闇(駐車場)の吸血鬼
(この度、4話で初登場したロズペットのキャラを大改変してしまいました。
キャラと話しているうちに、あれ、なんか違うな、となったので。
4話に関しては、追い追い修正するとして、これ以降のロズペットはこのキャラで参ります。
ご了承ください。ー
「あなたですね、姫さまを煩わせているのは」
少し舌ったらずな幼い声。
しかし、そこに温かさは一切なく。
首筋に当てられている刃のように、冷たい温度が耳に流れ込んでくる。
振り返る。
首にナイフの刃が食い込むのも気にしない。
その先では、赤毛が目につく中学生ぐらいの少女が、こちらを睨みつけていた。
揺れる赤い瞳は、この世とは思えないほどに透き通っている。
きっと笑ったら可愛いんだろうなぁ。
「君は誰だい?」
「動くかないでください、殺しますよ」
あらつれない。
殺す、殺すかぁ……。
それは彼女にとっては文句なのだろう。
だが、僕を前にしてはただの魅力的な提案にすり替わる。
いくら願ったところで死ぬことすら叶わなかったこの身なれば。
あ、いや。
「ちょっと待った。僕には会わなきゃいけない人がいるんだ。殺すなら後3日待って━━」
刹那、鋭い痛みとともに視界がズレた。
首が切られた。
そう直感した僕は、反射的に両腕で頭を抑える。
じんわりとした熱が首に広がり、それだけで泣き別れた僕の首は、元の結合を取り戻す。
やがて、ゆらりと下から鉄のような匂いが立ち上ってきた。
「『極東には神代から生きている不老不死の貴人がいる』という話を聞いたことがありましたけど、まさか本当だったなんて思いませんでした」
「あはは……これでも痛覚はあるんだけどなぁ。やるならもうちょっと優しくした方がいいよ」
「はぇ?」
一瞬彼女はぽかんと口を開けた。
あれ、どうしたんだろう。
心配していると、やがて何か言いたげな様子でこちらを睨んできた。
「……何ですか、なんで首を切り飛ばれた相手に対してそこまで気安く話しかけられるんですか。 貴人じゃなくて奇人だったんですか」
「おぉ、さすがこの町に来てくれるだけあって、日本語が堪能だね。君の目から見てどうだい、この町は」
気に入ってくれたのかな。
そうでもないのかな。
いやぁ、ヨーロッパの人に聞くのは初めてだから、気になるなぁ。
「なんでこの状況でそんなことが聞けるんですか? 頭朽ちてるんじゃないんですか? ……なんで姫さまはこんな人を気にかけているんでしょうか」
だけど、返ってきたのは悲しい拒絶。
どうやら世間話をする気はないらしい。
なら、おとなしく話し合いに応じよう。
僕も時間があるわけじゃないし。
「さぁ、吸血鬼に知り合いはいないはずだけど。噂か何かを聞いたんじゃないかな。君もさっき言っていただろう」
極東で不老不死といえば、僕しかいない。
さすがに神代から生きているわけじゃないけれど。
長生きする妖魔はいるが、彼らにだって寿命はある。
元は『五大老』として肩を並べていた烏天狗や鬼も、時間には勝てずに死んでいった。
その中でたった一人立ち続けている人間がいるとなれば、外で噂になっていてもおかしくないだろう。
「……本当に?」
「僕が嘘をつくように見えるかい?」
「見えますよ! 海辺で歌う美女よりも信じられません」
海辺で歌う美女
その言葉は、妖魔界では胡散臭いこと、信用ならないことに対する最上表現の一つである。
「そ、そっか……。若い子から見たおじさんなんてそんなものだよね」
「何まじめにショック受けてるんですか、この人外は……」
「いや、だって、これでも真面目に生きてきた人間代表としての自負はあるんだよ」
他のやつらみたいに山を吹き飛ばす、海を割るなんてこともしなかった。
真っ当ないち人間の不老不死として生きてきたはずなのに。
「人間……? 普通の人間なら、首を切られた時点で死んでいます! ……あ、でも、確かに変ですね。妖魔だと身体のどこかが必ず変化するはずです。姿形をそのままに妖魔に至る技術なんて、私たちぐ━━━━━━あ、あぁ! あぁあああああああ!」
突然、鉄塊とコンクリートの空間に絶叫が響き渡る。
「ど、どうしたんだい?」
「い、いえ、こっちの話です! 気にしなくていいです! そっか、そういうことだったんだ!」
一人で雷に打たれたように驚き、何かを納得した様子だ。
いまいちよく分からない子だな。
賑やかで面白いけど。
この子を従者にしている姫さまとやらは、中々に見る目のある御仁だろう。
それだけに、今すぐ会いに行けないことが悔やまれる。
「それで、吸血鬼ちゃんは僕に何の用かな。挨拶に来ただけ?」
「吸血鬼ちゃんはやめてください。わたしはあなたに……この町を作った『最古の源流』さんに、お話があってきたんです」
ふぅん。
『最古の源流』。
はるか昔から生き続けている朝廷の血族であるということで名付けられた異名だ。
みんながその名前で呼ぶからそれが浸透しちゃったけれど、正直気に入っているわけじゃない。
でも、わざわざその名前を持ち出してくるということは、それを使うだけの何かと覚悟があるんだろう。
無ければ、まぁ、時間を取った罪を償わせるだけだ。
「あなたが『大上殿』に加担していないことは調べがついてます。その上で頼みがあるんです。━━姫さまを助けてください」
「分かった。何をすればいい?」
「えっと、お礼の品なら払いま………………ふぇ?」
「どうしたの?」
「な、ななななんで即答できるんですかっ!? 日本妖魔のトップだって聞いたんですけど! 偉い人ってもっとこう、持ち帰って検討するとかはないんですか?」
「僕はただの老人さ。君たちの国は、大統領が辞めた後の世継ぎとして血族を据えるかい?」
「……ないです。でも、日本はそういったものを重視すると学びました」
「重視、ねぇ……」
執着、の間違いだと思うけど。
特にこの町の上層部においては。
「とりあえず、事情を聞かせてくれないかな。待たせている人がいるから、手短にね」
ちらりと頭の片隅にかぐやの顔が浮かぶ。
頭の中の思い人は、極寒吹雪のような冷たい目線を向けていた。
まるで、自分が優先されないことを拗ねるみたいに。
ごめんね。でも、僕にとってはこっちも大事なことらしいから。
わたしがその男の存在を知ったのは、昨日が初めてでした。
この国にやってきた姫さまは、眷属のわたしの目から見ても憂鬱そうに見えます。
普段、姫さまが弱音を見せることはほとんどありません。
ですが、ここ数日は移住条件の取り決めによって、疲れたご様子でした。
ところが昨日、気晴らしに散歩に行ってくる、なんて言っていた姫さまが、ニコニコしながら帰ってきたのです。
「楽しそう? わたしが? ……そう」
理由を尋ねると、姫さまは何も言わずに目を伏せてしまわれました。
けれど、ホテルの窓から外を見て、何度もため息をつく姿が、わたしにはそれまでと違うように見えました。
吐息はどこか熱っぽく、どこかに想いを馳せては目も潤み、どこかそわそわと落ち着いてません。
そんなお姿を見て、あぁ、と感じ入るものがありました。
姫さまは、恋をしているのだと。
私はまだヴァンパイアになって百年も経っていないよちよちの赤ちゃんですが、それぐらいはわかります。
ですが、問題はそこではありません。
誰に恋をなさったか、ということです。
ルーマニアの方では、誰に言い寄られても突っぱねておられましたから。
「あぁ、そうだわ。ロズペット、町外れにある『ムーンダスト』という喫茶店を調べてきなさい」
眷属として、主人の言葉は絶対です。
わたしはすぐさま、役目を果たすべく動き出しました。
すぐに、『最古の源流』と呼ばれている不老不死の男性に辿り着くことができたのは、きっと幸運だったのでしょう。
温厚な人物、不老不死であるだけで無害な人物。
持ち合わせた権威とは正反対の温厚な人物
実際に出会った時、わたしの目には、そう見えていたのです。
しかし、一通り説明話した時に、その印象はがらりと変わりました。
「なるほど」
たったそれだけの言葉。
わたしの心臓は、鷲掴みにされました。
『源流』さんの目に映った怒りが、空気を震わせていました。
「悪ガキたちがそんな条件を……あいつら、昨日は全くそんなこと匂わせていなかったくせに」
肌が泡立つほどの圧倒的なプレッシャー、圧迫感。
この人に逆らってはいけない。
自分の本能が屈服しそうになります。
わたしが立っていられたのは、ひとえに、姫さまのことを思い出していたからでしょう。
あのお方は、いつもわたしに力をくれます。
あのお方のおかげで、今のわたしがあります。
それだけで、立ち続けるにはじゅうぶんな理由でした。
重圧に耐えていると、急に空気が軽くなりました。
ふらりと一瞬のめまい。
解放されたのだと安堵しました。
そして、目の前には穏やかな笑顔の『源流』さんがいました。
「教えてくれてありがとう。それと、身内が迷惑をかけて本当に申し訳ない」
「あ、いえ、きょ、きょきょきょ協力してくれるならよかったです」
本当に、よかった。
断られたら、私はもう一度プッシュすることはできなかったでしょう。
「でも、僕は何をすればいいんだい? あいつらに言って聞かせろ、なんてのは、ちょっと難しいよ」
「日本妖魔のトップなのに、ですか」
「言っただろう、僕は隠居してるだけの老人だって。まぁ、でも、だいたい事情は分かった。明後日まで待ってくれれば、動いてみせよう」
「明後日、ですか……分かりました」
今日のわたしは勝手にお願いしに来ただけです。
このことは姫さまにバレたくないし、あまり無理を言ってこの人の逆鱗にも触れたくありません。
今すぐ助けて欲しいけれど、口をつぐむことにしました。
それから連絡先を交換して、この話し合いは終わりを迎えました。
「じゃあ、僕はこれで」
「はい、では━━って、ちょっと待ってください! まさかその格好のまま戻るつもりなんですかっ?」
「え? あー、そういえばそうだったね。こりゃまずい」
首から下が血で染まっているその姿を見られたら、大惨事になります。
わたしにだってそれぐらいは分かります。
というか、今まで指摘できていなかったわたしもわたしですね……。
こういう時は魔法を使いましょう。
日常的に役に立つ魔法は、姫さまから教えてもらっています。
「ちょっと待ってくださいね……あれをこうして、こっちをこうして……できた! 清浄魔法『浄化の水』!」
しーん……。
「あ、あれ、『浄化の水』! 『浄化の水』!」
もう二回叫んでも、魔法が発動しません。
あれ、何か間違えたっ?
ど、どうしよう、どうすればいいんだろう。
姫さま、助けてください、姫さまぁ……。
わたしの心が恥ずかしさで折れそうになった時でした。
『源流』さんの頭の上に、水が現れました。
本来の、三倍の量の水が。
━━ざっばぁっ!
自分の体から血の気が引いていく瞬間を、はっきりと感じました。
「す、すみません! すみません、すみません、ほんっとうにすみません!」
けれど、『源流』さんから返ってきたのは、予想外の反応でした。
「あははははは!」
声を上げて笑ったのです。
「……はれ?」
「あははは、いやぁ、久し振りにめいっぱい笑わせてもらったよ。どう、血はとれた?」
「は、はい、綺麗さっぱり……」
よ、よかった……あんまり怒ってないみたい?
いえ、でも、とんでもないことをしてしまったのは事実です。
どうしようかと頭を抱えていると、脳内のチャンネルがかちっと合わさったような間隔がしました。
姫さまからの連絡です。
これは眷属にのみ受け取ることができる、テレパシーのようなもの。
他の人には聞こえません。
『ロズペット、来なさい。どこで遊んでいるの』
「は、はい、ただいま戻ります!」
言葉の全てに苛立ちが込められた声。
いけない、姫さま、かなりお怒りです……。今すぐ戻らなきゃ。
「すみません、姫さまが呼んでいらっしゃるので、これで。お召し代はいずれ弁償しますので……」
「あぁ、いいよいいよ。それより、時間があるときに『ムーンダスト』に来なよ。おいしいコーヒーを淹れてあげよう」
「け、結構です!」
この人の近くにいると、起こるたびに寿命が縮まりそうになります。
わたしは、逃げかえるようにその場を後にしました
頭の隅にずっと浮かんでいた考えを言わずに。
『最古の源流』、御門さん。
多分あの人は、吸血鬼の眷属のなりそこない、なのでしょう。
……あれ? そういえば何か忘れているような。
「あれ、そういえばあの子、なんて名前なんだろう」
あ。
そのつぶやきが耳に入ってきた時、私の転移魔法はすでに発動してしまっていました。