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夜の喫茶店にて






 彼女の好きなところなんて語り尽くせないけれど。

 その中の一つを思い浮かべるとしたら、あの物怖じしない性格だろう。

 最初に出会ったのは、千三百年も昔のこと。





 詳しい光景は思い出せない。

 けれど、天高く月が照っていたことだけは強く憶えている。

 最初に芽生えた想いは、恋などではなかった。

 あの頃の僕は、この世の全てが、自分の手の中にあると考えていたのだ。

 男性はみな自分に傅き、女性はみな自分に靡く、なんて。

 思い返せば、何という傲慢だろう。





 ──大事に想った人でさえ、この手からすり抜けてしまったというのに。





 今なら、はっきり言える。

 初めは恋なんかじゃまったくなかった。

 好奇心、興味本位、その類。





 ある翁のもとに、この上なく美しい女がいる、という話を聞いて、僕は御遣いを走らせた。

美しい宝を手に取るために。

 けれど、返事は拒否。

 それだけでも信じられなかったのに、帰ってきた言葉は、当時の僕を動揺させるのにじゅうぶんな言葉だった。

『死ぬ方がましだわ、あなたに仕えるぐらいなら』

 その一言から、僕らの関係の全てが始まった。









 夜。

 『ムーンダスト』のカウンターでひとり、カップを傾ける。

 コーヒーの熱と匂いがするりと鼻を抜けていく。

 僕はこの飲み物が好きだった。

 初めはどうしても受けつけなかったが、慣れてみると味わい深いものだ。





「なんて罪深い飲み物なんだろう、君は」

 深みにはまってしまった僕に、こんな店まで開かせるなんて。

 愚痴ったところで誰も応えてくれはしない。

当然だ。今日は臨時休業、店は閉めてある。

 でも、BGMぐらいはかけようかな。





 ──カランカラン。

 静かな水辺に雫が落ちた。

 音の波が、ぶわりと広がって消えていく。

 闇に包まれた外の世界から、待ち人が訪れたようだ。





 目を向けると、そこにはスーツを着崩した妙齢の女性が、息を切らせて立っていた。

 キリリとした眼差しは、疲れのためか少し歪んでしまっている。

 仕方のない子だ。

 急がなくてもいいと言っておいたのに。





「山口さん、いらっしゃい。何か飲み物はいるかい?」

「み、み、み……」

 くしゃり。

 僕の声に、彼女の顔がさらに歪む。

 あ、これまずい。





「みかどさま~~~~~っ」

「よっと」

 飛びついてきた身体を受け止める。

 華奢な身体は、一日を生き抜いた社会人の香りがした。




「みかどさま……私の、私のせいです。申し訳ありません、本当に申し訳ありません……」

 ぐずぐずと、腕の中で彼女は嗚咽を漏らす。

 いつもの鋭い空気とは違って、大きな子ども同然だ。

 こんなギャップのある姿を見せてしまえば、どきりとときめく男も多いだろうに。

 僕?

 僕は偏食だから……。





「落ち着いて、山口さん」

 背中を何度も撫でつける。

 汗が染みこんだスーツは、少ししめっていた。







「それで、帝さ……御門さんの外出許可の件ですが」

 いくらか間を置いて、山口さんは経緯を話し始めた。

 その前にお色直しまで挟んで、いつもの仕事モードに戻っている。

 鼻の頭がまだ赤いのは、ご愛敬だろう。





「今日、全体の定例会議があったんです。本日の議題は、近々、西欧の名家『ドラキュリア』一族がこの町に移住してくるについてことで──」

「すごいじゃないか!」

「ひゃっ」

 右隣に座っている山口さんの、カウンターに載せられていた手を握り込む。

 カタリと、机に乗った二つのカップが揺れた。





「ドラキュリアっていうことは、ルーマニアの吸血鬼一族だよね! とうとうこの町も他の国に認知されてきたんだね……。

 いやぁ、感慨深いなぁ」

 この町ができてからもう二十年。

 日本国内の妖魔を集めるのに精一杯だったころが懐かしい。

 外国人の誘致をするようになったとはねぇ。





「あの、その……」

 山口さんと目が合う。

 鼻の赤みが、いつの間にか頬にまで朱が広がっていた。

「ごめんね。ついテンションが上がっちゃって」

 柔らかな手を離す。





「あ……」

「どうかしたかい?」

「い、いえ、何でもありません!」

 彼女は慌てた様子で後ろに隠してしまった。

 きれいなのに、もったいない。





「えっと、ありがとうございます。御門さまたち、『五大老』が作り上げられたこの町に関わる者として、大変嬉しいです」

「うん、あいつらもあの世で喜んでるだろうなぁ。

 でも、それだけじゃない。君たちがこの黄昏町をよくしようと思って行動してきたからだ。本当に、おめでとう」

「ありがとうございます」





 今もあいつらが生きていたら、どうなっていただろうか。

 ……たぶん、祭りの一つでも開いているだろうなぁ。





「それで、ドラキュリア一族と僕の外出許可がどう関係しているんだい?」

「今、ドラキュリア一族の移住によって、世界に散らばっている妖魔たちが黄昏町に注目しています」

 うん、そうだろうね。

 妖魔は人に紛れて生きる存在、というのが他国の──特に欧州の通説だから。





「『大上殿』の方々が」

 …………ん?

 おやおやおや?

 もう既にいやな予感がするぞ。





「今の時期に、最古の源流である万が一帝さまが町から出るというようなことがあれば、妖魔管理局の沽券に関わる、とおっしゃって……」 

つまり、大上殿のやつらはこう言いたいのか。

自分の権力を示すために、この町にいろ、と。

「……あの悪ガキども、まだそんなくだらないことに拘っていたのか」

 ため息が出る。

 自分に、だ。

 僕も、あいつらが権力しか目にないバカだって知っていれば、上層部の座を明け渡しはしなかったのに。

 今では追い出されて、こんな隅っこで喫茶店を開く日々だ。





 ガタリ。

 隣の女の子が、小動物のように肩をすくめたのが分かった。

「す、すみません! あの時私が拒否していれば」

「いや、山口さんのせいじゃない。きみにだって立場があるのは分かってる。だから、あんまり気に病まないで」

「ですが……」





 えぇい、まだ言うかこの子は。

 真面目は美徳だけれど、過ぎると毒になるというのに。

「えい」

 頬を軽く引っ張る。





 おぉ、もちもち。

 にょーん、にょーん。

「にゃ、にゃにをするんですか」

「あんまり暗い顔をしちゃダメだよ。ほら、可愛い顔が台無し」

「からかうのは止めてくだしゃい!」

 はっはっは、これでも気に入った子にはいたずらしちゃうタイプの人間だからね、僕は。

 まぁ、これ以上三年目の新人ちゃんをいじるのもやめておこう。






「コーヒーのおかわりいるかい?」

「あ、はい。いただきます」

 立ち上がり、厨房へと移動する。

 電気ケトルのスイッチを押し、豆をドリッパーの中に入れる。

 ふわりと香ばしい香りが鼻孔をくすぐった。





「そういえば」

「何だろう」

「どうして御門さんは、この時期に外出許可を取ろうと思ったのですか? 以前、中秋の名月の日は家から出ないと仰っていたのに」





 あぁ、話していなかったっけ。

 僕の中では当たり前で、ずっと話したものだと思っていたよ。





「ずっと会いたかった人がいるんだ」

「会いたかった人、ですか?」

「うん。もう会えないと思ってたんだけど、その人から久しぶりに、手紙が来たんだ。話がしたいからある場所にきてくれ、って」





 あぁ、そうだ。

 山登りのグッズ、何も持ってないじゃん。

 明日、どこかに買いにいかないと。





「……いいなぁ」

 ふと、そんなささやきが耳をかすめた。

「え?」

「い、いえ。コーヒーが楽しみだな、と」

「そうかな。そこまで気に入ってくれて嬉しいよ。なんせ特性ブレンドだからね」

「はい、とても、とても。

 それで、そのお方はどこにいらっしゃるんですか?」





「富士山頂だよ」

「なるほど、富士山頂……え?」

 あれ、分かりづらかったかな。

「富士山のてっぺんだよ」

「…………からかわないでください」

 あれれ、膨れてしまわれた。





「冗談は言ってないって。そういう人なんだ。とてもわがままで、すごく偏屈。そこが魅力の一つなんだけどね」

「…………はぁ」

 返ってきたのは曖昧な相づち。

 彼女の魅力は人々になかなか理解されない。

 僕らの逢瀬を元に書いた『竹取物語』という昔話を読んだことがあるが、あれはダメだ。

彼女の魅力が書ききれていない。





 僕のせいでもあるのだろう。

 かぐやのいいところもダメなところも、一から十まで……いや、百以上は説明することはできた。

 けれど、彼女の魅力を知るのは自分だけでいいという独占欲が僕に語りすぎることを許さなかったのだ。





「御門さん?」

「……いや、何でもないよ」

 カタリ。

お湯が湧いた合図が聞こえる。

手にした電気ケトルは、曖昧な熱を伝えてきていた。


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