第五話
少し暗いです。
苦手な方はご注意下さい。
唇が熱い。
触れている箇所が熱を持って疼いた。
斗真の頬は朱に染まり、激しい熱情に浮かされるように瞳が潤んでいる。
薄く開かれた唇からは艶かしい吐息が零れ、蓮の欲情を煽っていた。
もっと。
もっと。
うっすらと目尻に涙を滲ませているその顔を、自分の手で咽び泣かせたい。
その綺麗な肢体を快感で埋め尽くし、自分以外見れなくなるように。
自分だけを見つめて、愛して欲しい。
その身体の奥深くまで。
その瞳に自分以外を映させない。
斗真の全てを自分だけのものにしたい。
蓮は己の中にあるドロドロとした黒い独占欲を感じていた。
何も考えられないように、自分の存在だけを刻み付けて。
その声も、その表情も、その身体も、その心さえも。
全てを奪いつくしてしまいたい。
(待つって…決めていたが、もう限界だ)
いつまでも変わらない距離感を苦しく感じていた。
友人だった頃よりも近づいているのは確かだった。
けれど、それ以上何も変化がなかったのもまた事実。
時折自分を意識してくれているのが分かっていたが、それだけだ。
(くっ…俺も貪欲になったものだ)
始めは知り合って、友人になれればそれで良かった。
自分という存在を知って欲しかっただけだったのに。
いつの間にかそれ以上を望んでいる自分に呆れる。
口付けだけでは我慢出来ずにそれ以上のことをしてしまいそうな自分がいた。
(まさか、知り合う前からお前のこと好きだった、なんて知ったら、お前は気味悪がるだ
ろうか?)
例えそうなったとしても、きっと離してやれない。
斗真がどんなに嫌がっても。
他の人間を好きになったとしても。
この腕に閉じ込めて、誰の眼にも晒されないようにして。
逃がさない。
(お前は、俺だけのものだ―――)
溢れそうな激情を押さえ込む為に、蓮は斗真を抱きしめる腕に力を込めた。
「蓮…僕―――」
斗真が何かを告げようとしたその時、近くで人の気配がした。
「…でさぁ、―――ぎゃはは」
「―それで…―」
男女の声が聞こえていた瞬間、斗真は焦って力いっぱい蓮を突き飛ばし、腕の中から逃げ
出した。
「…っ」
「あ、ゴメン」
条件反射とはいえ、蓮を突き飛ばしてしまった。
その気まずさを補おうとして斗真は捲くし立てるようにしゃべった。
「えっ…えっと、だいぶ冷えてきちゃったね。やっぱ春とは言えまだ3月だもん。蓮はお
風呂入って来たんだろ?風邪引かないように早く帰ってね!じゃ、僕は帰るからっ」
「ちょっ、斗真!?」
言いたいことだけ一方的に告げると、斗真は脱兎のごとく逃げ出した。
帰り道、他人に見られてしまっていたかも知れないという恥ずかしさに、斗真は泣きそう
になりながら走った。
その後ろ姿を、蓮がどんな気持ちで見送っていたかも知らずに。
「それで、逃げてきちゃったの?」
ばっかじゃない?と続ける悠は大変ご立腹であった。
昨夜、蓮を独り置いて帰ってしまったことに罪悪感を感じた斗真は、唯一事情を知ってい
る悠を捕まえて、奢るからと言いくるめて強引に構内の喫茶ルームへ連行した。
昨日、悠に言われたことを実行する前にあった出来事を包み隠さず話した。
夜の公園で逢瀬を交わしていたのはお互い様で、普通の友人ならなんら疚しいことなど何
もない。
けれど、自分達は違うのだ。
そのことに気が付いたら、どうしようもなく恥ずかしくなって逃げてしまった。
相手を想う気持ちは相手が男であろうと女であろうと変わりはないはずなのに。
他人の目を意識した途端に逃げ出したい衝動に駆られて実行してしまった。
「やっぱ、蓮…怒ってるかな」
はぁ、とため息と吐きながら悠に問う。今更ながらに自分のしたことは、絶対にしてはい
けなかったことのように思える。
「さぁ…斗真の考えそうなことなんて、分かってるから大丈夫なんじゃない」
投げやりな態度でお気に入りの紅茶を飲みながら悠が言う。
「むっ…そんな適当なっ。真面目に考えてよ」
「だったら言うけど、僕だったらそんな恋人嫌だね」
「ぐっ」
グサッと悠の言葉が胸に突き刺さる。
いつもの毒舌も、今は何故か酷く痛い。
自分から聞いたくせに、悠に相談しなければ良かったかも…と後悔する。
しゅん、と項垂れる斗真に、さすがに今回は言い過ぎかなと思った悠は、少しだけ優しく
してやることにした。
「それで?僕が昨日言ったことは実行してないわけだ」
「うん」
「じゃあ今から蓮を捕まえてきて、やってきて」
「はぁ!?」
昨日の今日で気まずいのに、そんなこと出来る訳ないじゃん…って顔をしている斗真を無視して、
悠は無情にも告げる。
「やらないんなら、蓮を失っても仕方ないよね?」
「え?」
蓮を、失う…?
言葉の真意を量りかねている斗真の様子に、悠は呆れたように続けた。
「いっくら仮とは言え、一度付き合った相手と友達に戻れるわけないじゃん。もしかして、
別れてもそのまま仲良く出来るとでも思ってたの?」
「……」
図星を指されて、斗真は黙り込む。
何も言い返せない。
ダメなら元に戻れば良い、と軽く考えていたのは事実だったから。
今更ながらに短慮な自分の行動を憾んだ。
「はぁ〜。そうでなきゃ、あっさり付き合い始めたりしないよね。僕が甘かったよ。…そうだな、
例えば仮に蓮がそれでも良いと言えば、それもありかもね?やっぱり無理だったから友達に戻ろう
って斗真が言えばいいだけの話なんだから。
だけど、付き合う前みたいなスキンシップは絶対してこないだろうね。特に、蓮みたいなタイプは」
「…なんでそんなこと言い切れるんだよ」
なんでもわかっているような悠の口ぶりに腹が立ち、ついきつく言ってしまう。
ほとんど八つ当たりに近いものだったことに自覚しながらも、何も言えない自分が嫌だった。
「じゃあなんでそんな虫の良い話があるの?」
今度は悠が苛立ちを隠さずに言い放つ。
優しくしようと思ったが、今回は無理そうだと思った。
「自分からは何もしない、言わない。でも相手にはそれを望み、都合の良い時だけ仲良しこよしの
オトモダチ。そんな関係で満足出来る人間なんて、この世に存在するわけないじゃない」
「僕はそんなこと言ってない!」
「言ってるんだよ!」
普段は冷静な悠が怒鳴った。
場所も考えずに感情をむき出しにしながら斗真に現実を突きつける。
午後の講義が始まってはいたが、人気が皆無というわけではなかった。
険呑な雰囲気に、周囲からは奇異の目が向けられる。
それでも悠は気にせず続ける。
「僕だって、最初はそれでもいいと思った。とりあえず付き合ってみて、恋人になってから
好きになることだって普通にあるよ。男女の関係だってほとんどがそうだもの。でも斗真は違う」
相手を好きになろうとしてない。自分の気持ちを探ろうとしてない。
意識はしてみても、そうかもしれないと思っても、何もしてない。
相手にばかり要求して、相手の気持ちを考えてない。
そんな恋愛ばかりして誰かを傷つけてばかりの自分と重なって、悠は斗真を傷つける言葉しか言えなかった。
そんな自分が嫌いだった。
(結局僕も、人のことは言えないよな…)
くっと諦めにも似た苦笑をする。
努力もしないで手に入れたものは儚く壊れやすい。物理的なものでも、賞賛でも、人間関係でも。
そんなものに、何の価値もない。
今まで苦労もせずに手に入れたものは、すぐに色を失ってしまっていた。
何もしなければ、簡単に手の中をすり抜けて零れ落ちてしまう。
それが、どんな大切なものだったか後で気が付いたとしても。
失ってしまってからでは遅いのだ。
唯一手にしたものの中で、初めて失いたくないと思ったもの。
(斗真…僕の本気って、結構貴重なんだよ?)
だからこそ。
悠は更に酷い言葉を投げつける。
「斗真がいつまでも蓮の気持ちを弄ぶんなら、代わりに僕が蓮を慰めるから」
「…は?」
何を言っているのかわからない、と斗真は呆然としたまま悠を見つめる。
「もったいぶって何もさせない斗真から蓮を救ってあげる。僕ほど綺麗な相手から好かれたら、
いくら堅物の蓮でも少しは気が紛れるでしょう?」
魅惑的な微笑を浮かべた悠は、高らかに宣告した。
「蓮は、僕が貰ってあげるよ」
だからキミは何もしなくていいよ、と優しく囁いた。
次回より更新ペースが少し遅くなります。
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