狼の王様、後
女の子に手を引かれて、イルシィと僕は森の中に入って行った。太陽は僕たちの頭の上でキラキラ輝いているはずなのに、大小様々な沢山の葉が邪魔をして、薄暗く不気味だ。
「もうすぐ……だよ」
女の子が、少し震えた声を絞り出す。その言葉を本当らしく、先程から血の匂いが微かに漂っていた。
「分かった。狼が来たら、わたしの後ろにちゃんと隠れてるんだよ」
「う、うん……っ」
女の子をこの森に連れてきて、案内役にするというイルシィの案には、流石に反対せざるを得なかった。いくら2人で戦えば負けないかもしれないが、もしもの事があり彼女に怪我を負わすようなことはしたくなかったからだ。道と場所だけ教えて貰えばいいとイルシィを説得したが、もし戦闘になったら僕が戦いイルシィは女の子のガードに専念する、ということで落ち着いた。
「狼、ね………どんな狼だった?」
地面を見ながら狼の足跡を探っていると、イルシィはそんな質問を女の子に聞いていた。足跡が通常の狼より大きく深く、魔狼であるということはほぼ確定だが、亜種や強化種の可能性もある。
「え、えっと……ハッキリとは見えなかったんだけど………その」
「ゆっくりでいいよ。どんな大きさで、何色をしてたかな?」
大きい魔狼ならば100cmを超える体高を持つものもいる。そして目が充血したように真っ赤で、涎を垂らしているのが主な特徴だ。
「す、すっごく大きかった……斧を持った、パパを……見下ろしてた」
「見下ろす……?」
成人男性を見下ろすのなら、約200cmは必要だろう。四足歩行の魔狼が200cmを超えた大きさなら、とっくに噂になっているに違いない。
イルシィも同じく不自然に思ったのか、女の子に聞き返す。しかし、女の子は首を縦に振る。
「凄くおっきかった……王様、みたいだった……」
王様? 狼に王様なんて───
「狼に王様はいないよ。ペアで狩りをすることが多いし、群れの中に順位とか偉いとかはないんだよ」
イルシィは、冷静に女の子へ真実を伝える。それも図鑑に書いてあることを分かりやすく噛み砕いて。
「で、でもっ! ホントに王様がいたんだもん……っ!」
………ふーむ。
狼の群れに王様……アルファ狼の事か? ならばそれは、王様という言葉は正しくない。どちらかと言うとリーダーに近い。
魔狼は群れを成すことは少ないが、ごく稀に数匹で行動することもあるという。通常の狼を魔狼が支配していた? それともただの勘違い、見間違えか?
「……わかった。それじゃあ、その王様の見た目を教えてくれるかな」
「えっと………とっても大きくて、真っ黒の毛が生えてて……目が、すごいギラギラしてた……」
チラッとイルシィが僕に視線を向ける。まるで、王様なんていないよね? と聞いているかのように。僕は小さく頷いた。
「ここ、私が住んでた家の近くだ………ほら、あそこっ。私が住んでた家…っ!」
彼女が指差す先には小さくボロボロになった一軒家。遠目から見ても、何者かに荒らされたのは一目瞭然だった。
「近づいてみよう。君はわたしの後ろにいてね。シルム、先行って」
「はいはい」
念の為生体探知の魔法を隠匿魔法と併用して展開する。強力な反応はない。無害な草食動物だけだ。
ゆっくりとした足取りでドアの前まで移動する。そのドアには、大きな爪のようなもので引っ掻かれた跡が沢山あった。どれも鋭く、深くまで抉られていた。間違えなく、動物の仕業だ。
「………このドアを開けようとしたのか。獲物がこの家に逃げ込んだみたいだ。よく見ると、何か硬いものがぶつかってへこんでる……かなりのスピードで突っ込んできたのか」
いくら木製とはいえ硬い扉だ。そこに鼻をぶつけても出血ひとつ無い。相当頑丈な鼻をしているようだ。ドアの留め具が破損寸前だ………ギリギリで諦めたのか?
そんな訳はない。かなり見にくいが、足跡がある。1匹2匹ではない、10匹近くはいたらしい。家の側面に向かったようだ。窓が割れている………どうやらかなり賢いらしい。
「10匹近くの獣に追われていた。何とか怪我なくこの家に逃げ込んだけど、側面の窓から入られたらしい。もしかしたら、この家にまだいるかもね」
「うん。逃げ延びた人は男性、30代後半から40代前半。かなり大きな人で、狩りに出かけてたみたいだね」
小さくブツブツと呟くと、イルシィもまた、女の子に聞こえないように小さく言った。
なるほど靴の跡か。……安物の皮製ブーツで、かなり使い込んだものだ。そこまで裕福な家庭ではないらしい。彼女の言う通り、男性だな。太ってるのかムキムキなのかは分からないが、かなり重たく太い。何か重たいものを持ってたみたいだ。女の子が言うことが本当なら、この人は彼女の父親で、斧……それも大斧で対抗しようとしたのか。
よいしょ、と下げた腰を持ち上げ膝に付いた泥を払う。簡単なところはこんなものだろうか。この家に入れば、確かなことが分かるはずだ。
「この家は、君が住んでたお家?」
女の子は、泣きそうな顔になりながらも堪えて小さく言う。
「う、うん。ここで生まれて、ここで育ったの………パパは、狩人でよく猪とかを狩ってたの……」
「何人で暮らしてたのかな?」
「私と、パパとママの3人だけ。パパが逃げろ、って………だから、必死で走って逃げたの……っ!」
再び泣き出してしまった女の子を抱きしめ頭を撫でるイルシィ。辛いことを思い出させてしまったのだし、申し訳ないな。
(ふーむ、なんか妙だな。決して満たされない腹を持つ魔狼か、無抵抗な少女を見逃すとは思えない。気づかなかったのか? いや、そんなはずは………)
「シルム、シルム」
袖を小さく引っ張られ、イルシィの顔を見ると、小さく耳を貸してと手で合図をだしている。
「この子は今不安定だから、これ以上は情報が聞けない。シルム、かなり危険だけど、家の中を見て来てくれないかな」
「………うーん」
見るからにボロボロでこじんまりとした家だ。二階建てで結構高い屋根がある。支える柱は多いだろうな。人が生活するような室内じゃ、剣を振り回せない。ダガーでなら応戦出来るが、狼に対して効率的に攻撃を与えることは出来ない。
僕達みたいな素人は手を出さず、憲兵や市警に通報した方が賢明だろう。少なくとも、間違った選択ではない。
「イルシィ、このことはもう───」
「───お願い、シルム。この子を救いたいの……っ!」
食い気味に話を被せてきた。そこまでしてこの子の仇を討ちたいのか。じゃあイルシィが入ればいいじゃないか。そう伝えると、キミはこの子を見守ることができるの? と言われ反論出来なかった。
「………分かった、やれることはやるよ。中の遺体は……どうすればいい?」
「見つけたら運び出して。でも多分………」
ああ、原型は留めてないだろうね。もし狼が身体中の全ての肉を食い切れなかったとしても、沸いてくる虫が全て平らげる。大きい骨の1本2本を持ち帰ろうか。
「……まあ、頑張るよ。できるだけ」
「うん、気を付けてね」
言われなくても。そう返して、家の側面に回る。割れたガラス窓を外して、小さく中を覗いた。そこにはなんの気配もない。暗視魔法を発動し、視界を確保。右手にダガーを持って、家の中に侵入した。
「………よしっ」
本当に小さく、誰にも聞こえない声で勇気の気合いをいれる。女の子を救いたいイルシィの願い、叶えることは出来なくても、自分に出来ることをしよう。
まずは家の探索から始める。小さくかがみ、できるだけ静かな移動を心掛けた。しかし、体重によって木の床がギーギーと音を立てる。何者かが突然飛び出してきた時のために、極限まで集中した状態で歩みを進めた。
荒らされている。それもかなり。何かが暴れ回ったかのように、全てがぐちゃぐちゃになっていた。
シャンデリアの破片が飛び散り、足の踏み場がない。戸棚やタンスは全て倒れ、机や椅子はバラバラになっていた。
間違いなく、獣がこの家の中で暴れ回った。血が壁や床に飛び散っている。これは………質量のあるもので叩き斬られたようだな。主人が獣を大斧で切り飛ばしたようだな。この狭い室内でだ。柱はもちろん、床や壁も穴だらけだ。
血と肉の匂いが充満している。これは……下からだ。床に血肉が染み付いているのか? にしては、そこまで目立った血痕はない。となると、地下か。
地下へと続く階段は、何かが引き摺られたのか血の道跡が出来ていた。簡単に予想がつく。主人が狼に引き摺られたのだ。かなりの出血だな、これはもう助かるまい。狼は非道で、生きたまま食い殺されると聞く。つまりは………そういうことか。
血肉の匂いがどっと濃くなる。思わず鼻を摘んでしまうほどの強烈な匂いだ。僅かに顔を顰めながらも、地下室のドアを開けた。
───黒く大きなものが、猛スピードで突っ込んできた。僅かな光に反射する赤い瞳。顔に飛び散った悪臭を放つヨダレ………魔狼だった。
なんだ、やはり魔物がいたのか。気配が感じられなかったのは、地下でずっと休んでいたからか………。いや、考えるのは後だ。
ぐっと顔にダガーを押し付け、何とか突進する軌道を逸らし、たんっと地面を蹴り後ろに下がった。ゆらゆらと揺れるロウソクの光が、この部屋の状態を映し出している。体の2倍ほどの大きさをもつ魔狼が、牙を剥き出しにして睨みつけていた。
物凄い迫力と威圧感、迷宮都市で散々、嫌になるほど体験済みだ。
室内の広さを横目で確認し、長剣を振り回すのは困難だと判断する。だとすれば、このダガーに頼るしかない。僅かに魔力を練り込み、優しく輝く。その光が更に魔狼を興奮されたようだ。グルルッ、と威嚇したそいつは、1秒も掛からず僕に肉薄した。
天井近くまで飛び上がり、そのまま魔狼の背中に着地する。まるで馬に跨るかのように座るが、激昂した魔狼は振り落とそうと暴れ出し、周りの家具が次々と破壊された。
ダガーに左手を添え、魔力を更に注入。薄い青色から紫色に変化したその刀身を、骨を避けた魔狼の背に突き刺した。硬い毛皮が、まるで溶けるかのように抵抗無く破られる。
魔狼から、悲鳴のような鳴き声が聞こえた。魔物でも感情があるのか、そんなことを思いながら、体内に刺し込まれたダガーを握り込み、その魔力を解放した。不安定となった魔力は行き場を失い、全身を駆け巡り、体内を全て焼き尽くす。
体の内部からズタズタに破壊された魔狼は、最早呼吸することもできず、静かに死んだ。辺りには、何かが焦げ付いた匂いが充満する。
倒した魔狼をストレージにしまい、地下室を後にする。あとは2階で何かめぼしいものが無いか調べて、この事件は終わりだ。
◆❖◇◇❖◆
その後、女の子の両親とおもしき骨を2、3個拾い外に出た。泣き垂らしながらイルシィへしがみつく女の子へ、その骨を差し出す。
「いや、やだ! そんなやだぁ!!」
女の子は、お父さんとお母さんを無くしたことを認めない。受け取った白い骨を、振り払うように向こうへ放った。まるで恐ろしい現実から逃げるように。
結局僕らは、女の子を教会のシスターへと預けた。このシスターは、戦災や事故などで親をなくした孤児を引き取り、成人するまでは面倒を見るいわゆる孤児院も教会と一緒に経営しているからだ。
別れる際、シスターにご両親の骨を渡した。女の子が成人し、ここを去る時に返してやって欲しいと告げた。
地下迷宮に帰ってからも、僕たち2人の表情は暗かった。女の子の仇は打てたかもしれないが、それ以上に、女の子を苦しめてしまったからだ。
君は悪くないよ。そうイルシィに伝えた。彼女は、彼女なりに考えて行動したのだ。結果から見ても、女の子の実家に住み着いた魔狼を駆除することが出来た上に遺骨も回収できた。女の子は、まだその現実が受け止められないだけで、君のことを憎んでたわけじゃない、そう言った。
「うん……わかってる、わかってるんだよ……」
イルシィはそう言いながらも、椅子に座ったまま俯いていた。相当こたえたのだろう。彼女はこう見えて繊細なやつだ。少し時間を開けなければ。そう思い、リビングを出て自室にもどった。
「………はぁ」
ベッドに腰掛けて目を瞑る。いやいやと首を振りながら泣きわめく女の子の姿が脳裏に焼き付いて離れない。額に手を置き、大きなため息をもらした。
僕もイルシィのことは言えないな、と思いつつ静かに横になる。一旦睡眠を挟んで気持ちを落ち着かそう。そう思ったが、睡魔は全く襲ってこなかった。




