01 取り巻き令嬢 ロベリア・アークリィ(1)
「ロベリア、あなたに暇をやるわ。もう取り巻かなくて結構」
「……はい?」
「だから、暇をやるって言ってるのよ!!!」
暖炉の火がパチパチと音を立てているが、白熱しているこの学園長室には不要かもしれない。
怒りの沸点が低く、ヒステリックに騒ぐこの女性──フォセカ・アルニタク。
大きな白いリボンで結ばれた赤毛のポニーテールは、フォセカの叫びと連動するかのように大きく揺れ動いた。この国での結婚適齢期、十八歳ともなる女性がこんなにも幼いリボンをつけているなど、身分が高い者でない限り周囲から軽蔑されるに違いない。
──こんなヤツがこの国の王女だなんて。地獄の方がまだ天国に見えるわ
ロベリア・アークリィは、そう心の中で呟いた。
彼女たちはシトリン学園から支給された学生服を着ていた。金色のボタンと刺繍が輝くアリボリー色のブレザーに、白いシャツ。首元にはシトリン学園を象徴する黄金色の宝石が紺色の紐ネクタイの結び目につけられている。校則で決められた膝下までのスカートは、高級なチョコレートを彷彿させるような上品な色合いだ。
同じ学生服を着ている二人だが、彼女たちの関係はただの学友ではない。ロベリアは名家の令嬢が通うここ『シトリン学園』で、王女フォセカの取り巻き“役”として仕えている。王女の駒として働く彼女が言い返すことなどできるはずもなく、冷静かつ丁寧に返答した。
「フォセカ様、急に何を仰いますの?」
「はぁ? 一度で聞き取れない耳なんてピアスごと引きちぎるわよ!?」
平坦な一重瞼に宿るブラウン色の瞳が、冷たくロベリアを睨んでいた。一国の王女からこのような態度を取られたのなら、大体の人間は震え上がり声が出なくなるに違いない。しかしこのロベリアは違った。もとい、フォセカと違い身分を弁えた言動を取れる聡明なロベリアは、やはり口に出すことはしなかったが。
──こっちだって、そのリボンごと赤毛を引っこ抜いてやるわよ!
「全く、何回言わせるのよ。馬鹿だから分からないのかしら? クビよ、クビ」
「クビ……」
「あら? みんなが羨むほど可愛くて優しい私の元から離れるのが辛いのかしら? ふふ、でもあなたに飽きちゃった。もういらないの」
フォセカを『可愛くて優しい王女様』と際立たせ印象を操作するために、アルニタク家の支配下にあるアークリィ家からロベリアは雇われていたのだ。ロベリアに嫌がらせをするように命令し、フォセカは何食わぬ顔で彼女を救済する。慈悲深い王女様だと民から思われたいといった、ただの承認欲求の塊だ。
──本当になんでコイツが王女なのかしら! この世に身分なんてものがなければ、こんな女ただのボンクラよ!
「だからもう一生、私を取り巻く必要も悪役のように振舞う必要もないわ。ま、あなたは役なんかじゃなくて、もともと根性悪でしたわね。失礼したわ」
ロベリアは手を拳にしてぐっと力を入れた。手の平に爪が刺さり、血がぷくっと膨れ上がるも憤慨している彼女には痛みすら感じなかった。今までフォセカに虐げられてきた数々の出来事に比べたら、この傷なんてかすり傷、いや、無傷も同然だ。
――根性悪? ならばお望みどおり、殴ってもいいのかしら?
まさに悪役として取り巻く雇用者としては百点満点だ。暴力でさえも品行方正とみなされ『素晴らしい』と称えられることだろう。しかし、それはフォセカの素性を知らない者がいる手前でのこと。今は当然そんなことなどできず、褒められるどころか殺されるのが関の山だ。ロベリアは妄想を打ち切り、冷静さを保ちつつ話を進める。
「……そんな急に困ります! 私が記憶喪失なことご存知でしょう?」
ロベリアには三年前──、十五歳の時に取り巻き教育が開始された以前の記憶がない。正確に言えば、一般的な知識や常識は覚えていた。だが、それまで住んでいた場所や数々あったであろう思い出、生みの親の名前、そして自分の本当の名前でさえも思い出せないのだ。
今の名前も、ロベリアがフォセカの雇用者となった時に付けられた。
『私の玩具ですもの、無くさないように名前を付けてあげないとね? そうね、あなたの名前はロベリアよ。ふふ、可愛がってあげるわ』
『ロベリア』それは猛毒を宿した花の名前だった。そしてロベリアの了承なくしていつの間にかアークリィ家と養子縁組をされていた。フォセカがロベリアをアルニタク家に置かなかったのは、この毒花が月光を宿したかのように気高く輝いているからだ。
ブロンド色に輝く、少しウェーブのかかったロングヘア。二重瞼の少し吊り上げられた目尻。長い睫毛から見える新緑色の瞳は大きく、見る人に知的な印象を与える。彼女は取り巻き役にはふさわしくないほどに、容姿端麗であった。整った顔立ちは誰もが一度は目を引く。女王フォセカの取り巻きでなければ、ロベリアを求める男性は数多くいただろう。フォセカはそんな彼女を嫌っていた。──あの頃から。
しかしロベリアはフォセカの思惑など知るはずもない。記憶もなく、心が空っぽだった当時のロベリアは命令されるがままに、アルニタク国でフォセカの取り巻き役としての過酷な『取り巻き教育』を受けてきた。いや、それは教育などではなく、生きた人間に操り人形の糸を括るような行為ともいえよう。
「あら? クビにしたことももう忘れてしまったのかしら?」
「そうではなくて……!」
このような境遇のロベリアに選択権はない。受けなければ唯一の寝床であったアークリィ家にいられなかったし、学園にも通えなかった。拒否した先に待ち受けるのは野垂れ死ぬだけの運命だった。
「頭が空っぽだから何だって言うの? アルニタク家の支援がなければ、あなたは死んでいたのよ。むしろ三年も傍に置いたこと、感謝してほしいぐらいだわ」
「ですが……! 今、学園を退学になってしまうのは困ります」
ロベリアはこの三年間でフォセカの最低な取り巻き役として仕立て上げられた。暴言、暴行、虚言、虚偽、人として望まぬ行為がすでに体の髄まで染み込んでいる。このまま社会に溶け込めるはずがない。
──この王女から離れられるのことは万々歳だわ! ……でも、この先どうすればいいのかしら。今の私には、取り巻き役をすることでしか生きる道が分からない……
「ま、そういうことだから。ね、いいでしょう、叔父様」
「フォセカがそう言うなら、構わないが……」
フォセカと同じ赤髪をもつ小太りの叔父、ビリー・アルニタク。
目が開いているのか疑わしいほどの糸目で、一連の流れを黙って眺めていたのだ。彼はこの学園の学園長を務めている。学園での最高権力の地位であるとはいえ、運営は王国が執っているために、実際のところはフォセカの思うがままだ。少し気弱な叔父はフォセカに逆らえなかった。
「ただ、いくらなんでもこの時期は可哀想じゃないかい? あと二ヶ月で卒業だろう? これじゃ卒業資格も与えられないよ」
この学園は単に学び舎だけではない。ここを卒業すれば、気品の高いの教養を受けたとして社交界でも高く評価される。つまり、名高い領家の元へ嫁ぐ可能性が高くなるのだ。
逆を言えば、この学園の卒業資格を持たない令嬢は下級令嬢として見下される。退学ともなれば尚更、貴族たちの冷たい視線を浴びることとなり、選ばれないであろう。
「あら、だからいいんじゃない。卒業資格は学業を修めたものが得られるもの。欠陥品のロベリアなんかに卒業資格を与えてしまっては、この学園に汚名を刻むことになりますわ」
──欠陥品はアンタでしょ? 一度頭の中を検品してもらいなさいよ!
「お言葉ですが、私は全ての科目において常に学年二位の成績を維持してきました。卒業資格はあると自負しておりますが」
失点をしたことがなく常に満点だったロベリアは、本来ならば一位であるはずなのだが、理事長の手によって降格されていた。もちろん一位はこのワガママ王女様だ。ビリーは、国王である兄の娘の命令を断ったらどうなるかなんて考えるだけでも恐ろしく、そうせざるを得なかったのだ。
「あら、二位でしょう? 私に勝ってから言ってちょうだい?」
「……大変失礼いたしました」
フンッと鼻で笑うフォセカは、ビリーの座るテーブルに腰かける。ビリーの糸目が少しだけ開きビクッと肩を震わせたが、フォセカはお構いなしに頭を下げるロベリアを見下ろした。
──なんでこんな王女に敬意を示さないといけないのよ! その顔を殴ってもっと芸術的にしてやりたいわ……!
強制的に退学させられる最後の最後まで、頭を下げている自分が情けなくも思えた。強く奥歯を噛み締めると、顳顬がズキンと痛んだ。
「とにかく、もうあなたはいらないわ。今日をもって終わり。学費の支援も打ち切らせてもらうわ。まぁアークリィ家があんたのために学費を払うというのであれば、在学の許可は考えますけれど?」
答えは明白だ。
アークリィ家は、ロベリアが取り巻き役としてフォセカに仕えることで、アルニタク家から報酬を得ていた。学費の支援というのは名目に過ぎない。養子縁組を受け入れたことも、ロベリアを我が子としてではなく、金を得るための道具にすぎなかった。無論、道具に使う金なんてない。むしろ家から追放されるのも時間の問題だ。
──地獄のような三年間は何だったの……?
ロベリアの落胆する姿が堪らず、フォセカはふふっと憎たらしく微笑む。
「あら失礼。失望する顔、最高よ。三年も待った甲斐があるわね」
ロベリアは、フォセカの取り巻き役として仕えた日から今日までの三年間、国に敷かれたレールの上をただ真っ直ぐに走っていたが、脱線させられてしまった。大富豪の令嬢のように、高貴で輝かしい未来が待ち受けているとは思っていなかったが、それでも卒業後は何処かへと嫁ぎ、フォセカから離れた新しい道で人生を歩めるかもと少しの期待を胸に秘め、これまで耐えてきた。
それなのに──
「もしかして最初から……」
「えぇそうよ。ただ取り巻いてもらうだけじゃつまらないもの。地位も家もないただの玩具に優しくする理由があるとでも? 笑わせないでちょうだい。あなたはロベリアと製造名を付けられただけにすぎないわ」
ぴょんっと机から降り、俯くロベリアを舐め交しく覗き込む。悪魔にも似た蔑んだフォセカの本当の顔。
「ふふ、ヒトが堕落していく姿、こんなにも醜いのね。たまらないわ、ゾクゾクする」
自分の玩具が、思い描いたように操られている姿に満悦するフォセカ。ロベリアの顔を指でなぞる。
「…………ッ」
虫唾が走る感覚に、歯が砕けるほど強く強く噛み締め耐える。最後だというのにどうすることもできない。『従え』と体が覚えてしまっている。
「……ふ、そんなに落ち込まないで、ロベリア。あなたには、とっておきの舞台を用意してあげる。もう少しだけ生きて、私を楽しませてちょうだい」
ロベリアは、フォセカの首を絞める……ことを想像しながら、西日の差す学園長室を去った。残酷な発想をしてしまったのは、やはり取り巻き教育の賜だろうか。
記憶を失い、職を失い、いずれ家を失う。後先が見えない恐怖、死と隣り合わせになる絶望。フォセカにすがり、何度でも頭を下げることはできたはずだ。けれど自分のプライドだけは失いたくなかった。




