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9/12

番外編2 世界で始めてソ連が技術情報を公開したのは日本の大阪万博。そこで初めてソ連はソユーズなどを公開した。

1970年代。

熾烈な宇宙開発競争を繰り広げていた米ソであるが、実は西側どころか東側についてもソ連の宇宙船の形状というのはよくわかっていなかった。


そればかりか、ソ連はロケットすらまともに公開しなかったのだった。


当時の宇宙関係のオタクが手に入れてくるソ連に関する宇宙技術関係の情報とは、もっぱらソ連にいる米国のスパイによってもたらされた情報であり、偽装情報なども多数ある。


今回はそんな状況においてソ連が日本による万博で世界で始めて公開した存在に触れようと思う。


アポロによる月着陸が現実的となった1960年代後半。

米国はソ連が月面飛行と月面着陸を考えているということを察知し、必死となっていた。

どれだけ必死であったかというと、当初フォン・ブラウンはコロリョフが主張したように、複数のサターンVを用いて地球で一旦ドッキングしてから月へ向かうという計画を立てていたが、NASAの強い要望によってそれを文字通り軌道修正させられるハメになるほどだ。


米国がサターンVによって単独で月に向かわせるという方法はソ連をして「馬鹿げている」というものであったが、それにはソ連がランデブーのための飛行中にそれを事前察知して追い抜いて月に着陸してしまうのではないかという不安があったという説がある。(実際には当初よりソ連はN1単独での月面飛行は考えておらず、バックアップも含めて2機飛ばすという計画を最後まで考えている)


また、ソ連が計画した月面関係の計画については2つのプランが存在した。

1つが月面飛行のためのソユーズL1計画。

もう1つが月面着陸のためのソユーズL3計画である。


コロリョフは双方の計画を1つにまとめようとしたものの、政治的な要因によって2つの計画に分割される。

一方でフルシチョフは「新型の宇宙船はモジュール式としてドッキングが自由に可能にしておき、状況を見て着陸も飛行も使い分けられるように」と主張していた。


実はソユーズによる月面有人飛行計画にはフルシチョフの意見が大きく参考にされていたのはあまり知られていない。


今日のモジュール式宇宙船、モジュール式ミサイルならびにロケットというのはこの時のフルシチョフの話からコロリョフが考案したものであり、フルシチョフは米国が迷走するのを狙い、複数の計画を平行して走らせることで米国を錯綜させようとしていた。


しかもソユーズやサリュートなどにてそういうのをやってしまったがために、この影響で今日でも当時のソユーズ関係の計画についてはまとまりがつかず、全体像が2017年現在にてロシアでも上手く整理できていないという状況にある。


というか、そもそも我々が一般的に認知しているソユーズは月面飛行のための試験機扱いの存在で、月面飛行用には全く別の巨大なソユーズL1シリーズというのが存在したが、これがソユーズという扱いなのかどうかもよくわかっておらず、さらに別途に月面飛行用にゾンドというシリーズもあったりと、とにかくめちゃくちゃでよくわからない


しかもこれらの大半が2007年とか2008年以降に順次公開されていったわけで、ゾンドシリーズなんてテレビの特番でも出てこない宇宙船が存在したことなんて殆どの人が知らないし興味もないだろう。


そんな中でアポロが月面に着陸した1969年。

実はソユーズはアポロを追い抜いてある偉業を達成していた。

それはソユーズ4号と5号による「自動飛行、自動慣性制御」を用いた世界発の宇宙船同士のドッキングであった。


だがこの時、米国によって噂されていたソユーズと実際に打ちあがったソユーズは全く存在が異なっていたのだ。


当時の米国側の資料を見ると、「ソ連の月面飛行用に用いる宇宙船は20t~25tあり、非常に強力なロケットで打ち上げる」とある。


しかし実際には6t~7t弱の宇宙船が打ち上げられてドッキングし「世界で始めて宇宙船同士がドッキングした」とソ連は米国の月面着陸の前に大々的に宣伝していた。


この20t~25tという宇宙船について、1988年あたりまでは「そんなのないだろ。捏造だろ」と大笑いされたのだが、後にソ連が情報公開したことで実際に現物が存在していたことが判明した。


そしてそれを打ち上げるためのロケットですらもすでに完成していたが、N1が優先されたために20t以上を打ち上げる能力をもったロケットの方は別の計画で使われることになり、加えてアメリカは2010年代になるまで、そのロケットが本来は「ツァーリボンバーを核弾頭にして発射するためのもの」だということまでは知らなかったようだ。


フルシチョフによるかく乱作戦は見事に成功したわけだが、おかげさまで今日でもロシアが情報公開する度に宇宙船の名前や計画について見直しをしなければならないため、赤く染まった宇宙技術オタクは大変だという。


プロトンロケットは実はICBMでUR-500という名前だったとか、それがサリュートに使われていたとか、サリュートは実は偽装された名前でアルマースという名前があったとか、そもそもサリュートとは名づけられなかったけどサリュート計画に含まれた未だに名前がわからないモジュールが多数あるとか、こういうのは「公開されたら新たな事実がわかる」というぐらいわけわからないものばかり。


1つだけわかることは1990年代までのソ連は「そんなに宇宙船を飛ばしていなかった」と思われていたが、実際は月面飛行関係の頃においては有人、無人を含めて米国の3倍~4倍ぐらいのペースでアホみたいに宇宙船を飛ばしていたということ。(これらは米国との月面飛行競争以外の計画も含まれている)


当然、レーダーなどを用いて確認していた米国は「サターンV1つで飛ばさないと追い抜かされる!」と思っても仕方ない。


んで、当時の米国が理解していたのは大体このような感じだった。

・最大20tの宇宙船を新型のロケットにて軌道上に投入できる。

・これらはモジュール式で相互にドッキングして巨大なモノになる。

・最大5人ぐらいが1度に乗れる。

・宇宙軌道上で燃料補給や物資補給とかも可能。


うん。大体合ってる。(どう見ても違う計画だとは思うが)

米国の諜報員もがんばってたんだろうなというのがよくわかる。

きっと段ボール箱か何かを使って必死に情報を集めていたに違いない。


だが、肝心の打ち上げられたソユーズの姿すらよくわかっておらず、ソユーズとは一体なんだ?というのが米国内での認識だった。


1970年のある日に至るまで、ソユーズはアメリカがロシアの国営放送を傍受して見つけた汚い落書きの姿に脚色した姿しか存在せず、西側では果たして現実に存在するのかも怪しまれていたのだった。


アポロ11号による月着陸の勝利ムードに湧いていた米国だが、一方で「上記のものは火星にまで向かわせられる」という話をきいており、ソユーズと合わせて一体なんなのか実体解明しようと1969年よりスパイ活動をさらに盛んに行うようになる。


そんな1969年の10月を過ぎたある日のこと。

米国に突然の情報が寄せられる。


それは「日本で行われる万博にソ連が参加し、そこにレーニン誕生100年を記念して新型宇宙船の実物を展示させる」ということだった。


米国に衝撃が走る。

「何でまるで関係ない日本にそんなものを出す必要性があるんだ!?」と思ったのかもしれないが、日本自体も特に気にしてなかった。


世間ではアポロの月着陸などによってSFブームではあったが、「ソ連はたいしたことがない」と公開情報が少ない中でアメリカのプロパガンダによってソ連の宇宙技術について理解不足だった日本は特段それについて大々的な宣伝はしなかったのだった。


実は今日において特番などで報じられ、万博の目玉として宣伝される「月の石」だが、実はこれ、「ソ連への対抗」として急遽展示が決まったものだった。


米国は宇宙服やエンジンの展示などで十分と考えていたのだが、日本にいるスパイから伝えられた情報に戦慄する。


それはソ連が「ソユーズ」「スプートニクの予備機」「ボストークの予備機」「帰還したボストークのカプセル」「ガガーリンの宇宙服」「レオーノフの船外活動用宇宙服」「新型人工衛星」「未だに正体が掴めない謎の宇宙船(サリュートもしくはサリュート計画関係)」という、今まで米国ですらまともに見たことが無いものを日本国に持ち運んでくる予定だというのだ。


いくらレーニン生誕100年だからといっても、ものすごい大盤振る舞いである。

これらはほぼ全て「世界初」または「西側諸国初」であった。


日本でどうしてそんなことをするのか!と当時の米国では思ったようで、大阪万博が開かれる頃に強烈なプロパガンダを展開し、ソ連が展示するものは全て「偽物」「捏造」だと主張していた。


結果的にこれは一時的に成功し、当初のソ連館はガラガラの状況となる。

月の石に3時間ならぶ傍ら、ガラガラのソ連館においてソユーズが撮影された写真などを個人で撮影してネット上にアップロードしている者がいる。


だが、これは米国の狙いだったようで、当時の日本の宇宙技術オタクの記述では「初日から数日間はすごい勢いで外国人がバシャバシャ写真撮影したりビデオ撮影して迷惑行為で追い出されていた」という記録が残っている。


当然これは「実物」であることを知っていた米国がこの機会を逃すものか!と大量の記録のために撮影したもので、2000年代に入ってNASAが公開した記録映像にこの時の写真や映像記録が残っている。

つまりNASAの人間ですらこのためだけに来日してソ連館にきていたというわけ。


で、実際に公開されたソユーズだが、米国にとってはこれまた衝撃的なものであった。

公開されたソユーズはドッキングモジュールを介して2機がまるでキスでもするかのようにドッキングした姿であった。


つまりソ連が日本に持ち込んだソユーズは1機ではなかったのだ。


おまけにソユーズの近くには謎の巨大な宇宙船があり(サリュートか何か)

その大きさはアポロ司令船並であった。


さらにこれまで全く全体像が不明であったボストークも公開されたことで、米国は初めてソ連の宇宙船を間近に確認する。


ついでに打ち上げ用のR-7ロケットなども画像や映像を交えて公開された。


ソ連の宇宙開発事情について疎かった日本人は割と当たり前のように見学していたようだが、これが世界初で、米国が死に物狂いでスパイを用いて手にしようとしていた情報や技術が当たり前のごとく公表されたのだった。


これこそが「ソ連による史上初の技術公開」である。

何とロシアになる前の段階で、ソ連は技術公開を行っていたが、信じられないことにそれは日本で行われたのだった。


当初こそ米国のプロパガンダによってガラガラだったソ連館。

しかしソ連が「これらは全て実物であり、ドッキングしている両機なども含めて全て予備機である」と宣伝し、米国が「最初の話は勘違いだった(もう撮影とか終わったので撤収します)」と認め、そしてソ連館のあまりのクオリティに次第に大勢の人で賑わうようになった。


「長蛇の列」と言われた月の石の一方、米国の展示は「実際に使われて帰還してきた司令船のカプセル」「月着陸船のモックアップ」「月面着陸時の宇宙服」「サターンVの3段目だか2段目だかのエンジンの模型」「月の石」と、どう見ても上記ソ連の宇宙関係のものと比較すると劣っている。


だがマスコミ関係も積極的に宣伝しなかった影響で、今日において「ソ連が世界で初めて自国の宇宙船を公の場に公開した」ことと合わせて「ソ連の宇宙関係の技術の披露」が行われたという事実は現在においても全く語られていない。


アニメや映画で大阪万博を扱うと月の石ばかり注目されるが、もっと注目すべきものがそこにあったのだ。


何しろ、ここで公開されたモノは後の宇宙技術を牽引し続ける存在だったので、アポロで終わってしまった米国とは全く状況が異なる。


とあるアニメ映画のシーンで月の石が見られずに泣き喚く子供に戻った父親のシーンがあるけど、もしそこにいた息子が自分なら「とーちゃん、とーちゃん、あっちのソ連館のほうが凄いんだゾ!だって2010年を過ぎたら、あっちに展示されている宇宙船しか人を乗せて飛ばないんだゾ! 月の石なんて大したことないゾ!」とか言ってたと思う。


1970年3月の万博によってこれまでレーダーででしか存在を確認できなかったソ連の宇宙船を確認した米国は、次の段階としての宇宙開発計画においてソ連がどう動くのか警戒しはじめる一方、このソ連による技術公開というのはスプートニクショックから始まり、有人宇宙飛行関係に突入していった宇宙開発競争の第二部あたりが終わったことを如実に表していると言っていいだろう。

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