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06 銀髪の庭師 リト・ロンクルス

 帰り道にもロベリアは領民たちに声をかけられ、ひとつふたつ小さな会話を繰り返しながらキファレス邸に到着した。外門をくぐり玄関へ向かう。外門から玄関へ続く低木も端正に整備されており、この時期に咲くシクラメン、パンジー、マーガレット……ロベリアも知らない花々がキファレス邸を彩っていた。


「そういえば裏庭があるって言っていたわね」


 ふと今朝にゲンテと話したことを思い出したロベリアは、キファレス邸の裏庭へ向かう。近づくにつれ、ふわっと百花の香りが鼻をくすぐった。あたり一面、宝石のように輝く花々がロベリアを迎え入れ、あまりの眩しさに目を細めた。


「お手入れがしっかりされているわね……。ゲンテがしているのかしら」


 ゲンテがしているとすれば、彼は分身の術ができるに違いない。そうでなければ、いつ寝ているのだろうか。この家にはゲンテ以外の従者はいない。家内を管理をするだけで手一杯なはずだ。

 奥へ進むとロベリアの部屋よりも大きな温室があった。そこには真っ赤な薔薇がまるで絵画のように美しく温室一面に咲き誇り、ロベリアを迎えた。

 ロベリアはガーデンテーブルに荷物を置き、温室の中を見て回った。


「きれい……こんなにもたくさん」


 薔薇の花弁にそっと触れると、あの日の夜の出来事が脳裏に浮かび顔を赤くする。口づけされた箇所は今でも覚えている。熱くなった首を、寒空の下で冷たくなった手で冷やした。


「いやいや、あれは私を陥れるための策略よ。そう、きっとそうだわ……」

「……策略?」


 声がした方を振り返ると、花々の輝きに劣らないぐらいに銀色に輝く短髪の少年が立っていた。


「……あなた誰!?」


 ロベリアが薔薇に見入っていたのか、それとも少年が足を潜めていたのか。どちらにせよロベリアに聞こえなかった足跡の主に驚き、声が少し裏返った。

 茶色の長靴に、オリーブ色のサロペット。その中に着ている白いシャツの袖は肘上まで捲られ、土のついたグローブをつけている。手には剪定されたばかりの薔薇が握られていた。


「初めまして、ロベリア様。私は庭師のリト・ロンクルスと申します」


 一礼したリトは顔を上げ、緋色に輝く瞳でロベリアを見つめた。


「庭師?」

「はい。このキファレス邸の庭師として通っております」


 リト・ロンクルス。言葉遣いや振る舞いは大人染みているが、にこりと笑った顔にはあどけなさが残る十六歳だ。褐色した肌は彼が庭師と言える証拠でもある。

 リトはキファレス邸付近に家を構えており、毎日通いながらキファレス邸の庭園を管理している。これでゲンテの分身説は見事に破れた。


「あ、顔に血がついているわ。ちょっとそのまま動かないで……」


 ロベリアは袖口に隠していたハンカチを取り出し、そっとリトの右頬に触れた。どこかで薔薇の棘にあたり切れてしまっていたようだ。


「あ、いえ、申し訳ございません! 大丈夫ですから!」

「何言ってるの、ほら、じっとして」

「ロベリア様のハンカチが……」


 白いレース生地のハンカチがリトの血でじんわりと赤く染まった。


「いいのよ、あなたの傷の処置の方が大事。……よし、きれいになったわ」

「ありがとうございます……」


 へへっと微笑んだ姿は、少しだけロベリアの母性をくすぐった。ゼラもあんな風に笑えたらいいのに、と心の中で呟いた。


「そういえば、毎日通っているわりには会ったことないわよね」

「えぇ。この時期は日没が早いですから。木花の手入れは朝から昼過ぎまでに行わなければ弱ってしまいますので」


 ロベリアがアスタに扱かれている時に全てを終わらせ帰るため、なかなか会うことがない。たまに家の中へも顔を出すのだが、ロベリアと遭遇する機会がなく今日に至る。


「そう……。私がこの家に来たとき部屋に薔薇が飾ってあったの。それはリトが用意してくれたの?」

「……もしかして四本の薔薇ですか?」

「えぇ」


 リトは白い歯を見せて一笑した。この会話で何か面白いことがあっただろうか、ロベリアは見当が付かず、首を傾げた。


「あれはゼラくんがですね……」


 それはゼラがロベリアを攫いに行く数時間前のこと──



「なぁ、リト」


 突如、薔薇の温室に現れたゼラはリトの背後から声をかけた。


「うわっ、ゼラくん! なんで庭に?」

「悪いか」

「悪くないけど、珍しいね」


 あぁ、と呟くゼラは薔薇を眺めていた。その目は以前見た、あの時の目とは違っていた。

 かつてリトはゼラに「なんで薔薇だけ温室で育てているのか」と聞いたことがある。しかしその答えは分からなかった。憂に満ちた目で微笑み返されたのだ。どうしてと追求するほど野暮な心は持ち合わせていない。ただ初めて見るゼラの表情に驚きを隠せなかったのも事実だ。

 美しく咲き誇る薔薇にも痛々しいトゲがあるように、人も綺麗な出来事ばかりではない。人には言えない、切れるものならば切ってしまいたい過去(トゲ)だって、ある。

 心中を察したリトは「僕、薔薇って好きなんだ。大事に育てるね」とそれ以上を聞かず、ゼラの心にそっと寄り添い、今日まで丁寧に手入れし育ててきたのだ。だが、今話しているゼラの碧い瞳には憂いた影はない。


「今日、俺の大切な人が来る」

「大切な人?」

「あぁ。……婚約者として迎える」

「婚約者!? どうして急に!?」


 リトは困惑した。今までキファレス邸に送り込まれてきた令嬢には一切興味を持たず、そして令嬢はゼラの恐怖のあまり数分で帰ってしまう。そんな姿を何十回も見てきた。てっきり恋愛や女性に興味がないのだろうとも思っていた。


「……急ではない。とにかく部屋に飾る薔薇が欲しいんだ」


 急ではない、ということは長年の想い人なんだろうか。それとも何かの策略か。この薔薇が関係する人なのだろうか──。

 何はともあれ、主の政に口を出したところで庭師が解決できるものはない。リトは詮索せず、薔薇を用意することにした。


「ゼラくん、薔薇は本数ごとに花言葉があるんだよ。色も関係するかな」

「へぇ……なら良さそうなものを頼む」


 ゼラはガーデンチェアに座り、テーブルに置いてあった図鑑をパラパラとめくりながら時間を潰した。


「良さそうなものねぇ……じゃあ婚約者様なら……赤色で百八本かな」

「意味はなんだ?」

「ストレートに結婚してください、だよ」


 ゼラが唖然とした顔でリトを見た。そんなクサいことできるかよ、とでも言いたげだ。


「……じゃあ千本? 一万年の愛を誓う……やっぱなし」


 ゼラの冷たい視線が背後に突き刺さったのを感じたリトはすぐさま全文撤回した。


「……リト、四本だ」

「四本?」


 ゼラは図鑑で見つけた薔薇四本の花言葉が気に入ったようだ。


「四本? あっ! ……ふはは、ゼラくんらしいや」


四本の薔薇の花言葉は──


「死ぬまで愛す、ですよ。ロベリア様」


 ゼラが決めた本数なのに、伝えるリトもどこか恥ずかしそうに頬を赤らめていた。


「……ちょっと、それ結婚してくださいよりクサくないかしら?」

「ははっ、ゼラくん泣いちゃいますよ」

「泣かせてみたいものだわ!」


 取り巻き役がまだ抜けきれていないのか、ロベリアはキラキラと輝いた目でゼラの泣き顔を想像し、そこには勝ち誇った自分もいた。当然、そんな日はやってこない。


「それより、リトはゼラのこと様づけしないのね」

「えぇ……。付き合いが長いですから」


 ロベリアにはリトの顔が少し曇って映った。考えてみれば、あのゼラをくん付けできるほどの仲なのだ。兄弟でもなければ、何か事情があるに違いない。ロベリアはそれ以上追求することをやめた。


「ロベリア様は、ゼラくんが怖くないんですね」


ゼラの側にいながら、一日と持ちこたえた女性はいない。それが一週間も経っているのだ。ゼラが甘やかしているのか、それともロベリアが強いのか。少なくとも、他の令嬢とはどこか違う雰囲気のロベリアにリトは興味があった。


「いや、怖いわよ。私なんていつでも殺せるのに、なんで殺さないのかしら」


 ゼラは相変わらず怖い存在のようでリトは少し安心した。慕っている主の甘えた姿は想像し難い。そしてゼラがロベリアを殺さず、気に入っている理由もリトには分かった。


「だからですよ、ロベリア様」

「どういうこと?」

「そういうところです」


 優しくて、したたかで、真っ直ぐで。

 リトは白い薔薇を一本、二本……と丁寧に切り、リトが両腕を広げたぐらいの少し大きな机にそれらを置いた。


「ゼラくんのことは嫌いですか?」


 薔薇の刺をひとつひとつ丁寧に切り落としながら、ロベリアに問いかけた。


「嫌い……ではないわ」


 キファレス領民の温かさを見てしまったから。そしてリトに薔薇の話を聞いてしまったから。そんなゼラを嫌いにはなれなかった。

 そうですか、と水色の包装紙に覆われた薔薇を上品な白のレースで一つにまとめ、蝶々結びで仕上げた。


「できた! はい、ロベリア様」

「え、私に?」


 半円を描くように束ねられた白い薔薇が二十二本。傷一つなく、真珠のように煌びやかに美しく輝いている。


「はい、そしてゼラくんに向けても」


 リトの優しい笑顔と共に添えられた、ロベリアとゼラへの花言葉。



──お二人の幸せを心から願っています


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