前の、強烈な魔力の残滓。魔物特有の波長を持つ、非人間から放出されたものだ。僅かしか残っていないその魔力を道筋に、僕は歩みを進めた。僕らが来た道の反対方向。この先は確か、山の麓にぶつかるはずだ。


 しばらく歩くと、もう道が見えないほどに大自然の中にいた。誰も踏み入らないため、草や木々を掻き分けて進むしかない。しかし足元をよく見つめると、微かに足跡のようなものが見える。この道で間違いないだろう。


 時間にして数十分歩き続けると、途端に獣の悪臭が強くなり、辺りがどんよりとした空気に変わった。人間界から、魔物や野生動物の縄張りに踏み込んだようだ。ピリピリとした雰囲気に気押されながらも、足を止めることは無い。


 空は既に、暗闇が支配していた。星々が明るく煌めき、深夜の地上を仄かに照らす。今夜は新月だ。


 約1時間は、この道無き道を歩いただろうか。訓練によって鍛えられた心肺は、この程度の運動では息を上げることはない。ふぅ、と大きく息を吐いて、生い茂った草木を避けて進む。すると目の前に、ゆらゆらと揺らめく火の光が見えた。


 集落だ。瞬時にそう理解すると、姿勢を低くして息を殺す。暗視魔法、望遠魔法、隠匿魔法を同時に発動し、中の様子を探った。


 一般男性以上の背丈を持ち、黒い毛皮を身にまとい、赤黒く不気味に覗くその瞳。

 推測通り、人狼だった。それも、十数匹いる。


 人狼は本来群れをなすことは無い。それは人狼の発生方法に理由がある。大体は、魔石やその他魔法由来の物質を喰らい知能を得て巨大化したパターン。その人狼が人間に血を分けることによって低確率で変異するパターン。そして、第三者の手により人狼へ変異させられるパターン。


 正直、2個目の血を分ける云々はほぼゼロと言ってもいいだろう。この説は実際に見たものがおらず、あくまで理論的な話であると言われている。ならばこの状況はというと。


(第三者による人体変異………黒魔術師だ)


 黒魔術師。禁忌とされる魔法や魔術を会得し、それを行使する者のこと。魔法は汎用性に富み、万物を操ることが出来るという視点から、タブー扱いされているものや禁忌魔法・術式なるものが存在する。

 例えばで言えば、件の人体変異を含めた肉体への直接干渉、人格・精神破壊、そして災害級の攻撃魔法もそうだ。


 黒魔術、と呼ばれるもの自体の難易度が非常に高く、扱える者はほぼいない。国家お抱えの宮廷魔導師ですら、ほぼいないだろう。


 そのような危険な存在が、目の前の集落の奥にいるかもしれない。そんなことを思うと、恐怖で足が竦む。


 どうしたものか………と、考えていたら、一匹の人狼がこちらに歩いてきた。一応気配は消したまま、そこまで手を抜いた訳では無いはずだったのだが、何やら違和感に気付いたようだ。


 人狼は、要討伐対象に指定されている魔物だ。冒険者はこの種を見つけ次第討伐、またはギルドに報告する義務がある。要は、倒すべき敵、という訳だ。


 カサカサ、葉を揺らし小さな物音を立てる。人狼は、大きな爪をもって木々を掻き分け、音の鳴るほうへ。


 間合いに入った。

 刹那の速さで、左手に持った短剣ダガーを首元に突き刺し、体重を掛けて地面に引きずり倒す。空いている右手に魔力を纏わせ、叫び声をあげさせる暇なく魔石が位置する右胸を抉る。それをがじっと握りしめ、躊躇いなくもぎ取った。


 人狼は正面からやり合えば対処に手こずる魔物だが、このようにステルス状態から暗殺のような手法を取ればさして難しくもない。態々十数匹を正々堂々相手するのは骨が折れる上、面倒だ。


 とりあえずこの集落にいる全ての人狼は駆逐し脅威を排除しよう。そう決めて、目の前の建物まで走った。


 後ろを向いている奴に魔石へそのままダガーを打ち込む。硬いものが割れた感触と共に、膝から崩れ落ちる人狼。彼らは魔石を生命活動のエネルギー源としているため、当然破壊されれば息絶える。魔石集めもそこそこに、せっせと人狼を屠っていった。


 というか、背後から短剣を持った男に襲われて即落命、なんて人狼からしたらとんでもない厄災だな。自分でも思ったが、相当えげつないことをやっているみたいだ。


 しかし人狼なんぞに情けをかける必要もない。気を取り直して、暗殺を続けた。


 人狼は音や匂いに敏感なはずなのに、みんなこちらの存在や気配にまるで気付かない。

 十中八九、人間から人狼へと変異させられたのだろう。気の毒だが、こちらもあくまで仕事の範疇、悪く思わないで欲しい。


 そのままただの一匹にも気付かれることなく全ての人狼を始末した。戦闘には1度もならなかったために、あたりは何事も無かったかのように静かで、落ち着き払っている。


 暗殺においての素人を相手にこんな簡単に制圧されて大丈夫なのか? と思わなくもないが、人狼に姿を変えられた元の人間の殆どが一般市民だったのだろう。普通ならば2人1組で警備に回るところを単独で周回していたのを見るに、社内教育は徹底されていないらしい。


 小さく息を吐きながら、残る建物の前へ。この集落の中で1番目立ち、一際大きな存在感を放っている。小さいこの村の中の丁度中心地点にあり、外から見れば役場のような外観だ。


 建物内には、なんの気配も感じない。しかし僕の本能と直感が、中に誰かいると囁いていた。女の子のご両親を殺めた人狼を生み出した黒幕。人を人ならざるものに変異させる黒魔術を扱う魔法使いを前に、僕は黒塗りのドアを開けた。



 ───何も無い、真っ白な空間。見ることも触ることも感じることも、動くことも話すことも息を吐くことも、全てが許されない虚空な空間。気付いたら、何も存在しないうつろな間に佇んでいた。見渡す限り真っ白で、自分の拍動すら聞こえない静寂したこの空間内では、何もかもが行われない、文字通り虚無であった。


 心地よくもなく、何かを考え感じることも無く、ただ永遠と時を過ごすだけの存在。僕というもの全てが、この白い立方体の中で否定され続けているようだった。



 ────どこからとも無く、声が聞こえる。明るく、元気で、優しさに溢れた声。その音は澄んでいて、聞くもの全てに優しさと勇気をくれる。みんなを優しく包み込んでくれる。


 ────違う声が聞こえた。暗いトーンで、寂しく、悲しく、切なさを感じる声。その声は悲壮に暮れていて、聞く者はみな絶望と悲哀を行き来する。心に影がかかり、全ての光を閉ざす暗黒の声色。


 ふたつの声は、声質は大きく違えど、全く同じことを僕に語りかけた。さながら、天使と悪魔が頭の中で渦巻いているかのようだ。


 2人は言う。

 そなたの願いは、強くなること。ただ貪欲にそれを願い続け、更なる強大な力を得るために危険を冒す。間違いを犯し、道を誤り、果てには命を落とす。我らなら、ソナタの願いを叶えられる。そなたはより強く、我らもより強大になる。そなたは運命に導かれた。我らが手を合わせることにより、この世界を────


 ピキッ……!!


 どこからとも無く現れた白色の壁は、一瞬にして数十の亀裂が入った。天使と悪魔の声は風のように消え、皮膚に感じる冷たさや風の通る音が聞こえた。


 そろそろ茶番にも飽きてきたところので、全身に無理やり魔力を循環させ、その魔力を1箇所へ投射した。完全な精神支配ならば魔力すら操作できないはずなので、これは相当手を抜いていると推測できた。


 パキッ………パキ、パキ……ッ!


 段々と壁の割れる音が大きくなっていき、最後には大きな音を立て、この白い立方体は崩壊した。崩れた壁は、粉々に分解され、何事もなかったかのように消える。


「………お見事、ミスター・レートグリア」


 振り返るとそこには、シックなスーツに身を包みトップハットを被った初老の男性が立っていた。真っ暗な屋敷内に怪しげな松明の光が上がる。


 彼の姿を見た瞬間、身の毛もよだつ程の寒気に襲われ、反射的に右手を剣の柄に置く。彼からは、危険で有害な匂いがプンプンしていた。


「私の魔法をこれ程までに打ち砕かれるとは、正直驚きました」


 男性はそういうが、その言葉にはまるで感情の色がなく、無機質的な冷たさをヒシヒシと感じる。この男性は誰で、ここはなんなのか。質問したいことは沢山あるのに、口は何故か開かない。


「失礼、自己紹介を忘れてしまいました。とは言っても、特にお伝えすることはございませんが。聡明な貴方ならとっくに気づいていらっしゃると思いますが参考までに。世にいう黒魔術使いのローベントスとは、私のことです」


 黒魔術使いのローベントス? 聞いたことも無いな。どこか異国の有名人なのか? そう思ったが、本人の口ぶりからしてそこそこの重要人物なのだろう。


 そしてもちろん、こいつはこの集落の人狼を生み出した、いや住民を変異させた張本人だ。女の子の仇でもある。今日の僕の目的の人だ。彼に会いに来たと言っても過言ではない。


「私、とある実験の為に人狼をたくさん必要としてましてね。この集落はちょうど良かったので乗っ取らせて頂きました。私が生み出した人狼が、あなた方の迷惑になってしまったのなら、謝罪しなければならないと思っていたところです」


 僕ではなく女の子に謝ってほしい、と男に言った。傷付いたのは僕ではなく女の子だ。もっと言えば彼女のご両親たちだ。


「それは、間違いありませんな。実験が一区切り着いたら、改めて謝罪巡りに参りましょうか」


 多分許してくれないけどね。

 めっちゃ怒ってたし。


「話は変わりますが、貴方私の実験に協力して頂けませんか? 貴方は身体的にも精神的にも強靭な強さがある。是非その強さを活かして欲しいのです。………まあ、断っても強制ですが」


「………回答はもう分かると思いますが、お断りさせてもらいます。自分はモルモットになる気は無いし、何やら不気味な研究に手を貸すことは出来ません」


「………分かっていた答えですが、残念です。では、失礼して───」


 来る! そう思った時には、既に間合いに入っていた。抜剣は間に合わないと判断し、瞬間的に出せる最大出力をもって魔力障壁を構築。しかしその壁は、ガラスの散る音と共にあっさりと崩れ落ちた。


「………ふむ、やはり同類ですか」


 頭を捕まれ、地面に叩きつけられる。あまりの速さに、回避すら出来なかった。高速で接近する姿を捉えるのに精一杯で、とてもじゃないが反応できない。


「やはりあなたは惜しい人材ですね。このまま人狼にするのは勿体ない。次の段階へと、進みましょう」


 朦朧とした意識の中、そんな声が小さく頭に響いた。


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