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11 親愛なる友人 ジャミ・プロキオン

 

 門番と一緒にプロキオン邸の敷地内へ入り、丁寧に玄関が開かれると、親愛なる友人が勢いよく抱きついてきた。


「ロベリア! 来てくれたのね!」

「ジャミ!!」


 ジャミ・プロキオン。エンジェルリングが光る艶やかな長い黒髪、真っ直ぐ整えられた前髪からは、ラベンダーのような薄紫色の瞳が輝く。真っ白なワンピースは、ジャミの色白の肌を際立たせた。彼女はプロキオン領主の次女にあたる。上には次期領主である兄と、プロキオン家が信頼している子爵の元へ嫁いだ姉がいる。

 

「あら? ロベリア、なんか臭いわね……」

「これにはいろいろあって……ははは……」


 無銭で荷馬車に飛び乗ったなんて言えるわけがない。ロベリアは愛想笑いで誤魔化した。


「ま、いいわ! 話したいことたくさんあるの!」

「えぇ、私も」


 天真爛漫なジャミは、現在もロベリアがフォセカの取り巻き役として仕えていたことは知らない。当然、役目を終えた今も他言は許されない。


「まさか、ロベリアとこんな風にお話できるなんて思ってもいなかったわ! とっても嬉しい! 今日はいい日になるわっ」


 ジャミは今でこそ満面の笑みを浮かべているが、図書委員として配属された当初はロベリアに対して恐怖しかなかったと過去を振り返った。



──フォセカ様に嫌がらせしている、あのロベリア様よね……。あぁ、私も本など投げつけられるのかしら


 できるだけ関わりを避けたかったが、図書業務を行う以上は必要最低限の会話は必要になる。月末の今日は図書室を閉めきって、一斉に書籍の整理整頓を行う。互いの協力は必須だ。ロベリアの顔色を伺いながら話しかけていた。


『ロ、ロベリア様。もし……もしよろしければ、この本の片付けを手伝ってくれませんか?』

『えぇ。でも私は五冊、あなたは百冊以上もあるじゃない』

『い、いいんです! 私、本が好きですから……!』

『……そう』


 だが月日が経つにつれて、ロベリア本来の魅力を知っていく。半年が経った頃には、声をかけることに抵抗はなくなっていた。


『ロベリア様、この本の片付けをお願いできますでしょうか?』

『えぇ。でも、今月もあなたの方が多いわ。半分っこしましょう』

『えっ、そんな! 悪いですわ!』

『いいのよ。私も本が好きだから』


 そうして、一年を終えた頃には、二人は自然と会話をする仲になっていた。


『ロベリア! 今月は私と勝負しましょう! 本をより多く片付けた方が勝ちよ!』

『臨むところよ、ジャミ!』


 しかし、廊下ですれ違うロベリアの姿は相変わらず冷たいものだった。ジャミがロベリアに声をかけようものなら、無視される。それがロベリアなりの優しさだと気づくのには時間がかかったが、何かしらの言えない理由があるのだろう、ということも聡明なジャミは汲み取った。


 ジャミには、ロベリアがなぜ王女の周りを取り巻き悪態をつく人間なのかが理解できなかった。なにせ王女の外面は天使のように可愛く、女神のように慈悲に溢れ、淑女のように慎ましやかな存在だ。ロベリアが本当の悪女ならば王女への嫉妬から生まれた言動だと納得できるが、そうではない。ジャミが知り得たロベリアは、そうではないのだ。

 図書室でジャミに見せたロベリアの姿が本物だと仮定するならば、王女の姿を否定することになる。


 ──もしかして嘘をついているのは。


 頭が冴えるジャミはあれやこれやと考えが浮かぶが、分かったところできっと助けられる力が私にはないのだろうとも理解した。ならば、この図書室のひとときだけは、ロベリアと一緒に笑い合いたい。そう願っていたのだ。



「私もあなたとじっくり話してみたかったのよ、ジャミ」


 一方、ロベリアにとって、図書委員の仕事は唯一フォセカの監視がない最高の空間だった。無理に取り繕う必要性もない。ジャミに対しては嫌がらせをするわけでもないが、思いやりのある言動もしなかった。この学園では誰一人、味方などいないと思っていたからだ。しかしジャミの無邪気で優しい性格は、ロベリアの冷え切った心を溶かしていった。

 いつしかジャミの前だけでは、道具(モノ)としてのロベリアではなく、人間(ヒト)としての自分でいられた。

 唯一、友人でいてくれるジャミを守ろうと、フォセカの前では彼女を無視していた。


──ジャミ、ごめんなさい。でも、あなたのことを守りたいの


 ロベリアもまた、図書室で笑い合えることを願って。



◆◆


 プロキオン家の応接間は、アンティークな家具や雑貨が配置されたお洒落な空間だった。プロキオン家の使用人に出された紅茶とアップルパイを嗜みながら、二人は会話を進めた。


「なんで学園をやめてしまったの? それにあのキファレス様と婚約だなんて」


 ゼラの噂も相変わらずだったが、ロベリアがあのゼラの婚約者となったことで喜ぶ者は多かった。冷酷非道な者同士お似合いだと皮肉じみた祝言だ。


「色々あってね。言えなくてごめんなさい」

「いいのよ、そう返ってくると思ったわ。それより……あなたキファレス様に嫁いで大丈夫なの? そのワンピースも……」


 今さらアークリィ家がどうなってもロベリアには関係ないのだが、事が大きくなることを避けるため、元養母の古着だということは黙っておいた。


「これも訳ありで……。ただ、キファレス邸ではそれなりに楽しく過ごしているわ。いつも着ている服はとっても素敵だし、部屋もお庭も素敵よ。案外、悪くないわ」


 そう話すロベリアの顔は、図書室で笑い合っていた時と同じだった。全てを知ることはできないけれど、ジャミはその笑顔だけで大抵のことを理解した。


「……そう。キファレス様に『キファレス邸を持ち上げる発言をしろ』なんて強要された感じもないわね。安心したわ」


 ジャミは胸を撫で下ろした。もしかしたら学園にいた頃よりも環境は良いのかもしれないと、少しばかり安心した。


「……ところでロベリア」


 ジャミは口元を上下させしながらニヤニヤと手招きをして、対面していたロベリアはジャミに顔を近づかせる。ジャミはロベリアの耳にそっと問いかける。


「キファレス様とは、どう?」

「どうって……」


 ジャミの真意が分かったロベリアは、一瞬にして全身の血が沸騰したかのように熱くなり、湯気を出した。首元にキスされた程度のことしかないのだが、この大袈裟な反応からすると、誰しもが何かあったに違いないと確信するだろう。


「あらやだ、キファレス様ったら手が早いのね」

「ちょっとジャミ〜! 何もないわよ!!」


 顔を真っ赤にして反論する姿には説得力がない。


「ふふ、ロベリアの反応が可愛くて。ついからかってしまいたくなるのよね」


 唯一、学園ではロベリアを素の姿にさせてくれたジャミ。ロベリアのうぶな反応が可愛いと知ってからは、時折彼女をからかって楽しんでいた。


「もう」


 ロベリアは口を膨らませ、困った表情を見せた。


「ふふふっ、とにかく元気そうで良かったわ」

「ジャミったら……。それよりジャミは卒業後どうするの?」


 この時期の令嬢は、すでに名家との婚約が決定している。ただし皆が皆、婚約が決まっているかといえばそうでもない。フォセカのように「私にふさわしい王子様が現れるまで嫌」と駄々をこねる令嬢もいるのだ。


「実はね……」


 ジャミは少し照れくさそうに、頬をほんのり赤くしてこう答える。


「私、小さな頃は体が弱くって。よくお医者様に診てもらっていたわ。そのお医者様の御子息に私と同じ歳の子がいて……実はその彼からプロポーズされたの」


 この時代、恋愛から発展した婚約というものはごく稀だ。ロベリアのように攫われて婚約することも稀、いやありえないのだが。多くは政略的な婚約で親同士が決めている。令嬢に拒否権はない。その先が辛い家であっても、家の名を残すがために妻となり母となる。ジャミは理解のある両親に恵まれたこと、そして次女であることから、自身の希望が通ったようだ。


「だから私もロベリアと同じ。婚約者様がいるのよ」


 頬を赤めながらも白い歯を見せて大きく笑顔を見せたジャミの姿は、ロベリアが見たことのない一面だった。婚約者がいるだけで、こうも笑顔になれるのだろうか。ロベリアは今の心の内をジャミに相談した。


「ねぇジャミ。私はゼラ……様が分からないわ」


 領主かつ婚約者を呼び捨てにする令嬢など不敬にも程がある。ここはキファレス邸を持ち上げるために、屈辱だがゼラに敬称をつけた。


「それはそうよ。ロベリアとキファレス様は、出会って間もないんですもの。私だって医者の彼とは出会ってから長いけれど、彼のことは分からないわ」


 それはロベリアにとって意外な返答だった。幸せそうに笑うのに分からないだなんて。


「でも……いつか彼と一緒になれたら幸せだな、って思っていたわ。ずっとずっとこの時を待っていたの。分からないことも多いけど、それは二人で解決していけばいいわ。喧嘩して話し合って、最後に笑い合えたらそれでいいじゃない」


 ジャミの言葉は、ロベリアの胸に強く刺さった。ゼラと喧嘩して話し合うこともせず避けて、挙げ句の果てには黙って家を出てきた。ジャミのように向き合うことができたのなら、少しは幸せな時間が過ごせたのだろうかと、昨夜の出来事を思い返す。


「ねぇ、婚約って。共に生きていくことって、幸せなの?」

「えぇ。少なくとも私はとーっても幸せよ」


 ロベリアは幸せとは程遠いところで生きてきた。もがいても足掻いても幸せはかき消されていく人生だった。

 分かっていた、もう手遅れだと。フォセカに敷かれたレールの上を一生走り続けるだけだと分かっていたけれど、それでもどこかで、幸せを追い求めていた。

 今だって少し路線が逸れただけで、行き着く先はフォセカの玩具箱だと分かっている。

 それなのに、誰かと共に歩む人生を、私が選択しても良いのだろうか、と。


──でも。それでも。


 ゼラに懸けてみたいと思った。

 嘘偽りのない真っ直ぐな瞳を、逸らすことなく真っ直ぐに返すことができるのなら。


「……どうしたら幸せになれる?」


 親愛なるジャミはそっと教えてくれた。


『彼を愛して。そして自分も愛して。愛に生きて、ロベリア』



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