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21 貴女へ

「お迎えって……えっ!?」

「貴女の本当の名前は、ローズ・ピスキウム。ローズ様、遅くなったご無礼をお許しください」


 ローズがロベリアとして学園に姿を現した二年前。すぐに手を打つことはできなかった。黒幕であるアルニタク国の王女、フォセカを取り巻いていたからだ。本来、取り巻きと呼ばれる立場は王女の味方である。しかし、敵でありながら近くにいるこの状況は、やはりローズの意思ではなく裏で動かされていると考えるのが妥当だった。さらにローズの様子がおかしい。ゼラは幾度か目が合ったが、ゼラの存在を「ゼラ」だと認識せず、イチ領主として見られていることを感じ取った。かつてのローズの面影はなく無機質だった。


 ローズが記憶を失っていることは、後に風の便りで知ることになる。この状況を把握したゼラは下手に動いてしまえば、ローズの命もなければ国を取り戻すこともできなくなると判断し、妻として迎え入れが可能な時期まで待つと苦渋の決断をしたのだ。幸いにも辺境伯であり、国の経済基盤を支えているキファレス領主であるがゆえに、他の領主よりは勝っている。ロベリアがアークリィ家の養女という身分もゼラにとっては都合が良かった。

 いよいよ卒業間近になり迎え入れようとした矢先、フォセカから命令があったのだ。どうやらフォセカは、ゼラがピスキウム宮殿にいたことを知らないらしい。これまた好都合だった。

 そして今に至るのだ。

 ロベリアには、ゼラが冗談を言っているようには映らなかった。なんとなく話の内容は理解できたロベリアだが、当然受け入れられるわけでもない。


「……私がローズ?」

「そうです」

「私は隣国の王女?」

「はい、ローズ様」

「でもその話だと、私が女王として隣国に戻るという……?」

「左様でございます」


 一転した立場に、全てが他人事のように思えてしまうロベリア。事実を受け入れられない以前に、ゼラのその口調が受け入れられない。


「それよりその口調、やめなさいよ、調子が狂うわ。いつも通りにしてちょうだい」

「ローズ様がそう命ずるのであれば」


 ロベリアを茶化してニヤニヤしていたゼラは、どこへ消えたのだろうか。

 ここにいるのは、ゼラからいつものゼラを取ったようなゼラだ。つまりロベリアにとって、目の前にいるのはゼラではない。


「もう、そのローズ様もなしなし! ……こ、これは女王命令よ!」


 ここぞとばかりに、違和感でしかない王女の立場を利用した。しばらくの沈黙の後、ゼラがため息をついて立ち上がり、気だるそうに肩を回す姿はいつものゼラに戻っていた。


「ったく……。まぁいい、お前女王ってツラじゃねぇもんな」

「ちょっと、それはそれで失礼じゃない?」


 いつものような二人に戻る。ロベリアは対等な立場が少しだけ嬉しかった。


「とにかく、そういうことだ。国を取り返して、黒幕のアルニタク家をぶっ潰す」


 フォセカはロベリアを苦しめるために、ゼラと婚約させた。しかし、これは自らの首を締める行為だった。当然、彼女はゼラが裏で反逆を企てているなど、知る由もない。

 

「アルニタク家が潰れるのは賛成だわ。でも……私が隣国の王女に戻るなんて無理よ! 記憶も人を動かす力も何もないわ! できるわけないじゃない!」

「……俺みたいな剣士の代わりはいくらでもいる。だがな、女王はローズ様しかいないんだ。おまえにしかできないことだ」

「そう言われても……」


──このまま、フォセカの玩具でいたくもないけれど……でも……


 ロベリアは葛藤する。

 一つの国を背負うなど、たくさんの命を守るなど、つい先日まで取り巻き役で仕えていた自分にできるわけがない。


──それにゼラみたいに、過去を受け入れられるほど強い人間ではないわ


「……無理なものは無理よ」

「……今すぐ決意するのは難しいだろう。まぁ女王にならないなら、領主の嫁になればいい話だ」

「それも無理よ!」


 ロベリアは反射的に返してしまったが、


──……そっか。女王になれば、領主(ゼラ)と婚約する必要もないのね……


 女王になるということは、ゼラよりも遥か上の、最高地位に就くということだ。ロベリアの胸がチクッと小さく痛んだ。


「ふん、それならさっさと女王になることだな。まぁ、今日はこれで十分だ。帰るぞ」

「えぇ、ゲンテも心配しているわね……」


 遠くの方からこちらに向かって、馬車が勢いよく駆けてくる。あんなにも馬車を暴走させることができる人間は、ただ一人。


「ゼラ様ーーー! ロベリア様ーーー!」


 ゲンテしかいない。


「あら、噂をすれば……」

「相変わらず、ゲンテの暴走具合はすごいな」

「ゲンテー! ここよー!」


 ロベリアは大きく声を上げ、ゲンテを呼び寄せた。


「はっ……! そのお声は……! ロベリア様ぁぁぁああぁ!」


 あっという間にゲンテが到着した。相変わらず「速い馬」だ。馬から降り、ロベリアの元へ駆け寄る。


「ロベリア様、ご無事でしたか!!」

「えぇ……なんとか。ゼラが来てくれたわ」

「安心しました……あぁ、私という従者がいながら、ロベリア様の外出に気づかないなんて。ちょうど庭に出ておりましたゆえ……」

「ゲンテは悪くないわ! 私が悪いの」

「いえ、そんな……っと、ロ、ロベリア様! 血が! 血が出ていらっしゃいませんか!? あぁ、急いで医者を呼びましょう! さぁ!」


 ロベリアの腰が赤く染まっているのを発見したゲンテは、慌てふためいていた。ロベリアはどう言い訳をしようかと目を泳がせ考えていたが、ここまで心配をかけているのだ。正直に話すしかないだろう。


「落ち着け、ゲンテ。こいつのは赤ワインだ。」


 ロベリアが説明する前に、ゼラが口を挟んだ。


「赤ワインですと……? どうしてまた?」

「大方検討はついているがな……じっくり聞かせてもらおうか?」

「えぇと、これは、その……」

「あぁ? おまえは歩いて帰るか?」

「うっ……。は、話すわよ!」


 にやっと笑うゼラは、いつものからかう目をしていた。ゼラには全てお見通しなのだ。


「さて、ロベリア様。中へ」

「えぇ、ありがとう」


 ロベリアは馬車に乗り、ほっと一息ついた。ジャミの家を出発してからここまでの数時間が、長い長い一日のように思えた。


──そういえば、あの悪党どうなったのかしら?


 ゼラに視界を塞がれたロベリアは、悪党がどうなったか見ていない。ただ、ゼラを目の前にして、軽傷では済まなかっただろうと呑気に考えていた。

 そして外では、ゼラとゲンテがロベリアには聞こえない程の小さな声で会話をしていた。


「西の方に死体が散らばっている。事を大きくしたら厄介だ。明け方までに処理しておいてくれ」

「かしこまりました。後ほど手配しておきます」


 会話を終えたゲンテは、客室のドアを開けてゼラを中へ誘導した。運転席に乗ったゲンテは、行きよりも遅く、冷たい夜風を切りながら馬車を走らせた。

 一方、客室ではゼラの冷たい視線がロベリアに刺さっていた。


「へぇ……荷台に飛び乗った、か」

「はい……」

「まぁそんなことだろうと思った。昔から木に登るようなおてんばな令嬢だもんな」

「うぅ……。そ、それより、どうして私がこの道を歩いているって分かったの?」

「おまえの部屋に入ったら、ジャミ嬢の手紙を見つけた。プロキオンまでは一本道だからな、歩いているならここだと思った」

「ちょっと! なんで勝手に手紙なんて読むのよ!」

「机に出してある方が悪い。そもそもおまえ、言える立場じゃねぇだろ?」

「……はい」


 確かにそうだ。

 迷惑をかけまいとゲンテに告げずに出たものの、結局大迷惑をかけている。

 手紙が机の上になければ、今頃ロベリアは悪党どもに攫われ、さらに大事になっていただろう。


「これから外出する時は必ず言え。いいな」

「……はい」


 しょんぼりしていくロベリア。

 いつも威勢のいい彼女もこんなに落ち込むことがあるんだと、ゼラは少しだけ意外な顔をしていた。


「……あと、悪かったな」

「……えっ? 今なんて……?」

「…………」


 ゼラが大きくため息をついた。


「なんでもねーよ」


 ふいっと小窓の外を見るゼラの顔は、少し赤くなっていた。


 ◆◆


「とってもお腹が空いたけれど、まずはお風呂ね」


 キファレス邸に着き、ロベリアはネグリジェと下着を取りに部屋へ向かった。自室のドアを開けると、テーブルの上に黒い影が見えた。部屋の蝋燭に火を灯し近づくと、黒くてまぁるい瞳と目が合った。


「あら? ぬいぐるみ?」


 そこには、絵本の男の子が抱えていたような赤いリボンをつけたクマのぬいぐるみが置かれていた。リボンに付けられた、ネームプレートには「G for R」の文字。


 ゼラ(Gera)からローズ(Rose)へ送られた、数年越しのプレゼントだった。 


「……もう、これじゃ許すしかないじゃない」


 仕方ないわね、と呟くロベリアの顔は、幼かった頃にゼラへ向けた、あの無邪気な笑顔になっていた。ロベリアは物語の先を知らないけれど、きっと女の子は戻ってきたと信じている。



──男の子は、毎日毎日、剣の練習をしました。

 

「女の子を助けるんだ!」


 男の子はどんどん強くなります。

 

「僕、こんなにも強くなったんだ! 勝負しよう!」


 そう言って、森の動物たちと決闘をします。

 動物たちは、男の子に殺されてしまいます。


 すると、どこからか声が聞こえてきました。


「少年、私は言ったはずだ。

 間違った使い方をするなど」


「どうしてだ! 僕は強くなった!

 これで女の子を助けに行けるんだ!」


「愚かなものだ。命を奪う剣など」


「強くなれと言ったのはそっちじゃないか!」


 男の子には分かりません。

 だって強いことは、勝つということだから。


「おまえの守りたいものはなんだ。

 守ることと強くなることは違う」


「どういうこと?」


「守りたいもののために剣を振れ。

 己の欲のために剣を振るうな」


「……僕、女の子を守りたい!」


「ならば、今すぐ助けに行け。

 守りたい者のために」


 男の子は囚われている女の子のところへ走りました。


 雨に打たれ、嵐にも負けず

 襲いかかる獣に打ち勝ち


 やっと、この手で──


 

「迎えにきたよ、僕の大事なお姫様」



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