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02 鬼畜剣士 ゼラ・キファレス(1)

 

 応接間に着いたロベリアは、一瞬にして重たい空気を感じ取った。目の前には、冷酷非道で殺人狂とも噂されているキファレス領の主、ゼラ・キファレスが腰掛けていたのだ。ランジよりも爵位が上の辺境伯だ。


「……ロベリアをお連れいたしました」


 ランジがゼラの様子を伺いながら重く口を開く。ランジやローラス、使用人までもが、どうしてロベリアが指名されたのかと怪訝な顔を浮かべている。


「あぁ」


 ゼラは獲物を捕らえたかのように鋭い目つきで、ロベリアを睨んだ。左目をかすかに覆う濡羽色の前髪からは、深海のような碧色の瞳が垣間見せている。ゼラは貴族であるが、宮廷の剣士にも劣らないほどの鍛えられた体つきをしている。


──これが、あの噂のゼラ・キファレスなのね……


 キファレス領地は、アルニタク国の財源と言っても過言ではない土地だ。国の主食である小麦、豚や鶏などの家畜、さらに他国との貿易にかかせないこの国一番の金目であるワインは、全てキファレス領から産出されている。そのため、金銀財宝に目が無い国王からの贔屓を受けている領地ではあるのだが、ゼラという男に関しては国王も一歩引いていた。


 年齢はロベリアより二つ上の二十歳。妻子もいないことから、本来なら近づく令嬢も多いはずだ。しかし『かつて多くの人を無造作に切り殺した』『領民を脅迫して税や作物を搾取している』などと、真実は分からないが、非道な噂が飛び交う王宮では誰も近づこうとするものはいなかった。だが、フォセカに鍛えられたロベリアはそんな噂など恐れず、愛想なく話す。


「……私が何か?」


 怯むことなく話しかけるロベリアを横目に、ゼラはロベリアの質問を無視してランジと話を始めた。


「……王女フォセカ様より、ロベリアにある命令が下されている。ランジ、ロベリアの養父であるならば責任を全うしてもらいたいのだが?」


──結局、ゼラ・キファレスにとっても、私は玩具なのね。


 目の前に当の本人がいるにも関わらず、無視して話が進められることに不快感を覚えた。ロベリアは口を挟みたいところだったが、ここはじっと堪えて様子を見ることにした。


「私がこいつの責任をと……?」


 ランジが机を叩き立ち上がる。重い空気に亀裂が入った。後ろで見ていたローラスも、傍で構えていた使用人も肩をビクッとさせた。動じないのはロベリアとゼラだけだ。


「ロベリア! 何をしたんだ!」


 ランジが叫び、横にいたロベリアの胸ぐらを掴んだ。女性に、ましてや養女にする態度とは思えない。


「私は何もしていませんわ!」


 ロベリアは、取り巻きの任務を命令通りに全うしていただけだ。フォセカへの暴言も暴行も、全部教育された“役”にしか過ぎない。ロベリアは、ランジの野性的な腕を両手で掴み抵抗する。


「ランジ、今は俺との話の最中だ」


 ゼラは自身の左腰につけた剣に、そっと触れる。剣を抜いたわけでもないのだが、この場にいるロベリア以外の者は、背筋が凍り冷や汗を吹き出した。ランジはロベリアを突き放すように、掴んだ手を離し、ゼラとの会話を続けた。


「キファレス様、私はロベリアが学園での生活を不自由なくできるよう、養父として縁組をしました。ですがロベリアは学園を追放された身。明日にでも縁組を解消いたします。いや、もう私の中では解消しています。よって、私には責任義務はもうありません!」


 責任を逃れたい一心で、実に説得力のない言葉を叩きつけた。早口で話し終えたランジは、小さく息切れをしている。その姿を面白がるようにゼラは口端を持ち上げ、ふんと鼻で笑った。


「……分かった。では、今ここで書面をもらってもよいか」

「えぇ、もちろんです!」

 

 この瞬間を予期していたのか、ゼラは養子縁組を解消する旨の書類を出した。ランジは羽ペンにインクをつけ、手早にサインをして押印をした。あとは役所へ提出するだけだ。


「確かに。これであなた方は、今をもってロベリアと赤の他人だ」


──何を勝手に!


 ロベリアはもう耐えきれなかった。勝手に事が進んでいく光景に嫌気が募り、ついに口を挟んだ。


「お待ちください。責任とは何ですか? 私、見当がつかないのですけれど」


 もう誰にも従う必要も合わせる必要もない。何せもう学園を退学させられ、養子も解消されてしまったのだから。怒りを露わに両腕を組み、ぶっきらぼうに質問する。ソファに座っているゼラを鋭い目で見下ろすことができる命知らずな令嬢は彼女だけだろう。


「ロベリア、おまえを婚約者としてもらい受けにきた」

「……はい?」

「十秒で荷物をまとめてこい」

「……」


──悪評高いキファレス領なんかへ行ったら、いつ殺されるか分からないわ……。今度は、ゼラ・キファレスの玩具になるだけよ。もしくは、売り飛ばされるか……


 ロベリアは、そんな地獄のような未来を安易に想像できた。しかし婚約を喜ぶ者もいた。数秒前まで養父だったランジだ。養子ロベリアとキファレス家が繋がれば、アークリィ家としても鼻が高いからだ。


「あぁ、そういうことでしたらキファレス様。やはりロベリアはまだ子供ゆえ、私どもの養子として再教育を……」


 シュン、と瞬く速さでランジの首元にゼラの剣が寄せられた。精錬された高貴な刃に映る自身の顔を見たランジは、硬直している。


「見苦しいぞ、ランジ・アークリィ」


 獲物を横取りされた猛獣のように、殺意と憎悪を込めた声が静まりかえった部屋に響いた。


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