第七章)混沌の時代 メイシャの手料理
▪️ラケインの里帰り⑤
「そうですか、北は政変が起こるかもしれないと。」
メイシャの御両親への挨拶がスムーズに終わり、今は世間話を兼ねた情報収集中だ。
クラボアさん曰く、北の大国、コール聖教国は、クルス教という世界で最もメジャーな宗派の総本山であり、教主であるフォルクス猊下を頂点として国を治めていた。
博愛主義を称えるクルス教だけあり、その治世は平穏なものだったらしい。
“全てを投げ出し帰依せよ。一人の幸せでなく、全ての幸せを心がけよ。”
クルス教の基本理念の通り、民の利益は全てが国に徴収され、全ての資産は国が管理する。
そう聞けば酷く束縛された社会を想像するが、一部の貴族が富を独占せず、民すべてがそれぞれの仕事を全うし、等しく益を享受する社会は、贅沢を望まなければ暮らしやすく安定した国だったそうだ。
しかしこの数年、小魔王の台頭により、その前提が崩壊した。
自分を含め、これまでの魔王たちは、西国と南国の間に拠点となる魔王城を建て、世界に侵攻していた。
つまり、北国にとっては、少なからず、対岸の火事だったという訳だ。
それが、今や小魔王達は世界各地に散らばり、コール聖教国を縄張りとするものも何人か存在する。
情勢が不安定となり、物流が滞りがちとなるなか、等しく富を分け与えていた民たちには、蓄財が無かった。
そして、その不満はクルス教へと向かったのだ。
「うむ、それにどうやらこの一件、西の軍部が手引きをしているという噂もある。」
魔王が現れれば一致団結するが、一度平和となれば今度は身内同士で権力争いをするのが人間の性だ。
今は小魔王の時代とはいえ、目指すべき共通の敵ではない以上、この混乱を利用する手合いが増えているのだろう。
しかし、西の軍部と言えば、友人であるリュオ将軍がいるはずだ。
彼がそういった謀略を好む性格には思えない。
「リュオ、いえ、ルド=オーガ将軍の情報は聞いていませんか?彼とは知己を得ているのですが。」
ごく希に連絡が来るものの、仮にも一国の将軍相手に、安易に《繋魂》で念話など出来ようはずもない。
さらに言えば、大陸の反対側にいる相手なのだ。
なかなか情報すら入ってこない。
「おお、メイシャも在学中に戦ったというSランクの冒険者だな。彼なら、正式に名前をリュオ=クーガと改めて、エティウ王国の新女王のお抱え騎士になっているはずだ。正規軍とは別の系統だと思う。」
女王のお抱え。
つまり、王族直轄の独立部隊を率いている。
あの豪快でいて真っ直ぐな気性の御仁だ。
利権が渦巻く軍でやっていけるのかと思っていたが、別の意味で心配だ。
そもそもが独立部隊を必要とするという状況自体がおかしいのだ。
どうやら、北だけでなく西も情勢が怪しいらしい。
「そういえば、私達も長らく東から遠ざかっていたからね。こっちでは変わったことは無かったかい?」
「ええ。ノガルドは平和ですよ。こっちには活動的な小魔王もいませんし。変わったことと言えば、ここ数年作物が不作と言うくらいですが、飢饉と言うには程遠いレベルですね。」
「あらまぁ、大変ね。うちも穀物でも扱っていればよかったかしら。」
エディアさんののんびりとした相槌に釣られ、情報交換の話が一区切りつく。
「そういえばメイシャ、今日はせっかく皆さんが揃ってるんですもの。アレを作りますよ。」
エディアさんが突然手を大きくたたき、メイシャに呼びかける。
「あ、アレを?いまから?」
「そうよ!今から!」
アレとはなんだろう。
メイシャが頭を抱えている。
「おお、アレか。エディアのアレは絶品だからな。」
クラボアさんも大きく頷いて賛成する。
どうも話の流れから何かの料理らしいがなんだろう。
「そういえば、先輩達には食べてもらって無かったですね。ラク様には先日作りましたけど。」
「先日?ひょっとして父さんのところへ出かける前に作ったアレか?確かにアレは凄かったけど、今からとなると厳しいと思うが大丈夫か?」
どうやらラケインは心当たりがあるようだ。
しかも、料理の感想をあまり口にしないラケインが、凄いとまで表現するアレとは、いったい。
「大丈夫です。お母様は狩りに関しては私以上の腕前だし、作り方自体は簡単ですから。」
「そ、そうか。ご婦人とはいえ、流石にメイシャのお母様だな。じゃあ頼んでもいいか?」
「はい、お任せ下さい!」
なんだかトントン拍子に話が進んでしまい、置いてきぼりをくらった気分だが、この場の四人が絶品というアレとやらを楽しみにするしかないようだ。
「いってきまーす。」
銀賢星を持ったメイシャと壁のような盾を背に担いだエディアさんが元気よく出かけていく。
バタン。
扉の閉まった勢いで、窓際に飾られていた花がはらりと花びらを落とした。
「お待たせー。」
「ただいま戻りましたー。」
狩りで昂っているのか、心なしか出かける時よりもテンションの高い二人と一緒に帰ってきたのは、荷車に乗せらた大型の一角猪だった。
「おお、凄いね。大物じゃないか。」
「はい。お母様のお陰です。」
重量武器である銀賢星と魔法を扱うメイシャにとって、野獣の狩りは相性が悪い。
大猪種とはいえ、その動きを止めることが出来たのは、ひとえにエディアさんの力量だろう。
まさに、流石はメイシャのお母さんだ。
「じゃあ俺は残りの肉を肉屋へ卸してくる。ついでにルコラさんにおすそ分けしてくるから。」
「はーい。」
エディアさんがあばら部分の肉を切り分けたていると、ラケインが裏から出てくる。
裏の空き地に行ってみると、石が組まれて竈が出来上がっている。
さっきから姿が見えないと思っていたら、裏でこの用意をしていたのか。
そうしてラケインは荷車を押して街へ出ていき、メイシャとエディアさんはいそいそと料理を始めていく。
まずはエディアさんが、肉を丁寧に水洗いする。
キレイに血抜き出来ているようで、ほとんど水が血で濁らない。
そして、布で軽く水を拭き取ると、皮の部分にナイフの刃を滑らせるようにして毛を払った後は、竈の火で軽く炙って残った毛を燃やす。
エディアさんが下処理をしているうちに、メイシャは家の調理場と行ったり来たりしながら、桶に二つの液体を混ぜていく。
「メイシャ、それはなんだい?」
「ふっふっふ。これはお母様直伝の魔法の液です。」
とまったく回答になっていない回答にいらっとしながら観察していると、どうやら水飴を酢で薄めて伸ばしているらしい。
「メイシャ、用意ができたわよー。」
「はーい。」
した茹でをした肉に塩コショウやニンニクで下味を付け終わったエディアさんが、メイシャに声をかける。
すると今度は、メイシャが皮の部分に魔法の液とやらを丁寧に塗っていく。
軽く茹でられた肉はほんのりと白みがかり、ピンク色の発色が美しい。
そこへ水飴が塗られていき、テラテラと輝いていく。
「これで水飴が固まるまでしばらく放置です。」
どうやら第1ラウンド終了のようだ。
「なかなか豪快だけど、これをあの油で揚げていくの?ちょっと火が通るか心配なんだけど。」
第2ラウンドは夕方になって始まった。
メイシャが用意したのは油を張った大きな鍋と金網。
しかし、ここで嫌な予感がしてくる。
肉の分厚さは約10cm。
薄いカツ肉ならともかく、この肉塊を油に放り込んで火が通るかと言えば疑問だ。
それに何より、油くどくて胃もたれしそうだ。
しかし、メイシャはその質問は予定通りと言わんばかりのドヤ顔で、
「ちっちっち。先輩。我が家秘伝の料理ですからご心配なく。」
とか言ってくる。
「ここから時間がかかりますよ。油が跳ねるんで、適当に中へ入っててくださいね。」
そう言ったメイシャは、水飴の塗られた肉を大きな網の上に置き、かまどの上に用意された鎖に繋ぎいで油の上に吊り下げた。
─バチバチバチ。
激しく油が弾ける音がする。
見ると、熱した油を大きな匙で掬い、肉に回しかけていく。
肉からこぼれた油は網をすり抜け、鍋へと戻る。
そしてまた油を回しかける。
なるほど、これは外に竈を作るわけだ。
これだけ油が跳ねるのなら、家の中でやれば後片付けが大変なことになる。
「こうしてじっくり熱を入れてくんです。1時間くらいかかりますから、中で待っててくださいね。」
流石はメイシャが秘伝とまで言うだけのことはある。
僕達は溢れる唾を飲み込みながら、家の中で待つことにした。
「さぁ!どや!」
自信満々の顔で用意された食事は、圧巻の一言だった。
油をかけて焼かれた肉は、未だバチバチと皮の部分で油がはじけている。
付け合せに添えられたスープは、香辛料がふんだんに使われているのか、その香りだけでもお腹が空いてくる。
「大いなる天よ、地よ、母よ、父よ。今日もまた糧を与えたもうたことをここに感謝します。願わくば、すべての民と明日の我らにも祝福のあらんことを…いただきまーす。」
もはや我慢の限界だ。
調理中からあんなに美味しそうな光景を見せられては、かなわない。
まずはメインの肉をフォークで取る。
─ざくり。
肉を刺したとは思えない乾いた音。
切り分けられた断面をみれば、一つの肉であるはずなのに、その見た目は複雑なものだった。
まずは油で揚げられた皮の部分。
水飴の効果だろうか、油で揚げられパリパリになっているのに、乾いた感じはしない。
そしてその下の脂身。
白く輝く脂肪からは、まるで真珠のような輝きが放たれる。
最後は筋肉である赤身。
脂身とは違う肉本来の猛々しい重厚感を持ちながらも、のように溢れ出る肉汁が繊細な美しさを併せ持つ。
これは、これを口へ入れるのには、相応の覚悟が必要だ。
未知の料理に対し、育成学校で培った食の記憶が警鐘をならす。
ばくり。
「──っ!」
声に、ならない。
火で焼かなかったためか、皮はパリパリに焼きあがっているのに水気は失われずに肉汁がほとばしる。
口の中に入れればほろりと崩れる。
これも固く焼きあがってしまっては味わえない。
脂身からは強い甘みが、肉からは圧倒的な旨みが怒涛に押し寄せる。
「な、なんなんだよ、この肉!メイシャ!なんでこんな代物を五年も秘密にしてたのさ!」
2個、3個と次々に口の中に消える。
それは、他の五人も同様で、あれだけ大きかった肉塊がどんどん減っていく。
「秘密兵器は、もぐもぐ、最後までとっておく、もぐもぐ、ものです。」
「メイシャ、もぐもぐ、食べながら喋っては、もぐもぐ、いけません!」
「そうだぞ、もぐもぐ、ラケイン君の前で、もぐもぐ、恥ずかしいじゃないか!」
もはやこの親にしてこの子ありの状態だが、突っ込む余裕すらない。
一息つくために、添えてあったスープを手に取る。
「──っ!!」
伏兵。
添え物だと思って油断していた。
このスープ、只者ではない。
白濁したスープ。
香辛料の強い香りの奥に潜む野生。
ガツンと脳髄に響くような獣の味。
「こ、このスープ。どうやったらこんなに強い味になるのさ!」
まずい、劣勢に追い込まれて逃れた先に奇襲を受けた軍がどうなるかなど、20年前に嫌というほど見てきた。
このままでは一方的に蹂躙されてしまう。
メイシャの実家とは、これ程の戦闘力を持っていたのか。
しかし、よく見れば、クラボアさんもエディアさんもスープに衝撃を受けている。
「おお、これは。」
「まぁ。」
すると、ラケインは感慨深げにスープを飲み干し、
「うん、このスープ。父さんの味だ。一度食べただけで、よく再現できたな。」
そう呟いた。
「待て。まてまてまて。父さんって、あのレイドロスの事だよな?」
「そうだ。先日父さんのところへ行った時に、作ってくれたんだが、昔から食べてきた父さんの味だ。」
「へへ。まだまだお義父さまには及びませんけど頑張ってみました。」
はぁ?
レイドロスが、あの“魔剣”が、料理だと?
あやつめ、我にはそんなこと一言も、いや、ひと口もよこさなかった癖に!
「ラケイン。奴の居所を教えろ。我が力、目にもの見せてくれる。」
「あぁ、そのうち顔を見せてやってほしい。きっと喜んでくれるよ。」
事情の分からないメイシャの御両親は、目を白黒させていたが、その日の夕食は賑やかに穏やかに過ぎていく。
窓際の花は、花びらを落としながらも生き生きと花開いていた。




