第二十二話
何が起こっているのかわからない。
呆然としたまま瞳を大きく開かせることしか出来なかった。
「んくっ……やっ、やだ…っ」
自分がキスされているんだということをようやく頭が認識すると、隼人の胸を押しのけて逃れようとした。
こんなのやだっ…
特に拘束されていたわけではなかったのに、金縛りにでもあったように身体の自由が利かない。
隼人はただ、そっと斗真に触れていた手を離した。
「なっ…なんで…」
何がなんだか分からない。
いや…分かりたく、なかった。
「俺は…お前が好きだ。だから、キスした」
唇をなぞるように親指の腹で斗真のそれを撫でる。
触れた先からピリッとした痛みが走った。
「や…やだな、先輩。僕は男だし、可愛くもなければ悠みたいに綺麗でもないし、先輩みたいに頭が良いわけでもないし、響先輩みたいに特にこれといった才能もないし。そんなわけ…あるわけないじゃないですか」
ははは…と乾いた笑いが零れる。
今すぐこの場から逃げ出したい。
こんなこと……信じたくない。
「また僕をからかおうって言うんですか?もうやめてくださいよ〜、心臓に悪いです」
隼人の瞳は、じっと斗真を見つめたまま。
何もかも、力ずくで奪われてしまいそうなほど……獰猛で、熱い視線。
見返してしまったら、何かが壊れてしまいそうな予感がした。
「あーびっくりした。は…悠…が待ってるし、僕はもう行きますね」
必死に何でもないような素振りをして、俯いたまま隼人の顔を見ずに中庭へと戻ろうとしたけれど、力強く腕を掴まれてしまった。
「…っ!」
「行かせない」
隼人は低く唸ると、そのまま腕の中に閉じ込めた。
絡めとるように斗真の身体を抱き寄せ、苦しくはないけれど決して許してはくれない束縛。
耳元に唇を寄せられると、低い声と……ムスクの香りがした。
「やだっ……せんぱいっ、離して…っ!」
抗うけれど、隼人は力を緩めてはくれない。
むしろ逃すまいとグッと抱きすくめられた。
(こんなのやだっ……れんっ…蓮っ)
斗真は涙目になりながら愛しい人の名を必死で呼ぶ。
激しい嫌悪感。
相手が蓮でないというだけで、どうしてこれほどまでに嫌なのだろうか。
蓮が好き。
抱きしめて欲しいのは蓮にだけ。
キスして欲しいと思うのも、ずっと傍にいて欲しいと願うのも。
抱き合う痛みも恥ずかしさも―――蓮だから、耐えられるのに。
「そんなにあいつのほうがいいのか…?お前を放っているような、甲斐性の無いやつなのに」
「そんなことない…っ、蓮はいつも…」
優しくしてくれてるもん…っ
最近は疲れた顔をして、なかなか甘えられないけれど…それでも彼が自分に優しいことに変わりは無かった。
隼人の腕の中でもがき、抜け出そうとするが逃げ出せない。
抵抗すればするほど…隼人の弑逆心を誘っていることに、斗真は気が付かなかった。
涙で大きな瞳が潤み、頬を紅潮させて暴れるけれど、隼人にとっては弱弱しく嫌がっている程度にしか見えなかった。
むしろ、そのあどけない表情が隼人のココロを煽ってくる。
ひどく甘えさせて可愛がってやりたい気持ちと……泣き出すまで苛め抜いてやりたい衝動が隼人を襲った。
「先輩は響先輩が好きなんじゃないんですかっ!?なんでっ……どうして僕なんかを…っ」
お願いだから離して…っ
ホントにほんとに嫌なのに…っ
斗真に上目遣いに睨まれて、隼人は目尻から零れ落ちそうな雫を指で拭った。
濡れた指先をぺろりと舐めると、もう片方の目元に口付けを落とす。
拘束する腕の力は容赦が無いのに、触れてくる仕種はとても優しかった。
「響…?あぁ、周りが勝手に言っているだけだ。俺はなんとも思っちゃいねぇよ。あいつには他に恋人がいるしな。……けど、そんなことはどうだっていい。それよりも」
長い指先で頬を撫でる。
仕種は優しいのに、痛みを感じそうなほど鋭い視線で射抜かれた。
「お前……ずっと、無理して笑ってるだろ」
「……っ」
「それも…お前が俺の家に泊まった、あの日から」
しまった――― …と心底思った。
隼人は…その後のことを、知らない。
「なぁ…俺を選べよ」
「え?」
唐突に、隼人が選択肢を突きつける。
言い方はどこか存在なのに、拒否権など最初から無い様な声色だった。
「あいつなんかよりも、ずっと大切にしてやる。お前が寂しいときは傍にいてやるし、不安なときは一晩中抱きしめてやるよ」
「……っ」
覗き込むように見つめられて首筋を撫でられると、ぴくりと肩を震わせた。
斗真は魅入られたように抵抗するのも忘れて、穴が開きそうなほど隼人を見つめる。
鋭い眼差しを持った、涼しげな紅茶色の瞳。
スッと伸びた鼻梁。
男らしい凛々しい眉。
低く響く声。
蓮とは違う…男らしさを持った隼人は、とても整った顔立ちをしていた。
「斗真―――…」
耳朶に唇を寄せられ、熱い吐息が掛かる。
ぞくりとするほどセクシーな声で、甘く……斗真を誘惑してくる。
「俺のためだけに……笑ってくれ」
「ぁ…っ」
首筋から項にかけてゆるゆると口付けを這わし、回された腕に熱が篭った。
震える身体を叱咤して逃れようとするけれど、余計に隼人の胸にぴったりと寄り添う体勢になってしまった。
「…も…やだぁ…っ、せんぱい…っ離して……っ!」
それでも腕の中から出して欲しかった。
蓮以外の誰にも触れて欲しくない。
身体のどこも、ココロも…全部。
自分の心も、身体も――――すべては、疾うに彼のものなのだから。
「…んっ、蓮…っ!」
蓮じゃなきゃ嫌だ。
彼じゃなくちゃ、何の意味も無い。
蓮だから、安心出来る。
蓮だから、不安にもなる。
蓮だから――――自分はここまで来れたんだ。
「せ…んぱいじゃ、ダメなんです…っ。僕は蓮が傍にいないと……笑えない…っ」
だから離してください……そういうと、ようやく隼人は斗真を解放した。
それからすぐに隼人との距離を取って、呼吸を落ち着かせる。
零れ落ちそうな嗚咽を何とか噛み締めて平常心を取り戻そうとしたけれど、上手くはいかなかった。
(心臓が、バクバク言ってる………)
煩いくらいに騒がしい鼓動を宥めようとするけれど、恐怖心と緊張感に包まれたままのココロは言うことを聞いてはくれない。
(恐怖……?僕は…、隼人先輩が…こわ、い?)
掴まれた腕がジンジンして少し痛かった。
力強く回された腕はびくともしなくて、全然歯が立たなかった。
同じ男なのに、まったく違う。
完成された―――大人のオトコ、だった。
「そんな表情をさせたかったわけじゃねぇ…」
独白するようにポツリと呟く。
隼人は小さく苦笑すると、手のひらを上に向けてぷらぷらさせて腕を開いた。
「もう……何もしねぇから、そんな顔すんなよ」
な…、と哀しげに言う隼人は、いつものそれとは違って弱々しかった。
「あいつが…お前を好きだと知った時から諦めたつもりだった。けど、お前がそんなにも無理した顔ばっかするから…つい、箍が外れちまったんだ」
一瞬だけ悔しそうに顔を歪めると、すぐにいつもの表情に戻った。
斗真は零れ落ちた涙を拭って、隼人を見つめる。
「悪かったな」
さっきまでの『オトコ』の顔は何処にも無くて、見慣れた先輩の顔をした隼人にほっとした。
けれどすぐにもう一度、鋭い視線で見つめ返される。
「けど、いつまでもそんな顔してると…次は本気で奪いに行くからな?」
「…っ!」
大きく瞳を瞬かせ、背中にゾクリとしたものが走る。
隼人はじゃぁな、と意地悪気に笑うと中庭のほうへと戻っていった。
「も……何なんだよぉ…っ」
プツンと糸が切れたみたいにその場にしゃがみ込む。
隼人がいなくなってほっとしたのか、堤が崩壊したみたいに止め処なく涙が零れた。
突然の告白。
力強い抱擁。
そして―――
「キス……蓮としか、したことなかったのに…っ」
奪われてしまったことを悔いても仕方ないが、それでも易々とされてしまった己の愚かさを呪う。
(蓮とだって…ずっとしてないのに…っ)
ゴシゴシと唇を何度も擦るけれど、触れた感触までは拭えなかった。
「蓮のばか…っ」
元はと言えば、蓮が悪いのだ。
ここのところずっと忙しそうにしているし、ちっとも触れてくれない。
キスだって……1ヶ月近くしていない。
だから不安になって、寂しくなって…隼人に、気づかれた。
「隼人先輩のばか…っ、全然そんな素振りなんかしてなかったくせに…っ」
いつだって悠とセットで意地悪ばっかしてたのに、突然好きだなんて言われても困る。
斗真が蓮と付き合ったって知った時だって、面白がって蓮をからかってたくらいなのだ。
「蓮……」
傍にいて。
今すぐ抱きしめて。
たくさんキスをして―――この感触を忘れさせて欲しい。
蓮じゃなくちゃ、何の意味もないんだから……
「僕を自分のものにしたんなら、それくらいしろよ…っ」
膝を抱えて蹲った斗真は、この場にいない恋人に毒づいていた―――
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