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54 ちょっと待った

「じゃあローズちゃん、後ほど」

「えぇ、頼むわ」


 ソニアとスイセンはフォセカのいるアルニタク宮殿へ縁談をしに向かった。ローズやゼラ、その他大勢の人々が参列や謁見しやすいような──つまり自軍が侵入しやすい挙式にすると約束してくれた。そして軍事態勢を整えるために、もうひと月だけ時期を延ばすように交渉するとも。カタリのことは心配だが、必ず救出するためにも必要最低限の時間は確保した。

 帰路に再びキファレス邸に寄り情報を提供してくれるようだ。


「……さて、ゼラ。どうしましょうか」

「そんなとこだろうと思いましたよ」


 見切り発車が大得意のローズ、その列車を停めることなく完走させる支援ができるのはゼラだけだろう。


「でもご判断は間違っておりませんでしたよ、今回は」

「今回は、って失礼ね」

「奪還に最高の舞台じゃないですか」


 口端を上げてニヤリと微笑むゼラは、この喜劇とも悲劇ともなる舞台を楽しんでいるようだった。


「ま、話し合っていきましょう。アスタ、書記を頼む」

「かしこまりました」


 アスタは広げた両手ほどの大きな紙をテーブルに出し、羽ペンを手に取った。


「まずはこちらの軍。ローズ様、アスタ、リトには軍がありません。ゲンテは……ズワルトが味方に付くのか?」

「どうでしょうな。ちょっとばかしズワルトに、いや、彼にお会いしないといけませんなぁ」

「場所が分かるのか?」

「ゲンテは何でも知っておりますゆえ」


 ゲンテは茶目っ気にニカッと白い歯を見せたが、あまりの恐ろしさに誰一人笑うものはいなかった。


「……まぁ確証のない軍をカウントしてはこちらが崩れるだけだからな、ズワルトは一旦置いておこう。あとは俺の軍だな。恐らくガソウがこちらにつく。武器も揃えば、それを扱える人間も味方になる。軍事力は一気に上がるな。ただ、正式に式場内に入れるとすれば領主のガソウぐらいだろう」

「あとはソニア様の軍ですわね。フォセカ様に一番近い存在ではありますが、それゆえ少しでも動いたら気付かれますわ……何か突破口があればいいのですけれど」


 アスタは話ながら情報と策略をまとめていく。


「私が出るわ」

「ローズ様が!? 出るってどこへ……」

「式の最中に出るわよ。よくあるじゃない、政略結婚をさせられそうな令嬢を助ける男性領民の話。ほら『ちょっと待ったー!』ってやつ」

「いや、それは物語の世界じゃないですか」

「なんだっていいのよ。その時に私がローズ・ピスキウムということを明かすわ。ゼラがお父様からもらった紋章もジャミに光らせてもらいましょう。そしたら相手は怯むんでしょう?」

「目くらましにはなるかもしれませんが、それは絶対にいけません。危険です。護衛が誰一人いない状況など……」

「今さら何言ってるのよ。最初から危険しかないわよ。それにフォセカとソニア以外の招待客は私のことをロベリアだと思ってるわ。護衛だなんて不自然よ」


 怪訝な顔をするゼラの横で、リトは腕を組みながら深く頷いていた。


「たしかに。それに大丈夫だよ。絶対ソニアが止めてくれる。ローズ様をすぐに捕らえるなんてことしないよ」

「そうよ。それにあのフォセカだもの。私を泳がして状況を楽しむに決まってるわ。だって彼女にとって私はただの玩具なんですもの」


 記憶を失ったローズの全てはここから始まった。

 辛くて苦しくて痛くて深い冷たい海の底に楔を巻かれて沈められていたけれど、ゼラや信頼の置ける仲間と出会い、ローズという名前を取り戻した。いや、今はまだ自分がローズであると覚えたというのが正しいだろうか。


「怯んだ間に黒幕のフォセカを捕まえてちょうだい、ゼラ」

「この状況でローズ様のお側を離れると言うのですか!?」

「ちょっと待ったって言ってる時点で離れているじゃない」

「ですが……」

「ゼラ、あなたしかいないわ。フォセカを捕まえる、つまり国の奪還に一番近づくのよ」

「……分かりました」


 ゼラは小さくため息をついて同意した。フォセカの元に素早く辿り着けられるのは、式に参列できる自分が一番ふさわしいと客観的に判断を下したのだろう。


「それでピスキウム国王とアルニタク国王はどうしますの?」


 アスタは羽を顎につけ首をかしげて皆に問うと、顎髭を触るゲンテが答えた。


「そうですな……光と同時に私とリト様が城内に侵入できれば捕えることは可能です。ただ、警備も厳重でしょうからな。スムーズに排除できたとしても時間的な問題がございますゆえ」

「その時間さえ確保できていれば大丈夫ってわけか」

「えぇ、恐らくは。リト様、アスタ様、そしてガソウ様方。心強い仲間がいますからね」


 リトはガッツポーズで答えて、アスタはにっこりと微笑み返した。


「ここはソニアに頼るしかないわね。最低限の時間を確保してもらう演出をお願いするまでだわ」

「そうですね」

「おや……ちょっと失礼。何やら馬がこちらへ向かってきますな」


 ローズは足音すら聞こえていないのだが、ゲンテは気配を感じ取ったようだ。


「あぁ、そうだった。ローレオ領の使者に馬を連れて帰るよう頼んでいた。少し待っていてもらってくれ。ガソウ宛の手紙を持って行ってもらおう。ローズ様、内容は俺に任せていただいてもよろしいですか?」

「えぇ。お願いするわ」


 ゼラは席を外し、自身の書斎へ向かった。


「……ふぅ。私もちょっとお部屋に行って休憩していいかしら」

「もちろんです。長旅でお疲れでしょう」

「ありがとう」


 部屋に入ると、ベッドメイキングされて皺一つないシーツに、本日活けられたであろう薔薇、一ミリのずれもなく真っすぐに積み重ねられた新しい教科書がローズの視界に入った。ローズが不在時も部屋の掃除を欠かさずに、華やかな空間を作り、勤勉できる環境を整えてくれている三人の姿が目に浮かぶ。


「……っ」


 ローズは幸福感を抱いたが、それは一瞬で重圧感に覆われた。


──もし、もし奪還に失敗してしまったら、ゲンテやリト、アスタを失ってしまうんだわ。

──私に関わった人、皆の命が失われる

──絶対に失敗できない

──絶対に……絶対に……


 心拍数が早まり、少しの眩暈を感じた。ローズはベッドに寝転がり、額に手を当てて目を瞑り呼吸を整える。冷や汗が吹き出し、喉も乾き、身体も少し震えている。


──大丈夫、大丈夫よ

──皆を信じるの、大丈夫……大丈夫……


 暗闇に小さな光の粒がくるくると廻っている。


「ローズ様? いかがされましたか?」

「ゼ、ゼラ! いつの間に」


 目を開けるとローズを覗き込むゼラと目が合った。


「ちゃんとノックしましたよ」


 ドアが開く音も足音も聞こえなかった。よほど自分の世界に入り込んでいたんだろう。

 ゼラはベッド近くに置かれた椅子に座った。


「顔色が悪いですね」

「このチャンスを逃すわけにはいかないわ……でも奪還を失敗したら命がないのよ? みんなの命がなくなってしまうのよ!?」


 ローズはフラつく体を起こし、ゼラの方を向いてベッドの上に座った。


「そうですね。でも皆覚悟しています。それだけローズ様の元に国を返したいんです。今の国を崩壊させて、新しい国を望んでいるんです」

「……でも、でも失敗したら。私、怖いわ。皆を失うことが」

「大丈夫ですよ、俺たちなら。失敗なんてしません」

「でも」

「まぁ失敗しても笑って死んでいくような奴らです。自分たちで決めた事ですから。このまま何もせず、アルニタク国の言いなりになって指をしゃぶって生きているほうが地獄です。死んでいるのと変わらない。だったら、最期まで足掻いてもがいて、自分の道の上で死にたいですね、俺は」


 微笑んだゼラの目には小さな光が宿っていた。厳しい戦いであるだろう。自分が命を落とすかもしれない。そんな状況であるのに、未来を変えられるかもしれない小さな光だけを見失わずに、ずっと見つめているのだ。ゼラはずっとそうだった。ロベリアであったローズを迎え入れた時から、いや、ローズが生きていると知った時から、この男は足掻きながらもずっとその小さな光を追い続けていた。


「ローズ様、大丈夫ですよ」


 ゼラはそっとローズの手を取り、優しく語りかけた。


「……あれ」

「どうしました?」

「……変わらないのね」

「何がです?」

「それは……私にもわからない」

「なんですか、それ」


 幼いローズが怖い夢を見た時に、手を繋いで寝てくれたゼラ。

 手の大きさも声の太さも違えど、ローズを包み込む温もりは変わらなかった。

 心のどこかでローズはそれを感じていた。


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