64 親友と勝負の続きを
国王を捕まえ、フォセカの本性を暴露した。ソニアの結婚も中止にした。
これでローズの勝利かと思いきや、フォセカはどこかにいる従者に向かって叫んだ。
「あの女を拘束して連れてきてちょうだい!!」
その命令の十秒後、礼拝堂の扉の向こうから一人の女性がフォセカの側近に両腕を拘束された状態でやってきた。ソニアも知らされていないどこかの空き部屋にいたのであろう。その女性はソニアよりもくすんだ金色の癖髪を左肩に流し、レポリスの出身だと分かる緋色の瞳をしていた。
「リ、リリス……!」
「お兄様!」
レポリス第一王女であり、今はレポリスの隣国ギェナーの王子の妻となったはずのリリスがそこにいた。なぜリリスがこの場にいるかは分からないが、リリスの状況からしてローズたちにとって劣勢となりえることは瞬時に理解できた。リトも驚きを隠せないようで目を大きくしてじっと見つめていた。
「フォセカちゃん、この状況は何?」
ソニアの顔は曇り、ぐつぐつと煮え上がる怒りに低い声で蓋をしながらフォセカに問う。
「ふふふ、あなたの大事な妹リリスだもの。サプライズで結婚式にご招待しましたの」
「そうだね、これは驚いた。でも招待客なら丁重に扱ってもらわないとね?」
「えぇ、先程までは丁重でしたわよ? でもソニア様がこんな酷いことなさるんだもの、予定変更よ」
ゼラの剣が目の前にあるにも関わらずフォセカは怯まずに冷笑しながら答えた。
「フォセカ……あんたこの状況を予測できる頭なんてあったの?」
「正直言うと半々ね。ローズとゼラですもの、大人しくこの挙式を見るとは思えなかったわ。ソニア様と手を組むなんて考えてもみなかったけど……でもソニア様に似た人間がキファレス邸に入っていったと噂を耳にしてねぇ? 一応手を打っておきましたの。ふふ、リリスをお金で引き取って良かったわ」
「リリスを金だと……?」
「えぇ。ギェナー国も金で全てが動いていますのね? 愛情の欠片もなかったわよ」
「おまえ……」
ソニアは腰につけた剣に触れた。
「あらやだ、ギェナー国から取り返してあげましたのに、剣を抜くというの? でもそうね、ソニア様も私を裏切ったんですもの、あの女をどうしようと私の勝手ですわね。ゼラ、私を殺したその瞬間にリリスの首も飛ぶと思っておきなさい?」
「……卑怯なマネしやがって」
ゼラは剣を近づけることも下ろすこともできなかった。
「フォセカ。私はあんたを陥れたいわけじゃないの。国を返してくれたらそれでいい。だからリリスも返して」
「そんな言葉信じるもんですか!! あんたはロベリア。ローズなんかじゃないわ! この国の女王は私になるの!……あんたなんか、あんたなんか……!」
フォセカは眉間にしわを寄せ、野獣のように歯を見せてローズに吠えた。
「フォセカちゃん、もういいだろう? 国もリリスも返してくれたらそれでいい。リリスにかけたお金の返済が必要だというのならレポリス家は多額の借金を背負ってでも返していく」
「ふふふ……国もリリスもあげないわ……私のものよ……。あぁそうね、ロベリアがいなくなって退屈していたの。次はリリスで遊ぼうかしら……」
「フォセカ! いい加減にして!」
自身が味わった地獄を無関係なリリスが味わう必要はない。自分であろうと他人であろうとあんな残虐な仕打ちを受けていいはずがないとローズは歯を食いしばりフォセカを睨んだ。その背後ではどうにかして側近から逃げようと蠢くリリスが遠くから言葉を放った。
「お兄様! 私を……私を殺してくださいませ! そうすれば……そうすればピスキウム国もレポリス国も助かるのでしょう!?」
「……馬鹿を言うな! おまえは何一つ悪くない!」
「ふふふ、理解のある妹で良かったわね? でもすぐに屈服する女はつまらないわ……ロベリアみたいに図々しい女じゃないとね。……あぁ、そうだわ。ロベリア、最期に遊んであげるわ。お遊戯会の最高なフィナーレを飾れるわよ?」
遊びすぎて飽きていた玩具に新しい遊び方を見いだした時の子供のように、フォセカの淀んだ瞳に光が灯った。
「……何する気?」
「あんたがローズだと言うなら記憶を蘇らせなさい? だって紋章の首飾りなんて、本物だとしてもこの狂犬が盗んだだけかもしれないじゃない。あんたが記憶を無事に蘇らせることができたらローズだと認めてあげてもいいわよ……ふふ、生きてないでしょうけど」
「どうやって蘇らせるのよ」
「ジャミ、あなたできるわよね? あなたの能力は調べさせてもらったわ」
「……」
プロキオン一家に産まれた者は先天性の魔力を持っている。第三者による悪用を防ぐためと自身を守るために所有している術を他者に教えることは禁句ではあるが、アルニタク国家の支配下にある領地なだけに権力には逆らえなかったのだろう。
「あなた、潜在する過去を蘇らせることができるんですってね? だからさっきの紋章の光だって引き出せたのよね? 紋章には魔術師の過去が詰められているんですから」
「……できません」
「あら、じゃああなたの家族も婚約者の命もないわよ」
「そ、そんな……!」
「嫌ならするしかないわよね?」
「もしロベリアがローズ様であるのなら……記憶を失われたのは壮絶な過去があったからでしょう。それを無理矢理に引き出すとなれば、過去が精神を蝕みローズ様を内側から崩壊させることだってありえます。それに記憶を蘇らせるほどの魔力は、相手が魔術師であったとしても耐えられるかどうか……」
「あら、じゃああなたは家族や婚約者を捨て、さらにロベリアを国家反逆者として認めるってことでいいわね?」
「い、いえ、そうではありません……!」
言葉を探すジャミの肩にローズは優しく両手を置いた。
「ジャミ、私は大丈夫よ。やってちょうだい」
「でも……!」
「ジャミ、お願い」
「でも……でも……」
「私がロベリアなら問題ないのでしょう?」
「でも……ロベリア、あなた本当は……」
「あなたは賢いわ。だから分かるでしょう?」
「ですが……ですがっ……」
「お願い、ジャミ。私はあなたに命令なんてしたくないの」
「ですが……ローズ様……私はあなたを失いたくない……」
「あら失礼ね。私は図太いのよ? ジャミの魔法になんて負けないわ」
嫌がるジャミの瞳を、真剣なローズが捕まえて微笑みかけた。
「あらあら? いつの間にか学友になっていたの? ふふ、より面白くなりそうじゃない。私ったら天才ね? 記憶を戻したところで何も変わらないというのに。精神からじわじわと蝕まれてロベリアが壊れていく姿……ふふふ、たまらないわ」
フォセカは余裕の笑みを浮かべて鼻で笑った。その後ろでゼラが吠える。
「ローズ様お待ちください! それは……それはなりません!」
「あらゼラ。私なら大丈夫よ」
「なりません……」
「魔法をかけられなかったらここで終わりよ?」
「ですが……ですが! 俺だってあなたを失いたくない!」
「全くゼラまで。私は大丈夫だから。少しの希望があるなら私は全部やるわ」
「しかし……」
ゼラは俯き言葉を失った。
「あ~ら、いくつもの屍を積み上げてきたあなたらしくないじゃない。今さら一人や二人いなくなったところで、どうとも思わないでしょう?」
フォセカは首を斜め上に傾けゼラに悪態をついた。ゼラは無言でフォセカの首元に剣を近づけ牽制するが、これ以上はリリスの命がかかっている。ゼラは力強く剣を握ることしかできなかった。
「……ジャミ、私と勝負しましょう」
その言葉はロベリアがまだ学生だった頃、図書委員の二人で勝負をしたあの放課後のように。
「私はジャミに負けないわ」
「……」
「それに私はあなたを信じているの。だからお願いしているのよ。私は大丈夫。壮絶な過去があったかもしれないけど……でも私はそれ以上にたくさんの愛をもらってきたはずよ。その思い出の数々が私を守ってくれるはず。あなたが教えてくれたじゃない、愛に生きてって」
ジャミの手を包み込むようにそっと両手に取った。緊張と恐怖で震えていたジャミの手はローズの体温で温められてゆく。
「ローズ様……いえ、ロベリア。分かったわ。勝負しましょう」
涙で揺れるジャミの瞳の奥には、ロベリアと過ごし分かち合い支え合った強い絆が、歴史をたどれば王家と魔導師の強固な絆が垣間見えた。
「えぇ。臨むところよ、ジャミ!」
ジャミは自身の両手でローズの全身を覆えるぐらいの距離まで遠ざかり、ローズに向けて両手を伸ばした。
「……待て、待ってくれ……っ」
そう呟いたゼラの声はフォセカの耳にしか届かず、お遊戯会のフィナーレを飾るための助演に過ぎなかった。
「死んだらタダじゃ置かないからね、ロベリア」
「えぇ。……ありがとう、ジャミ」
小さく微笑んだジャミの口から呪文が放たれた。ほうっと現れた白い光がローズを包み込み、魔力を受けたローズの体は膝からガクンと落ち、かろうじて膝で耐えたローズは蹲って小刻みに震え出す。
「やめろ、やめろぉおおおお!!」
フォセカを捉えている以上身動きが取れないゼラは、心臓を何度も何度も刺されるような悲痛を叫ぶことしかできない。
──大丈夫よ、ゼラ
そう声を掛けたかったが、骨の髄まで響くような身体的な痛みと走馬灯が凄まじい速さで脳内を駆け巡る。神経が乱れ、うまく言葉を発することができない。
「……っ……う……ぁぁあ゙あぁあああ゙あっ」
礼拝堂の天井に向けて咆哮したローズはこの叫びを最後に地へ倒れ、同時にジャミも大量の汗を掻きぐったりと倒れ込んだ。
「ローズ様ぁあああ゙あ゙!!」
ゼラはフォセカを突き放し、ローズの元へ駆け寄った。脈は確認できたが、ゼラが戦地で見てきた屍と同じように魂のない抜け殻そのものだった。




