第十八回
「なんだか虫がいるみたい。頭の中に虫がいるよっ」
「サワネっ、落ち着け! 本当に天狗に何もされてないか?」
サワネは大きく首を振った。
「なら心配することは何もない」
「でも、でも……」
皺だらけのおばばの手がサワネの手を優しく包み込む。
「ほれ、息を大きく吐くんじゃ。全部吐き切れ……。それからゆっくり吸う。ゆっくり、ゆっくり……」
おばばの声にあわせ、深く息をするとだんだんサワネは落ち着きを取り戻してきた。
ふと気づくと、鼻の奥には清らかで澄んだ水と深い緑の香りがある。額にはまだ何かの感触があった。だが、額から体全体へと広がるかすかな振動には揺れる木々の葉擦れを感じた。守られている。そんな安心感がサワネを包んでいく。あれほど恐ろしかったうごめくような感覚は、全身を巡る心地よい波へと変わっていた。
「おばば、ありがとう。……もう大丈夫だ」
「どうした、サワネ。あんなに取り乱して。お前さんらしくもない」
「何かが動いたんだ、おらの額の裏で。……きっと、オオサクラさまのおしるしだ」
「オオサクラ、じゃと?」
目を大きく見開いたおばばにサワネはうなずき返した。
「……実はおら、森の中でオオサクラさまにお会いしたんだ。なんて言ったかな、ハザマとかいう、霧がかったとこだったと思う」
おばばは、ゆっくりとサワネから手を引いた。しゃがんだまま全身を震わせている。
「どうした? おばば、大丈夫か?」
「ああ、……ああ。心配いらん」
そう呟くおばばの唇は、小刻みに震えていた。
「気付けの薬がいるか?」
「心配するな。じゃが、ちょっとな……。サワネ、悪いが下に降ろしてくれ。腰が抜けた」
サワネは隅に置かれていた帯を手にした。たすきにかけると、おばばを背負う。細く骨張った脚、しなびてかさついた肌が手に触れた。
「痩せたな、おばば」
「言うことも聞かず、夜旅をして戻ってくるような輩と付き合っとれば、やつれない方が不思議だや。それも天狗やオオサクラさまにお会いしたなど……」
背中越しに溜息を感じる。サワネはギュッと帯を絞った。
「ちょっときついぞ、サワネ」
「おばばが落ちたら困る」
「ふん。口うるさいババアなぞ、さっさとくたばった方がええと思うとることぐらいお見通しじゃで。見え透いたウソを言うな」
サワネは苦笑いを浮かべるとロウソクを咥え、縄梯子を降り始めた。強がり、軽口を叩いて、一旦は平気そうに見えたおばばは、囲炉裏端に降ろされるとまた震えはじめた。