とりあえず書いてみた翌日
正確には翌朝
「とりあえず書いてみた」
小説を書けないが故に書いてみた初の作品。
それを投稿した翌日。
私は執筆の楽しさを改めて実感していた。
ただただ、小説を書けないことに対する思いを綴った作品。
作品と呼んで良いのかも分からない。
エッセイなのか日記帳なのか、それとも決意表明なのか。
ともかく、書いて投稿したことには間違いない。
あれが私の第一歩なのだ。
その一歩目がまさか他人の目に触れようとは思いもしていなかった。
いや、思いもしなかったというには語弊がある。
当然、作品を投稿した以上、見てもらいたいという気持ちはあった。
気持ちはあったが、実際に見てもらえるとは思っていなかったのだ。
「アクセス解析」なる機能、使ってみて驚いた。
こと細かに作品に対するアクセス数が表示されていたのだ。
私の作品が数十人もの目に届いていたことが分かった。
これはすごい。
恥ずかしさも多少あったが、何より嬉しさがこみ上げた。
あの文を読んで、誰が何を思ったかは分からない。
開いただけで読んでないかもしれないし、不快に思われたかも分からない。
それでも、人の目に触れたであろう事実だけで、こんなにも嬉しいのだ。
自分の中だけに在ったものが、他の人にも届いた。
とても大げさな表現だと思うが、そう書かずにはいられない。
それほどまでに感動したのだ。
単純なものである。
小説ですらない作品でこれなのだから恐ろしい。
エッセイという名を借りた自分語りに溺れてしまいそうになる。
ただの一つも小説を書けていないのに、この有様だ。
しかし、得たものは多い。
小説執筆の非常に大きなモチベーションになった。
書いていない分際で、どの口がと言われてしまいそうではあるが、目を瞑ってほしい。
見て欲しいだの、見ないで欲しいだの、自由に書けるのが執筆の良さである。
最初の一行でつまずいた私が、転がりながらでも前に進みたいと思っている。
今も恥ずかしい言葉を偉そうに一方的に書く、という執筆の楽しみを噛みしめているところだ。
そしてせっかくなので、とことん書こうと思う。
次にいつ作品を投稿できるかは分からないが、必ず小説を書きあげる。
長編大作を書きたいが、まずは短編がいいのかもしれない。
もしかしたら、またエッセイで書けない言い訳をしているかもしれない。
ともかく、最初の一行を埋めることをここに誓う。
そして、書きたいけど書けない同志たちへ
まずはとりあえず書いてみよう。
このように締めることで、エッセイを書いたことにしようと思う。
そして私は、4日後に短編小説を書き上げたのだった。(2020 7/21)