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51 ゼラが夢見た未来

「待て、ガソウ! さすがに無理だ!」

「そうだ! 気持ちはわかるが、今行っても」

「うるせぇ! 俺は行く!」


 ガソウには劣るが、領内ではそれなりに体格の良い三人の領民に、ガソウは地に抑えつけられていた。うつ伏せになりながらガソウは暴れる。ゼラは馬から飛び降り、その後をローズが追う。


「ゼラ! 助けてくれ。ガソウが言うことを聞かないんだ」

「何があった……っておい、その腕は何だ!」


 ガソウの右腕には血が滲んだ白い布が巻かれていた。中心から外側へじんわりと赤く染まっていく早さを見ると、傷は深く出血も多いと判断できた。


「国のヤツにやられた……カタリが攫われたんだ……! あいつらは俺が支払えないほどの税を要求してきやがった……」

「そんな……!」


 ローズは卑劣な国王に腹を立て、奥歯をギリッと噛みしめ宮殿の方角を睨んだ。


「チッ……カタリが欲しいだけの口実じゃねぇか……!」


 ゼラは舌打ちをして、右足で地面を強く踏みつける。


「今すぐ行かないと。待ってろ、待ってろカタリ!」


 力尽くで三人の領民を振り払い、ローズとゼラが乗っていた馬に手を掛けた。


「待て、国が相手だぞ? 今、皆で行っても一撃だ」

「じゃあカタリを見殺しにしろっていうのか!!!」


 愛する者を奪われた時に、どうしようもできない苛立ちと虚しさに理性を奪われ衝動的になってしまうことはゼラも痛いほど分かる。だからこそ、身を滅ぼそうとしているガソウを必死に止める。


「そうじゃない! だが、今行ってもおまえが死ぬだけだ! おまえはカタリの父親だろう!? 唯一の家族なんだろ!?」

「……っ……でも……でもよ、何もしないなんて俺できねぇ! 黙ってカタリの帰りを待っているなんてできるわけないだろ!」


 ゼラとガソウの論争を見ているローズは自身の心に問いかけていた。


──私はいつまで偽っているの。誓ったじゃない。あの夜、もう逃げないって。


 ローズだと知られることを避けるために変装をした。何も起きなかったのであれば問題はなかっただろう。ただ、今は自分の国で悲しむ仲間が目の前にいる。ここで見て見ぬふりをすることはローズにはできなかった。今、王女として明かしたところでカタリが戻ってくるわけではないが、それでも自身を偽り続けるなんてことはできなかった。


「……ガソウ」

「なんだアルス。おめーも止めるのか!? 俺は行くぞ」

「いえ。その……ごめんなさい、だけでは足りないけれど」


 ローズは深く被っていたフードを脱ぎ、ガソウに深くお辞儀をした。


「私はローズ・ピスキウム。初めまして」

「……は?」


 隠されたフードから明かされた月光のようなブロンズの髪、そしてラークスの血を引き継いだ新緑色の輝く瞳。


「ガソウ、騙していてすまない。アルスはローズ様だ」

「いや意味が分からない……。ゼラ、ローズ様を失った悲しみのあまりアルスをローズ様に見立てているんじゃないのか?」

「そんなことできるかよ。本物だ」

「なんだって……」

「無理もないわ。話すと長くなるけれど、ずっとアルニタク国に閉じ込められていたの」

「アルニタク国に閉じ込められていた……!?」

「えぇ。ピスキウムがなくなったのも、全部アルニタクが黒幕よ。今のアキレギア王もピスキウムの血筋の者じゃない、アルニタクに操られている偽物よ」


 耳を疑う事実に驚倒するローレオ領民は、ごくりと固唾を呑みローズの話の続きを待った。


「ゼラの手によって私は救い出されたわ。でも私は過去の記憶を失っている。アルニタクに閉じ込められた日からの記憶しかないの」

「そんな……ではこのピスキウムはずっとこのままなんですか……」

「させない。絶対に取り戻してみせるわ。だから、今はとても辛いでしょうけど、カタリの帰りを待っていて。唯一の家族なんだから。きっとお父様がここにいたらそうあなたに告げると思うわ」


 娘を養うために、溶けてしまいそうなほど暑くてむさ苦しい鉄工所で働く父の汚れた手。

 娘を守るために、死に物狂いで血を流すまで戦い抜いた父の汚れた手。

 これほどまでに美しく汚れた手があるだろうか。

 ローズは自身の左手に慰めを、右手に決意を乗せてガソウの美しい手を優しく包んだ。


「ローズ様……ラークス様……」


 突如現れた神を崇拝するかのように、ガソウは涙を流してその地に座り込んだ。


「ガソウ、俺たちが動くときに力を貸してほしい。だからそれまで、できるだけの味方と軍事品を集めておいてくれ。もちろん内密にな。ローズ様の元に国が戻れば必ずカタリも戻ってくる。今ある最適解だろう」

「……分かった。アルス、いや、ローズ様に託そう」

「ガソウ、ありがとう。絶対助けるから。あなたの娘も。この国も」

「はい……ありがとうございます……」


 領民もローズの言葉に強く心を動かされたのだろう。絶望しかないと諦めかけていた瞳に光が戻った。足早に自宅に戻り準備を進める者もいれば、仲間内で軍事会議を始める者たちもいた。


「ガソウ、今日は宿を貸してくれねぇか? 今夜は薄暗いから足元が悪い。明朝に急いで帰る」

「あぁ、もちろんだ。ただ客間はひとつしかねぇぞ」

「俺はローズ様の扉の前で寝るから問題ない」

「ゼラ、病み上がりなんだからあなたが使いなさい。私はどこでもいいから」

「このくらい平気です」


 ローズは負傷しているゼラの背中を手の平で叩いた。


「……っ!」

「どこがよ、全く……」

「ははは、お二人は変わりませんな。昔を思い出します」

「あら、ガソウ。私たちを見たことがあるの?」

「えぇ。一度宮殿にお邪魔したことがあります」

「そう……」


 過去の自分を知っている者が現れるとやはり胸が苦しい。自分は覚えていないからだ。相手がローズに優しく接してくれていた人物なら尚更だ。


「ゼラ、俺の部屋でよければ使ってくれ。俺は……今日は寝れそうにない。食卓で本でも読んで夜を越すよ」

「……分かった。無理するなよ」

「あぁ」


 ガソウに招かれた二人が家に入ると、食卓には夕食が用意されていた。


「カタリが二人にって用意していたんだ。よかったら食べてくれ。俺は客間の用意をしてくる」

「美味しそう! 喜んでいただくわ」

「そうですね。カタリ、こんなにも料理ができるようになったんだな……」

「あぁ、カタリの飯は世界一だ! かぼちゃのスープは最高に美味いぞ」


 取り繕った笑顔で去って行くガソウの背中は、カタリがいた先程よりも小さく見えた。無理もないだろう。


「いいお父さんね」

「えぇ。カタリの母親も優しい人でした。流行り病で亡くなったみたいですが……」

「そう……」


 そこから二人は会話をしなかった。

 なす術のない憤りとただ佇むことしかできない虚しさが混沌した感情に、カタリの作ったかぼちゃのスープが冷たく切なく流し込まれた。


 夕食を終え、浴室でシャワーを浴びたローズは、食事と宿泊のお礼を改めて伝えるべくガソウのいる食卓へ近づいた。そこにはゼラもいて、二人はキファレス領が製造しているワインを片手にしんみりとした会話をしていた。水を差すまいとローズはそっとその場を立ち去ろうとしたが、ガソウから自身の名前が呟かれて足が止まった。


「ローズ様、美しくなったな」

「あぁ、そうだな」


──ちょっと嬉しいんですけど!


 自分の話を盗み聞きすることが大得意なローズは、壁に隠れ息を潜めた。


──自分の話が終わったら去りましょう……


「ゼラいいのか?」

「いいのかって何だよ」

「このままだと、どこぞの王子に取られてしまうぞ」

「そりゃ……そうだろ。王女様だからな」

「はー、そりゃ身分だってあるかもしれねぇけどよ。どっかの国の王女様は平民を王子に迎えた、なんて話もあるぞ」

「それは物語の世界だろ?」

「そうかもしれないが……。でも、マーガレット様も王女じゃない。領主の娘であったのにも関わらず妃になったんだ」

「あぁ……婚約当時は賛否両論あったみたいだな」

「ただラークス様とマーガレット様のお人柄を知った国民は、みんなお二人のことが好きになった。それゆえ、二人から生まれたローズ様も愛されていただろう」

「そうだな」

「じゃあゼラだっていいじゃないか」

「そんな簡単な問題じゃないだろ。妃ならともかく、男の俺の場合は王になるのか? とてもじゃないがラークス様のようにはなれねぇよ」


──ゼラが王にならなかったらゼラとはこのまま……?


「どこぞの国は王様が娘のために法律を変えた……なんて噂もあるぞ」

「へぇ、そりゃ娘想いな王様だな」

「ラークス様だってローズ様が望めばきっとするぞ」

「まぁあの方ならしかねないかもしれんが、現実はそうなっていない」


 コツンと空になったグラスがテーブルの上に置かれ、ゆっくりとワインが注がれる音がした。ローズは退散するタイミングが分からず、まだ扉の前で体を潜めたままでいた。


「それに身分違いの恋で苦しむ人は多くいるんだ。そういう人たちも救ってやれるだろ? それに恋愛だけに限らない。家同士の結婚は領地争いにもなるし非道なことだってある」

「だがどうする? 今まで権力で守られてきたものは壊され、権力でねじ伏せられていた人間が容赦なく襲ってくる可能性だってある」

「ふん、そんなのは人柄の問題よ。そいつの人が良けりゃ権力がなくなっても襲われはしないさ。仮に俺に権力がなくなっても領民は襲ってはこない。俺も領民もいいやつだからな」

「……自分で言うなよ」

「まぁとにかくよ、俺はおまえに幸せになってもらいたいだけだ」

「俺は……いいんだよ、たくさんやらかしてきた。今更俺が幸せになる権利なんてねぇ。いくつもの屍を積み上げてきたんだ」

「何、過去のことじゃないか。忘れろとは言わんが、過去を引きずってどうする。未来を見ろ」

「未来、か。……まぁ一度は見たことがあるな」


──ゼラが見た未来?


 考えてみれば国を取り戻すこと以外にゼラから未来の話をされたことがない。過去の十字架を背負いながら今を生きることが精一杯なのであろう。


「記憶喪失のロベリアが婚約者として俺の家に来た話はしただろう? その時、過去を捨てて遠い地へ逃げてしまいたい、二人で幸せに暮らしたいなんて幼稚なことが頭を過った。まぁリトやゲンテ、領民のことを考えたらそんなことはできるはずもないが、その考えが過ってしまうぐらい愛ってのは人を狂わせるな。難しいもんだ、愛だの恋だのってのは」


──そんな未来、私だって一度は……


「それは状況が特殊すぎただけだ。ゼラはローズ様を愛している、大事なことはただそれだけだ。何も難しいことじゃねぇ。壊してしまえ、身分に囚われた楔なんぞ。きっとラークス様がゼラにお伝えしたかったことはそういうことじゃないのか? 首飾りのペンダントだって……」

「……あぁ。そうかもしれない。たが遠い未来の話だ。今はそんなこと考えられない」


 シャンと貴金属が揺れる音がした。ゼラがペンダントに触れたのだろう。


「そうか……。まぁもう遅い。ゼラも汗流して寝ろ」

「あぁ……そうする。ガソウも自分を責めるなよ」

「おまえが言うな」


──私も寝ましょう……


 ローズは足音を立てないよう、ゆっくりと忍び足でその場を離れた。普段は早足のゼラがローズに追い付かなかったのは、彼もまたローズに合わせる顔がないのだろう。遠くを駆ける馬車の音を感知できるほどの敏感さを持ち合わせているゼラが、潜んでいたローズに気づかないわけがない。

 しかし気づかれていないと安堵したローズはベッドに倒れ込み窓から夜空を見上げる。雲から見え隠れする月はまるで悲喜するローズの心を表しているようだった。


──そうよ、どうしてお父様は王女の私に紋章のペンダントを渡さなかったの?

──ゼラに王位を渡したかったということ?

──いや、それならそうとゼラに伝えるはずよ。でも、ゼラはそのことを知らなかったわ。

──それにそんな簡単に王位を渡すわけもないもの。じゃあ何で……どうして……


「お父様……お母様……」


 ぽつりと呟くその言葉を投影した二人の姿はない。だが、これまで出会ってきた者たちが語る両親の姿はいつも明るく、温かく、愛に溢れていた。他人の記憶を通じて知る両親の愛情は、一粒の涙が流れるほどまでにローズの中で育まれていたのだ。


──もしお父様が奇襲を知っていると仮定して、それでいてゼラに渡したとすれば?


──お父様は楽天家だったようだけれど、ピスキウムをここまで安泰に繁栄させてきた聡明な王よ。それに奇襲の被害に遭ったのはピスキウム宮殿の者だけだった。おかしいわ。奇襲をわかっていたら軍事力だってきっと固めているはず……。


──お父様は自分の死を覚悟していた?


 ローズは起き上がり、ブランケットを一枚羽織りバルコニーへ出た。夜風がじわじわと体の末端を冷やしていくが、迷走する頭を冷やすには丁度良かった。


──でも分からないわ。お父様は私やお母様のことをとても愛していたと聞いている。

──もし私がお父様の立場なら、きっと私やお母様に死を覚悟させるようなことはしない。

──でも私がお母様の立場なら、夫と同じ道を歩むわ。そして子供は逃がす……

──逃がす? どこへ?


 ローズが遠い空を眺めていると、右の方からカシャンと貴金属が外れるような音が聞こえ、キィと錆びた音と開かれた窓と共にゼラが現れた。


「ゼラ……」

「ローズ様。こんな夜に外に出ていてはお体が冷えますよ」

「ゼラだってそうよ。病人なんだから」

「俺はいいんです。荒療治です」

「もう……」

「何か考え事ですか」

「…………」

「ローズ様?」


──……そっか

──自分の死も妻の死も覚悟しているなら、女王は必然的に私になる

──つまり紋章のペンダントは私ともいえる

──それをゼラに渡したということは……もしかして


「もし自分に都合の良い仮説があったとしたらゼラは信じる?」

「なんですか、それ」

「どう?」

「そう……ですね。自分がそうなりたいと思うのなら仮説は真実にするまでです」

「真実にする……そうね。その仮説はいつか遠い未来の真実かもしれないわね」


 おやすみと小さく呟いてローズはベッドに倒れ込んだ。未来がそうであってほしいと願う一方で、その仮説が立証された時は、ローズが推測する残酷なピスキウム家の過去も真実となってしまうことに胸を痛めた。


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