第十四話
腕を絡ませ、寄り添いあう姿はまるで恋人同士のように親密に見えた。
美男美女が大きな桜の木の下で映画のワンシーンのように存在していて、そこだけが違う世界のように思えた。
どうしてココにいるのかとか、その人は誰だとか、そんなことよりも、ただ…
なぜ―――?
それだけが、頭の中を駆け巡っていた。
それ以外のことはどうでもいい。
誰か答えを僕に教えて欲しい。
僕は怒ればいいのか、悲しめばいいのかすらわからなかった。
ただただ疑問だけがグルグルと無限ループを繰り返す。
呆然と立ち尽くすことしか出来ない僕の腕を悠が引き寄せた。
「斗真…どうする。確かめに行く?ただの知り合いかも知れないし。それともまだ向こうには気付かれていないから、見なかったことにしてこのまま帰る?」
「確かめるって…何をだよ?」
ははっ…と渇いた笑いが零れる。
確かめる?
何を?
一緒にいる人?
ココにいる理由?
それとも―――オンナ ノ ヒト トノ カンケイ?
その疑問にぶち当たった時、僕はたまらず逃げ出したくなって人の流れに逆らって走り出していた。
「…っはぁ……はっ……くっ…」
街道を抜け、人通りの少ない道まで来るとさすがに息が切れて立ち止まった。
呼吸が苦しい。
それに、何故か胸が物凄く痛んだ。
僕、どうかしちゃったのかな…
道端に立ち尽くしたまま息を整える。
「ふっ…くっ…」
深呼吸をしようとするのに上手くいかない。
窒息しそうな息苦しさだけが襲ってきて、どうすることも出来なかった。
苦しい。
痛いよ…
誰か、助けて―――
「おい、大丈夫か?」
ふいに頭上から声が降ってきた。
病人と間違えられたのかもしれない。
僕は何でもないと首を振って立ち去ろうとしたけれど、足が動かずバカみたいに突っ立ったままだ。
(僕…何してんだろ?)
さっきまで走ってたのに。
このままずっとココにいたら、不審者にしか見えないよなぁと他人事のように思った。
「っ、お前斗真か!?こんなとこで何してんだよ!」
声を掛けてきた男が何かを言っていたけれど、僕の思考には全く入ってこなかった。
ただ、早くどこかへ行かなきゃという思いだけが先走る。
でもどこへ?
――誰もいないところに。
どうして?
―――行かなきゃならないと本能がそういうから。
それはなぜ?
―――――わからない…ただ…
自分が何を感じているのかすらも、わからなかった。
誰か答えを―――僕に教えて。
「斗真っ、おい斗真っ!!しっかりしろっ!!!」
男が僕の肩を痛いくらいに掴んで揺らす。
ぼんやりとする重い頭をあげて、その男を見た。
「は…やと、せんぱい…?」
「俺がわかるな!?どこか痛いのか!?」
「いえ…だい…じょうぶ、です」
具合は悪くはないし怪我もしていなかったけれど、酷く痛む胸をどうにかして欲しかった。
心臓を鷲掴みにされたような激痛に、僕は胸元のTシャツをぎゅっと掴んだ。
「どこが大丈夫なんだよ!!こんなに泣いて…いったい何があったんだ?」
泣いて…?
何を言ってるんだろう、と見上げると隼人先輩の大きな手が優しく僕の顔を包み込んだ。
「自覚がないほど悲しかったんだな。可哀想に…」
指先で頬に流れる雫を丁寧に拭うと、隼人先輩が僕を抱きしめた。
え…?
戸惑っている僕の気持ちなどお構いなしに痛いくらいに腕に力が入ってくる。
隼人先輩の身体からは微かに爽やかな柑橘系とムスクの香りが混じった男っぽい匂いがした。
「気が済むまで泣け。溜めるのが一番良くないからな」
それだけ言うと、隼人先輩は黙ってしまった。
泣く…?
どうして、と考える前に一滴流れた。
それを合図に止め処なく溢れ出し、ぱたぱたと頬を伝う。
込み上げてくる嗚咽を止められず、僕は子供の様に先輩の胸に縋って泣いた。
「んぐっ…くしゅんっ」
「ん…?寒いか?」
どれくらいそうしていたのか、涙が治まるころには身体がだいぶ冷えてしまっていた。
春先とは言え、夜はまだ肌寒い。
くしゃみをしてしまった僕に、隼人先輩は着ていた黒いトレンチコートを脱いで肩に掛けてくれた。
「よし、だいぶ治まったな。スッキリしたか?」
「えっと…すみません、せんぱい。寒く、ないですか?」
着せてもらったコートは隼人先輩の温もりが移っていてとても暖かい。
けれどそれだと先輩に申し訳なくて僕は返そうとするけれど、逆に怒られてしまった。
「お前抱いてて暖かいから心配すんな。それよりもう電車もねぇし、俺んち泊まっていけ」
な、とあやすように笑って頭をガシガシ撫でられ有無を言わさず連れて行かれた。
「お邪魔します…」
靴を揃えて中に入ると、意外にも綺麗に掃除されていた部屋だった。
8畳ほどの広さにキッチンがついている。
隼人先輩って結構ガサツっぽいイメージがあったからサバイバルな部屋なのかなと思っていたけれど、それを言うと笑われた。
お前ほど面倒臭がりじゃねぇよ、って…ちょっと酷い。
「そういえば先輩ってずっと独り暮らしなんですか?」
「おう。もう慣れたもんだぜ。自炊だってするしな。腹空いてないか?なんかあったかいもんでも作ってやるよ。ま、蓮ほど美味くはないかもしれんが、俺の料理だって捨てたもんじゃないぜ」
「…っ」
ありがとうございます、と続けようと思ったけれど、言葉が上手く出てこない。
『蓮』って言葉を聞いただけなのに。
それだけのことに過剰に反応してしまう自分に驚いた。
「…?どうした」
「あっ、いえ、なんでも、ない…です」
固まりそうな表情を何とか無理やり笑顔にして返事をする。
勘の良い先輩なら僕の様子に気が付いたかもしれないけれど、聞かれなかったことにほっとする。
「すぐ作るから、そこらへん座って待ってろ」
「はい…」
大人しくベッドの下に座って待っていると、お尻に何か硬いものを感じた。
そういえば携帯の電源を切りっぱなしだったことに気が付いて、携帯を開く。
電源を入れると、けたたましい数の着信履歴とメールが届いていた。
それらはすべて悠からで、今更になって彼を置いてきてしまったことに気が付いた。
メールを全部読んでから改めて電話を掛けた。
「もしもし、はる…」
「斗真!?お前どこいんだよっ!!」
呼び出し音が何回も鳴らないうちに悠が出て、物凄い勢いで怒鳴ってくる。
その声を聞いて、自分がどれだけ悠に心配を掛けてしまったのかが分かった。
「心配掛けてごめん…いま、隼人先輩んち。今夜は泊めてもらうことにしたんだ。明日はちゃんと帰るから、心配しないで」
「今夜だけとは言わず、いつまでもいてくれて良いぜ」
「ってあれ?」
お椀を片手に持った先輩が、ひょいと僕の携帯を取り上げ悠と話し出す。
「先輩っ!?返してくださいよっ」
手を伸ばして奪い返そうとするも、如何せん圧倒的な身長差で全然届かない。
それでも食って待ってろとお椀を僕に押し付け、携帯を持ったままベランダへ出てしまった。
むぅ〜、僕の携帯なのにっ。
抗議したところで勝てないのは目に見えているので、大人しく待つことにした。
渡されたお椀の中にはリゾットが入っていた。
随分戻ってくるのが早かったなと思ったけれど、これならすぐに作れる。
チーズの香りとミルクの匂い。それに、彩りよくバジルも散らされている。
湯気がほかほかと立っていて、とても美味しそうだ。
途中で投げ出してしまったが、散々夜店で食べたのでそんなにお腹は空いてはいなかった。
けれどせっかく先輩が作ってくれたものなので一口食べてみる。
「おいしい…」
温かくて美味しいものを食べるとほわっと幸せな気分になれる。
蓮もよく、何かあると僕の好きなものを作ってくれた。
夜中にお腹が空いたとねだれば仕方ないなと苦笑して作ってくれたし、僕の機嫌が悪いと甘いデザートを出してくれた。
いつの間にか僕の好き嫌いを全部把握していて、苦手なものが出されたことがない。
そこまで思って、自分が彼のことを何も知らないことに気が付く。
僕はいつもしてもらってばかりで、彼に何かをした覚えが全く無かった。
日々の日常も、2人っきりの時も…。
「僕…何にも変わってないじゃん…」
彼と仮で付き合っていた頃に悠に言われたこと。
『何もしていない』のに何かを望むことは罪なのだと。
関係を維持したいのなら、努力をしなくてはいけないのだと。
だから、自分は進む道を選んだはずなのに。
僕は結局、与えられるだけの子供のままだった。
「これじゃ蓮に嫌われても、何も言えないよ…」
お椀を置いて、滲む涙を静かに拭う。
膝を抱えてこれ以上零れないようにじっと蹲った。
まだ何を言われたわけでも聞いたわけでもないのに、絶望的な未来しか想像出来なかった。
ただ、今分かっていることは――――
蓮が他の誰かといる…その事実だけで不安になるくらい、自分がどうしようもなく彼のことが好きだということだった。