第十回
◇
「お目覚めなさい……お目覚めなさい」
ゆっくりと目を開ける。あたりは霞に包まれたような薄明かりが満たしていた。
白いゆったりとした絹衣をまとった背の高い女性がサワネの傍らに立っている。目が合うと女性は穏やかなほほ笑みを浮かべ、ゆっくりと腰をかがめた。額で銀の髪どめにおさえられた長い髪が、雨の後に木々からしたたる露のように輝いている。さまざまな色の光の珠を連ねた首飾りが胸元で揺れた。
「目覚めましたか」
女性の声を耳にした瞬間、サワネの全身が粟立った。大きな声ではない。むしろ、小さいくらいの声だった。だが胸にそのまま届いてくる。心の奥底を指先で直接、やさしく、撫でるよう。もっとその声を聞きたいと感じる心地よさと同時に、なぜかその場から逃げだしたいという相反する気持ちが浮かんでくる。
女性は返事を待つかのように黙った。無言となった女性の存在感にサワネのからだは震え出しそうだった。
山で一番怖いのは、自分の心の影から生まれる恐怖にかられること。それさえ避ければ、あとの全ては山の神様次第。
サワネは山中で怪我をした時と同じように、目を閉じると大きく息を吐ききった。そのままゆっくりと息を吸う。そうして深呼吸を何度か繰り返した。徐々に気持ちが落ち着いて、震えが引いてきた。
再びゆっくりと目を開くと、サワネは意を決した。
「……ここは、どこ?」
「ハザマの地です。地上とは時の流れが全く異なる、とても離れた所になります」
薄明かりの中では、なにもかもがぼんやりとしていて、前も後ろもどうなっているか全くわからない。まるで水の中にでも浮かんでいるようだった。
「あんた、……だれ?」
「私は森の古き木の一つ、オオサクラ。人が住まう前からこの地にいたものです」
森にいくつもある古の巨木に宿るカミ、森の神様に違いなかった。なにかとてつもなく大きなものに触れた気がして、サワネは居住まいを正し、深々と頭を下げる。
「森の神様、失礼しました、石を投げたりしてすみません、許してくださいっ!」
「面をあげなさい」
肩に触れられ、サワネは素直に顔を上げた。
「あなたには、怖い思いをさせてしまいましたね。首元に刀など……」
少年の牙と闇の瞳、そして首元に突き付けられた刀の感触を思い出し、一瞬恐れが心に浮かんだ。深く息を吐くと、それはすぅっと流れ去るように消えていく。
「とんでもないです、おらこそ申し訳ないです」
サワネが畏まって首を振ると、オオサクラはため息をついた。
「あの天狗、姉のオオカエデが配下のはずなのですが、あのような悪さをするとは思いませんでした」
「天狗、ですか? おばばは鼻が長いと言ってましたが……」
「天狗にもいろいろいますからね。それにしても、人を脅して真の名を探り出そうとするなんて、いたずらにも程があります」