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未だに自動操縦技術を確立できていない米国と、最初から自動操縦が基本だったソ連……そして米国のロケットは赤く染まった。 その1

1975年。

アポロソユーズテスト計画により、両国は始めてお互いの技術力について認知することが出来た。

ここで初めてトイレなどの存在を米国は認知したが、それ以上に驚いたものがある。


「ソユーズの操作用パネルが非常にコンパクトでスイッチ類が殆ど無い」


当時のアポロ宇宙船の写真内部を見てもらうとわかるが、スイッチスイッチ、またスイッチ。

指令船内部にいる乗組員は大量のスイッチに囲まれ、これを用いて宇宙船を操縦していた。


アポロ13号ではこれらが大いに活躍して地球に帰還できたことをラヴェル船長が語り、実はアポロ8号ではラヴェル船長のミスによってアポロ13号で行った一連の軌道計算などの機械的データ入力を8号においても行っていたりする。


ちなみにアポロ8号では前述する理由によりボーマンは殆ど役に立たなかったのでラヴェル主導による運用がされ、これが後にボーマンが以降のアポロ計画で乗組員として採用されず、13号でラヴェルが船長として乗り込む要因となっている。


ちなみにアポロの指令船と月着陸船のスイッチは合計すると1000以上である。

これらを全ておぼえて操作するというのだから大変だったであろうが、これをリアルに再現したシミュレーターゲームをやった筆者としては「これのせいで70年代~80年代のロボットアニメはスイッチだらけになっちまったのか!宇宙旅行なんて全然楽しくない!」と嘆いてたりする。(戦後からアポロ計画あたりまでのロボット物の作品は逆にスイッチ類が極めて少なかった)


興味がある人は画像検索でもしてみていただけると、そのスイッチの多さにゲンナリすることだろう。


そんなアポロ18号の乗組員がソユーズに乗り込んだ時、彼らが見たソユーズのスイッチパネルの数は「全部で8つ」


それ以外には操縦桿しかない。


無線記録で「これでどうやって操縦するんだ!?」と驚きの声をあげる18号の乗組員の記録が残っているほどである。


これには両国の宇宙船に対する考え方、いや宇宙飛行に対する考え方の違いがあった。

これまでの話に書いたように、宇宙飛行とは「地球脱出である」と考えるソ連。


乗り込む人間はガガーリンのようにただの宇宙オタクの青年将校などが基本であり、むしろこういう人間を積極的に採用する背景には「我々のような無知な人間でも離脱せねばならぬ時に、それを理由に無様に死にたくは無いからな」というフルシチョフの考えもあった。


フルシチョフがコロリョフなどを通して命じたのは「同志達数百万の地球脱出が可能」な存在であるので、操縦というのは極めて簡単で誰でもできるものにする必要性があった。


そしてコロリョフ自体も「科学的知識のない素人に操縦されるぐらいなら……」と考え、基本は自動操縦にするということでまとまっていた。

ではいつから自動操縦なのかというと……ガガーリンが乗った時点で。


初飛行にしてすでに飛行操作などは全て自動化されていたのだった。


近年公開されたボストーク1号に関する無線記録は極めて興味深い。

これはコロリョフら、ソ連の宇宙技術開発者が「今こうなっているようだが、そちらは?」と質問を投げかけ、ガガーリンは「これこれこうであります」と回答する。


これが史上初の有人宇宙飛行である。

とても未来的だが、これがベトナム戦争が始まって5年であるのだから、MetalGearSolid3のソ連の描写はあながち間違っていないのではないかと思ってしまう。


マーキュリー計画では長距離弾道ミサイルの先端に人を乗せた上でさらに手動操縦させて帰還させていた米国は、この時点で勝負になっていない。


例を出すと、ボストーク1号のスイッチは全部で6つ、それに対しマーキュリー1号のスイッチは55で、さらにその他に操縦システム関係のものが全部で120近くあった。


これは余談だが、近年までロシアがこの栄光あるボストーク1号の無線通信記録の全ての記録を公開しなかったのには理由があった。


それはボストーク1号が失敗しかけていたからである。

打ち上げから軌道に乗った後、ボストーク1号は強烈な回転を発生させ、最大15G近くがガガーリンにのしかかかった。


「地球は青かった」という言葉を残したガガーリンは、実際は「青いかどうかしか確認できなかった」というのが正しい。


無線記録とは別途で、この状況を見たソ連の宇宙局はすぐさま軍上層部に相談していることがわかる。


それは「地上にボストーク1号は戻ってくる予定であるのだが、本人がミンチになっているか死亡している可能性が高い」ということだった。


当時のボストーク1号は空中で機内からパイロットを射出し、パラシュート降下する。

だが、現在もボストーク1号は航空機でいえば操縦不能の状態。

射出できるかどうかは不明であるが、射出しても衝撃によって死亡する可能性もあった。


それを聞いた軍上層部はすぐさま「二階級特進」の命令を下す。


ボストーク1号における通信や映像が殆ど公開されていなかった背景にはこんな事情があったのだった。


そしてガガーリンが二階級特進した本当の理由は「宇宙船にかかった強烈なGによって宇宙船が実質的に操縦不能であり、ガガーリンが死亡する」ということに慌てて、死亡を確認する前の段階で軍上層部に指示を仰いでしまったことが関係している。


ガガーリンは操縦中にニュースによって二階級特進の情報を聞いて大変喜んでいることが無線通信で残されているが、ソレに対しての宇宙局の反応はやや薄く、察しの良い彼は現在の状況からすでに事態が予測できていたかもしれない。


ガガーリンが優秀だと言われる背景にはその状態で助けを請うことも、慌てることも、そして泣き喚くこともなく平静を装い続けたこと。

Gによってうまく言葉を発せない状況ですら彼は冷静に現在の状況を正確に伝え、宇宙局に今後の飛行のための参考にしてほしい旨を伝えている。


西側なら間違いなく「映画化確定」である。


一方米国。

米国の宇宙飛行の目的とは「太陽系、並びに太陽系外において人類の足跡を残す」


つまり、「地球脱出」ではなく「米国人によって足跡を残す」ということが主目的であり、とにかく「飛んで足跡を残して戻ってくれば良い」のである。


だから自動操縦などという当時の米国としては非常に危険で安心感の欠片もないようなものを捨て、操縦できるようにして手動操縦させての飛行を行わせたのだ。

無論、自動化している部分もあるが、大半の状況でパイロットが操縦していたのである。


これは現代においてですら自動操縦の車が未だに出ていないことを考えれば、米国の考え方は至極正論であり、ごく最近になってようやく「無人機による完全自動操縦の離着陸飛行」を可能とした米国においての選択としては正しいものだった。


つまり逆なのだ。

ボストーク1号の時点でこれが可能だったソ連こそ恐るべき技術力を保持する国家だったのだ。

米国はスパイなどを通して様々な情報をソ連から集めていたが、操縦パネルのスイッチが少ないなどといった報告については「ソ連に嘘を掴まれている」と認識していた。


1970年代の資料を見るとまさにそんな情報ばかりで「宇宙に行っているかどうかも怪しい」といった記述だらけである。


そんな考えが吹き飛び、頭の中が真っ白になったのはソユーズという存在をデタントの状況下にて見学することが出来て初めてのことであった。


この時の計画では当初米国が「アポロをドッキングさせて~」などと言っていたが、ソ連はそれを断固拒否する。

「軌道上に打ち上げたらとりあえず待ってろ。後はこっちでどうにかする」といってアポロに妙な動きをしないよう注文をつけた。


こういったソ連の姿勢には当然理由がある。

専門家やスーパーエリートを飛行士として採用する例が少なかったソ連では手動操縦はミスの連続であった。


元より手動操縦が基本でそれを完璧にマスターしたスーパーマンしか乗れない米国の宇宙船についてはあくまで「米国は手動操縦が基本」としか知らなかったのである。


完全自動化され、ドッキングすら可能だったソユーズにとっては妙な動きで失敗するよりも、とりあえず自動操縦でソユーズにドッキングさせた方が安全だと考えたのだった。


さらにそれでもまだ不安だったので、ソ連はアレクセイ・レオーノフという様々な困難を独断で解消したベテランを飛行士の1名に加えた。

この時点で実は彼は実質的に引退した身で新たなパイロットの育成にあたっていたのだが、度重なる要望に応えた形でソユーズに乗り込んでいる。


結果的にソ連の指示通り軌道上に打ち上げた後は待機状態であったアポロ宇宙船にソユーズが自動操縦でドッキングする形でこの計画は成功を収めたのだが、これによってアメリカはスプートニク以上のショックを受ける。


以前よりスパイから伝えられていた「ソ連は極めて正確無比なロケットやミサイルの遠隔、自動誘導を可能としている」ということが事実だったのだ。


ソユーズが自動飛行であるというのは我々日本国でも日本人初の宇宙飛行士である秋山豊寛が説明しており、日本国内においては1988年の段階で判明していたが、それよりもっと前の段階でその技術は確立されていたのだ。


そしてここまで説明すればわかる通り、単なる日本人ジャーナリストをすぐさま宇宙へ飛ばせたのも「ソ連の宇宙開発の意味」とは究極的にはこういう人間を当たり前に飛ばすことにあり「ミール」という存在も「こういった集団」が長距離でどこかへ飛んでいくことを想定していたためである。


よくロシアの宇宙技術は民間転用が可能とか、宇宙旅行のようなものをやっているというが、ロシアが金払いのいい民間人をソユーズに乗せて飛ばす意味もまた、ソ連から続くロシアの宇宙技術開発とは「もはや人種や職種も関係なく誰でも飛ばして宇宙に送り出せる」というものなため、こういった事に積極的なのである。


そしてこの状況は米国にとってはこれほど衝撃的なことはなかった。

それはICBMの当時の性能に直接影響するからである。


1980年。

米国はミゼットマンと呼ばれる新たな大陸間弾道ミサイルを開発する。

この開発経緯こそまさにソ連の当時の技術を目の当たりにすることで理解した米国の対応策の1つであった。


それまで、米国のICBMというのは「特定の地域にある程度の誤差範囲はあってもぶつけられれば、後は核の炎で焼き尽くせる」という考え方だった。


実際にICBMの運用としてはコストも考慮したらこれが正しく、搭載する水爆の威力を増加させた方がいいと思われていて、日本人も西側諸国としてはこの運用思想こそ正しいと思っていた。

(ようは、核抑止力とはそういうものだと思っていた)


だが、ソ連は以前から「戦術核によってミサイルサイロを破壊する」という正確無比な射撃攻撃を可能であることを主張しつつ、それに合わせた大陸間弾道ミサイルを配備していた。


アメリカはこれを「高威力の水爆は重量が過大でソ連のミサイルの性能ではきっと打ち上げられないのだ」と思っていたが、実際には違っていた。


スターリンやフルシチョフ、そしてブレジネフらソ連の者達は割と民衆の心理を理解していたのだ。

それは「無慈悲に無差別に攻撃すれば、民衆は個となるような集団を形成し、こちらへ敵愾心を抱いて思わぬ反発を食らう」というものである。


この考えはベトナム戦争などにおいて米国が敗北する理由そのものであったのだが、ソ連が持つICBMとは即ち「戦略兵器」という名の「戦術兵器」であり、搭載される核兵器は極限まで威力を絞り、それを正確無比な攻撃によって効果を発揮させ、「戦略拠点」となる場所を破壊することを念頭に入れていた。


米国がこの性能が事実であると完全に気づいたのは前述するソユーズの性能の確認と、デタントによって技術交換がなされた後のこと。


デタント崩壊によって再び冷戦となった1980年代において、米国はソ連が「ミサイルサイロに直接攻撃可能な戦術兵器を保持している」ということを認識し、それを議会で公に発表した上で新たな戦略兵器を開発することになる。


これこそ「移動型の核兵器射出システム」であり「メタルギア」の発想の基となった存在である。

小島監督がアイディアの基にしたモノ自体は二足歩行ではなかったが、その思想は実際にあったわけである。


ミゼットマンはこの一連の「ミサイルサイロをもたずに発射可能な移動式核発射システム計画」の計画下に開発されたものだが、開発経緯は前述した通りであった。


だがこの計画も上手くいかなかった。

小型の弾道ミサイルの命中率に問題があり、冷戦が終結するとすぐさまこのミゼットマンと「移動式核兵器射出システム」は凍結される。


米国が新たに見出したのは「超高速弾道軌道兵器」というようなジェットエンジンなどを用いて大気圏内ギリギリを高速飛行するステルス型の航空爆弾のような兵器で、現在開発中の超高速無人ステルス機などに繋がっていく。


これらは人工衛星などで誘導するため、いつものごとくゴリ押しでどうにかなると思われている。


どうしてこういったことをしようとしているかというと、「宇宙空間における遠隔操縦」という分野においては現在ですらまともな航行装置を開発できていない米国では、無人機によるISSの補給すらままならないからだ。


大気圏外に出るという要素が入るとどうにもならないのだ。


これについては次回説明するが、日本国ですら可能としているソレをまだ不可能とさせている状況にはNASAの宇宙技術者の技術継承問題が影響している。


フォン・ブラウンの死後、米国の宇宙技術関係は急速に停滞した。

かのスペースシャトルもソ連の技術者から言わせれば「無駄の塊」である。


特にソ連が気に入らなかったことはトイレ……ではなく、スペースシャトルが有人による手動操縦で着陸するという話であった。


ここで話は再びエネルギアが搭載したモノに戻る。


筆者はソ連がエネルギアを飛ばすにあたり、ブランはそこまで本腰を入れたものではなかったという話をしている。


では、どうしてそんなブランを1度だけ飛ばしたのかというと、これは完全に米国に対する技術誇示が主目的であった。


スペースシャトルの操縦席を見た後にブランの操縦席を見てもらえばわかるのだが、ブランの操縦席も「ソ連式」ともいうべきスイッチの少なさである。


そうである。そもそもブランは「無人」で飛んで「無人」のまま戻ってきたのである。

これに違和感を感じた人は筆者含めて少ないが、冷静に考えると「航空機の形をした地球との往復帰還機が自動操縦で、離着陸含めて全てオートで問題ない」というのは1988年時点としては恐るべき事実である。


ブランに関してはソ連が大々的に公開し、着陸シーンも当時の日本で見ることが出来た。

これを当時の米国のプロパガンダによって雑音が入って一般の宇宙オタクというのは特に何も思わなかったようだ。


NASAは「人を乗せないで飛ばした所で往復帰還機としての性能を誇示できたわけではない」と言っていたが、冷静にこれまでのことを考えてみると「人が乗ってないとはいえ、あの形でソ連式大気圏突入方法を用いてさらに着陸も完全自動でやったのか!?」と驚く方が正しい。


ブラン自体の開発は1971年から。

だが、この時点ですでにモジュール式のほうが全てにおいて勝っていることを理解したソ連はブランの計画についてはそこまで本腰を入れていなかった。


実は最近の情報公開から見ると、スペースシャトルよりも明らかにソ連のほうが先にスペースシャトルのようなものを作っており、「もしかしてパクったのはソ連ではなく米国ではないか?」と思う。


特に耐熱タイルについてであるが、先に耐熱タイルの採用を考えたのはソ連である。

だがソ連は「ソユーズのほうが優秀」と結論付け、ブランの開発は後回しにしたのだった。


ブランとエネルギアを見た場合、何よりも優秀なのはそのコストパフォーマンスである。

馬鹿みたいにコストがかかると言われたエネルギアと無駄の塊といわれたブランだが、それでもスペースシャトルの3分の1の費用でスペースシャトル並のことが出来てしまい、さらに操縦は「全自動」である。


最近NASAが公開して笑われたように「スペースシャトルの自動操縦による着陸の成功率は3割以下で、緊急時でしか自動着陸できなかった」というのとは対照的に「緊急時以外は手動操縦できない」というのがブランである。


この時点で「どう考えてもブランのほうが勝っているだろ!」と思わせなかった米国のプロパガンダ能力は凄まじい。


本当にどうして疑問に思わなかったのだろうかわからないが、最近のロシアの技術公開については「ソ連時代にイライラしなかったのかな」と思わせる内容ばかりである。


最後に今回の話を締めくくるにあたり話したいことはブランについての1つの噂である。

1980年代の赤く染まった宇宙関係の雑誌では、すでに地球と宇宙の往復帰還機について触れられているが、それについて「米国のスパイからソ連の技術力を欺くためだけに計画したカバーストーリーの1つ」といったものが書かれていることがあった。


これを少年時代に見た筆者は「一体何が言いたいんだろう?」と思ったものだが、今にして思えばつまり、「ブラン」とはソ連が米国を混乱させようとソユーズや「サリュート」などのモジュール式宇宙船などの一連の技術を秘匿するために生み出した偽の情報を掴ませるための釣り餌で、その釣り餌でもって米国が本気でそんなものを対抗心でもって作ったために急遽完成させた代物ではないかということである。


それで、完成するにあたり、「もっとこうしようよ」と自動操縦させて技術力を見せ付けたが、コストパフォーマンスが悪すぎるので1回飛ばして冷戦が終わると、その後そのまま計画自体を終了してしまったというならばエネルギア関係の話と合わせて辻褄が合う。

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