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ハーミット・モノリス 【暗躍する月の使徒】  作者: 五輪亮惟
序章・記憶と思い出。
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女性はすごいね

 音もなく、何も残さず、ただ消えた。

 どこに行ったんだろう。そんな疑問はすぐに晴れる。

 1目見れば、一目瞭然だった。


 魔物たちの集団の向こう側。こちらに背を向けて、立っていた。返り血ひとつ浴びず、ただ髪の毛をたなびかせながら。


「にひひっ。どーお? シルムっ」


 驚きと、僅かな感動で立ち竦む僕の前に彼女は小走りでやってくる。まるで綺麗な石でも見つけたかのように、無邪気で、笑顔で。


 え? なに今の。まったく見えなかったんだけど。

 ってか何したの? ただ移動しただけ? え、うそでしょ?


 彼女がちょうど僕の目の前まで戻ってきたタイミングで、全ての魔物たちは地に伏せた。

 全くの、同タイミングで。少しの狂いもなく。


 ………え、なに。え、全部やったの? あの時間で? 動き始めも斬撃の瞬間も目で追えなかったんだけど?


「………ぇ?」


 ありえないだろ。

 そんな言葉が、自然と口から漏れ出た。あまりに非現実的な風景に。

 圧倒的なまでに離れた自分との実力差。僕ら二人を隔てる壁は、あまりにも高すぎた。

 隣に立つこの少女は、僕とは格が違った。


「ありえなく無いよ、シルム」


 しかし彼女は、さも当たり前かのような面持ちで、自慢1つせずに語りかける。


「………」


 いや、だって………えぇ?


 1秒、なんてものじゃなかった。

 ホントに一瞬。瞬きの間には、全ての事が終わっていた。全くと言っていいほど、目で追えなかった。反応が追いつかなかった。

 呆気ない程に、速すぎた。


「そんなありえない〜みたいな顔してるけどさ」


 こちらの神妙な顔に気付いたのか、僕の頬を指でつんつんしながら、ニコニコと笑いながら言う。

 その顔は本当に面白そうで、可笑しそうに。


「シルムにも、やってもらうからね?」


 再度、笑いながらも当然であると言ったような顔。

 その、当たり前で疑いようのないことだよね、とも言いたげな表情は非常に僕の癇に障る。


 しかし今は、怒りではない。

 もっと他の感情に支配されていた。


 ………は?

 いや、無理。絶対無理、出切っこない。不可能だよこんなの。

 人間のなせる技じゃないし、関節がちぎれちゃう。そもそもそんなに速く動けないし、無理無理無理。


 それは、拒絶であった。

 人間に出来ないことを人間に求めているのだから、もっともである。


「いや、むり───」


「───無理、じゃなくて。やるの! これは決定事項だし、やれば意外とできるから!」


 無理だよ、と言ってもなお、イルシィは僕にも再現出来ると信じているらしい。しかも決定事項ときた。

 どうやらこの少女、どうしようもなく頭が硬いらしい。


 しかも意外とってなに。意外とって。

 明らかに人間業じゃなかったし、普通そんな速度出せないから。


「ホントだってば! ホント、意外といけるから! 誰でもいけるから!」


 客観的に見ても絶対不可能なことなのに、彼女は酷く食い下がった。


 そんなに縋るようなことか?

 僕はただ、人間には出来ないよね? だから僕も無理だよ? って言っているだけなのに。


「えぇ………いやまあ、やるにはやるけどさ……」


 ここまで頑固な者を相手にするのは、正直疲れるので、ここは大人な対応。

 やると言わないとうるさそうなので大人しく従った。


 でももし出来なかったとして文句は言わないで欲しい。

 というか絶対出来ないだろうから今のうちに誓って欲しいくらいだ。出来なくても怒りません、って。


「うん! その返事を待ってたんだ! いくよシルム!」


◆❖◇◇❖◆


「まず一番最初にやることは、魔力を体全体に満たして身体能力を大きく底上げすること。そして魔力の総量を増やすことだよ」


「魔力を満たす? 増やす?」


 そんなこと出来るんだ。

 全然知らなかった。


「そ。今のシルムは、ハッキリ言って身体能力が殆ど無いから、まずは基本的な剣術云々よりそこだね」


 父さんと模擬戦をしていた時は身体能力を武器に戦ってきたのだが、それでは足りないらしい。やはり冒険者……もとい都市迷宮で戦う人は違うな。


「まず、身体能力を上げるための準備体操をするから」


 準備体操。

 ストレッチや柔軟でもするのだろうか。あれ気持ちよくて癒される感じもするから好き。


「準備体操、と言っても実際に体操をする訳ではありません」


 あ、違うみたいですね。

 残念です。


「それじゃあ早速」


 彼女はそう言うと、ゆっくり僕の左胸に手を伸ばした。人差し指が触れた先には、心臓がある。


「……心臓の音、聞こえる?」


 いきなりのことにやや驚きながらも、聞かれたことを答える。


「うん?………まあ、聞こえる」


 答えると、彼女は人差し指でツンツンと僕の左胸を優しく叩く。そして、こう言った。


「キミの心臓が、拍動のリズムで血液が血管を通して身体中に送り込まれているところ、想像してみて」


 んん………?

 血液が血管を通して身体中に送り込まれる……難しいな。イメージしにくい。


 そんな僕の内心を察してか、彼女は別の提案をする。


「それじゃあ、心臓のリズムに合わせて血液が全身に送られる、ってのはどう?」


 あぁ。

 簡単にイメージできた。言葉が少し違うだけでこうも変わるとは、凄いもんだ。


「イメージ、できた」


 僕がそう言って頷くと、彼女は胸から手を退けてポケットに手を突っ込む。


「そのイメージを忘れない状態で………これ」


 取り出したのは、大きな魔石だった。

 拳程度の大きさのそれは、紫色で鈍く輝いている。綺麗とは言えないかもしれないが、僕にとっては神秘的だ。


 彼女はこの拳大の魔石を、僕の左胸に押し付けた。そして、グリグリする。

 なんだろう、新手のいじめだろうか。痛いのでやめてもらいたい。


「ここから難しいんだけど………心臓と全身の血液に、魔力を乗せるの。できそう?」


「魔力を?」


「そう。普段の身体強化みたいな、筋肉に魔力を練り込むやつ。それを、心臓と血液に練り込むの」


 心臓と血液に……なるほど。

 出来なくはないと思うが、慣れが必要そうだな。


「この時大事なのは、体を巡る全ての血液に魔力を含ませること。こうすることによって、一々局所的な筋肉に魔力を注いで強化させる必要が無くなるの。その上、疲労の回復や怪我の修復とかにも作用があるんだ。凄いでしょ」


 確かに凄い。

 魔力の消費量はかなり多くなるが、その分だけのリターンがある。全身が常時強化状態というのは、中々出来るようなものでは無いから。


「すごい」


「でしょ? このテクニックは、冒険者や帝国騎士なら基本的に全員マスターしてるから、シルムも頑張ろうね」


「う、うん……?」


 そうなのか? うちの父さんには全く教えて貰ってなかったけど………なんでなんだろう。

 しかし、なんかトゲのある言い方だな。


「あ、あと魔力の無駄使いなんかにも注意してね。血液に乗せるイメージだから、心臓に帰ってくるようなところを想像してみて」

 

 筋肉や感覚器官なんかに練り込んだ魔力は、基本的に消費される。

 魔力を使うことで性能を上げているのだから当然の話だが、実はこれには無駄が非常に多い。これは、勝手に魔力が身体を放れるからだ。


 どこまでこの異常放出を食い止められるかは術者の腕前次第だが、限界は存在し、やはり一定以上の空費はやむを得ない……はずなのだが。


「無駄使いって言っても、一定以上のラインで限界があるんでしょ?」


「うん、そうだよ。だからその限界を目指すの。国家戦略級魔法師でも、破れないラインはあるから」


 あ、やっぱりそうなんだ。

 実はわたしその限界突破してます、とはならないんだ。ちょっと安心した。


「それじゃあ、大きく息を吸って。そして、耳を澄ます。心臓の音をよーく聞いて、魔力を少しずーつ流していく」


 言われた通り、魔力を少しずつ心臓に注いでいく。段々と心音が大きくなっていく感じがする。


「よしそこでとめてっ。一旦、この状態で簡単な運動をしよっか」


 あれ、血液にも乗せなくていいのか? そんな疑問を問う間もなく、彼女はテキパキ動いている。


「ゴブリン5匹を呼び寄せたから、相手をしてみて。あ、でも簡単にだよ? いつも通りでいいからね?」


「…? よく分からないけど、やってみる」


 ゴブリンの気配がしたので、腰から剣を抜いて魔力を込める。いつも通りの流れ作業。

 しかし───。


「あ、あれっ……あれあれ……っ」


 これまでと同じく魔力を注入しようとしても、剣になかなか入ってくれない。

 いや、入ってくれない訳では無い。入れる量が少な過ぎるのだ。溜まる量が極端に少ない為、溜まっていると気付かない。


「……っく!」


 仕方がないので、何も付与されていない元の状態で剣を振る。

 ミスリルが含まれてるから、そんな簡単に刃毀れすることは無いだろう。しかし念には念を。いつもより丁寧に、正確な角度で振り下ろす。


「ッ……な、何が…っ?」


 すると、なんということか。

 まるで熱したバターを切ったかのように、なんの抵抗もなくゴブリンを両断した。


 おかしい。明らかにおかしかった。

 魔力を注いで居ないため、こんなにもあっさりとスムーズに刃が通ることは有り得ないはずだ。


 僕は一瞬の驚きを取り敢えず頭の片隅に移動させ、次のゴブリンに斬りかかった。

 2匹目、3匹目、4匹目も同じように斬り捨てる。


 しかし、5匹目に襲いかかろうとしたその時。目に見える変化が起こった。どちらかと言うと、体で分かったというのが正解か。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁーっ……はぁーっ」


 息が上がってしまったのだ。

 約5時間ぶっ通しで剣の稽古をしても上がらなかった息が、たかが数分の戦い……いや、戦いでもない一方的な蹂躙によって簡単に限界を迎えた。


 鼻息が荒くなり、心拍数がどんどんと上がる。額や頬には汗がびっしょりと浮かび上がり、足は棒になってしまったかのようにふらついた。


 不味い、と思い後ろ腰の短剣に手をやると………ゴブリンは、音も立てずに首が飛んだ。


「はぁーっ……はぁーっ………イル、シィ……?」


 振り返ると、そこには純白の剣を持つ少女。

 僅かに顔をニヤけさせながら、僕の顔を覗いていた。


 やっぱその顔なんか腹立つな。



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