雑用係には変わりないよね
結局練習メニューを3倍に増やされてしまい、やっと終えたのはお日様が登り始めた頃であった。
人権無視も甚だしい地獄練習に対しイルシィに抗議をしても「キミが悪いからっ!」と突っぱねられてしまった。何の話だろうか?
剣と防具の手入れをして明日の準備を終え、布団に入る。目を閉じると、約5秒で睡魔が襲ってきた。
「待ってっ! 寝ちゃダメ! 起きる時間だよ!」
「………はあ? 」
──────のだが、その約5秒後に睡魔は叩き殺された。それも物理的に。この女どういうつもりだろうか。
「時計見てよ。もう6時だよ?」
「いや、いやいやいや………流石に、眠い、って…………」
そりゃいつもなら起床する時間であるが、流石に今回は特例だろう。だって鍛錬が終わったの30分前なんだよ? まだ一睡もしてないんだよ?
………いや、ほんの一睡はしたけどさ。
「今回は無理だって………」
「……むぅ。そうかな…………」
お前は子供か。内心そう思ったが、今ここで口に出すと絶対めんどくさくなるので言わないでおいた。
「そうだよ………もう寝るね……」
ただでさえ疲労困憊の上明日も迷宮探索があるのだ。正しくは今日なのだが、それならもっと休息が必要だろう。
体をいじめ抜き限界まで追い込むのは大切だが、それはあくまで休養あってのことだ。不眠状態で危険に挑めば必ず事故が起こる。
という訳で、今は布団で休むのが最良ということだ。
言うなればこれは、訓練の一環なのだ。体を休めることもまた試練のうち。そんな言葉を聞いた覚えがある。
「………じゃあ、2時間だけね」
2時間だけ。
その言葉を聞き飛び起きそうになってしまったが、何とか飲み込み「はいはい」と軽い返事を返した。
あそこで叫んでたら完全に目が覚める所だった。あぶねえ僕の安眠。
はぁ、とため息を大きく吐きながら、迫り来る睡魔に身を任せる。明日───じゃなくて今日は、もっといい日になりますように。
「わたしがちょっとだけ多めに寝かして上げることに感謝はないのかな……」
そうボヤいて掛け布団を掛け直してくれるイルシィに、僕は小さくありがとうと呟いた。ま、気付かないだろうけど。
◆❖◇◇❖◆
唐突すぎた。本格的な剣の鍛錬を始めて1ヶ月ほど過ぎた頃。それはあまりにも唐突にやって来た。
「昨日の鍛錬でわたし気付いたんだけど、キミはキミの戦い方に合ってないよね」
「は?」
いつもと変わらない朝食の最中。
突拍子も無くそう言い放った彼女に、僕はその文章の意味を半分も理解出来ていないまま、口を中途半端に開けて声を漏らす。
「だから、合ってないんだよ」
合ってない。という言葉の意味を理解するのにたっぷり10秒ほど要してから、やっと自分の頭に入って来た。
つまり………
「………どゆこと?」
何言ってるんだこの人は。
要点を省きすぎていて意味が伝わらない。まるで独り言のように感じた。いや、これは独り言なのか?
「だーかーらーっ! 君の身体能力と技量が釣り合ってないの! 剣術だけは変に出来ちゃってるから、バランスが取れてないわけ!」
「それだと何か問題でも? あと変にって言うな」
こちとらあんたに追い付こうと必死でやってんだよ。文字通り命削ってやってんだよ。変とか言うな傷付く。
あと朝っぱらから叫ぶなよ。耳が痛いしなんか疲れる。
僕がそう言うと、彼女はそっと顎に手を考えような仕草をとり、そして、やがて小さく口を開ける。
「問題、と言えば問題かな。技量が下手に高いから、身体能力が年齢に伴って向上したときに本来の能力を扱えなくなっちゃう。今の低い身体能力の場合での剣術がくせについて、定着しきって修正が効かなくなる」
そしてその剣術は、最早自分のものとは違う全く別の剣術になっちゃうんだ。彼女はやや声色を落としてそう続けた。
僕は彼女が並べた言葉の意味を1つひとつ丁寧に反芻しながら、その内容を飲み込んだ。何とか理解できた気がする。
「……要するに、今の身体能力における剣術が癖になって抜けなくなっちゃって、体が成長した時に、会得したはずの剣術と体のギャップに戸惑う。って、こと?」
「そそ。だから本当は、本人の発育発達に合わせて剣術を習わせるんだけど………キミの場合はペースが速すぎるんだよね」
ペースが速すぎる、とな。
え、それってじゃあつまり………
「イルシィの、せい?」
「……………あは、あははははは」
壊れた人形のようにカタカタと笑う彼女。僕はパクパクと口を開け閉めするその顔を見て、手に持つフォークを握りつぶしてしまった。そして、彼女を思い切り睨めつける。
……いやいやいや。このクソアマ、どうしてやろうかマジで。
「そ、そんなに怖い顔しないでよぅ! わたしだってそんなに成長するとは思ってなかったの! 人に教えるの初めてだから仕方ないじゃん!」
「…………まあ、君に罪はない」
「でしょ!?」
はやる気持ちを抑え、なんとか平静を装い返事をする。
本当だとしたら、まあ許せない。
ただ、言ってみれば事故のようなものだ。体験したことの無い、想定していなかったことが起これば誰でも困ってしまうだろう。
そして何より、ここで何も言わずにそのまま放置する方が問題であった。その点を考えれば、よく言ってくれたと評価したいところだ。
まあ、頭では理解出来たとしても僕の心の中で納得出来るかと言えば、また話しが違ってくるのだが。
「………じゃあどうするの? 鍛錬はもうお終いにする?」
僕がちょっとだけ湧いてきた悲しい気持ちを押し殺しながら何の気なしにそう言うと、彼女は目を丸くして驚いた。
「は、はあ? そんな訳ないじゃん。ちゃんと1人前になるまでは面倒見るつもりだよ。ってか、居なくなられたらわたしの雑用係がいなくなっちゃうでしょうが」
いや自分でやればいいのに。ってかあんたの雑用係じゃねえよ。
この人、料理やら洗濯やらは普通に出来るのに、迷宮内のテントの設営や野宿の用意は出来ないのだ。
本気を出してやろうと思えばきっとできる癖に、めんどくさがり屋さんである。
「はいはい。雑用係には変わらないんだね……」
ため息をつきながら返事をするが、彼女は僕の露骨であからさまな嫌がり様を気にも留めず、ずっと考えている様子であった。
「………よし」
数秒ほど考えると、彼女は何かを決心したかのように手を握り、確信をもって頷く。
何故だろうか、ものすごく嫌な予感がする。
「シルム、成長促進剤と発達増進魔法を使うよ」
「…? ……なに───」
……なんだって?
成長促進剤も発達増進魔法も、生まれてこの方さっぱり聞いたことも無い。
どういうものなのか聞こうとするが、それは彼女の説明に遮られてしまう。
「───成長促進剤も発達増進魔法も、体の成長を活発化させるって面では同じだよ。違うのは、それが錬金術で作成する薬剤なのか、高位の付与魔法かってだけ」
「そ、そう………それで?」
「…? それで、ってのはどういう意味?」
意味だと? そんなの決まっているでは無いか。
「副作用や副反応。そのナントカ薬を服用するメリットやらは大体分かったけど、デメリットなんかはあるの?」
デメリット? そんなの無いよ! というのならば話は早かったのだろうが、事はそんなに上手く運ばれるはずがない。
あまりにも危険であり事故に繋がるような副作用、副反応があればおいそれと使う訳には行かないだろう。
「あぁ、副作用のことね」
そんな覚えてなかったみたいな口ぶり、怖いんですけど。副作用って、かなり大事な観点じゃないの? 専門家じゃないから詳しくは分からないけど………。
「副作用のことを説明するなら、まずはこの薬と魔法の簡単な仕組みを教えた方がいいかな」
そう言って彼女が話し始めたのは、成長促進剤と発達増進魔法の概要の要点、構造であった。
とは言ってもそれは物凄く簡単な事で、ただ単純に魔力又は薬草に含まれる成分が体全体の筋肉や神経、内臓に作用して言葉通りその人の成長を早めるだけだ。そして同時に、老化も早めてしまう。
言うなれば、早く大人になって早く老けてしまうものだった。
そして、よく聞く食欲低下や運動機能の低下、目眩や寒気なんかの副作用はないとされているらしい。本当だろうな?
「ね? 簡単でしょ?」
「ま、まあ凡そは理解出来たけど………」
そして彼女は最後に、成長促進剤と発達増進魔法を組み合わせると約2.5倍の速度で体は成長するようになると言った。そして、肉体的にもっとも充実しピークを迎えた期間である18、9歳あたりでその効果を解除するそうだ。
ってか、その効果を途中で無くせるなら全人類がやればいいのに。そしたら、働き手が増えて結果的に人口増加に繋がる──────。
そんな疑問が浮かんだが、どうせ原料の薬草が高価だったりその魔法の使い手がいないとかだろう、と勝手に納得した。
「んじゃ、もうやっちゃうね。実は偶然、成長促進剤はもう準備してあったんだ〜」
薬剤の原料はどこで見つかるのだろう、と思っていたが、彼女は自分の部屋からその薬を持って来ていた。
よかった、これで材料を探しに行く手間が省けてた。絶対にレアな薬草だろうから、面倒間違いなしだっただろうから。
「な、何で準備してたの? ホントに偶然?」
「んー、まあそんなところ。なんか副業みたいな感じで小遣い稼ぎが出来たらいいなあって思って作ってみたの。でも、原料の採取と調合が思ったより面倒でさ。結局これともう一個しか作ってないわけ」
「ふ、ふ〜ん」
やっぱり面倒なんだ。
まあ見るからに面倒そうだよね。成長を促進させる薬なんて。しかも需要があるのか分からないし、たしかに量産には不向きだ。
僕が一人納得し、うんうんと頷いていた所で、彼女は笑いながらその薬を持って来た。その顔は、小悪魔的とも見える。いや、悪魔そのもの、だろうか。
「それじゃ、これ飲んでね〜。ビックリするくらい苦いしくっさいけど、無理矢理水で流しちゃって」
そう言いながら渡されたのは、何やら茶色を含んだ黒色の丸薬だった。見るからに不気味な雰囲気が漂っているそれは、鼻がひん曲がる程の悪臭を放っている。
「……くっさ!? これ飲むの!?」
「そそ。口に入れたらもっと臭いから覚悟しなよ?」
冗談半分でそう言ってるのだろう、彼女は破顔しながらそう補足した。
ってかこれより臭いのが口の中でだと? こりゃ、朝食を吐き戻してしまいそうだな。いやまあ、多分大丈夫だろ。ちゃんと噛んで細かくしたし。
「……………」
いざ飲むぞ! ってなったら、勇気が必要だなぁこれ。だってもうこの距離で臭いんだもん。なんかの罰ゲームみたい。
何にとも言い難い、実に形容し難い匂いの元は、もうすぐそこまで迫っていた。
「………じゃあ、いただきます」
「ほいほい。水持っててあげる」
目を瞑り、口元にそれを持ってくる。………そして、過ちを犯した。なんと、そのまま鼻呼吸をしてしまったのだ。すーっ、と汚染された空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
鼻を劈く激臭。酸っぱめなのか、苦めなのか、辛めなのか。その判別すらも出来ない程に臭い。というかもう臭いとか匂うとかの次元じゃなかった。もはや兵器であった。
な、なんかもう、くっさすぎて味がした。まだ飲み込んでもいないのに。腐った肉とか、魚の肝とか、そんなレベルではなく不味すぎた。そして苦すぎた。とても食べ物とは思えない、食べてはいけないものだ。
僕は涙を堪えて、奥歯を噛み締める。ここで泣けば、イルシィに笑われてしまうから。そして、度胸なしと馬鹿にされるだろう。
と同時に、僕はもう絶対にこの薬を飲めなくなる。近づけたくもなくなる。
「………っんぐ」
覚悟を決め、それを口に入れた。
「──────ッ!?!?!?」
爆弾と言ってもいいほどの匂いの塊が口の中で充満し、完全に僕の頭と体を支配した。爆発的なまでの広がりは、その数瞬後には気管に向かい、助走をつけ逆走しているそれは勢いよく鼻から射出されていった。
そしてもちろん、匂いを嗅いだ時と同じ味がした。舌が悲鳴を上げている。始めての味だ。…………不味い、キモい、グロい。
限界を感じ、悲鳴を上げようとしたその時、水が入ったコップが僅かに視界に映り込む。僕はそれを、ひったくるかのような動きで奪い取ると、急いでそれを口に。半分以上も零していた。
そしてもう、そこからのことは何も覚えていない。余りの威力に、為す術もなかった。そしてその臭さと味は、夢にまで出てきた気がした。
いやマジでキモかった。




