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58 満月と花束


 ソニアと作戦会議を交わした翌日からは、緊張感に苛まれた日々が続いた。といっても、ローズが事前にできることはあまり多くはない。結婚式までの月日の確保はガソウたちによる武具の作成に時間がかかることが大きかった。だが、リトとゲンテに混ざって剣術の稽古をしたり、作戦を何度も推敲しては常に最善策を探していた。

 ゼラはガソウと綿密に連絡を取り、何度も何度も領地に赴いてはシミュレーションを重ねていた。リトとゲンテは剣術の稽古で己を高め合っていたし、アスタは当日に動きやすい礼服をそれぞれに着させるために、服屋と何度も打ち合わせをしていた。

 

 だが、そのような日々も昨日で最後だった。

 昨夜は少しばかりの不安を隠したローズの心を表しているような月だった。目を凝らさなければ人々はそれを満月というだろう。

 この月が満たされなければいいのにと願う反面、早く満月を眺めたいと焦燥も持ち合わせていた。これはローズが見る最後の月かもしれない。そう月に問いかけを繰り返してローズは明け方まで月を見ていた……ような気がした。眠りが浅く脳内で作り上げた月だったのか目に映っていたかは定かではないが、太陽の光がわずかに差し込んだ時、ローズはベッドから降りた。


「……ふぅ」


 ネグリジェから平服に着替えてローズが扉を開け階段へ向かうと、反対側から深海のように深い青色のタキシードを纏ったゼラが登場した。


「おはようございます、ローズ様」


 ゼラはふぁあと大きく欠伸をした。


「何でそんな余裕なのよ」

「今から気負っているようじゃピスキウム宮殿に到着する頃には疲れてしまいますよ。一応招待された身ですからね」

「……それもそうね」


 キッチンへ向かうとゲンテがいつものように朝食を用意してくれていた。


「おはようございます、ローズ様、ゼラ様」

「おはよう、ゲンテ」


 用意されていたのは、卵やハム、野菜が挟まれたサンドイッチと温かいハーブティ。


「ささ、ローズ様は早くお召し上がりくださいな。アスタ様がローズ様のご支度に来られますゆえ」

「えぇ。リトは?」

「リトもそろそろ来るでしょう。植物とフクロウの世話をしてから来ると言ってましたから」


 普段の生活をして平常心を保つべく決戦日前夜に集まることはしなかった。また、ゲンテの操縦であれば、定刻までにピスキウム宮殿まで余裕で到着する。ちなみに普通の馬車が同じことをすれば挙式はとっくに終わっているだろう。


 朝食を終えた頃、いつもと同じ服装のリトとアスタがやってきた。名目上、リトとアスタは領民として中庭で開かれるお披露目の儀を謁見するのみだが、真髄は着慣れた服で動きやすさを重視している。ゲンテも一見同じに見えるが、タキシードの裏に仕込まれた短剣の数は増えているのだろう。心なしか少し膨らんでも見える。


「ローズ様、お着替えですわよっ」

「はいはい……」


 時折、アスタは少女が人形遊びをするようにローズを扱う。人形が輝く服を選び、異性を魅了させるような美しい化粧をし、華やかさを助長する髪型を作り上げるのだ。


「今日はフォセカ様が主役ですからね。ローズ様は控えめな衣装で残念ですわ」


 ゼラよりも水深の浅い海中で揺らめいている海月のようにひらりと広がる足元。ローズの美しいボディラインを見せるように、膝上から胸にかけてタイトなドレスになっている。肘から手先に伸びたロンググローブは、ゼラが纏うタキシードと同じ色だ。


「あら、結構動きやすいのね」

「えぇ、伸縮性のあるものを選びましたわ。パンプスのヒールも太くて低いものをお選びしましたわ。お行儀は悪いですけれど走ることも可能ですわ」


 真珠のように輝くパンプスもそのような理由で選ばれたと思っていないだろう。ローズはドレッサーの椅子に座りパンプスを履いた。確かにブーツ同様に走りやすく、足から離れることなくぴったりと収まっている。


「アスタ、巻き込んでしまってごめんなさい」

「私は自ら巻き込まれに行ったのですよ? ローズ様が謝ることではありませんわ。それに勝手ながら私には叶えられない願いをローズ様に託していますもの」


 アスタはローズの髪に触れ、ドレスに似合うように髪を結う。短髪ではあるが、両側を編み込み、うなじが見えるように後頭部の中心で一括りにする。


「願い……」


──誰しもが愛する人と一緒に生きられる世界に


 かつてアスタと二人きりで女子だけの密会をした時を思い出した。

 あの時のアスタは儚げで索漠とした顔つきをしていた。ローズはアスタが結婚していない理由がそこにあると悟っていたが、共に過ごしていく中でもう一つ気づいたことがある。

 満月を迎える日の朝、アスタはキファレス邸の庭にいるリトに必ず花をもらいに行く。華やかに盛られた花束ではなく、慎み深く数本の花々を小さくまとめた花束を片手にアスタはどこかへ出かける。キファレス邸に戻ってきた時には花束はなく、うっすらと目を赤くしたアスタがいるのだ。恐らく愛する人の命日なのだろうとローズは密かに思っている。きっと今日もそうだ。


「……願いが叶ってもあなたの本当の願いはもう叶わないんでしょう?」

「ふふ、ローズ様は鋭いですわね。仰る通りですわ」

「それでも願うの?」

「えぇ。私の周りの人々には幸せになってもらいたいですもの。それに……次に逢えた時は一緒に生きていきたいですから」


 少しだけ涙を浮かべながら微笑んだアスタの顔がドレッサーの鏡に映った。ローズはじっと見つめ返すことしかできず、少しの間言葉に詰まった。


「……アスタは優しいのね」

「そう仰っていただくと聞こえは良いかも知れませんが、私欲しか考えておりませんわ。さ、できましたよ」


 ローズは椅子から立ち上がり、金色の縁に花模様が施された姿鏡の前でくるっと一回転してみせた。


「きゃーっ! ローズ様、本当に素敵すぎますわ!」


 口に手を添えて叫んでいるがあまりの声の大きさに一階にいるゼラたちにも聞こえているだろう。


「ありがとう。あとは向かうだけね」

「ですわね。……ローズ様、どうかご無理だけは……いえ、無理もする時ですわね」

「えぇ。この服がボロボロになって素っ裸になってでも命ある限り私は負けないわ」

「んもう、王女様がそんなこと仰ってはなりませんわ」


 いつもならばアスタの鞭が飛んできそうだが、今日は鞭を掴むのではなく自身のドレスを両手で掴んで一礼した。


「ローズ様、今までありがとうございました。短い間でしたがこうして再びローズ王女様の教育者となれたこと誇りに思いますわ」

「私もあなたに出会えて良かったわ」

 

 ローズはアスタを優しく抱擁し、応えるようにアスタも腕を回した。

 アスタはゼラ軍と共にピスキウム宮殿へ出向き、恐らく地下で隔離されているであろうカタリを含む女性を救出する。ピスキウム宮殿に従事していたことのあるアスタは宮殿の間取りも大方把握しており目星はついている。無論、アスタがピスキウム家に従事していた頃の地下はワインや食料の貯蔵庫として利用されていたが。

 

「どうかご無事で。また女子だけで密会いたしましょう」

「えぇ、喜んで」


 次に密会が開かれる時はアスタの願いが叶った時だろう。


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