13 地獄へ堕ちろ
差し伸べられた手の袖口からキラッと何かの光が見えたと同時に、ロベリアは俊敏に一歩後ろへと下がった。次にロベリアが確認した時には、男の手にナイフが握られていた。間一髪、回避したのだ。
「ほお……なんでナイフが出ると分かった?」
男は物珍しそうにロベリアを見た。この男も、ロベリアをか弱い令嬢だと勘違いしていたようだ。命を狙われている状況でもロベリアは怯まない。ここで屈するわけにはいかないのだ。
「私をそこら辺の令嬢と一緒にしないでちょうだい。それより、あんた誰?」
「馬鹿だなぁ……言えると思うか?」
噛み付いてくる獲物を見て楽しんでいるのか、男はナイフを器用にくるくると回し、口端を上下させニヤついている。この男どもに黒幕がいると考えるならば、それはただ一人。
『私を楽しませてちょうだい』
フォセカしかいないのだ。
──どこまで私で遊ぶ気かしら、あの女……!
「そう。でも、大方見当はついているわ。どうせ王家絡みの悪党でしょう? あなた、服に着られているもの」
痩せ細った顔に、小汚い体。どこからか盗んできたのか、服だけは一級品。その男には相応しくない代物だ。
「あなた、愚かね。見てくれだけ変えても貴族にはなれなくってよ?」
「……おいおい嬢ちゃん、あんま生意気言ってると犯しちまうぜ?」
男はナイフを向け、ゆっくりと近づいてくる。ロベリアは逃げようとするも、先ほど彼女の肘打ちを喰らった男が追いつき、背後からロベリアを捕まえる。
「離しなさいよ!」
「フン、兄貴に盾付くとはいい度胸じゃねぇか」
この悪党どもは、初手からロベリアを捕らえるつもりではなかった。悪党役の弟分に捕まえられたロベリアを、貴族に扮した兄貴が助けることで一安心させる。その隙に誘拐する魂胆だったのだろうが、相手が悪かった。この令嬢は一筋縄では捕まえられない。
「なぁに、傷モノにはしないさ……なにせお前には価値があるからな」
「……なんですって?」
どれだけの者がロベリアを狙っているのかは分からないが、その手の界隈では恐らく高値がつけられているのだろう。さもなければ、あのゼラ・キファレスの婚約者を狙おうとする、命知らずの愚かな者はいないはずだ。ナイフがロベリアの鼻先まで近づいてくる。
──さすがに力だけでは勝てそうにないわね。でも打つ手は何かあるはずよ……
こんな状況下でも、この令嬢はやはり屈することを知らないのだ。
「待ちなさい。私にどのくらいの懸賞金がつけられているかは知らないけど、恐らく、それ以上のお金は出せるわよ。いい話だと思わない?」
冷静な判断と巧みな話術で、死までのカウントダウンを遅める作戦に出た。
「……は?」
ロベリアを拘束していた腕が少し緩み、目の前のナイフもピタリと止まった。所詮、金が欲しいだけのゴロツキだ。
「嬢ちゃん、まやかしなら許さねぇぞ」
「いいえ、根拠ならあるわ。あなたたちは、この国の経済をご存知?」
「は? 知るかよ」
──でしょうね
ロベリアも、男どもが経済知識など持っているはずがないと分かっていたのだが、憤慨させないためにも丁寧に取引を進めた。
「この国の資源、つまり経済基盤のほとんどはキファレス領から出ているわ。ここで私を失うと、キファレス領主はどうするかしらね?」
「つまり……なんだ。何が言いたい」
頭の悪い男どもだが、何かしら自分たちが不利益を被るのだろうと汲み取ることはできたようだ。ロベリアの話を食い気味に聞いている。
「つまり、領主は私を危ない目に遭わせた国になんか奉納しないでしょうね。そして国の経済基盤が崩れる。財源を失った王家はあなたたちに賞金を与えるどころか……命を奪うわね。まぁ私に懸賞金をつけた出所は分からないけれど」
「…………」
ロベリアに言いくるめられ、黙る男どもを見て、王家絡みで間違いないとロベリアは確信した。
──ここで反論できないってことは、やっぱりフォセカの仕業ね
「お分かり? 最初から、あなたたちに報酬なんてないの。それもそうよね、王家が裏でこんなことをしているだなんて、知られるわけにはいかないもの。王家に私を渡した時点で、あなたたちは殺される。王家に利用されているだけよ」
利用されていたロベリアだからこそ分かる、王家の非道さ。こんな男どもにかける同情なんていらないはずなのだが、自身を重ね合わせてしまうと少しばかり気が重くなった。
「……黙れ黙れ黙れ!! そんなのハッタリだ!」
「あら? お金が欲しくないの? 無事に帰してくれれば、私は何もしないわ」
──ゼラはどうするか分からないけれど
ロベリアを王家へ渡しても、ロベリアを無事に帰しても、もう足を踏み入れてしまった以上は自分たちに待ち受ける運命は死のみだと、男どもは悟ったようだ。
「ならば、ここでお前を殺して、ゼラ・キファレスも殺す! 俺の領地にすりゃ問題ねぇだろ?」
「おぉ、そりゃいいぜ兄貴!」
男どもの小さな脳では事の大きさを受け止めきれず、思考回路がショートしたらしい。頭脳で考えることをやめ、武力で解決しようとした。
「ゼラを殺す? あなたたちにできるわけないじゃない」
「最後までナメた口聞きやがって!」
ロベリアを捉えていた弟分は、さらに強くロベリアの腕を絞めた。
「……っ!」
──痛いわね! それにあんた気持ち悪いのよ!
「……にしても、よく見れば、綺麗な顔してるじゃねぇか。王家よりも、闇市に売り飛ばした方がいいかもな」
目の前の男は、ロベリアの輪郭を左手の人差し指でそっとなぞり、自身の唇を舌でぐるりと舐め回した。ロベリアはビクッと肩を震わせ一瞬目を瞑りそうになるも、奥歯を噛み締め、強く強く睨みつけた。
「その顔そそるねぇ。最期に楽しませてくれや、嬢ちゃん」
男がロベリアの顔から首へと手を運び、締め付けようと左手を開いたその時──
「兄貴! 後ろ!」
ロベリアの背後にいた弟分の声と同時に、首に触れられていた兄貴の左手が離れた。その衝撃で右手からナイフが落ち、空いた右手で今度は左手首を持ち、うずくまっている。
「ぐぁあぁあぁぁあ、っああ、ぁあああ!!! 手が、手が、手が、、」
理解の追いつかないロベリアの横を、目で追えないほどの速さで何かが横切る。今度は拘束されていた腕が解け、軽くなったと同時に背後の弟分が叫び出した。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っっ!!!」
地獄の叫びにも似た声を出し、弟分はロベリアを離した手で目を抑え、地面へ倒れていた。
「何、何が起きているの!?」
次は自身に降りかかるのだろうか、薄暗い視界の中に潜む恐怖に足の震えが強くなる。
「ロベリア!」
雲が流れ、一本道を差した月の光。暗灰色のロングコートに付けられた、薔薇と剣の紋章が彫られた徽章が輝いた。
ロベリアが小さく願った青い瞳が、そこにあった。
「……ゼラ」
その瞳は、見るだけで身体の温度が奪われるほどに凍ついていた。夜風が乱れさせた、濡羽色の髪。焦燥を感じさせる荒い呼吸に、熱を帯びた頬を冷やすかのように伝う汗。そして、助けられたロベリアでさえ戦慄してしまうほどの、殺気を放っていた。
ゼラはロベリアを少し強引に胸へと抱き寄せ、自身が羽織るコートでロベリアの顔を覆った。
「ちょっと、ゼラ。苦しいわ、何も見えないじゃない」
「……耳、塞いでろ」
「耳?」
「……いいから」
いつもなら「なんでよ!」と反抗するロベリアだが、赫怒した重々しい声にはできなかった。ロベリアは言われるがままに両手で耳を塞ぐ。
真っ暗に広がる視界の中で、かすかに響くゼラの心臓の音はとても早かった。
冬だというのに真夏のように熱を帯びたゼラの身体に触れる。駆けつけてくれた想いがじんわりと伝わってくる。
──遅いのよ、ばか……
足の震えは止まり、安堵したロベリアは、ゼラへと体を預けた。
「ありがとう、ゼラ。……今日ぐらいは言ってあげるわ」
ゼラに聞こえないように、小さく小さく呟いた。
そして、ロベリアが遮断された世界では──。
「地獄へ堕ちろ」
ゼラ・キファレスは、ケーキを切るよりも余程簡単に、男どもの首を跳ねた。




