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41 ローダンセの誓い

「へぇ。強くなったな、リト」


 リトはソニアの剣に押し潰されることなく受け止め、弾き返した。昔、宮廷の庭で適当な枝木を見つけては、剣代わりにして交えていた。そんな可愛らしい遊びをリリスが見守る中、よくしていたのだ。


「なぁソニア。僕は、ソニアと戦いたいわけじゃない」

「でもピスキウムの味方なんだろ? だったら俺との戦いからは免れない。俺と戦いたくないと言うなら、ローズを殺すんだな」

「それもできない」


 ソニアは容赦なくリトに剣を突き続けるが、リトはいとも簡単にそれを交わしていく。第三者からすれば目にも見えぬ速さだが、お互いにとってそれは昔のお遊びの延長線なのだろう。


「ソニア、ロベリア様を殺してどうするの? 僕の親だって、リリスだって返ってこないだろ」

「……だが、俺の心は晴れる」

「晴れない! 絶対に、絶対にだ!」


 ソニアの突きがひるまった一瞬を、リトは見逃さなかった。自身の剣の一振りに体重をかけ、ソニアの手から勢いよく剣を払った。剣は宙を舞い、路上の芝生にグサリと刺さる。スイセンは主を守るべく、ソニアの前へ瞬時に移動し、隠していたナイフを口と両手に装備していた。


「スイセン、君もそう思うだろ? こんなソニア見たくないだろう?」

「……」


 ナイフを装備しているがために黙っているのか、発したい言葉は君主に反するためにあえて黙っているのか分からないが、スイセンは首を縦にも横にも振らなかった。

 ソニアが生まれてから今日まで、スイセンはずっと側にいた。ゆえに、リトもスイセンのことは知っている。スイセンの家は代々、レポリス家の執事として従事してきた。ソニアが誕生した時、スイセンは二歳だったが、早くも彼女の運命はこの時に決まった。


「……スイセン、下がれ」


 スイセンはナイフをしまい、そっと下がった。


「ソニア、僕も過去から目を背けていた。でも……きっとそれじゃ僕たちは進まない。僕たちの故郷は、あの日惨敗した時のままだ」


 リトは剣を降ろし、ソニアに語りかける。


「正直、僕もピスキウム家を許したわけじゃない。憎くて憎くて……ロベリア様がそうだと知ったとき、一瞬だけ殺意が過ったことは認める」


 ゼラからロベリアの本性を打ち明かされたあの日だ。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、ピスキウムという言葉に反射して殺意が過ったのだ。


「だったら! だったら何で殺さない!? すぐ傍にいるのに!」

「できるわけないよ。僕はもう、ロベリア様のこともゼラくんのことも好きだから」


 だからこそ、今日、この場に来たのだ。

 ゲンテから事前に情報は得ていた。ゲンテの操縦する馬車が出発してからも、リトは自宅でずっと悩んでいた。

 自分の手を汚さずに、恨めしい二人がいなくなってくれるかもしれない。

 でも自分の手を汚してでも、大好きな二人のことは助けたかった。

 そのくらい二人のことを愛していた。

 リトは家を飛び出し、ここへやってきた。宮殿の外で待機しているゲンテと合流したのだ。


「…………どうしてだ。忘れたのか、親のことも俺たちのことも!」


 ソニアは憤りの中に孤独を感じているのか、寂しげで憂いに満ちた表情を浮かべていた。


「違う! そんなわけない! ただ、きっと僕たちにも正義があるように、彼らにも正義があった。守るべきものがあった。ただそれだけのことなんだ。どっちが悪いかなんて……言えない」


 リトは立ち尽くすソニアに一歩近づいた。


「だから何なんだよ……そんなことはとっくに分かっている……分かっているんだ! でも……事実は変わらないだろ……」


 心の置き場所を失ったソニアは、喪失感に苛まれガクンと膝をついた。


「それでも、前を向いて歩いて行かなきゃ。ロベリア様を見て、僕はそう思えるようになったんだ。彼女ならきっと何とかしてくれる。僕はそう信じている」


 変えることのできない過去に囚われ、変えることのできる未来までもこの手で囚われるものにしていた。そう気付くまでには、幾つもの悲痛な夜を過ごした。

 しかし過去は肥料となり、ゼラの出会いが水となり、ロベリアの出会いが太陽となり。土の中で眠っていたリトは、真っすぐ太陽に向かって伸びる樹木のように大きく逞しく成長を遂げていた。


「…………分かったよ」


 そう呟くソニアの瞳からは殺意が消え、ソニアを優しく包みこむリトの瞳を真っ直ぐに見ていた。剣術の勝敗はついていないものの、完全にリトの勝利だ。


「リトがそこまで言うなら……少しだけあの女を信じてやるよ」

「うん。ロベリア様は優しくて強かで、とっても素敵な女性だよ」


 リトは今まで何もなかったかのように、そっとソニアの前に手を差し出すも、ソニアはリトの手をすぐさま払い、俊敏に後ろに下がった。ソニアは再び戦闘態勢に入ったが、リトはソニアから殺意を感じなかった。


「ソニア?」

「すまないリト。……いいか、今から俺の言うことに動揺するな。そして振り向くな。分かったか」


 水流で掻き消されてしまいそうなほど、小さな声でリトに告げる。


「うん」

「東の窓から、フォセカ王女が見下ろしている」


 ソニアの帰りが遅いことに不信感を覚えたのか、会場を抜け出して窓から見張っている。窓のある高さからして、口の動きまでは見えないだろうが、現場の様子は伺うことができる。幸か不幸か水路周りに聳え立つ木々も、ソニアとリトの二人だけは隠すことはしなかった。


「みたいだね」


 リトもその視線はなんとなく感じ取っていた。


「だから……おまえは俺の右腕を斬るんだ。その瞬間、俺がよろつく。その隙に逃げるんだ」

「……! いくらなんでもできないよ」

「なにも腕を切断しろと言ってるわけじゃないんだ。お前はここで俺らの国を見捨てるのか?」

「それは……」


 ソニアが前を向こうとしている。ロベリアを信じようとしてくれている。その気持ちに応えたいが、友人に危害を加えることなどできるはずがない。だが、フォセカが見ている手前、痛みを伴わない逃げ方がないことも、リトは理解している。それに傷が一つでもあれば、ソニアもフォセカへ誤魔化しやすい。


「ローズに賭けているんだろ? なら、そうしろ。それに……これは俺の罪滅ぼしでもある」


 不変な過去と残酷な未来に剣を向けた自分に。

 今を生きることに背を向けた自分に。


「……ソニアはその後どうするの」

「さぁな。フォセカ王女次第ってところだろうが、まぁ上手いことやるよ。俺の心配はするな」

「……でも」


 その一連を見ていたスイセンがリトに頭を下げる。スイセンが立つ位置は、フォセカからは木が邪魔をして自身の姿は見えないと判断しての行動だろう。


「リト様。どうかお願いします。主を傷つけようなど、従者として失格かもしれませんが」


 水飛沫がついていたのだろうか。スイセンの顔からポタッと水滴が零れ落ち、水路へと流れていく。

 

「私は、かつてのソニア様と未来を歩みたいのです」

「スイセン……。ほら、リト。斬ってくれ。王女に気づかれる前に」


 ソニアが「来いよ」と言わんばかりに、体を開く。

 リトを見つめたその緋色の瞳は、あの日の少年のように純粋に輝いていた。


「ねぇ、ソニア。ローダンセを覚えている?」

「あぁ、忘れたことなど片時もない。もちろん、これからもな」

「僕もだ」


 腹を括ったリトは両手で剣を持ち直した。

 二人の間にローダンセがあるのなら、きっとこれからも大丈夫だ、と。


「ごめん、ソニア」

「謝るのは俺の方だ。ローズとゼラに伝えてくれ」

「……うん」


 リトはごくりと固唾を呑み、すぅと息を整える。剣に迷いはない。リトは剣を振りかざした。当然ソニアに痛みは生じるが、それでも少しでも痛くないようにと急所を避け、丁寧に正確にそして素早く――友人を斬る。


「っあ゙……!!!! がはっ…ああ゙ぁあ゙ッ…!」


 ソニアは痛みに耐えていた。ギリギリと歯を喰いしばり、腕を抑える。


「……ソニア!」

「く、来るな、行け! ……またな、銀髪」

「……うん。またね、金髪」


 リトの両手に残ったソニアの感覚。

 もう一生知ることがないように。

 それでも忘れることのないように。

 きつくきつく握りしめた掌は、爪が入り込み血が滲む。そんな痛みなど、ソニアに比べたら些細なものだと、リトはがむしゃらに走り出す。


 ふと夜空を見上げ、あの日の誓いを思い出す――。



「ローダンセは、色褪せることのない永遠の花とも言われています。そのことからこの花には『終わりのない友情』だなんて意味もあるんです」

「へぇ、じゃあ俺たちにピッタリだな、リト! 俺はこの友情をローダンセに誓う!」

「うん、僕も誓うよ」

「よし! これから何があっても俺たちは友だちだ」



「――っ……ぅ……うあっ……うわぁああ゙あ゙ぁあ、ぅぁあ゙あぁああ゙!!」


 苦しくて悲しくて悔しくて。胸を締め付ける全ての感情をを逃がすように、声を上げ涙を流し、地に八つ当たりしながら足を踏み込み、夜風に切りつけられながらただひたすらに走った。血が流れるほどに友人を斬りつけることが一番の友情となるなんて。


――それでもあの日のローダンセは枯れることを知らない。


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