第十一話
ずくんとした鈍い痛みを感じて目が覚めた。
「…いたい」
意識した途端にズキズキと痛みが主張してきて、斗真は泣きそうになった。
目の前には逞しく鍛えられた蓮の胸。
優しく包むように抱きしめられていた。
「あっ…僕…蓮と…」
しちゃったんだ…
そのことに気が付くと急に訳の分からない恥ずかしさを感じて腕の中から抜け出そうとするけれど、
抱きしめる腕に力が入って阻まれてしまった。
「うぅ〜っっ」
お願いだから出して…と依然逃亡を図ろうとするけれど、蓮の腕はぴくりともしない。
それどころかもっとぎゅっと抱きしめられて、蓮の胸にぴったりとくっつく体勢になってしまった。
「蓮のばか…」
「それは聞き捨てならないな」
上から声が降ってきてびっくりした。
なにっと顔を上げると、くくくっと蓮が笑っている。
こいつ、最初から起きてたなっ?
むぅ〜と睨むと、啄ばむようにキスをしてくる。
キスに気をとられて腰を撫でる手に気付くのが遅れた。
「やっ…」
びくんと肩を竦めて腰を引く。
すると、下腹に重量感のあるものを感じた。
もう無理だって…
訴えるように見つめる。
「ココ、痛くはないか?」
やわやわとお尻を撫でる仕種が厭らしい。
なんか絶対わざとやっているようにしか思えない。
「いた…いから、だめっ」
眠っている間に着せたのだろうパジャマのボタンを外そうとする手を必死で止める。
「も…無理だってば」
「うん?大丈夫だって。今度は優しくする」
さっきはちょっと早過ぎたからな、と艶かしく笑う。
え…
そういう問題ではないんですけど…と続く声は、唇で塞がれた。
******
「とーーまっ」
「いっっっ」
久しぶりに大学へ行くと、後ろから悠がバシンと背中を叩いた。
その振動が腰に響いて、思わず斗真は顔を顰めた。
「あらら。ゴメン、斗真。もしかして、アレ?」
悠が申し訳なさそうに腰を擦ってくる。
分かってるなら…触らないで欲しい。
「もう……っ、聞かないでっ」
本当は、今日も危うく休まされるところだったのだが、これ以上欠席すると単位がヤバイ。
引き止めようとする蓮を押しのけて、ようやくココまで来たのに保健室に行ってしまったら
ここまで来た努力が水の泡になってしまう。
それに。
「あー…北条のヤツ、手加減しなかったのかな」
「…それこそ聞かないで」
疲労感たっぷりにげんなりと斗真が答えた。
そんな話をナチュラルにして来ないで欲しい。
何故か普通に受け止められている現状もそうだが、まるで見てきたかのような悠の様子に困惑した。
(もしかして、蓮から聞いているんだろうか…?)
うぅ、本気で勘弁して…と恥ずかしそうに俯いた。
これは悠の予想だが、おそらく何度もおかわりされてしまったのだろう。
でなければ、あの日からまた1週間も休んだりするような状態にはならない。
「まぁ、その辺は僕に任せておいて。斗真がゆっくり眠れるように手を打っておくからさ」
「…?」
「とりあえず、授業行こっか」
「う、うん…」
(っていうかなんで僕、悠にソッチの心配までされてるんだろう…)
なんだか生優しげな視線を微妙に受け止めながら、斗真は久しぶりの講義を受けることにした。
***
「おっ、斗真と悠やないか。俺もまぜてーなっ」
「響ちゃん」
「響先輩」
全然分からないまま終わってしまった授業のあと、学食で悠と昼食を摂っていると響先輩が乱入してきた。
斗真は席を一つ空けて響に譲る。
すると響はハンバーグ定食をテーブルにおいて、パクパクと豪快に食べ始めた。
「そういやお前達、明日ヒマか?」
「なんでまた急に…まぁ、たぶん平気ですけど」
「僕と悠は明日は朝の講義だけだから…」
響の様子にあっけに取られてる斗真は適当に返事をした。
というか、食べるの早っ。
斗真の食器にはほとんど残ったままで、悠の方もまだ半分ほど残っているのに対して、
響の食器の中はもうほとんど空だ。
なんでこの人はいつも欠食児童みたいなんだ…
この間も山のように積まれたお菓子を一人でぺろりと食べていた。カフェテリアで響と2人残っていた時、一つ摘もうとしたらもの凄い勢いで怒られたし。
なのに全然成長しないよね…
という悠の視線を丸無視して、響は話しを続ける。
「あんな、急な話で悪いんやけど、無料チケット手に入ったから行かへんか?」
「それはまた急だね。自分で行かないなんて珍しい。何か曰く付きなの?」
「いや…それが、な。いつもタダチケを回してくれるヤツがおんねんけど、明日はそいつに会いに行かんとあかんねん」
「それは行かないとヤバイね。しっかり媚売ってバンバンもらって来てね」
「はぁ〜、憂鬱やわ…。ってかお前面白がってんやろ!」
「もっちろん。どんなコトされちゃったのか、こっそり教えてね」
ふふふっと楽しそうに笑う悠に響が噛み付く。
正確には悠の食べていたオムライスを奪って食べてしまっていた。
いつもの光景に、斗真は懐かしさを感じて心が温かくなった。
(良かった…)
あんなコトがあった後だったから、嫌われてしまうのではと思っていたけれどいつもと変わらない様子にほっと息を吐く。
すると、オムライスを食べ終えた響がニカッと笑っていた。
「斗真、お前具合大丈夫なんか?顔色良くねぇみたいやけど」
「えっ?」
「明日のライ部のミーティングには顔出さないで、ゆっくり休め。そんで夜は悠と楽しんで来いや」
部長命令や、とぽんぽん斗真の頭を叩くと、怒った悠から脱兎の如く逃亡を図っていた。
「チケットは部室に置いとくからな〜」
ブンブンと手を振って走って行ってしまった。
相変わらず台風みたいな人だ、と思いながら斗真は自分の食器を悠に勧めていた。
「そういえば先輩、なんのチケットか言ってなかったね」
「んー、あっさり僕たちに譲るってことは、オケとかそっち系じゃないかな。
アップテンポなヤツだったら何がなんでも自分で行きたがるだろうし。今月は響ちゃんと隼人先輩の担当だったから余計にね」
「そっかぁ。オーケストラだったらいいなぁ。僕、コンサートとか久しぶりだし」
嬉しそうに斗真が笑う。
もともとライ部に入部したのも、音楽の話が気軽に出来るというのが良かったからだ。
悠もどちらかと言うとロックやJPOPなどの歌謡曲よりは、ヴァイオリンやピアノの音色を好んで聞いている。
響は何でもアリの人だが、ロックのライブだけは臨時で手に入ると自分で行ってしまうのだ。
蓮は…下心のみで入部しているので、パス。
「あれ、でも隼人先輩に聞かなくて良かったのかな」
律儀にも担当者に伺いを立てようとする斗真。
部長直々に貰ったものだから気にしなくても誰も咎めたりしないのに。
(今時いないよね、こういう子)
悠はふふっと笑って頭を撫でた。
「大丈夫。隼人先輩って、響ちゃんと一緒じゃないと絶対に行かない人なんだ」
「そうなの?」
「そ。隼人先輩って響ちゃんのコト好きじゃない?」
「えっ…」
嘘だろ…と思考が止まった。
どうみても仲の良い相棒同士にしか見えないのに。
「そーなの。でもあの2人、付き合ってないって話だよ。隼人先輩がずっと片思いしてるらしい。
っていうか、この話ってライ部のメンバーならみんな知ってるよ?」
「全然知らなかった…」
「まぁ、斗真は北条のことで頭がいっぱいだもんね」
「悠っ」
むぅ〜と怒る仕種はいつ見ても可愛い。
はいはい、からかってごめんね、ともう一度頭を撫でた。
「それじゃ、何のチケットか確かめに部室に行こっか」
悠は斗真のご機嫌を取ろうと足を進めたのだった。