第十七話
北条 蓮。
大学2年生。
身長183cm、体重72kg。
クールで大人びた雰囲気を持つ勤労学生。
精悍な顔立ちと漆黒の髪を持ち、大学内でも学部を超えて評判の男。
男女共によくモテて、冷たく振られた人数は星の数だとか。
だけど、本当は笑い上戸で、意地悪で、料理が大好きで―――物凄く優しい人。
ぶっちゃけ噂なんてまったく興味がない斗真は、紹介されるまで彼の存在を知らなかった。
広い大学構内では、知ろうと思わなければ入ってくる情報なんてほんの少しだけ。
同じ年頃の連中が興味を持つ色恋沙汰に、ついていけなかった。
彼女が出来ても望まれるだけの気力がなく、気がつけば別れを繰り返していた。
だけどそれは、本当の恋を知らなかっただけなんだ。
自分の態度によって相手をどれだけ傷つけていたのか、今ならわかる。
少しでも多くの時間を共に過ごしたい。
いろんな話を聞いて欲しい。
自分の知らない誰かといたら、気になってしまって仕方がない。
相手を好きであればあるほど、その想いは強くなっていく。
それが、恋人であれば尚更だ。
そのことに、どうして今まで気がつかなかったんだろう。
煩わしいと思っていた感情が、今度は自分の中を駆け巡る。
今すぐ蓮に会いたい。
会って―――確かめたい。
(蓮、蓮っ)
今どこにいるんだろう?
斗真は蓮を探して、構内で彼が居そうな場所を走っていた。
(今すぐ会いたいよ)
同じ授業以外で彼と会うのは学食、カフェテリア、部室。それと、いつもの公園だけだ。
クラスも学科も違うので、広い大学の中で一人の人間を探すことは難しい。
「ここも違う…」
蓮のクラスを覘いてみるが見知った顔はなかった。
次は食堂。
まだ昼食を食べるに時間には早いし、学食の味があまり好きでない蓮はやっぱりいなかった。
そのままカフェテリアへ向かうと、見慣れた赤いツンツン頭が見えた。
「響先輩っ、蓮っ…見ませんでしたか!?」
「どぉわぁっ!?な、なんやて!?」
山盛りのお菓子をつまんでいた響は怒涛の勢いで向かってくる斗真の姿に驚いた。
思わずお気に入りのチョコを取り落としてしまった。
あ〜あ、これ最後の一個だったのに。
響は怒ることもなく焦った様子の斗真を見やる。
いつもぽや〜としているイメージなのに、いったいどうしたというのだろうか。
「れっ、蓮ですっ。あいつ見かけませんでしたか!?」
「蓮?あぁ、あいつならさっき部室の方に行くのを見たけど…」
「わかりましたありがとうございます!」
それがどないしたん、と続く声も聞かずに鉄砲玉のように走っていってしまった。
「ほんまにあいつ、どうしたんや?」
青春しとるな〜と意外とじじむさいことを考えながら、遠ざかる斗真を見送った。
「そういや斗真って可愛い顔しとるけど、ちゃんと男なんやな〜」
むしろ、一番男らしい部分があると響は思う。
「外見に騙されて甘くみとると、痛い目みるで?」
なぁ、と誰ともなく問いかける。
ニヤリと悪戯っぽく笑うと、幼い顔立ちを嘲笑うような白い八重歯が現れていた。
「蓮〜っ、どこだよっ」
斗真は職員棟から教育棟に向けて駆けていた。
大学構内の造りは目的毎に分けられていて、職員や講師向けの食堂や売店は職員棟、学食や生徒ホール、各クラスの教室は学生棟、一般学科の講義や科目毎の特別教室のある教育棟などがある。
各棟の間には中庭や大通りが広がり、景観はとても良い。
先ほど響と会ったカフェテリアは職員棟の外れにある。
学生棟にある喫茶ルームよりも少々高いが、教員向けに出されているので味が良いカフェテリアを斗真たちは利用していた。
部室があるのは教育棟の一角。
使われることのなくなった教室を、響があの手この手で獲得したのだ。
ただのお気楽サークルだと侮っていると痛い目を見る。
イベントが持つ力とは、不思議なほどに強かったりするものだから。
現に、学生獲得に苦心している学校側は学祭などを取り仕切る響の力を欲しがっている。
相手が何を要求しているのかさえ分かってしまえばこちらのものだ。
あとは、良い様に扱えばこちらの希望などあっさり通る。
そんな裏事情など知らない斗真は、自分の欲するがままに行動をする。
彼に会いたい。
ただそれだけの気持ちを持って、部室へと向かっていた。
******
部室のある通路まで来ると、見知った男の後ろ姿があった。
漆黒の髪、広い肩幅に長い足。
憎らしくなるほど鍛えられた体躯をどれほど羨んだかしれない。
そのうえ綺麗に整った顔立ち。
涼しげな切れ長の瞳、スッと通った鼻筋、形の良い薄い唇。
どこを取っても非は見当たらなく、絶対性格に欠陥があるに違いないと僻んだことなど数知れず。
それなのに、いつの間にかそいつが自分の一番大切な存在になっていたんだ。
「蓮っ」
部室の前で立ち止まったままの彼の名を口にする。
やっと見つけた。
蓮の傍へ駆け寄って行くと、昨夜見た、あの女性も一緒にいた。
なんでまたあの女…っ
我が物顔で蓮の隣にいる彼女にムカついて、深く考えるまでもなく蓮の腕をぐいっと引っ張った。
「斗真…!?」
驚いた様子の蓮のことなどお構いなく、斗真は彼女に向かって言い放っていた。
「蓮は、僕のなんだから気安く触んなっ!!」
彼の腕をしっかりと抱きしめて、睨み付けるように彼女を見る。
女性はびっくりはしていたけれど、すぐに妖艶に微笑み、斗真の頭を撫でた。
「あらっ、あなた可愛いわね。そんな無骨でかわいくない男なんてあなたにあげるから、あなたがわたくしのものになってくれる?」
うふふっと可愛らしく笑って、今度は艶かしく頬を撫でた。
(はっ…?)
何を言われているのかさっぱりわからず、かちーんと固まっている斗真をよそに女性は斗真に抱きついた。
「まぁっ、ぽやんとしているところも可愛いわぁ。んもう、わたくし絶対にこの子を持って帰るわ!」
いやーんっと言いながらぎゅうぎゅう斗真を抱きしめる。
(くっ…苦しい…)
どこからどう見ても可憐で細い腕をしているのに、斗真を拘束する力は意外に強かった。
女性は斗真と同じくらいの背をしていて、女性にしては結構高い。
おまけにヒールの高い靴を履いているせいか、若干彼女のほうが目線が高いように感じられた。
なんだかよく分からないけれど、とりあえず誰か助けて…
うっかり意識が飛びそうになっていると、傍らにいた蓮が彼女の肩を思いっきり掴んで引き剥がした。
(えっ、いくら何でも女性にそんなことするなよ…っ)
なんて、さっき自分のしたことなんて棚の上でそんなことを思う。
苦しさからは解放されたが、そこまでしなくても…。
「いい加減、おふざけはやめてくださいっ、美空さん!」
珍しくブチ切れた剣幕で蓮が彼女に怒鳴りつける。
人前でそんなに怒ったことなんてないのに、どうしたのだろう?
1日振りに見る彼は、眉間に皺を寄せて憔悴したような表情だった。
たった1日だけのことなのに、蓮がこんなに疲れた顔をするなんて。
彼女―――美空さんと言ったか、この人っていったいナニモノ。
少なくとも、今さっきまで自分が思っていたような関係ではなさそうに思えてほっとする。
肩を強く掴まれた美空は、何てこともないように邪険に振り払って残念そうな顔をした。
「やぁねぇ…これだから無粋な男は嫌いよ。ねぇ、あなたお名前は?こんな男なんかよりずっといい思いをさせてあげるから、わたくしに乗り換えない?」
ちょんと斗真の唇と突くと、ふふふっと面白そうに微笑んだ。
(な…なんか女版・悠がいるよぉっ)
ひぃっと心の中で叫んで、ずざざーっと彼女から離れた。
なんかヤバイ、悠よりも彼女の方がたぶんずっと上手だ。
油断したら本気でお持ち帰りされかねない。
虎に狙われた子羊のように、身に迫る危険な空気を本能的に感じていた。
さっきの怒りはどこへやら。
出来れば今すぐ逃げ出したい衝動に駆られていた。
そんな斗真の心境を知ってか知らずか、蓮が美空の前に立ちはだかり斗真を庇うように自分の背中に隠す。
「なぁに、蓮…邪魔しないでくれるかしら?」
「いくら貴女でも、こいつはダメです」
後ろ手で優しく斗真を閉じ込める。
蓮の背中から感じる彼の体温と、微かにする甘い香り。
いつも感じていたことなのに、酷く懐かしい感じがした。
(蓮…)
頭をコツンと彼の背に預けてぎゅっと服を掴むと、閉じ込めてくる腕の力が強まった。
その力強さがとても心地良かった。
もっと、ずっと…こうしていて欲しい―――
一度は失うかもしれないと思っていたものがこうして手の中にあると、前よりも愛しさが増してくる。
もっとたくさん、蓮に甘えたくなった。
「何も隠さなくってもいいじゃない。蓮が大事にする子なら、わたくしだってもっと可愛がりたいわ」
「ダメです。斗真はもう俺のものなんですから、もったいなくて貴女に見せられません」
「トーマくんて言うのね?あぁんもう、可愛すぎだわぁ。ねっねっ、お姉さんと一緒に遊びましょう?」
蓮の言葉などまるで無視し、情報だけを上手く利用して自分の思うようにコトを進めようとしている。
彼女は蓮の後ろに隠されている斗真を覗き見て、楽しそうに笑いかけてきた。
それを必死で防ごうとしている蓮が、子供のように見えて不謹慎にも可愛く思えた。
「ねぇ、蓮…この綺麗なひとは誰?」
ちょっと怒ったように言ってみる。
どうせもう、美空には2人の関係がバレてしまっているのだから、この際それを利用して昨夜散々悩んだことを聞いてみることにした。
「…!?斗真…、怒っているのか?」
むぅーっと顔を顰めて上目遣いに睨む。
付き合っているようでもないし、浮気していたようでもない。
だけど、自分の知らない…しかも女性と仲良くしていたら、やっぱり気になるものだ。
「うふふっ…トーマくんってばわたくしに嫉妬してるのかしら?いやんっ、もぉちょー可愛いじゃないっ」
斗真を包む腕をバシバシ叩いて、キャーっと黄色い声を上げる。
(しっと…?なんかちょっと違うんですけど…ってかなんで僕、この人に頬っぺた突かれてんデスカ…?)
ますます美空に対して不思議に思う。
蓮の服を掴む手が無意識に強くなった。
テンションの高い彼女に振り回され、斗真はだんだん面倒になってきた。
(あぁっ、もう、蓮ってば何してんだよっ)
はっきりしろーっと言ってやりたい。
自分だってぐだぐだなのに。
蓮はもう一度美空から斗真を守るべく、今度はくるりと回って正面で斗真を抱きしめる。
確かにこれなら、美空は斗真の顔を見ることが出来ないのだけれど…
「あぁもう、いい加減離れてくださいっ、母さん!」
「いやーよっ、しかもそんな無粋な呼び方しないでくれるかしら?名前で呼びなさいっていつも言っているでしょう」
「知らないですよっ、そんなこと!今の俺には貴女のプライドなんかよりも斗真のほうが断然大事なんですからね!!」
「ふーんだっ、蓮くんがつれなくって可愛くないわぁ」
「いい歳して拗ねても可愛くないですよ」
ふんっ、と馬鹿にしたように蓮が言い放つ。
(えっ?っていうかこの人蓮のお母さん…!?)
どうみても見えない。
似ているところと言えば、綺麗な漆黒の髪と背が高いことくらい。
美空も綺麗な顔立ちをしているが、蓮とは違ってフランス人形みたいに目がぱっちりしていて派手な印象だった。
蓮も十分派手なんだけど…なんかジャンルが違うような気がする…
けれど親子だと言われると似ているように見えてくるのだから不思議だ。
でもいったい、幾つの時なんだろうか?
美空はそのまま見れば20歳半ばくらいにしか見えない。
蓮より少し年上かな、というのが分かるくらいだ。
(っていうか僕っ、蓮のお母さんにとんでもないコト言っちゃったよ!?)
イタイ…自分の行動がかなり痛すぎる…
蓮の腕の中で、今なら死ねる…なんて意味不明なことを真剣に思った。
とりあえず…気絶したい。
恥ずかしすぎて、こんなに現実逃避したいと思ったのは初めてだった。
蓮と美空の親子喧嘩を聞きながら、どうすれば気絶出来るかを真面目に悩む斗真だった。