67 忘れたい記憶
「ローズ逃げて!!」
相手の顔を認識する間もなくマーガレットに手を引っ張られ、ローズは後ろに倒れ込む。ローズが次に目を開けた瞬間、マーガレットの色白で細長い首筋から、真っ赤な薔薇の花びらが溢れ出して風に舞っていた。それが血飛沫だと気づいたのは、白目のマーガレットが仰向けに倒れ、真っ黒のフードを被った男が赤く染まった短刀を持っていたからだ。
「え、あ、え、え」
ローズは言葉を発することもできず、母親から流れる血の上に立ち竦むだけだった。
「ローズ逃げろ!!」
ラークスの声に反応し瞬時に後ろを振り返るが、ラークスの背後にはフードを被ったもう一人の男がすでに侵入していた。
「お、お父様! 後ろ!」
「……っあ゙あぁあ゙ああぁあがああぐあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙」
ローズの声掛けにより間一髪、急所を避けられたが右肩に深い傷を負った。
「お父様……! お、お父様!!」
ラークスは激痛に耐えながらローズの側に駆け寄る。男どもはいつでも殺せると言わんばかりにその苦しみもがく姿を笑いながら見ていた。
「ローズ……逃げるんだ」
「い、嫌です! お父様とお母様を置いていくなんて」
「いいから言うことを聞け!」
右腕を庇っていた左手をローズの肩に乗せ必死に訴える。ラークスの右腕は無力に垂れ、つうっと指先から血がこぼれ落ちる。マーガレットの血と混ざり真っ赤な雨は赤銅色の海へと変わっていく。
「ロー……ズ」
マーガレットが虫の息で小さく小さく呟いた。
「お母様!?」
「愛して……いるわ……忘れ……ない……で……」
「忘れない!忘れないから……!」
美しく微笑んだマーガレットの顔は男性が腰にしていた剣で串刺しにされ、笑顔を物理的に失った。ローズはその先を見上げるとにやりと笑う白い歯だけが見えていた。
「おまえらの目的は僕のはずだ。殺すなら僕だけにしろ!!」
ローズはラークスの背中に隠れるが、血生臭い匂いと抉れている皮膚を目の前にして平然としていられるわけもなく、ローズは嘔吐し呼吸困難に陥った。
「ゔぇぇあ゙あ゙あ゙ああ゙……ひっ、っ、あ、ふ……っは」
フードを被った男はラークスの要求を一振りの剣で答えた。マーガレットの上に倒れ、屍が二つ積み上げられた。
「お、お父様……嘘よ……夢よこれは悪夢よ……こんなことなんて」
「ロー……」
「お父様!? 何!? 聞こえないわ!」
体が一切動かないラークスの口元へ耳を近づける。先程以上に血生臭く纏わり付く気持ち悪い熱に再び嘔吐しそうだったローズは固唾を呑みそれを耐える。
「僕も……愛している……ローズ……生きろ」
「私も愛しているわ、だから、お父様も生きて!! お願い!!」
「……」
「お父様……お父様!?」
「…………」
脱力したラークスの手首をそっと掬い上げ脈を確かめるがそこに生はなかった。
「……返せ……お父様をお母様を……返せ!!」
血まみれのラークスの剣を腰から抜いたが成人男性の持つ剣は大きく重く、そして血で滑ってしまいローズには使いこなせなかったが、何度も何度も剣を構えては振りかざす。
「……ゔあぁあ゙あ゙あ゙あ゙ーーーっ!!」
王女とは思えぬドスの利いた声で相手を威嚇したが、男の一人がローズの手にしていた剣をひょいっと軽々しく奪い、ローズに向けて振り翳す。しかし、隣にいる仲間に腕を捕まれた。
「……王女は殺すな。フォセカ王女の命令、忘れたのか?」
「あぁ、そうだったな」
「しかしまぁ何に使うんだか」
「さぁな。ま、国王様の当初の目的は果たしたんだ。国民に気づかれる前に消えるぞ」
男はローズの首を真っ直ぐに切り取るように横手で頚椎を殴打した。
その瞬間ローズの意識は奪われ──、記憶も失った。
ラークスが最後の力を振り絞ってマーガレットの手を握った姿も見ることはできなかった。




