28 揺れる心
「ったく、なんでおまえは盗み聞きしてるんだ」
ゼラはリトを追うこともせず、ゆっくりと登場した。
「い、今ちょうど来たところよ」
「嘘つくな、最初からバレバレだ」
ロベリアがいると分かっていながら、話をやめることをせず続けていた。ここまでも計算されていたのかもしれない。
「……泣いているのか?」
「違うわ、ゼラの話が長くて退屈してただけよっ」
「盗み聞きしたこと認めるんだな」
「あっ」
思わず自白してしまった。ロベリアは目を泳がせ、口をすぼめた。
「別に構わねぇよ。昔の話だ」
ゼラは話しながら部屋へと戻っていく。緊張感など忘れ、切ない気持ちを胸にロベリアはゼラの後に続き、二人はソファへ座った。ゼラを知り得たロベリアに警戒心はもうない。
「リト大丈夫かしら……」
「あとはリト自身の問題だ。あいつが自分と戦うしかねぇよ」
ゼラはリトを信じているのだろう。心配する素振りは一切見せなかった。
「そう……。リトがそんなこと思っていたなんて意外だわ」
「……当時、リトは部屋に籠りっぱなしだった。街へ出ようともしなかった」
「戦地を見ているんだもの、無理もないわ……」
「ただ庭園だけは時々訪れていた。後から知ったが、リトの家は俺が幼い頃に行った花屋の息子だった」
ゼラの母親が大切にしていたゼラニウムを潰してしまった償いにと、隣町へ買いに出かけたあの花屋だ。
「なんだか運命って感じがするわね」
「……おまえそんなロマンチストだったか?」
「いいじゃない! 乙女なんですもの!」
「乙女ねぇ……」
ふん、とゼラは鼻で笑うも、優しい目元をしていた。
「もう! いいから、続けなさいよ!」
「ったく……。だからリトにキファレス家の庭の管理を任せた。そしたら見る見るうちに元気になって今のリトに至るってわけだ」
「そうだったの……。ねぇ、リトってどうして一緒に住んでいないの?」
リトはキファレス家に通う庭師だ。家族がいるならば通いでも話がつくが、既にこの世にはいない。それにキファレス家はリトにとって第二の家でもあるはずだ。
「おまえ変なところで鋭いな」
「だって領主ってわけでもないし、まだ成人すらしていないのに……」
「さっき、リトが俺を殺そうとしたって話あっただろ」
テーブルに置かれた観葉植物に触れた途端、ゼラはすくっと立ち上がりバスルームへと消えた。
「ゼラ?」
数十秒して出てきたゼラの片手にはジョウロが握られていた。
冷酷非道と悪名高いゼラ・キファレスが、植物に水やりをするのだ。似合わないにも程がある。ロベリアは腹を抱えて笑い転げた。
「ちょっとなんで真剣な話をしているときに、水やりなんてするのよ!」
「うるせーな。今日の水やりを忘れてたんだ。さっきリトに怒られたのを思い出したんだよ」
てっきりリトが世話をしていると思っていたが、ゼラが担当しているようだ。きっとそこにも兄弟だけの何かがあるのだろうが、ロベリアは笑いが収まらなかった。部屋中に置かれた植物に水をやるために、歩き回りながら喋る。先程、リトとこの日の話をしたときも笑っていたが、重い空気にしないためのゼラなりの配慮だろう。
「話を戻すが、その次の日にリトから言われたんだ。一人暮らししたいって」
「一人暮らし?」
「理由は聞かなかったが、まぁ俺と距離を置きたかったんだろうな」
「一緒にいたら苦しいってことかしら……」
「魔が差したら殺してしまうと思ったんだろ。俺はリトなんかにヤラれねぇってのにな。まぁ、元々俺が勝手に連れてきただけだ。リトを縛りつけておく理由もねぇ。だから近くの空き家にリトを住ませた」
「不安だった?」
「最初はな。だから庭師として契約を交わした。仕事として毎日来い、と」
水やりを終えたゼラはソファの横にジョウロを置き、再びロベリアの横に座り直した。
「そこからは見守ることしかできなかったが、リトは真っすぐに育った。だから今回もリトなら大丈夫だ。きっと自分で自分の殻を打ち破る」
変えられない過去に憤り、身分の高い者を無条件で嫌い、リトの心を蝕む深い闇。誰も手を差し伸べることはできない。
「まぁ俺らの話はこんなところだ。ところでロベリア、俺に用があったんだろ?」
「あぁ、そうだったわね……」
ロベリアの心は揺れていた。
リトがピスキウム家を嫌っていると知った時、不安と恐怖に苛まれた。リト一人を相手にしているだけでも、心が騒めくのだ。女王となれば数え切れない程の人数が待ち受けているだろう。
――一度決めたことだけれど……こんな揺れ動くような弱い心じゃダメだわ
「……忘れてしまったわ」
「俺はてっきり女王になると言いに来たと思ったんだがな」
「……忘れたって言ってるでしょ」
ゼラは相変わらずロベリアのことはお見通しだ。ロベリアはぷいっとゼラから顔を反らす。
すると身体がソファに倒れ、見ていた視界が九十度傾いた。覆いかぶさったゼラにくるっと体を半回転させられ、仰向けになる。ロベリアはゼラの青い瞳に捕らわれた。
「ちょっと何よ急に! 離れなさいってばっ……!」
「女王様になる気がないなら……なぁ?」
じりじりと迫りくるゼラ。両手でゼラの胸を抑えつけ反抗するも負けてしまう。ゼラの唇がロベリアの唇に向けてゆっくりと近づく。
「な、ないわけじゃないけど、これも嫌よ!」
「ふぅん……?」
「ど、どきなさい! ゼラ・キファレス! これは王女ローズの命令よ!」
王女という立場を使って抑制すること二回目。違和感を覚えるも、手っ取り早くゼラを撤退させるにはこのセリフが一番効く。降参したゼラは仕方なくロベリアから離れ、少し拗ねてみせた。
「……そういう時だけ王女に戻るなんてずるいですよ、ローズ様」
「ゼラが変なことするからよ」
「婚約者なら構わないでしょうに……。あぁ、そうだ。ロベリアに話がある」
ゼラは立ち上がり書斎の机の上に置かれていた一通の手紙を差し出した。
「何よこれ」
「俺とロベリアに招待状だ。手紙の差出人を見てみろ」
ゼラから手紙を受け取り、送り主を確認した。
「フォセカ・アルニタク……!?」
「あぁ。王女様からパーティにご招待だ」




