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25 可愛い人


「アスタ、私は……」


 ロベリアが口を開くと、アスタは彼女の口に勢いよくアップルパイを突っ込んだ。


「ふごっ!?」

「ふふ、ロベリア様。きっと私より先に話すべき方がいらっしゃいますわ」


 ロベリアは小動物のようにもしゃもしゃと口を動かしアップルパイを食べ、言いかけた言葉も一緒に飲み込んだ。アスタは微笑み、自身は淑やかにアップルパイを口にした。


「……ちょ、ちょっとアスタ!何するのよ」

「それで、そのお方ですけれどもっ」


 アスタの目が三日月のように細くなり、口端が上下に動いててにやつきを堪えている。何か企んでいるに違いない。


「な、なによ。ゼラとは何もないわよ!?」

「あら? ゼラ様だなんて一言も言ってませんけれども?」

「……っ! からかわないでよ!」


 ロベリアは口を膨らませ、アスタを睨んだ。耳が赤くなっており、誰が見ても照れ隠しにしか見えない。


「からかってなんていませんわ」


 アスタはロベリアのふくらんだ頬を人差し指でつついた。


「もう……」

「ゼラ様に恋をされましたか?」

「こっ……!?」


 ゼラを想うときゅっと締め付けられる胸の痛みも、ゼラを目の前にするとうるさくなる心臓の音も、きっと恋という一文字で片づけられるだろう。でもロベリアは受け入れたくなかった。


――あ、ありえないわ! ゼラ相手に恋だなんて……


「ふふ、隠さなくたっていいじゃありませんか。……ご令嬢が恋愛結婚だなんて素敵ですわ」

「アスタ……?」

「ずっと気になっていました。ロベリア様のお気持ちはどうなんだろうって……」


 ロベリアの親友、ジャミのように恋愛結婚できる令嬢はごく僅かだ。令嬢は、親の政略のために名家の子孫繁栄のために、決められた相手と結婚する。アスタは話を続けた。


「今のお二人は心を通わせていらっしゃるように見えますわ。でも……どこか切なくも見えてしまいます」

「……私が多くの人の幸せを願うなら、ゼラとは結婚できないわ。たとえ愛していても」


 愛し愛されし人がいろうとも、身分が弊害となりどうすることもできないことだってある。ロベリアが女王となる選択を取るならば、ゼラとの運命は決められている。


 アスタは「なるほど……」とつぶやき、急に立ち上がるやいなや鞭を手に取りバチン!と一打ちした。


「ひっ!? どうしたの急に!?」

「ロベリア様、女は欲張って生きてこそですわ! 多くの方々の幸せも願って、結婚もすればいいんです! どっちか選ぶ必要なんてありませんわ、どっちも選んでしまえばいいんですの!」


 両方を取る考えがなかったロベリアは目を丸くした。

 

「それに、ロベリア様が多くの人の幸せを願うならば、その者たちはロベリア様の幸せを願います」

「私の幸せを……?」

「えぇ。それには時間がかかるかもしれません。全ての人から認められることは難しいことかもしれません。でも、人の痛みも悲しみも愛も知っているロベリア様なら大丈夫ですわ」


 アスタはゆっくりと微笑んだ。


「……それは、歴史を変えるようなことであっても?」


 両方を取るならば、この国の身分制度に背くことになる。


「はい。……ロベリア様、変えてくださいますか?」

「アスタ……もしかして」


 アスタはロベリアの口に人差し指をあて、首を横に振る。彼女はロベリアがローズだと最初から分かっていたのだ。だからこそ、誰かに尋ねることもしなかった。記憶もなく名前も違えど、ゼラの横にローズがいる。たとえ背景に何かあったとしても、関係ない。


 ただ二人が一緒にいること、それだけでいいのだ。

 ゼラとローズの幸せを、遠い昔から願っていたのだから。


「誰しもが愛する人と一緒に生きられる世界に。私はそう願っています」


 アスタの目はどこか寂しげだった。彼女が結婚していない理由もここにあるのかもしれない、とロベリアは察したが尋ねることはやめた。


「そんな世界、素敵ね」

「そうなれば、ゼラ様と結婚できますわね」

「……っ! そうなってもゼラなんかと結婚しないわよ!」

「ならゼラ様が他のご令嬢と婚約されてもいいんですの?」


 アスタにかけられた言葉にロベリアの胸はすんっと空洞になった。満たされていた何かがごっそりと取られてしまったような、抜け殻の自分が感じられた。


「そんなの……。散々たぶらかしておいて他にいくなんて癪だわ!」


――でも、その未来がないとは言いきれない。なんだか……それは嫌だわ……


「まぁゼラ様は一途ですから。そのような心配はないでしょうけれど」


 アスタは紅茶を飲み干し、ふぅと一息ついた。


「人生、予期せぬこともあるのです。だからどうか、愛する人の手はしっかりと握っていてくださいませ」


 そう笑顔で返してくれたものの、いつもの力強いアスタの姿はそこにはなく、少し憂いを帯びていたようにロベリアは感じた。未来の見えない暗い夜を越えた朝焼けの瞳。それでもどこかまだ夜の名残がある。遠い過去と愛した人がいるのだろう。彼女の夜明けはもう少しかかるのかもしれない。


「アスタ……」

「……さっ! そろそろお開きにいたしましょう。とっても楽しかったですわ! ロベリア様、もっと素直になればよろしいのに」


 ふふっと笑いながら、アスタは皿やカップを慣れた手つきでトレイに片付けた。


「だからそんなんじゃないってばっ」

「も~、本当可愛いお方ですわね。では私はこれで失礼いたしますわ。あ、ロベリア様、本日の課題ですけれども」

「えっ」


 ロベリアはすっかり気を抜いていたが、スパルタ指導のアスタに抜かりはない。お茶をして距離が縮まった今日とて課題は出される。


「ロベリア様の決意をゼラ様にお話すること。これが本日の課題ですわ」


 アスタは一礼をして、部屋を去っていった。


◆◆


 アスタが去り、数十分後。ロベリアはゼラの部屋へ向かっていた。ちなみにこの数十分間、ロベリアは何度もゼラへの告げ方を考えては、シミュレーションを重ねていた。


「これは課題だから仕方なくよ、別にゼラに会いたいわけじゃ……」


 ブツブツと呟きながら、腰高窓がずらーっと並べられた廊下を歩く。以前のように、ゼラの部屋へ行くことの恐怖はなくなっていた。


「……いざ言うとなると緊張するわね。でも、国を揺るがすことですもの当然よ。でも言ってしまったら……。……いいえ! そんなことは女王になってからよ!」


 堂々巡りをしていると、あっという間にゼラの部屋の前に到着した。大きく深呼吸を一回。震える手で扉をノックをしようとしたが、ドアが少し開いていた。中からゼラの声が漏れてくる。


「可愛いな、おまえ」


――えっ、今、可愛いって言った!?


 一瞬頬を赤らめたロベリアだが、それは彼女に向けられたものではなかった。キファレス家はペットを飼っておらず、赤ん坊がいるわけでもない。可愛いと向けられる対象物はないはずだが……。


――ゼラの他に誰かいるの!? 予期せぬことって、こういうこと!?


 アスタと恋愛話をしたばかりだからか、ロベリアの胸はより一層ざわついた。


――気になるわね……


 ロベリアは入室することをやめ、ドアの前で盗み聞きをすることにした。


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