第八話
「ぷくっ…」
何かを耐えるように、けれど思わず洩らしてしまったようなヘンな声がした。
「くっ…くくく」
「は…はるか?」
やっぱりダメなのだろうかと服を掴んだまま不安げに斗真が見上げた。
「あーっはっはっはっ!!ひぃっひぃっひぃ〜ひっひっひっひっっ、げほっこほっ、あ、
お腹イタイっ、ぷっ、くくくくっ、死ぬっ、あはっ、ぶはぁっ、あーはっはっはっ!!
くっ苦し…っ、やっぱダメっ」
「やっぱダメなの!?」
ガーンっと悲しげに悠を見るが、お腹を抱えながら苦しげに笑ったままだ。
同じように蓮を見上げると、蓮は蓮で見たこともないくらい機嫌が悪そうに悠を睨みつけている。
(えっ?えっ!?どうゆうこと?)
何で蓮が怒ってるの?
頭の中が疑問符だらけで混乱した。
「いやっ、だから違うってばっ、ふふふふっ、とう…まのせいじゃなくって…ぷくっ、いやある意味
斗真のせいだけど、でもそうじゃなくって…くくくっ、あっ、ヤバイ、また波が来たっ」
爆笑の嵐が来たのか、苦しそうに笑い続けている。
こんなに馬鹿笑いをしている悠は初めてだ。
「れ…ん」
説明を求めてもう一度、蓮を見上げる。
はっとした顔でこちらを見た蓮は、我慢していたものが一気に噴き出したように斗真を抱きしめた。
「蓮っ?」
「斗真…ごめんな」
もう離さない…そう思わせるほど力強く抱きしめて、腕の中に閉じ込めた。
斗真の首筋に顔を埋めて、小さくキスをすると優しく囁いた。
「斗真…好きだ。悠のバカが何言ったのか知らないけど、そんなの信じるな。
俺は、ずっとお前が好きだ。お前が嫌だって言っても、離してやれない」
大好きな、優しくて心地良い…甘い声が頭に響く。
暖かくて逞しい腕の中で、斗真はほっとするのを感じた。
(男が男の腕の中にいて安心するってどうなんだろ…)
自分で自分に突っ込みを入れながら、それでも受け入れてくれた嬉しさが勝った。
(ううん…きっと、蓮だから)
相手が蓮だから、傍にいて嬉しい。一緒にいて安心するんだ。
たった1週間、会わなかっただけなのに。
荒んでいた心が安らいでいくのを斗真は感じた。
「斗真…」
強烈な大人の色気を放って、熱い吐息が耳元を擽った。
「斗真―――」
「えぇいっ、いい加減にしろこのエロバカっ!!真っ昼間からいらんフェロモン撒き散らすなっ!!!」
唇が触れそうなくらい蓮の顔が近くなっていたが、笑い地獄から復活した悠がぐわしっと
蓮の襟首を掴んで離した。
ちっ、と忌々しげに悠にガンを飛ばすと、渋々斗真を腕の中から解放した。
もう終わり?という瞳で、名残惜しそうに蓮を見る。
「斗真。続きは帰ってからな」
だからちょっとだけ我慢してくれ、と言った蓮の方が悔しそうだったが、そんな様子は全部
無視して悠が言う。
「あーはいはい、そこのバカップル。分かったからとりあえず……響ちゃんのトコでも行こっか」
言われてから斗真は、響を放って来てしまったことを思い出した。
*******
3人揃って久しぶりにカフェテリアへと行く。
日当たりの良いテラス席に、山のようにお菓子を広げてコーヒーを飲んでいる響がいた。
「響ちゃん、お待たせ〜」
「誰がキョ―ちゃんやねんっ、俺はヒビキだ!キョ―キョ―って俺は不如帰ちゃうわっ!!」
それはホーホーの間違いでしょ、と悠のからかう声にクワッと響が噛み付いた。
いつみても、先輩と後輩、というよりも近所の悪ガキと子犬の図だ。
響は明るく大雑把で行動的な性格をしている。好奇心のカタマリで、興味があれば
どこへでもふらっと行ってしまうのだ。
中学生をまんま大人にしたような男と言うのは響ぐらいなものだろう。
小柄な身体を精一杯大きく見せようとしている様子が可愛い。
身長は斗真より少し足りないくらいで、ワインレッドに染めた髪を立てて誤魔化している。
キチンとセットされていると『俺は170cmだっ』…らしい。
降ろしている時の身長は聞いてはいけない、というのはライ部では暗黙の了解になっている。
ニッと笑うと、八重歯が見えて元来の人懐こさと童顔ゆえの魅力を惹き立て、自然と彼の周りが華やいでいく。
無料チケットが何故か手に入るのも、彼の人望故だろう。
「そういやお前達、ちゃんと仲直りしたんだな」
悠と散々騒ぎまくって逃げたのか飽きたのか、響は蓮と斗真を見て二カッと話しかけた。
「俺と斗真は元から仲良いですよ。だから俺の斗真に手を出さないでくださいね、先輩」
「ちょっ、蓮、お前何言ってんだよっ」
「あーうん。分かったわ。他のもんにも釘刺しとく」
「えぇ、お願いします」
「えぇ〜!?先輩まで乗らないでくださいよっっ」
「やだね〜、嫉妬深い男なんて。ねぇ、斗真。こんな男なんてやめちゃって、僕にしておきなよ。
イイコトいっぱいしてあげるよ?」
「え?」
「っておい悠!ドサクサに紛れて俺の斗真に触んじゃねぇ!」
「わっ」
「あーやだやだ、斗真はあんたなんかの所有物じゃないってのに。ねぇ、斗真、僕の傍に居たいだろう?」
「え?あ、うん。悠といると楽しいよ」
「ほぉら見ろ。好きだ好きだって言うだけならサルでも出来るね。ホントに好きなら、可愛い斗真を少しは楽しませてみたらどう?」
「はっ、斗真は優しいからお前に構ってやってるだけだ。なぁ、斗真、俺のこと好きだろう?」
「えっとぉ…」
「えぇーいっ!お前らウルサイっっ!!!ちゃんと説明せんかっっ!!!」
斗真を挟んでギャーギャー騒ぐ3人(専ら悠と蓮の2人だが)に、いい加減ブチ切れた響が怒鳴った。
「俺の存在を無視してんじゃねぇ!」
響は自分が中心でないと嫌だという俺様な性格なのであった。
話を要約すると、斗真が自分の気持ちときちんと向き合えるようにハッパを掛けて、中途半端な状態から
抜け出させようと悠が行ったことだった。
「無理やりキスする蓮なんか嫌いだ。しばらく会いたくないって」と嘘の情報を蓮に流し、
斗真に連絡したり、我慢しきれずに会いに行ったりしないようずっと見張っていたとのこと。
先ほど斗真が見たやりとりは、不機嫌な蓮をからかう行為で、嫌がらせ以外の他意はないとのことだ。
斗真があまりにも学校に来なくなってしまったこと、蓮がいい加減、我慢の限界で機嫌が悪く
周りが迷惑しているので、事情を知らない響を使って斗真を呼び出し、偶然を装わせて自分は蓮を連れて行き
2人で話をさせる予定だった。
そして自分は斗真に嫌味を言う意地悪なお邪魔虫という存在で、2人からは退散するつもりだったのだと。
悠は始めから自分を悪者にして、コトが纏まったら関係を断ち切ろうと考えていたのだ。
「それなのに、斗真が僕が欲しいと言ってくれたから。ホントに驚いたよ」
悠が爆笑しまくっていた理由はそこなのだ。
全く考えもしなかったところから大穴が来て、思わず笑ってしまった。
思いもしない直球がいきなり飛んできて、自分が考えていたことなんてとても愚かでちっぽけ
なものに思えたから。
斗真は自分を嫌いになるどころか必要だと言い、蓮のこともキチンと考えていて、こちらが思
っていた以上に子供ではなかったのだ。
でも凄く嬉しかった、と珍しく照れたように含羞む。
「じゃあ…悠は蓮のこと好きなんじゃ…ないの?」
「冗談!やめてよね、気持ち悪い。そんな勘違いするの、斗真くらいだよ。いくらそう思わせ
るようにしたとは言え、普段からあんなに仲悪いのに。ありえない。うぅ〜、想像しただけで
吐き気がしてきた」
おぇ〜っと品悪く嫌がる。
そんなに嫌がらなくても…とも思うが、よっぽど嫌そうなので本当のことなのだろうと思う。
「えっとじゃあ…蓮は悠と…付き合ってないの…?」
不安げに蓮を見つめると、こちらもかなり嫌そうな顔をしていた。
「斗真…いくら何でもそれはやめてくれ。こんなヤツ死んでもゴメンだ。こんなに斗真が好きだ
って言ってるのに。
それとも俺の気持ちを試してるのか?」
「えぇっ…」
切なそうにこちらを見つめてくる蓮には申し訳ないのだが、その表情は捨てられた子犬のようで
愛しい。
きゅんっと胸が高鳴るのを感じた。
「それじゃ、僕…蓮の傍にいてもいい?」
「…あぁ、もちろん。お前に傍に居て欲しい」
それを聞いた蓮は、本当に嬉しそうに笑った。
彼が、自分に笑いかけてくれる。
それだけで、心が温かくなれる。
ずっと、一緒にいたい―――
自分の胸に芽生え始めた確かな恋に、ようやく気付いたのだった。