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40 切り裂かれる闇

「ロベリア様、ゼラくんを助けてくれなきゃ……許しませんからね」 


 リトはソニアを睨んだまま、振り返らずロベリアに告げる。


「ロベリア様! こちらへ!」

「……ゲンテ!」


 リトの登場と共にゲンテの馬車が路上で構えていた。ゲンテはどこかでリトと合流したのか。そもそも、なぜリトがここに来ていたのか。ロベリアには分からなかったが、それは生き残ってからゆっくり話せばいい。


「早く行って!」


 普段の温厚なリトからは想像ができないほど荒々しい声に押され、ロベリアは先を急ぐことに。ゲンテはゼラを抱きかかえ馬車へと入り、ロベリアも後に続いた。この状況でスイセンが手を出さなかったのは、主人が最後に出した命令を守っていたからなのか、それとも彼女の判断か。


「急ぎます。ゼラ様をよろしく頼みますぞ」

「えぇ。でもリトは!」

「今はリト様を信じましょう」


 ゲンテはかつてないほどの猛スピードで、キファレス領へと馬を走らせて去って行った。


 無事に仲間を逃がしたリトは、ソニアと対等に話していた。庭師と王子の関係ではない。


「リト……生きていたのか」


 ソニアはスイセンを控えさせ、リトに近づく。リトは体勢を変えずに剣を構えたままだ。


「ソニアは……死んだんだね」

「どういうことだ」

「僕が知ってるソニアはもういない。出会った頃のソニアは――」


 

 リトの家は品揃えが多くて有名な花屋だった。母親は店頭に立ち、父親は配達や庭師の仕事で外に出ていることが多かった。跡継ぎ予定のリトも将来のために父親の業務に何度も連れ回され、手伝わされていた。

 ある日、レポリス宮殿の専属庭師が年老いたことから、リトの父親は庭師として国から雇われることになった。リトの父親は王宮で噂されるほどの腕の持ち主だったのだ。そこで、六歳のリトと十歳のソニアは出会う。


「ねぇ、銀髪」

「なんだい、金髪」


 リトがその返答をした瞬間、たんこぶができるぐらい父親に思いっきり頭を叩かれた。第二王子に向かってその返答は、ロンクルス家の死活問題にもなりうる。


「……ぷはは! 構わないさ。君、名前は?」

「リト。リト・ロンクルスって言う……ます」


 敬意というものがいまいち理解できていないリトはたどたどしい敬語で答えた。


「リトね。気に入ったよ。俺はソニアだ」

「ソニア……様」

「ソニアでいい。リト、今日から僕たちは友だちだ。俺を王子だと思わないでいいよ」


 「そんなことは!」と父親が横から入る。たとえ王子がよくとも、周りの目もあるだろう。


「なら、俺を王子だと思うな、というのが王子としての命令だ」


 父親は吹き出る汗をハンカチで拭いつつ「そうは仰いましても」とやんわり断りを入れるが、その光景にリトは首をかしげていた。


「ソニアがいいって言うんだから、いいんじゃないの?」


 無垢な少年、リトはそう答えた。父親はまた拳が出そうだったが、今度叩いてしまえば、王子であるソニアの命令にも反していることになる。もどかしいまま拳をしまった。


「そうそう! お父様にも伝えておくからさ。で、今日は何の花なの?」


 宮殿の玄関へ飾る花は、王家の品質を損なわないよう、リトの父親が目利きして厳選されたものを使用している。


「今日は、ローダンセ」


 真剣な眼差しで花瓶に活ける父親の代わりに、リトはソニアに返答した。鮮やかなピンク色で染められた花弁に、中央には黄色に粉ふく雄しべと雌しべ。玄関を彩るには相応しく、華やかさと高級感を演出している。


「へぇ、初めて聞いたよ」

「僕たちの国では咲かないんだって」


 父親が花瓶とのバランスを整え、剪定していく。リトはその横で活けるのに不要な葉を取ったり、処分する茎をまとめたりと補助をしている。


 「あぁ、そうだ」と父親が二人を見て微笑んだ。


「ソニア様とリトにぴったりの花ですよ。そして、いつまでもそうであって欲しいと願います」


 父親がそっと囁いたその言葉は――



「――いや、もう過去のことだ。僕は今のソニアがとっても嫌いだ」

「それはこっちのセリフだね。どうしてピスキウム家を助ける? お前も憎くて憎くて仕方がない相手のはずだろう!! 親を殺した、人殺しも同然の国だ!!!」

「……ソニア、もうこんな真似はよせ」


 ソニアを見るリトの瞳は、ひどくひどく悲哀に満ちたものだった。かつての友人同士が剣を向き合っているなど、幼き頃には想像もしなかっただろう。


「本当、どうしちゃったんだよリト。……あぁ、そうか。戦後のレポリス国を知らないんだな」

「……知らない」


 一呼吸置いてそう答えたが、知らないはずがない。大好きだった故郷のことは。だがリトがゼラの家で調べ上げた歴史しか知らない。それを知った後は、受け入れがたい現実に目を背け、故郷に帰ることもせず、郷友の声には耳を塞いだ。そうやって自分の心を守ってきた。しかし今、リトが知らなかった歴史が一つ増えることになる。


「戦後しばらく、俺たちはギェナー国の支配下に置かれていた。……リリスが嫁ぐまでは」

「…………!」


 リトが構えていた剣が少しだけ揺れた。ソニアの言葉に心がかき乱されたのだ。

 『戦闘は冷静さが欠けた瞬間、負けを受け入れたのも同然だ』と、いつしかゼラに教わった言葉を思い出し、すうっと深呼吸をして冷静な自我を取り戻す。


「リリスと三人でよく遊んだな。リトといる時のリリスは一段と楽しそうだった」

「そうかな。ソニアの前でも同じだったと思うけど」

「……俺はリリスが幸せなら、リトでも構わなかった。いや、リトが良かったんだ。爵位だとか身分だとか、そういうものはどうでもよかった」


 切なさと同調するかのように冷たい夜風が二人の間をすり抜ける。


「……何を言っているのか分からない。そんな幼い時の感情なんて忘れてしまったよ」


 忘れるわけがない。小さな少年が初めて抱いた恋心は。

 でも忘れなければならなかった。叶わぬものだったから。


「リリスはリトが死んだと認めずに、いつまでもおまえを待ち続けていた」

「……そう」


 家が消滅し、家族を亡くし、戦地で数多の殺し合いを目の当たりにした。小さなリトは、自分のことで精一杯だ。故郷のこともソニアのこともリリスのことも、考えるほどの余裕はなかった。

 いつしかそれは後ろめたさとなり、故郷へ帰ることを拒んでいた。


「なぁリト。おまえならあの(ローズ)に近づいて殺すことができるんじゃないか? あいつがいるからリリスは……リリスは!!」

「……殺せない」

「なんでだ? あぁ、ゼラの監視があるからか」

「違う。ロベリア様もゼラくんも僕が守る!」


 リトは剣を再び構え、ソニアを睨んだ。ソニアは左手を肩に置き首を左右に揺らし、スイセンから剣を奪う。スイセンは「えっ」と驚いた声を小さく上げたが、それを取り戻そうとはしなかった。


「……昔みたいに遊ぼうか、リト」


 ソニアの剣はリトに襲い掛かり、静寂な暗闇を切り裂くかのように金属音が高く鳴り響いた。

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