18 優しい嘘
「は……?」
突如、ゲンテから告げられた知らせにゼラは頭が追いつかない。
「いや……何と言った?」
「ピスキウムの宮殿が……何者かの手によって襲撃されました……」
常に冷静なゲンテでさえ、息が荒くなっている。激昂する感情を抑止した声は震え上がっていた。どうやら真実のようだ。
「ゲンテ、どういうことだ……」
昨日の昼前。ラークスは突如キファレス邸に顔を出していた。突然の訪問に驚きはあったが、外出常習犯のラークスならやりかねない。その他に何も変わりのない様子だった。なのに──。
──嘘だと言ってくれ
ゼラは領主として、状況の整理に努めようと理性が働いた。かつてのゼラならば、感情が先立ち取り乱していただろう。領主となり七年の月日はやはり彼を成長させていた。
「……レポリス国の一部の者の反撃かと思われます」
ゲンテがいつも見せる穏やかな顔は消え失せ、奥歯をギリッと深く噛み締め、胸あたりを強く握りしめていた。燕尾服の左右内側には、小剣がそれぞれ四つ仕込まれている。護衛用として所持しているが、今、気を抜いてしまえば陰謀者を殺しかねないだろう。かつては、ピスキウム家の使用人だけでなく護衛としても名高い人物だった。
「レポリスの反撃? 同盟はどうした? ピスキウムとレポリスの双方は争わない約束だろう」
ピスキウム国の東隣にあるレポリス国とは、古くから同盟関係にありとても友好的だった。しかし近年、レポリス国の南にある国、つまりピスキウム国の南東あたるギェナー国とレポリス国は戦争を起こしていたのだ。
事の始まりは、宗教の食い違いから生じた領民間の小さな口論にすぎなかった。しかし事はそれだけに治らず、大きく膨らみ戦争にまで発展してしまった。現在は宗教問題だけでなく、何かと理由をつけては武力で権威を見せつけ合っている。
「援軍を拒否したことに対し、レポリスが反感を抱いたのでしょう」
ピスキウム王都から与えられた情報から、ゲンテは推測する。レポリス国の面積は、ギェナー国の三分の一ほどの小さな国家だった。レポリス国の力だけではギェナー国に勝つことはできない。そこで同盟国であるピスキウム家に援軍を要請したようだ。
しかし、ピスキウム国はこれを拒否した。
つまりこれは、レポリス国の敗北を意味する。
ピスキウム国が援軍を派遣しない限り、軍事規模的にレポリス国の敗北が決まっているようなものだ。
「なぜピスキウム国は、ラークス様は援軍を出さなかった?」
同盟条件には『双方から援軍の要請があった際は、受諾する』というものがある。それにピスキウム国の軍隊は、周辺諸国の中で一番の軍事力を持っていた。ギェナー国に負けることなど考えられない。
ではなぜ、ラークス国王は、要請を拒否したのか。
ゼラは不思議でしかなかった。
「…………」
ゲンテは急に黙り込んだ。この沈黙は無知から生まれたものではない。
知っているのだ。知っているからこそ、話せないのだ。
「ゲンテ、話してくれ」
ゲンテは俯いたまま、重い口を開いた。
「…………かつて、キファレス邸は何者かによって燃やされ、その元凶は、レポリスにあったのではないかと言われています」
「どういうことだ!? 火元はキッチンからって……」
ゼラに隠された秘密。
七年前、キファレス邸の火災はキッチンから発生した事故だったと聞かされていた。しかし、それは幼いゼラを守るためのラークスがついた優しい嘘だった。
「違うのです。家の周りにレポリス産のワインが撒かれておりました。正確に言えば、発火しやすい蒸留酒も混ぜられていたようですが……」
鎮火した後、焼け跡となったキファレス家の周りにはワイン樽や酒瓶が無数に捨てられていたのだが、それもゼラには伝えていない。
「レポリス産のワインだからって理由だけで、犯人を特定したわけじゃないよな?」
そんな浅はかな考えだけで、犯人をレポリスだと決めるラークスではないことは、ゼラも知っている。
「えぇ。当時、レポリスのワインを輸入していた諸国が、ピスキウム国の新しいワインをとても気に入りました。そして輸入先をこちらへ変更。レポリス国側は、契約先を失ったのです」
ピスキウム国でワインを生産しているのは、キファレス領だけだ。つまり輸出元を奪われたレポリス国王が憤り、ワインの製造元であるキファレス領を潰そうと七年前の事件が起きたと考えられる。自国の余ったワインを火種にして。
当時、ゼラは領地のことまで考えられなかったが、ワインの原料となるブドウ畑が燃やされていたことは知っている。復興すべくゼラも手伝っていたが、裏に事件性があるとは何一つ考えていなかった。自分の未熟さに反吐が出る。
「……なぜ、同盟は破綻しなかったんだ」
「当時の状況からすると完全にレポリス国が怪しいのですが、犯人である決定的な証拠がなかったため先方は話し合いを拒絶しました。本来ならば争いが起きそうですが、ラークス様は遺憾の思いを露わにせず同盟は締結したままで収束させました。戦争に発展しては、多くの人が亡くなりますから」
小規模国家のレポリス国は、ワイン一つの取引でさえも大きな経済問題であり、余裕がなくなったのだろう。とはいえ、諸国が喉から手が出るほどのワインを製造できなかったレポリス国の力不足だ。ピスキウム国は何も悪いことはしていない。
「なるほどな。その後もレポリス国から王子が来て、ローズ様とお会いしていたこともあったが、それは表向きか?」
「そうかもしれませんし、未来のあるご子息たちには手を取り合って歩んでほしかったのかもしれません。もとい、レポリス側の思惑は分かりませんが……。ただラークス様は、キファレス家の件を許したわけではありません。ですから、今回援軍を拒否したのです」
『当時の無念を、キファレスの痛みを知れ』とラークスは、援軍の話し合いにも応じなかった。ここまでは理解できるものの、ピスキウム家が潰されたことには、ゼラは疑問を感じた。
「待て。そもそもレポリス国はピスキウム国に援軍を要請しているぐらいだ。レポリス国がピスキウム国へ向ける軍の余裕なんてはないはずだ。それに真っ向勝負されたピスキウム国の軍がレポリス国の軍に負けるわけがない」
今までの話を総括するとこうだ。
レポリス国は、ギェナー国との戦いで精一杯だ。だからこそ、ピスキウムに援軍を要請した。ギェナー国とピスキウムの二国を相手にするほどの余裕はない。ましてや、周辺諸国で一番の軍事力を誇るピスキウム国に勝てる程の力を持っているのであれば、要請などせずともギェナー国に勝てるはずだ。
「もしかしたら黒幕がいるのやも……。ただ……これ以上は分かりません……」
ゲンテが目をつぶり、頭を振るう。たとえ、どんな背景があったとしても、ピスキウム家が狙われたことは変わらないのだ。今はこれ以上の考えを巡らす余裕はない。
「どうして黙っていた。ピスキウムは何も悪くないだろ……」
なぜ、当時の俺に話さなかったのか、と。
「当時お話していたら……ゼラ様のお気持ちはどうなりますか?」
もし本当のことを聞いていたら、ここまで生きて来られなかったかもしれない。当時のゼラには、背負う力も、守るべき強さもなかった。
「それに……ラークス様に口止めされておりましたゆえ」
ゲンテは目を伏せ、涙を流しながら、ラークスとの約束を教えてくれた。
──いいかいゲンテ。このことは僕が死ぬまで、絶対にゼラに話しちゃダメだよ。ゼラに怒られたくないからね。
「……死ぬまで」
主人に従順なゲンテが、約束を破るとは思えない。ということはつまり──
「……ラークス様は、本当の御子息のように、ゼラ様を愛していました」
領主として情報をすべて聞き得たゼラは、ガクンと膝から崩れ落ち、首が垂れ下がる。
ここにいるのは、もう領主ではない。
ラークスに命を助けられたただ一人の男、ゼラ・キファレスだ。
時を越えて伝わる愛情。
愛に気づくのは、いつも失ってからだ。
お父様もお母様も、ラークス様もマーガレット様も
ローズ様も──
「……レポリス、ギェナー…………絶対許さねぇ……」
ゼラの心拍数は上がり、呼吸が乱れる。血筋は浮き、海のような青色の瞳は、血眼となり輝きを濁らせた。
「ゔぁぁああぁああ゙ああああああ゙ぁあ゙ぁあ゙あ゙あ゙!!!!!」
理性が飛んだゼラが喚く。ゼラを止めようと、ゲンテは彼の肩を抑えるも、勢いよく壁へ飛ばされてしまった。玄関に飾られていた花瓶は破れ、薔薇が散る。
「ゼラ様!!!」
ゲンテはゼラを捕らえようと起き上がったが、飛ばされた衝撃でどうやら足を痛めてしまったようだ。追いかけることはできず、その場で叫び続けた。
「ゼラ様!!! お戻りください、ゼラ様ぁぁあああぁああ!!!!」
ゼラは家を飛び出し、死に場を求めて戦地へ向かっていた。
「絶対許さねぇ……奴らを……奴らを」
──殺して、俺も死ぬ。




