望んでいたもの
僕が明るい世界に戻ってくると、もう昼もいい時間になっていた。
SNSで伝えられてきたメッセージを元に、ショッピングモールを歩いていく。
周囲からの視線が妙に突き刺さってくるのは気のせいだろうか。
いや、そんなことはいい。
そんなことが気にならないぐらいには気分が良かった。
あれほど将来性が分からない人物に出会えたのは、いつぶりだろうか。
人を見る目は長い間養ってきたけれど、あれほどまでとは。
名前は分からないけれど。
あの少女を育てることができるドラキュリアのトップが羨ましい。
なんて、そんなことを考えているうちに、目的地はすぐそこまで迫っていた。
「店長、遅いですよ! ………って、どうしたんですかっ?」
僕を見留めた石上さんが、フードコートの一席から声を投げかけてくる。
その脇には食べ終えた後の食器とお盆が置かれていた。
どうやら先に食べてしまったようだ。
別に文句はない。
僕とこの子の関係は、家族ぐらい気安いものでじゅうぶんなのだから。
「いやぁ、ごめんごめん。車どこに置いたか忘れちゃって」
「いや、そういうことじゃなくてですね! あぁ、もう! こっち来てください!」
「えぇ! あ、ちょっと石上さんっ!」
ぐいっと手を引かれ、石上さんが座っていた席に座らされる。
次いで、背後からガサゴソと何かを漁る音。
い、いったい何をされるんだ……。
緊張する僕の視界を、淡いピンク色の色彩が覆い尽くした。
これは……タオル?
「なんで駐車場に行っただけなのに、こんなにびしょ濡れで帰ってくるんですか」
あぁ、だからさっきから周りに見られていたのか。
そういえばずっと気が良くて、自分の状態なんか忘れてたよ。
「いや、まぁ、ちょっと色々あってね」
でも、彼女に話すわけにはいかない。
家族と同じように思っていても、彼女は表側の人間だ。
裏の話なんて聞く必要もないだろうし、教える気もさらさらない。
今まで、そのことで何度ごまかしてきたことだろう。
「………………また、ですか」
「石上さん?」
頭の上から、何かがポツリと落ちてきた。
それは重さのない、感情の一雫。
僕はまた聞こえなかったフリをする。
うん、ごめんね。
また、なんだよ。
「い、いえ、何でもないです。さ、終わりました。早く次の買い物に行きましょう」
「僕まだお昼ご飯食べてないんだけどっ?」
「冗談ですよ♩ 早くご飯買って来てください。私はずっと待ってますから」
「じょ、冗談か……よかった」
不老不死とはいえ、さすがにご飯は食べないと空腹が辛い。
それに加えて、さっき一度殺されたのもある。
復活すると、猛烈に体内のカロリーが持っていかれるのだ。
「さて、何を食べようかな」
「あ、そこのたこ焼き屋さんとかおいしいですよ」
「本当かい? じゃあ、そこにしよう」
石上さんのオススメなら、まずいことはないだろう。
店の前に並んだ列の後ろにつこうとして━━
「━━あれ?」
ポケットのスマホが着信音を発した。
山口さんからの電話だ。
『失礼いたします、御門さん』
手に取ると、電話越しから聞こえてきたのはいつもより固い声。
「何か進展があった?」
『大上殿の方々から言伝です。外に出すことは認めるので、今日のドラキュリア一族との会議に参加しろ、とのことです』
「それはいつからだい?」
これで三日後とかならカチコミも考えないといけないんだけど。
『本日午後三時から、管理局に出てくるようにと』
「午後三時……?」
時計を見る。
……ごめん、石上さん。
僕はまた君にウソをつかないといけないみたいだ。
街の中心、そのど真ん中に、妖魔管理局の建物は存在する。
周りの景観の中に溶け込むような、灰色のコンクリートで作られたそれに懐かしさを覚えながらも地下駐車場に入る。
来客用の場所に停めて外に出ると、山口さんが鉄扉の前で立っているのが見えた。
その背後では鉄扉の上、非常口の青い光が、ぼんやりと薄暗い駐車場に灯りをともす。
「おかえりなさいませ、御門さん」
近づいたとたん、彼女は九十度腰を曲げた。
もうここは僕の居場所じゃないんだけどなぁ。
でも、その言葉が嬉しくないわけじゃない。
「ただいま」
自分は今、照れたように笑っているんだろう。
それが分かって、また余計に照れ臭くなるのだけれど。
「……では、こちらに。大上殿の方々がお待ちしています」
それは山口さんも同じらしい。
仕事モードの顔に、少し赤みが刺していた。
やがて僕たちは中へと入り、廊下を進む。
歩くたびにリノリウムの床と靴がぶつかり、コツコツと空間に軽い足音を響かせた。
「本日は、ドラキュリア一族がこちらに移住する場合の、条件設定についての最終決定会議です。会議室に到着したら、こちらの資料に目をお通しください」
そう言って、小脇に抱えていたファイルを手渡してくれる。
「……ん?」
分厚いファイルの隅に、小さく女児向けアニメのシールが貼ってあるのは、彼女の趣味だろうか。
いや、気にしないでおこう。
「どうしました?」
「いや、何でもないよ」
「ありがとう。手間をかけさせてすまないね」
「いえ、御門さんのためですから。それで、その……」
「どうかしたかい」
こちらを見るその瞳は、不安げに揺れていた。
「どうして、大上殿の方々は御門さんを会議にお呼びになったんでしょうか」
あぁ、その話か。
「僕にもわからない。ただ、何かよからぬことを考えているのは確かだね」
彼らが権力を対外的に示したいというのなら、リスクが高すぎる。
なぜならこういう場において、僕が言いたいことを抑えないタチの人間だからだ。
例をあげて説明すると、校長先生が長々偉ぶって話しているときに、副校長が横から文句を言いまくっていたら、というような話だ。
しかも、それが「話が長いので早くきりあげてください」みたいな、割と他者から多く支持されそうば内容だとしたら。
校長の面目は丸つぶれだろう。
そういったことは、彼らも分かっていているはずなのに、なぜ……。
意識が思考の海に潜っていく。
『……っ』
『…………。………………』
が、それを引き上げる声があった。
この廊下の先からだ。
確か、曲がり角を曲がったところで受付ロビーに通じていたはず。
今も職員たちが、妖魔と人間の架け橋となるべく動いているのだろう。
むくり。
好奇心が、胸の中で首をもたげた。
いやいやいや、これから会議なんだ。我慢しないと。
そう思いながら階段に差し掛かったところで、前を歩いていた山口さんの足が止まった。
あわやぶつかりそうになるのを、なんとか踏ん張る。
「っとと、どうかしたかい?」
「いえ、この私、持ってくる予定の資料を忘れておりました。十分ほどで戻ってくるので、しばらく一階でお待ちください」
「え、あ、ちょっと!」
「会議の時間は大丈夫ですので!」
スーツの背中はすたすたと階段を登っていった。
引き止めようとして伸ばした手が頰へと向かう。
「気、遣わせちゃったかな」
まぁ、せっかく機会を貰ったんだ。有効に使わせてもらうとしよう。
ひっそりと息を潜めて、廊下の先を曲がる。
目の前に入ってきたのは、せわしなく働く職員の姿だった。
いくつも並んだ受付には、人、妖魔問わず相談者がやってきており、住民票やら何やらの手続きを 行っている。
と、その中に成人妖魔と成人女性のカップルがいることに気づいた。
彼らはどこか緊張気味に肩を寄せ合っている。
時々見つめ合いながら、そわそわ、そわそわと落ち着かない様子が、とても初々しい。
思わず、目の奥が熱くなった。
あぁ、もう、人と妖魔のつながりはそんなところまで来ているんだね。
かつて迫害されてき続けていた妖魔たちが、公に婚姻を認められているなんて。
少し前までは雲の上の理想だったなぁ……。
誰にも見えないように位置どりながらも、感傷に浸る。
そこで中で働いている女性と目があった。
彼女は驚いたように目を見開いく。
僕がここにいた時からずっと勤めていた人だ。
もう五十は過ぎているはずなのに、老いたその身体は以前よりも美しさを増したように思える。
「しーっ」
口元に人差し指を当てると、コクコクとうなづいてくれる。
その口元には、いたずらを仕掛けた子どものような笑みが浮かんでいた。
うん、いい子だ。
下手にバレたら大騒ぎになるからね。
目撃者も出てきたことだし、早めに退散することにしよう。
あんまり長居すると山口さんに怒られるかもしれないし。
「じゃあ、またね」
声に出さずにそう言って、僕は受付のバックヤードを後にした。
「あ……」
階段の方へ戻ると、山口さんがちょうど降りてくるところだった。
少し気まずそうに目を逸らされる。
自分の行動を恥ずかしがっているのかな?
「い、行きましょう。大上殿の方々もお待ちしています」
「うん、そうだね」
再び彼女の先導で上の階へと向かう。
「どうでしたか?」
「演技としては20点だね。かいわれ大根もいいところだと思うよ」
「う……大根役者ですらないのですね。精進します」
そこでうなだれる彼女は、やっぱり真面目だ。
「はは……冗談だよ。僕がいた時も笑顔が増えてる。良い職場になってると思うよ」
「そ、そうですか。良かったです」
人と妖魔が混じり合って。
悲しみや憎しみでお互いを否定し合うのではなく、それぞれを認めて。
笑い合い、助け合い、生を謳歌して。
そんなこの町が、我が子のように愛おしい。
そして、この町に住む人たちも。
けど、今だけは、愛着を持ってしまった自分が恨めしい。
……あぁ、いっそのこと君だけに染まれたらいいのに。
そう思っても、階段を上る足は止まってくれなかった。