10 じゃじゃ馬令嬢と赤ワイン
「よし、ゼラが出て行ったわ……」
翌日。ロベリアはゼラが外出する姿を自室の窓から確認した。昨日の一悶着以来、ゼラを避けている。昨日の夕食は自部屋で済ませた。いつもなら夕食の匂いに引きつけられ、ゲンテが呼ぶ前にダイニングへ顔を出すロベリアが来なかったため、ゲンテが心配して部屋に料理を運んでくれたのだ。そのため、ダイニングでゼラと顔を合わせることもなかった。
「服は……バッチリね!」
今日のロベリアは、所々糸が解れたストールを頭に巻きつけ、何度も継ぎ接ぎをしているボロボロのワンピースを纏っていた。アークリィ家の義母ローラスからのお下がりだ。
「残しておいて良かったわ。……まぁ、捨て忘れていただけなんだけど」
ただ、靴だけはゼラの母親が履いていたであろう編み上げブーツを借りた。今日は歩きやすさを重視しているため、アークリィ家から持参した歪んでいるパンプスは避けたかったのだ。
「さぁ、ロベリア。今のあなたはスパイよ……」
忍び足で階段を下り、ゲンテに気づかれないようにそっと玄関の扉を開けた。令嬢らしからぬ格好に変装して、ジャミの家へと向かう。
本来ならば、ゲンテのような使用人が送迎をするのだが、彼の仕事を増やしたくない思いから、行先を告げずに出た。変装もそのためだ。キファレス領をいつもの格好で歩いていたら、領民たちに気づかれ、ゲンテの元へ情報が入ってしまう。そうもなれば、ゲンテは慌てて馬車を出すだろう。
また、ゲンテがロベリアの部屋へ訪れた場合を想定して、念のため「散歩に出ています」とメモを置いてある。ロベリア的には完璧な計画だった。
「さて、夕方までに戻らないといけないし、先を急ぎましょう。ジャミの家は……隣のプロキオン領だったわね」
とりあえずは、プロキオン領のある西へ歩いているものの、後先考えずに家から出てしまったことをロベリアは後悔した。
「キファレス領、広すぎるのよ……」
この広大なキファレス領地を抜けるのには、小一時間かかる。馬車を利用するにしても、ロベリアは所持金がない。金銭はゲンテが管理をしており、必要なものはすべてキファレス家が用意してくれているため、普段は困ることがなかった。
とはいえ、後戻りをしたところでゲンテの仕事を増やしてしまうだけだ。日を改めて、ゼラへお願いすることはもっての外だ。
「何か良い手段はないかしら……?」
腕を組みながら悩み歩く姿に煌びやかさはなく、誰が見ても令嬢には見えない。
後方から馬が駆け寄ってくる足音が近づいてくる。ワイン樽や野菜を詰めた木箱を大量に乗せた荷馬車が、ゆっくりとロベリアの横を通過した。
「たしかプロキオン領は魔法の研究者や魔導師が多く、食料自給率が低いってアスタから習ったような……」
その代わり魔法による領地の報酬は多いため、周辺の領地から物産を取り寄せて生活をしている。
「ということは、つまり。この一本道を駆ける荷馬車は、高確率でプロキオン領へ行く!」
さすが学園でも優秀な成績を収めていただけのことはある。ロベリアは一瞬にして状況を分析し、口端を上げてニヤリと企み顔をしてみせた。
「元取り巻きを舐めないでちょうだい!」
ロベリアはその荷馬車の確率に賭け、勢いよく走った。ワインを乗せているからか、ゆっくりと走行する荷馬車の後ろに飛び乗ることができた。ガタンッと後方が揺れたにも関わらず、陽気に口笛を拭いている運転手は、ロベリアが乗ったことに気づかなかった。
──これでなんとか辿り着けそう!
無銭で馬車に乗ったことは悪行ではあるのだが、これはキファレス領民の馬車だ。万が一、気づかれてしまったとしても領民からの罰はないだろうが、ゼラからの厳酷なお叱りはあるだろう。ロベリアはそれを想像しただけで、ぶるっと震え上がった。
「それだけは避けたいわね……」
離れていくキファレス領を眺めながら、のんびりとプロキオン領へ向かう、旅人ロベリアだった。
◆◆
プロキオン領の小さな市場へ近づく頃、ロベリアは荷馬車の中へ隠れた。荷台に人が乗っていると知られてしまったら、ここまでの旅路が水の泡になってしまうからだ。
「……ひゃっ!? 何!?」
暗闇の中、突然右腰あたりにひんやりとした何かを感じた。思わず声が出てしまったため、運転手も気づいた様子だった。陽気な口笛が止まると同時に、ロベリアの心臓も止まりそうになる。
「ん? 誰だ?」
運転手は荷馬車を一旦止め、運転席から降りずに荷台の方を振り返った。
──令嬢がこんなことで捕まるなんて、恥ずかしすぎるわ! それに今日の服は最悪よ! 捕まってしまったら、キファレス領でもあっという間に広がってしまう!
キファレス領には、噂が大好きなマダムたちがいる。どこからか情報を聞き入れ、一夜にして「ドケチ令嬢ロベリア」として名が広まってしまうだろう。
──そんなの嫌! 何とかして回避しないと!
ロベリアは一つ大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。
──大丈夫よ、ロベリア。取り巻きの頃に比べたら、こんなトラブルは些細なことよ!
学園で優秀な成績を収め、フォセカの虐げにも耐え抜いたロベリアが頭をフル回転させ出した答えは。
「に、にゃぁあ~」
猫にも失礼なほどの鳴き真似だ。こんな声で騙される者がいるのだろうか。
「なんだ、猫か」
ここにいた。運転手の陽気な口笛が再開され、ロベリアはそっと胸を撫で下ろした。恐る恐る右腰に触れ、暗闇の荷台から少しだけ手を出して外の光でそれを確認する。
「血!?」
それにしては痛みを感じない。染まった手を鼻に近づけると、ワインの匂いがした。ロベリアの姿を隠してくれた木樽からは赤ワインが漏れており、腰へついてしまったようだ。
「はぁ……今からジャミに会うというのに。でもまぁ、このボロ雑巾のような服で良かったわ。ゼラのお母様のお洋服では、申し訳なさすぎるもの」
朝から呑んだくれのような人物になってしまったが、無銭乗車の罰だろう。荷台から顔を出し、辺りの様子を伺いつつ通行人に気づかれぬよう地に降りた。
プロキオン領は、キファレス領とは真逆な景観で自然はほとんどない。真っ白で飾り気のない無機質な研究所が立ち並んでいた。市場を抜けると人とすれ違うことも少なく、挨拶も交わさない。悪い人ではないが、土地柄と職業上、寡黙な性格が多いのであろう。
「ジャミの家は……」
手紙に入っていた地図を頼りに先へ進むと、領民が寝食しているであろう街へ入った。先ほどの研究所とは違い、レンガで建てられた古民家が多く並んでいた。
ここプロキオン領は、かつて魔女が住んでいた場所と語り継がれている。今でこそ恐れる者はいないが、百年程前、この領地は卑しい者が集まる集落として嫌われていたのだ。だが、当時のプロキオン伯爵は魔術の名家が多いことを利用し、領地を魔術研究所として復興を遂げた。その復興後に建てられた研究所こそ、ロベリアが最初に見た無機質な建物だ。
さらに当時魔女と呼ばれていた者は国家魔導師として認定されている。魔術は国に制限されるほどの威力となった。医療現場や工場、舞踏会の演出などあらゆる場所で使えるが、事前に国家の申請が必要だ。
「深緑色の三角屋根が三つ並んだ家を探して、だなんて適当すぎるわよ……」
辺りを見回しながら、緑色の屋根をそれとなく探すと呆気なく見つかった。
「ジャミ、ごめんなさい。とっても分かりやすかったわ……」
ジャミの家は魔術の古文書を扱う研究室と併設しており、プロキオン領の三分の一を占めているほどの豪壮だった。門からは天使の彫刻が飾られた大きな噴水が、その奥に深緑色の三角屋根が三つ並んだ屋敷が見えた。
「すみません、ジャミに会いに来たロベリアと申します」
門の右側にいた門番に声をかけるも、今日のロベリアはボロボロの服装でワイン臭いことから、軽蔑されてしまい相手にしてくれなかった。
「あの! 言いたいことは分かりますが、ジャミにお呼ばれしている友人なんです」
左右の門番は目を合わせて首をかしげていたが、念のため右側の門番がプロキオン家に入り、確認を取りに行った。行きはごく普通に歩いていた門番も、プロキオン家から出るやいなや慌ててロベリアに駆け寄り、失態を詫びた。
「た、大変申し訳ございません! ロベリア様、今すぐお通しいたします」
──よしっ! なんとかミッション達成だわ! さすが私ね!
無事プロキオン邸へ到着した旅人、いや、浮浪者のような令嬢ロベリアなのであった。




