その怒り火山の如し
「─────ばっかじゃないですか!?」
昼間のレジャー用品店に、石上さんの叫び声が響き渡る。
周囲の人たちは何事かとこちらを見る。
耳が敏感な妖魔は、彼女は気にとめた様子もない。
ちりちりと肌を突き刺すような感覚に戸惑いながらも、僕はどうしてこうなったかを思い返す。
いくらか前。
僕たちは町で一番大きなショッピングモールの中の、レジャー用品店へとやってきていた。
まだ九月も終わりだというのに、店内は冬の装いを醸し出している。
「やっぱり休日はどこも人が多いなぁ」
「ですね~」
隣にはニコニコと笑みを浮かべる石上さん。
大学生の服は、休日でもどこかキラキラとまぶしい。
そこにいるだけで空間が華やぐようだ。
「あ、このリュックとかすごくよくない? 横のラインがすごくクールで良い感じだよ」
「あっちの花柄の方が店長らしいと思いますよ♪」
「あれはちょっと派手すぎるんじゃないかな? おじさんがどうこう言えるものじゃないけど、もう少しかっこいいのが欲しいかな」
「いえいえ、頭の中がお花畑の店長にはあれくらいで十分です♪」
ぎょっとして隣の女子大学生を見る。
今この子、さらっと毒吐かなかった?
おそるおそる、そのにこやかな笑顔に問いかける。
「……もしかして石上さん、怒ってる?」
「そんな、たまの休日を潰してバイトしにきたのにお店は閉まってるし、急に出てきた店長に車に乗せられるし、気がついたらレジャー用品店にいますけど、そんなことぜんっぜん気にしてますよー?」
「そっかそっか、気にしてないなら……うん?」
それ、めちゃくちゃ怒ってるってことじゃないかな。
「あはは……ごめんごめん。いい位置にいたから、つい」
その瞬間、石上さんの目がつり上がった。
「ついって何ですか、ついって! 人が心配してたのに、このバカ店長と言ったら……」
「あぁ、心配してくれたんだね。ありがとう」
いやぁ、こんなにも心配してくれるなんて、やっぱり石上さんは優しい子だなぁ。
「………………あぁ、もう!」
彼女は何か言いたげに、しかし、何も言わずにその場で地団駄を踏む。
やがて、何か吹っ切れたようにぐわりと頭を上げた。
「で、今日は何を買いに来たんですかっ? お店の飾り付け買えるんですかっ?」
「私用だよ。山登り用品を買いに来たんだよね」
「私用でバイト連れ出さないでくださいよっ! ……って、山登り? 店長も山登りが趣味だったんですか?」
「いや、ほぼ初めてだよ」
千三百年前の経験はさすがにノーカンだ。
それに、朝廷が続いている間は、迂闊に外出できるような身分でもなかったし。
「じゃあなんで急に?」
問いに答えようとして、昨日の激怒した彼女の姿が頭をよぎる。
怒る原因となった女性の誘いで行こうと思った、なんて言えば、神経を逆なでするだけだろう。
「ちょっと人に会うためにね」
「……もしかして、昨日の女の人が関係したりしてます?」
「え? そ、そうだけど」
あれかな、女の勘というやつかな?
ずばりと当てられて中々に怖いんだけど。
「はぁ……もういいです。店長なんてシーズンオフの山に登って凍え死ねばいいんです」
「富士山ってシーズンオフとかあるの? 明日には行く予定なんだけどさ」
「……はい?」
今思えば、その質問が消えそうな火にガソリンを投下したのだろう。
そうして、僕の目の前に石上さん激おこモードが爆誕したわけである。
曰く、この時期の富士山は降雪の可能性があるらしい。
曰く、トイレや山小屋が使用不可になっているらしい。
曰く、山道が整備されきっておらず、危険な場所があるらしい。
などなど、彼女はぷんすこしながらも耳寄りな情報をいくつも教えてくれた。
何でこんなに知っているんだろう、とも思ったが、とうてい聞けるような雰囲気じゃない。
その後も富士登山講座は続く。
今度は道具編に移行していた。
彼女が言ったグッズを、次々とぶちこんでいく。
「リュック! 大きいの! カバーも一緒に!」
「はい!」
「トレッキングシューズ! かかと高いの!」
「はい!」
「ヘッドライト!」
「はい……るの?」
「真っ暗な夜の山道を歩きたいですか? 長居はオススメしませんよ!」
「持ってきます!」
そうして、とんとん拍子に荷物がふくれあがっていき、気がつけば四つのカゴがいっぱいになってしまった。
「残りはメッセージで送りますから、しっかり見ておいてください」
最後にそう言って、彼女は一連の教示を締めくくる。
おじさんもうへろへろなんだけど。
「ま、まだあるんだ……」
「当然です! 山を舐めてかかって、死んでも知りませんから!」
「いや──」
僕の命なんて軽いものだから。
そう言おうとして、口をつぐむ。
彼女には、というか、人間側にこの情報を知る者はほとんどいない。
噂としては出回っているかもしれないけれど、自分からは一言も真実を話したことがないのだから。
妖魔側にも、触れざるの秘密として言わないようにしてもらっている。
「うん、気をつけるよ」
だから、微笑みを浮かべる。
どこにでもいそうな、一般人として。
僕の首筋には、ちりちりと感情が突き刺さっていた。
罪悪感なんて、もう既に慣れたと思っていたのに。
朝一で出たはずなのに、もうお昼を食べるのにいい時間になっていた。
それだけ長くあのレジャー用品店にいたらしい。
会計を済ませ、通路に戻ってくると、先ほどとは違って明らかに人が増えていた。
「よくあれだけ知っていたね」
「実は母親が登山好きで、あたしもよくそれに付き合ってたんですよね。そのおかげで、色々知識をたたき込まれました」
「へぇ……パワフルなお母さんだね」
「今度もどこかの山に登りに行くらしくて……娘としては少し落ち着いてほしいんですが」
はぁ……と彼女は大きく息を吐く。
それだけ心配しているのだろう。
一人娘も大変だなぁ。
「さて、僕は一旦車にこの荷物を置いてくることにするよ。石上さんは先にどこかのお店に入ってて」
「あたしも手伝いますよ」
その場を離れようとするが、そこで妙に優しいのが石上さんだ。
そう言って、僕から二つある巨大なレジ袋の片割れを奪おうとしてくる。
だが、そうは問屋が卸さない。
「いや、大丈夫。僕の荷物なんだから、僕が片付けておくよ」
そう、僕の荷物なんだから、ね。
「今日のお昼ご飯は僕の奢りにさせてもらうから。好きなところに行っておいで。場所は後でメッセージで飛ばしてくれればいいから」
「………………はい、分かりました♪ 覚悟しておいてくださいね」
「あ、あはは……お手柔らかに頼むよ」
これは戻って来る時に、ATMも寄っておいた方がいいかもなぁ。
戻ってきた駐車場は、車でいっぱいだった。
薄暗い中にぎゅうぎゅう詰めにされているサマは、何とも壮観だ。
僕のセダンも、そんな金属の森の中に鎮座していた。
「ふぅ、こんなものかな」
荷台に積み込んだ荷物を前に、満足感が浮かんでくる。
ついでに、少しばかり汗も滲んでくる。
最初は後部座席にも及ぶかな、と思っていたが、考えて積めば案外どうにでもなるものだなぁ。
よし、これで一つ肩の荷が下りた。
背後にある壁とドアに挟まれないようにしてトビラを閉める。
「さて、と」
もう一つ、荷を下ろすとするか。
先ほどから感じ続けていた、突き刺すような感情。
その感情の名前を、僕は知っている。
今まで何度も向けられてきて、かつ、ある意味僕から最も縁遠いその感情の名前。
それを『殺気』と言う。
「ここには誰もいないよ。そろそろ出てきたらどうだい?」
確認するように、声をかける。
だが、周囲でナニカが蠢く様子はない。
あれ、思い違いだった?
いやでも、あれは確かに──
「──動くな」
鋭い少女の声とともに、首元にひんやりとした感触が当てられた。