16 ローズガーデン
「ラークス様! どちらにいらっしゃるのですか!?」
従者たちは広いピスキウム宮殿を駆け回り、ラークスを探す。ピスキウム宮殿では、日常茶飯事だった。
「あっ、ゼラ様! ラークス様を見ませんでしたか?」
「いや……。また外に出てるんじゃないか?」
ゼラがピスキウム宮殿に来て一ヶ月が経った。最初こそゼラも戸惑ったものの、今ではすっかり慣れてしまった。ラークスは側近に黙って外出することを繰り返していた。踏ん反り返りながら王座に座り、口先だけで政をする王とは違う。自分の足で、民を見て、国を見て、恵みをもたらす。まるで太陽のような人だった。
キファレス邸が燃えた時も、ちょうど近くの領地へと足を運んでいた。噂を聞きつけ、足早にキファレス邸へと向かい、間一髪ゼラを助けたというわけだ。
「まったく、陽気な国王様だ……」
やれやれと呟く従者は困惑の表情を浮かべながらも、険悪な雰囲気ではなかった。この国王は、民や従者、そして王妃や娘からも愛されていた。
「もう、ほんと困ったお父様ね!」
突如ゼラの後ろに現れたのは、国王と同じ瞳の色を宿している王女。
「ローズ様、それは……」
小さな手には持て余すほどの大きな籠を持ち、その中に入れられたクッキーをむしゃむしゃと食べながら歩いていた。一国の王女が食べ歩きなどありえないことであるが、ラークスから生まれた娘なら納得はいく。ゼラにとってこの光景ももう見慣れたものだった。
「さっき、ゲンテとお菓子作りをしていたのよ! ゼラも食べる?」
「いや……結構です。そんな姿、マーガレット様にでも見られたら……」
ズシン、ズシンと地響きにも似た足音と共に黒い影がやってくる。
「ローズゥウゥ〜? どうして座って食べることができないのかしらぁあ……?」
怒りに満ちた声と地響きを立てながら向かってくる、マーガレット王妃。
王妃ということを除いてもこの国一番に美しいほどの彼女だが、今は神話に出てくるメデューサのように橙色の髪が逆立ち、額には血管が浮かび上がっている。
「お、お母様〜! ゼラ、ほら! 行くわよ!」
「はい!? ちょっと、俺まで怒られるじゃないですか」
「二人とも、待ちなさい!」
ローズは、クッキーの籠を近くにいた従者へポイッと渡し、ゼラの手を取って逃げる。ゼラは反抗することなく、流されるままにローズの後をついていった。
こんな光景も、日常茶飯事だった。
「……今度は、何をしていらっしゃるんですか」
宮殿裏の庭に到着すると、ローズは木登りを始めた。ドレスから見えてしまう下着のことなど、何も気にせず勇しく登ってゆく。陽気で活発なところは、誰が見てもラークス譲りだ。
「木の上から探せば、お父様も見つかるわ!」
「そんな見つかるわけないでしょう……」
ゼラはピスキウム家に来てから、ローズの子守役に半ば強制的になった。彼女が付き纏うため必然的にそうせざるを得なくなったのだ。
「なかなか難しいわね。ここを持って、あっちに足をかけて……あっ!」
王女が落ちた。といっても、大人二人分ほどの高さまでしか登れなかったため、命の危険はない。ゼラは優しく受け止めた。
「だから危ないと言ったでしょう」
「へへ、でもゼラが守ってくれるんでしょう? 心配ないわ!」
自分だけに向けられる無邪気な笑顔に、ゼラは敵わなかった。少し頬を赤らめ、顔を逸らした。
「……ったく、困った王女様ですね……」
そっとローズを降ろすと、彼女は瞬く間に駆けていく。
「ゼラ、こっちへ来て!」
次から次へと振り回されるゼラだが、悪い気はしなかった。ローズといると心が晴れるのだ。少しずつ生きる喜びを感じてきている。これも自由奔放な彼女のおかげであろう。ローズの後を追い、辿り着いた先は薔薇の庭園だった。
「この場所、まだ紹介していなかったわよね!」
「薔薇、ですか」
そこには色とりどりの薔薇が一面に広がっている。
「そう。ローズガーデン、とお父様は言っていたわ! つまり私のお庭よ!」
ローズが生まれて造られたのか、庭園が先かで話は変わってくる。ゼラには真実は分からないが、彼女が幸せそうに笑うのでそういうことにしておいた。
ローズは薔薇を眺めながらゆっくりと歩く。大人しくなったかと思いきや、突如歩みを止めた。
「あ! そうだわ!」
「また何か?」
「ゼラ、ここで待っていて!」
くるりと踵を返してゼラの背後に回ったローズに背中を押され、ガーデンチェアに座るよう指示された。何か企んでいるのだろうか、ローズの目は輝いていた。
「すぐ戻るから!」
「あっ、ローズ様!」
ローズは宮殿へ走って行った。ゼラは小さくため息をつき、言われた通りに待つことにした。誰もいない薔薇の庭園。しんと静かな空間は、この世にたった一人だけ残されてしまったように感じてしまう。
──お母様、ごめんなさい……
たまに一人になると、どうしてもあの日潰した花と、キファレス邸を灰にした炎を思い出してしまう。
──いや、しっかりしろ俺。もうキファレス領の主なんだから……
ゼラは宮殿へ来てからというもの、一人の時間はほとんどなかった。
朝は、ラークスと側近の皆で食事を取ったり、ローズの子守をしたり。
昼は、アスタという女教師がやってきて授業を受けたり、ローズの子守をしたり。
夜は、ラークスの雑談に付き合ったり、ローズの子守をしたり。
客室も多い宮殿ではあるが、王妃の計らいでゼラの部屋は執事のゲンテと同室だった。孤独にさせないためだろう。
──俺、本当に生きていていいのか?
ゼラは眉間に皺を寄せ、険しい顔で俯く。もう願っても、何も、誰も戻ってこないのだ。
「まぁたゼラったら、怖い顔しているわ!」
戻ってきたローズは、ゼラの顔を覗き込んだ。
「……ローズ様。申し訳ございません」
「大丈夫よ、ゼラ! それより、いいものを持ってきたの!」
ローズは、両手でゼラの顔を挟み顔を上げさせ、微笑みかけた。
──またその笑顔を向けるんですか……
新緑色の瞳に碧く深いゼラの瞳が捕まえられた。ゼラを真っ直ぐに見てくれた、あの時のラークスと同じ綺麗な瞳に、ゼラは吸い込まれそうになる。視線を右へ逸らしたゼラの耳は、薔薇のように真っ赤に染まっていた。
「ローズ様、お持ちいたしました」
銀色の長髪を襟足で一つに束ねた執事、ゲンテは白いクロスが敷かれたワゴンを運んできた。その上にはティーセットと、銀のクロッシュで覆われた何かが乗っている。
「ありがとう、ゲンテ! さ、ゼラ。ここに注目よ!」
目を輝かせたローズがクロッシュを指差したと同時に、ゲンテが蓋を開ける。
「……ケーキですか?」
そこには、薄く切られたレモンがたっぷりと乗ったホールケーキがあった。
「えぇ! レモンチーズケーキよ! 最高の出来だわ」
「ローズ様が、ゼラ様にと。一緒に作ったのですよ」
ゲンテは、一ミリもズレることなく均等に八つに切り分け、小皿へと盛る。
ローズは勝ち誇ったように腕を組み、深く肯いた。
「えぇ! きっととっても美味しいわ! これで、ゼラも笑顔になるわね!」
「俺に……?」
「そうよ。早く食べてちょうだい」
「では、お先にいただきます」
フォークで小さく切り、一口運ぶ。口の中にレモンの酸っぱさと、まろやかなチーズの甘さが広がり、生地に使われた砕かれたビスケットはさくっと弾けた。
「……美味しい、美味しいです」
そして少し塩の味がした。
それはケーキの味ではなく、ゼラが流した涙の味。
「ゲンテ、どうしましょう!? ゼラが、ゼラが泣いてしまったわ!」
慌てるローズに、ゲンテは「大丈夫ですよ」と声をかけながら、ゼラの涙を拭く。
「……いや、違うんです、ローズ様。その……とっても……嬉しくて」
その心が嬉しくて。
俺に向ける、その笑顔が眩しくて。
家族を失った悲しみは消えないけれど、その傷は、貴女が癒してくれる。
「そうなの!? だったら毎日作るわ!」
ロベリアは両手を腰にあて、凜々しい顔をしてゼラに宣言した。
「ローズ様、あなたって人は……」
ゼラは屈託のない満面な笑みでお礼をした。
二年後。キファレス邸は再建しゼラは生まれた地へと帰った。かつてのキファレス邸と瓜二つの、新しいキファレス邸の姿があった。同じ造りにリクエストしたのは、ゼラだった。過去の辛い思いに目を背けず、背負って生きていくと決めたからだ。
「ただいま戻りました。お父様、お母様」
沈痛する表情を浮かべ、階段の中央踊り場に飾られた両親の肖像画を見上げる。
「……笑った?」
肖像画がそっと微笑んだように見えたのは、ゼラが少しだけ前に進めている証拠なのかもしれない。




