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第七章)混沌の時代 “魔剣”の苦悩

▪️ラケインの里帰り③


 数時間前。

老人は滝の上にある大岩の上に腰掛け、瞑想をしていた。

老人の名は、レイドロス。

かつて魔王軍四天王の“魔剣”として名を馳せた孤高の剣士だった。


 老人とは言うものの、魔族としてはさほどのことは無い。

筋骨は引き締まり、肌も瑞々しく張りと艶を持っているが、見た目には人間族でいう七十前後と言ったところか。

だが、魔族にとって見た目とはさほど意味をなさない。

淫魔(サキュバス)狼魔人(ヴェアヴォルフ)など、種族を確立し親から生まれる“派生種”はともかく、かの『魔王』を始めとする多くの高位魔族は、“原種”と呼ばれ高濃度の魔力溜まりから成長した姿で知識と意識を持って生まれる。

彼もまた、生まれ落ちたその時から今の姿だった。

数百年どころか数千年もの時を生き、事実上寿命というものがない魔族の中において、実のところ三百年も生きていない、まだ年若い魔族であった。


 剣を極めたと呼ばれ、既に百年を超えた。

自身では、その道を山に例えるならば、ようやく中腹を過ぎた頃かと思っているのだが、既に剣を振って強くなる域はとうに過ぎていることも分かる。

この百年ほどはといえば、日の昇る時間の殆どを瞑想することに当てていた。

仮想の敵を想い、仮想の剣を振る。

理想とする剣を思考し、さらに至高の剣を模索する。

おもむろに剣を振り、そのひと振りが思い描く剣筋と髪一つ分ほどにもぶれがあれば、ただひたすらに剣を振り続ける。

ようやく至高の剣と実際の剣が一致すると、また瞑想に戻る。

そうして己の剣を高めていた。




「…む。」

 ふと目を開く。

かすかに捉えた懐かしい気配。

二十年前、人間の『戦士』に敗れ、その力を探る為に拾った人間の子供。

六年前に送り出した、俺の息子の気配だ。

 心がざわめく。

かつての自分は、友や家族、恋人などというものは、己を高めるためには邪魔なものだと断じていた。

苦笑する。

たかが息子、それも血の繋がりはおろか、魔族ですらない人間の子供のことが、今はこれ程に(いと)おしい。

 再び目を閉じる。

こんなざわついた心で現れては、息子の前で恥をかく。

まだ小屋までたどり着くには時間がかかるだろう。

そう思って瞑想に入ろうとするが、口角が持ち上がることを収めることは出来なかった。


 小屋へ戻ろうと大岩を降りていると、ラケインの覇気が膨れ上がるのを感じられる。

どうやら丁度帰ってきたラゼルと鉢合わせたようで、双方、剣気をむき出しにしている。

ふむ、と密かに唸り声をあげる。

ラゼルはまったく本気を出ていないが、それにしてもラケインの気の練り方は目を見張るものがある。

全盛期のラゼルとまでは行かないが、少なくとも、大国の騎士団長級の実力はあるだろう。

修行のためにと送り出した六年の歳月は無駄ではなかったのだ。

 しかし、と首を傾げる。

ラゼルとラケインの他にもう一人、これも凄まじい覇気を持つ人物がいるのだ。

ラケインの連れだろうか。

人間の世界は広い。

これほどの使い手が、無名のまままだゴロゴロといるのだろう。

瞑想にふける時間が無駄とは思わないが、そのうちに人里を放浪してもいいかもしれない。

そう思い、大岩から降りる足を僅かに早めた。




 小屋へ戻る。

ラゼルとラケインは、小屋で寛いでいるようだ。

流石は自分を破った男である。

ラゼルは、俺の気を感じ取っている。

俺の剣の極意は、相手の気配を細やかに感じ取ることにある。

魔法使いどもが使う、探知(サーチ)とやらに近い。

但し、俺が感じ取るのは魔力の流れではなく気配や意識そのもの。

相手がどこにいるかというようなレベルではない。

相手の体内に宿る意識を感知すれば、相手が自分のどこを狙っているのか、また、相手がどのように行動するのかが、事前に丸わかりとなる。

数瞬の差が命取りとなる戦いの場において、予知とも言える先読みがあれば、かなりの優位に立つことが出来るのだ。


 だからこそ、俺は常日頃から自身の意識を悟らせないように心がけている。

感情の起伏を押しとどめ、ただ歩くという動作にしろ、足に意識が行かぬように気を留める。

集中してでさえ、俺の気配を感じ取れるものは少ない。

それをこのように寛いだまま、気配のみを感じるとは。

今は友と呼べるこの男だが、剣を交えぬままに互いに成長することが出来るとは、なんと幸せなことか。

剣を交えれば、生きるか死ぬか。

爆発的な成長は見込めるが、それ一度だけのこと。

こうして互いに歩むことが出来たならば、永遠に成長し続けることが出来る。

これが、かつて俺が敗れた人間の恐ろしさなのだろう。




「…今帰った。」

 小屋の戸を開ける。

そこには、思った通りに三人の人物がいた。

一人は、友でありかつての敵であった、『戦士』ラゼル。

一人は、息子であり弟子であるラケイン。

送り出した頃には、まだまだ子供の顔をしていたが、今や立派な戦士の顔つきとなっている。

もう一人は誰だろう。

顔つきは幼いが、美しい娘だ。

身に纏う法衣は、質素だが美しい刺繍が施されており、娘の穏やかな魔力をさらに輝かせている。

 心が乱れる。

深く、心を鎮めなければ。

何とか顔を取り繕い、自分の椅子に腰を掛けた。


「父さん、帰りました。」

 ラケインが席を立ち、頭を下げる。

ああ、おかえり。

心の中で呟く。

戦火の中、赤子だったラケインを引き取ってからもう十九年もたった。

外に送り出していた六年という月日は短くはない。

食事を与え、文字を教え、剣を握らせた。

悪戯(いたずら)で物影に隠れていたこともあった。

叱りつけた時には癇癪(かんしゃく)を起こして小屋を飛び出し、大木の(うろ)に逃げ込んでいたこともあった。

その長い時間が一瞬のうちに脳裏を()ぎる。


「おいおい、六年ぶりの息子さんだっていうのにそれだけかよ。」

 ラゼルのやつが苦笑しているが、やかましい。

それこそ六年ぶりの息子の前で、お前のようにゲラゲラと笑うなど出来るはずもない。


「父さん、今日は紹介したい人があって、戻ってきました。」

 そう思っていると、ラケインが一歩踏み出し、そう切り出した。

その手には、連れの少女の手がしっかりと握られている。


「…あぁ。」

 なるほど、そういうことか。

“原種”として生まれ落ちた俺に家族はないが、人間はこうして(つがい)を選び、愛を育み、子をなしていく。

十九。

子供だと思っていた息子も、人間としては成人を迎えていい歳になっている。


「彼女は、…。」

 ラケインがそこまで言って、言葉を止めると、隣にいる娘がすっと前に出る。

「お義父様。アルメシア=ブランドールと申します。メイシャとお呼びください。育成学校では、ラケイン様の二学年後輩にあたります。不束(ふつつか)ものですが、どうぞお見知りおき下さい。」

 美しい。

その所作は実に洗練された、美しいものだった。

法衣の裾をフワリと持ち上げ、静かに腰を低くし低頭する。

無理な体勢なのに体幹はブレることなく、体だけが羽根がまうように上下する。

美しい娘ではあったが、その所作は優美で可憐。

行き届いた教育と、こちらに対する畏敬を深く感じることが出来た。


「…あぁ。」

 見事な娘だ。

流石、俺の息子だ。

剣に生き、そもそもが“原種”であった俺に、(つがい)を得るという思いはなかったが、これ程の娘を伴侶に選び、また、これほどの娘から伴侶と選ばれたのだ。

誇らしい。

三百年をこえる生において、初めての感情が内から沸き起こる。


「父さん、私はメイシャを生涯の伴侶とするお許しを頂こうと思います。」

 ラケインがあらたまり、剣を(かか)げる。

許しを得る、と言葉では言うものの、これは約束だ。

生涯をかけこの娘を愛し、命をかけこの娘を守る。

その決意を俺の前に示したのだ。

 内心、寂しく思う部分もある。

寂しい、これも、初めての感情だ。

『戦士』に敗れ、絆という力を思い知る。

そして、俺はラケインという絆を得た。

心が乱れる。

孤高であった頃には乱れなかった心。

俺は弱くなった。

息子が去る、それだけでこれ程に心が乱れ、胸が痛む。

だが、その弱さを強さへと変える。

人間の強さの秘密が、今やっとわかったような気がする。


「ラケイン。」

 捧げられた剣に手をかざし、誓いを受ける。

だが、そのあとの言葉が出ない。

婚姻を祝福する。

それだけの言葉が出なかった。

決して、息子を手放したくないなどという、醜い絆のせいではない。

ふと、引っかかったのだ。

「…もう夕刻だ。飯にする。」

そう言って、言葉を濁す。

メイシャというあの娘。

美しい、見事な娘だ。

教養もあり、ラケインを立てる気配りもでき、大岩で感じた闘気を思えばかなり腕も立つ。

だが、その瞳に僅かばかりの迷いが感じられたのだ。




 食事の用意と言って厨房へ逃げてきたが、やれることは少ない。

元より約束があったのならともかく、人里離れた森の奥地だ。

いつも通りのものしか用意出来ない。

スープがうまく出来上がっているのが、せめてもの救いか。

ろくな材料などないが、丁寧に仕込んだ一品だ。

まずいなどとは言わせまい。


「…メイシャ、と言ったか。」

「はい。」

 思わず声に出ていた。

手伝いを名乗り出た娘が、神妙な面持ちで答える。

なにか後ろめたい秘密があるだろう事は、予測がつく。

それが何かは想像もつかないが、恐らくは、それを知られることをひどく恐れている。

そんなものは、気にもならなかった。

誰にでも、周りに知られたくない秘密の一つや二つ、あるに決まっている。

問題は、それがラケインの害となるか、その一点のみだ。


「…目を、見せるがいい。」

 それで決めようと思った。

ラケインも、もはや独り立ちした男だ。

その男が、俺に剣を掲げ、この娘を守っていくと決めたのだ。

俺が心配などする必要はないし、仮にそれで不幸になったとしても、それもまたラケインの人生だと思う。

 だが、仮初(かりそめ)の親だとしても、それを祝福しようというならば、せめて認めさせてほしい。

この娘が、息子の伴侶たる心根かどうかを。


 差し向けられた瞳をのぞき込む。

深い、とてつもなく深い瞳だった。

多くの悲しみを飲み込んできただろう。

多くの喜びを浮かべてきただろう。

そして、穏やかに笑ったのだ。

喜び、悲しみ、不安、期待。

その全てを飲み込む、その全てを受け入れる、深海のような深さを思わせる覚悟をその瞳に浮かべたのだ。


「…ふむ。」

 一言だけ口から漏らす。

もはや何も言うまい。

この娘ならば、ラケインを任せられる。

健やかなる時も、病める時も、この娘とならば、ラケインは死が二人を分かつまで添い遂げられるだろう。

 そして同時に気づく。

この娘の隠したかった秘密を。

なるほど。

業の深いことだ。

粗野な性質の持ち主ならば、幸せに暮らせただろう。

悪しき心の持ち主ならば、楽をして暮らせただろう。

だが、この娘は、そうはいくまい。

そう生きることを拒み、必ずやいつの日にか、涙を流すだろう。

そして、その隣にあるラケインもまた、苦しむはずだ。


「ラゼル。少し鍋を任す。…ラケイン、付いてきなさい。」

 ならば、俺が出来ることなど一つしかない。

ラケインに不幸が必ず訪れるというのならば、それに立ち向かえる力を残してやるだけだ。


 手に愛刀を取り、大滝へと向かう。

気を高め、ラケインとメイシャが追いつくのを待つ。

既に大滝(切るべき相手)と対話を始めている。

二人の方を見る余裕はない。

気配だけで二人が後ろでこちらを見ていることを察する。


 一閃。

大滝と気を交わし、気の満ちた一刀を持って空間ごと滝を斬る。

長大な我が愛刀“紅月”といえど、長さは僅か1m超。

それに比べ、大滝までの距離だけで約30m、大滝そのものですら20m以上もの高さを誇る。

その全てを断ち斬る。

“剣技・大斬撃”。

体術においては遠当てとも呼ばれる、操気闘術の奥義である。

剣を己の身の一部とし、膨大な気を剣に満たす。

剣のひと振りにその全てを乗せ、斬撃自体を巨大化。

離れた相手、巨大な相手を切り伏せる。


「…俺は、あのラゼルに負けた。それは奴が俺にはない絆という力を持っていたからだ。」

 滝を向いたまま、ラケインに語りかける。

滝は既に流れを元に戻している。

「…その力を得るべく、お前を拾った。そして、俺は絆という力を得た。」

昔話だ。

絆とは、形ではない。

そんなことすら、当時の俺には分からなかった。


 ラケインの方を振り返る。

今は“魔剣”ではない。

一人の親として、一人の師として、子に技を託す。

「…お前の剣が見たい。ただ一刀。それに全てを込めよ。」

大斬撃に細かな技術などいらない。

巨大な闘気とそれを放つに足る剣技。

ラケインにはその両方が備わっている。

今の一撃を見て放てぬなら、それは技量の問題ではない。


 ラケインが歩を進める。

俺にも目をくれず、一心に滝へと向かう。

滝の飛沫が彼の顔を打っている。

だが、それを気にする様子はない。


「…参ります。」

 ラケインが獲物の大剣を構える。

右足を半歩下げ身体を半身に。

剣を顔の側面まで持ち上げる。

左足を踏み込み力を貯める。

八双(はっそう)”。

受けも避けも考えず、ただひたすらに一撃の重みに研ぎ澄ました構え。


「ハァっ!」

 剣が空を断つ。

見事な一撃だ。

もはや、結果は見るまでもない。

飛沫が弾け、空を裂き、滝が割れる。

この一撃に、ラケインの全てが、技が、思いが、魂が込められていた証だ。

 もはや、なんの心配もない。

何が起ころうと、この二人ならば乗り越えることが出来るだろう。


 その光景を見つめたまま、後ろに控えるメイシャへ声をかける。

「…息子を、頼む。」

そう、呟いた。

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