第三話
流れるように動く指先。
忙しくとも少しも乱れた様子のない所作。
コックコートを着ていてもハッキリとわかるくらい鍛えられた身体は、大人の男を感じさ
せる。
いつになく真剣な面差しで次々と美味しそうな料理が生み出されていった。
いつも飄々としていて、何を考えているのか分からない彼からは全く想像出来ないような
表情をしている。
射抜くような強い視線。
額には薄っすらと汗を浮かべている。
厨房の中には、彼の他に料理長らしき貫禄のある男性と、ゴールドに近い明るい髪を一つ
に括っている男性がいた。
全員、蓮と同じくらいガタイが良い。料理人はやはり体力勝負だからだろうか。
蓮は店のメンバーの中でも一番年下だけれど、勤続年数は長い。
前に少しだけ聞いたことがある。確か、中学の頃から手伝いを始めて、高校に入ってから
厨房に立たせてくれるようになったと言っていた。
現在大学2年になるので、もう8年目だ。
(あ、やったじゃん)
蓮がフライパンから白い平皿へとパスタを盛った。以前お皿に上手く盛り付けられないと
零していたが、盛った瞬間に少し満足そうな顔をしていたので、今日は納得がいったのだ
ろうと思った。
(盛り付けなんて、食べ始めたら関係ないのに)
お腹に入ってしまえばみんな一緒、なんて蓮が激怒しそうなくらい斗真は大雑把なのだ。
けれど、納得がいかなかった時に蓮が少し悔しそうにするので、彼が納得がいったのなら
斗真も単純に嬉しいと思った。
(料理、好きなんだろうなぁ)
厨房に立っている時の彼は、普段では滅多に見ることの出来ない真剣な表情をしている。
斗真は、いつもクールそうにしている彼のその顔を見るのが好きだった。
それは、憧れにも似た想い。
何かに必死になれることが、単純に凄いと感じていた。
自分には、ないものだから。
「…ま!斗真ってば!」
「へ?」
「ったく、見惚れるのなら一人で来てよね。僕はあったかいうちに食べたいんだけど?」
斗真が考え事をしている間に、オーナーが悠の料理を運んできてくれたようだった。オー
ナーは斗真に声を掛けることなく、気を使ってすぐに下がったようだ。『お連れ様は大変
ですね』と珍しく苦笑を洩らしたことも斗真は知らない。
「はぁ〜、斗真がそんなに好きだったなんて知らなかったよ」
「はっ!?何言ってんだよ、そんなことないって!!」
ガタン、と音を立てて派手に立ち上がる。ビーフシチューを口に運んでいた悠は斗真の
慌て振りに内心にやりとしながら呆れたような顔をした。
「何をそんなに怒ってるんだ?」
「だっ…悠が変なこと言うからっ」
「変なことって?」
「それはっ…」
問われた質問に斗真は頬を赤く染めて、立ったまま俯いてしまった。
(あ〜あ、ダメだな、これは)
思っていたよりも彼にやられて恋する表情をしている友人を見ながら悠は思う。
少し前までは面倒くさがりで、何に対してもさほど興味を示さなかったのに。
そんな斗真の隣に立っているのが自分だけであることが、必要とされているようで嬉しかっ
た。
けれど、今はもう違うのだろう。
そのことに気付くと、少し寂しいような気持ちがした。
「何で立っているんだ、斗真。行儀が悪いだろ。大人しく座ってろ」
「げ。」
「れ、蓮!?」
蓮は白い平皿を片腕に乗せてテーブルの前に立っていた。
何で厨房に居るはずの蓮がここに。
今しがた頭の中を占領していた人物を目の前にして固まる。
呆然と立ち尽くす斗真は、仮だけれど一応恋人の蓮が突然現れてパニックに陥っていた。
(い、今の聞いてた!?いやいや、それよりも何で蓮がホールにいるんだよ!?)
もはや蓮の言葉は脳に到達していなかった。何で、何故、どうして、という言葉だけが頭
の中を駆け巡り、ぐるぐると無限ループを繰り返す。
そんな斗真の様子を見ていた蓮は、ふぅ、とため息を零した。
「斗真」
「…っ!?」
耳元に少し顔を寄せて、愛しい恋人の名を幾度か呼ぶ。
呼ばれていることにようやく気が付いたのか、ぴくりと慌てる様子が可愛かった。
けれど、そんな表情を他の客になど見せたくはない。
混雑する時間帯とはいえ、ただ立っているだけでもやはり目立ってしまうものなのだ。
「斗真。考え事してもいいからとりあえず座れ」
着席を促すとようやく座った斗真を確認した蓮は、持っていた平皿を斗真の目の前に置
いた。
「お待たせいたしました。カルボナーラでございます」
コトリ、と静かに置かれた平皿の上には黄金色をしたパスタが美しく盛られていた。
「うわぁ、美味しそう」
斗真は嬉しそうに料理を見つめる。香ばしく炒められた厚切りのベーコン、程よく散ら
ばっているブラックペッパーの香りが食欲を引き立て、滑らかな生クリームと卵のホワ
イトソースがたっぷりとパスタに絡まって、ホカホカと熱そうな湯気を立てている。
「いただっきまーす」
サイドに並べてある銀のフォークを手にとって、上手にパスタを巻きつけていく。
ぱくっと口にすると、絶妙なバランスで甘みと塩気が口の中に広がっていった。
「んん〜っ美味しい〜」
にへらっと満足そうな笑みを浮かべると、次々とパスタが口に運ばれていく。
その表情を確かめて微笑を洩らすと、蓮は厨房へと戻っていった。
「ホント、美味そうに食べるよな。僕にも一口ちょうだい」
「だめっ。悠にはそっちがあるでしょ」
「いいじゃん。減るもんじゃなし。ちょっとくらい寄越せ」
「あぁ!!」
減るし〜!と必死の抗議も虚しく向かいから伸びてきた悠のフォークに奪われてしま
った。
食べ物の恨みは怖いぞ。
『うぅーっ』と上目遣いに睨みながらぼやく斗真を尻目に、戦利品を口にする。
うん、これは確かに美味しい。
もぐもぐと咀嚼していると、どこからか強い視線を感じた。
何かを感じた方へと目線をやると、蓮が凄い勢いでこちらを見ていた。否、悠を睨ん
でいた。
(…まじかよ。それくらいで嫉妬なんかするなっての。ふんっ)
チラリと斗真へ目配せをしてから、もう一度蓮を見てふふっとほくそ笑んだ。
そう簡単に友人はあげないよ。
唇でそれだけ紡ぐと、悠は斗真へと向き直した。
「そういえばさ、仮とは言え付き合ってるんだったら、やっぱセックスしたりすんの?」
「ぶふぉっ」
突然、際どい質問をされた斗真は派手にお茶を吹き零した。
食後の飲み物を頂いているときにする会話ではない。っというか、どこからその質問に
繋がるのかサッパリ分からなかった。
「ななななな…っ」
「汚いなぁ〜」
もう、気をつけてよね、と零す悠の神経が信じられない。なんでそんなこと平然とした
顔で聞くのか。
斗真はかぁーっと耳まで赤くなってしまい、あまりのことに言葉を紡げなかった。
「で、実際どうなの」
「どうなのって言われても…」
こんなところで話す会話でもないが、場所を変えれば良いというものでもなかった。問
われたものの答えに困ってしまうからだ。
「…何も」
「何も?触ってきたりキスくらいはしてるだろ?キミたちが付き合い始めてもう2ヶ月
も経つんだよね?」
「………うん」
「…」
「………………っ」
「何かの冗談?」
ふう、と盛大なため息を吐いた。信じられないものでも見ているような視線に、斗真は
いたたまれなくなる。
ため息を吐きたいのは僕のほうだ、と思ったが、自分の中にあるグルグルとした気持ち
が何なのか、よく分からないせいで言えなかった。
あんなに普段から周囲に俺のものだと言わんばかりに独占しようとするくせに、まった
く手を出していないなんて。
悠にはバカなんじゃないかとしか思えない。いや、むしろアホだ。
こんなアホ2人に振り回されている自分が馬鹿馬鹿しくなった。
サッサとくっついてしまうものだと思い、またそれを嫌だと思っていながら期待してい
た自分がいた。
「はぁ…」
「あんまりため息吐かないでよ。別に悠に迷惑掛けてる訳じゃないのに」
「だって…ねぇ」
そうは言っても、結構キミの知らないところで被害が出てるんだけど?
独りごちるが、お子様斗真に言ったところで、蓮の問題だから言っても仕方ない。蓮が
いつまで経っても警戒している原因はここにあった。
つまりは、不安なのだ。
蓮から強引に押し切って始めた関係だった。そのまま押し切って手を出せば良かったの
に、斗真の気持ちを優先した男はそれをしなかった。
だから、いつまで経っても進展しない。
少なからず、斗真は蓮を気に掛けてはいるが核心を突くまでには至っていない。
それに気付くためには、やはり切っ掛けが必要なのだ。
「押し倒しちゃうなりなんなりしちゃえばコトは早いのに」
悠はとんでもない爆弾発言をさらっと言ってのけたのだった。