第七章)混沌の時代 姉妹とリリィロッシュ
思いのほか長くなってしまいました。
後日、前半部分を前の話に合体させます。
■月と羽根④
「そういえば、ラケの兄さん達はどうしてるんスか?」
ギルドへの報告を終え、街の宿で夕食をとっている。
《地に伏す蛙》亭。
三年前もここで宿をとった。
賑わっているとはいえ、流石に三年で宿が新しくなるわけもなく、蛙の絵が描かれた古びた看板は塗装が剥げ、ボロボロの机も昔のまま傾いている。
「うん、二人はラケインの実家に行ってるよ。」
「里帰りですか?」
ペルシが可愛らしく首を傾ける。
「お義父さんにメイシャを紹介するそうですよ。彼は、古風な男性ですから。」
「わぁ、素敵。」
リリィロッシュがにこやかに説明するが、その目は北国の吹雪よりもなお冷たい。
こちらは見ていない。
それなのになぜか、こちらを睨んでいるように思えてしまうのは、いつもの冷たい笑顔のせいだろう。
おかしい。
こういうことに奥手なはずのラケインを、こちらが助けるのがいつものパターンだったはずなのに、いつの間にか立場が逆転してしまっている。
ラケイン達と合流する前に状況を打開しなくては、今後パーティで行動する時に立場がない。
「ち、ちょっと外に出てくるね?」
いっぱいいっぱいである。
これは敵前逃亡ではない、戦略的後退なのだ。
「はぁ。」
思わず額に手をやり、ため息をついてしまう。
人間となってからのアロウは、魔王だった頃の威厳などどこへやら。
年相応、いや、年頃の青年よりも頼りない。
いざという時には、誰より素早く機転を巡らし、精悍な顔つきで強敵へ挑み、優しい笑顔で皆を鼓舞するというのに、普段はあんな感じなのだ。
夕食を終え、独り一階の飯場に残る。
最近は、ノスマルクの特産品である燻し豆という飲み物が気に入っている。
アロウは苦手らしいが、深い苦味の中に酸味と僅かな甘みを含んだ、なんというか落ち着く味なのだ。
ふと二階へ続く階段の方を見ると、メインが入ってきた。
「お姉さん、こんなとこにいたんスか。」
首を傾け、少し困ったように苦笑しながら腰に手をあて肩を落とす。
「ええ、少し休んでました。」
燻し豆のカップを机に置き、顔だけメインの方を向ける。
「あ、燻し豆っスね。マスターさん、うちにも一つ、ミルク付きで。」
彼女も苦味が苦手なのだろう。
この燻し豆は、ミルクを入れると、口当たりがまろやかになり甘みも増すため、苦味が気にならなくなる。
メインは椅子を引き、私の向かいに腰をかける。
自分やアロウに対する口調こそ以前のままだが、随分の大人びた雰囲気に変わっている。
出会った頃の彼女は、幼さの残る顔つきをしていたが、今や淫魔であるリリィロッシュですら目を引く美少女へと成長していた。
「ペルシは一緒ではないのですか?」
いつも姉と一緒だった盲目の妹の目は、僅かながら光が戻ったらしい。
「色が分かるようになってから、あの子は活発になったっス。今はアロウの兄さんと街を散歩してるっスよ。」
「あらあら。」
デート、か。
私にしてもそうだが、アロウもこの姉妹のこととなると、どうも甘いようだ。
同行していた時間は短かったが、この姉妹は私たちにとっては特別な存在となっている。
「メイン、あなた達の活躍は耳にしてましたが、改めて、立派になりましたね。」
自分の十分の一も生きていない少女だが、私にとって、数少ない友人であり、かけがえのない恩人でもある。
平和な人間の生活に慣れてしまい、自分を見失いかけた時に手を差し伸べてくれたのは、この姉妹だった。
姉のメインは、確かアロウと同い年だったか。
あどけない少女が、こうして立派な冒険者となったことを素直に喜ぶ。
「や、やめてくださいよ、リリィロッシュの姉さん。姉さんからしたら子供かもしれないっスけど、見た目だけなら同じくらいなんスから、めっちゃ違和感感じますよ。」
そう言ってメインは、顔の前で手を振り、朗らかに笑う。
確かに、同じ年頃の女同士が成長を喜ぶなど、外から見ればおかしな話だ。
「ふふ、確かにそうですね。そう言えば話したことは無かったですが、これでも先々代、アロウの前の魔王の代から200年以上生きているのです。」
「あー、そりゃうちなんか子供に見えちゃうっスよね。」
メインと笑い合っていると、彼女の分の燻し豆が届く。
傍らには小さめのコップにミルクが添えられている。
しかし、メインは目の前に置かれたカップに手をつけることなく、懐から小さな小瓶を取り出した。
「燻し豆には、これっスね。」
小瓶を傾け、粘度の高い褐色の液体がカップへと注がれる。
「メイン、それは?」
燻し豆は、香りと渋みを楽しむ飲み物だ。
それにあのドロドロの液を入れてどうするのだろう。
「ふっふっふ。これは、うちの旅の友。蜂蜜っス。燻し豆にはこいつが合うんス。」
かちゃかちゃとさじで混ぜてから、メインがカップを差し出す。
味見をしていいということなんだろう。
カップを受け取り、ひと口、口に含む。
「!」
甘い。
酸味による角がとれ、蜂蜜特有のえぐみを含む強烈な甘さが、むしろ燻し豆の爽やかな渋みとよく合う。
精製された白い砂糖は高級品だ。
貴族や商人達ならばともかく、まだ駆け出しの冒険者であるメインが手に入る砂糖は、精製が不十分で雑味も多いうえに、それでもまだ高価だ。
あの茶色の砂糖では、この燻し豆には合わないだろう。
「これはいいですね。」
「でしょう。旅先でどうしても甘みが欲しくなった時のために持ち歩いてるんス。」
メインにカップを返すと、ミルクを入れて軽く混ぜる。
完全には混ぜきらず、燻し豆とミルクの層が混在している状態が好みらしい。
琥珀色と言うには色濃い燻し豆に、ミルクが混ざる。
黒と白、そしてそれが混ざった白濁した褐色。
メインは、カップを持ち上げひと口、口に含む。
「で、何を黄昏てたっスか?」
「ごほっ、ごほっ。」
突然の質問に思わずむせ込む。
燻し豆のしみは落ちにくい。
服に吹き出さなかったのは僥倖だ。
「な、なんですか、藪から棒に。」
「またまたぁ。姉さんとは2週間くらいの付き合いだし、三年ぶりでもあるんスけど、姉さんのことくらいお見通しっス。」
なんとも遠慮のない子だ。
だが、三年前もそうだったが、不思議と嫌な気持ちにはならない。
「まぁ聞かなくてもアロウの兄さんの事だってのは、分かりきってるっスけど。」
「なっ!」
この姉妹は、魔力感知に優れているとは思っていたが、まさか読心術の類でも使えるのだろうか。
だが、そんな考えすら読まれているかのように、メインは苦笑しながら首を横に振る。
「言っときますけど、心を読むなんてことしなくてもバレバレっスよ。ニブチンのラケの兄さんですらわかるレベルで。」
かぁっと、赤面する。
どうやら自分で思っていた以上に態度に出てしまっていたようだ。
「参りました、降参しましょう。えぇ、実は少し困っています。」
もうここに至っては、誤魔化してもみっともないだけだ。
この際、溜まっていたものを吐き出させてもらおう。
「あなた達と出会って、私は魔王とその配下という枠組みから踏み出して、アロウと向き合えるようになりました。ですが、今度はアロウの方が距離をとるようになってしまって。」
「ありゃ、兄さんが冷たいとか?昼間はそんな感じはなかったっスけど。」
メインが意外そうな顔で相槌を打つ。
「いえ、アロウは優しい。それは変わらないのです。ですが、アロウは誰にでも優しくて…」
「あー、なんとなく分かってきたっス。」
やれやれとため息をつき、メインは再びカップを手に取る。
今度はごくごくと、カップに残る燻し豆を飲み干す。
彼女の燻し豆は、ミルクが入っている分だけ冷めやすい。
もうだいぶぬるくなってしまっていただろう。
私ももうひと口、燻し豆を飲む。
「つまり、兄さんとイチャイチャしたいのに、恋人扱いしてもらえないってことっスね。」
「ぶっ!」
危なかった。
今度こそメインに口の中のものを吹きかける一歩手前だった。
「め、メイン!」
「あー、でも言葉にするとそういうことでしょ?」
くすくすといじめがいのある獲物を見つけたように、意地の悪い笑い方をする。
だが、その通りだ。
私は、もっとアロウに甘えたいのだ。
「はぁ、もういいです。ですが、私はどうしたら良いのか。」
大きなため息とともに、一息にカップの残りを飲み干す。
メインの甘い燻し豆もいいが、やはりこの後口のサッパリとした燻し豆の方が性にはあっている。
「はぁ、姉さん。気持ちはわかるっスけど、こればかりは待つしかないっスよ。」
メインは、手を顔の前でプラプラと横に振りながら笑いかける。
仕草はこちらをからかうような素振りだが、その表情は至って真面目だ。
「きっと、兄さんも心の準備してるんスよ。三年前は、姉さんがアロウの兄さんを待たしたんス。今度は姉さんが待ってあげなきゃ。」
「メイン、アロウも魔王と配下という形にこだわっているんでしょうか?」
メインのセリフの意味が掴めず問い返す。
だが、メインの反応は、思っていたものとは違った。
「いやいや。まぁ、気持ちの問題って意味ではそうなんスけどね。兄さんの場合はもっと単純っス。」
メインはこめかみをかきながら苦笑する。
「兄さんは転生して人間の子供になった。そして姉さんが現れたんスよね?兄さんにとって、姉さんは憧れの存在。手の届かない高嶺の花だったんスよ。それが急に自分のところへ降りてきてアプローチを掛けてきたら、戸惑いますって。ましてやあの兄さんスから。」
やってられんとばかりに吐き出したメインのセリフは、意外なものだった。
アロウが、憧れ?
むしろ逆だ。
私がアロウの気高さに憧れ、そして微力ながらも少しばかりの力添えをしてきたのだ。
「お二人とも真面目すぎるし、色恋に関しては初すぎっス。まぁ、こればかりは時間をかけるしかないっスよ。」
口元が緩む。
問題は解決しなかった。
だが、普段本人すら口にしない、アロウの気持ちが分かったのだ。
「メイン、ありがとう。心が軽くなりました。」
「そりゃよかったっス。姉さんの恋バナなら喜んで聞くっスよ。」
いつの間に注文したのか、メインは二杯目の燻し豆を飲んでいる。
この飄々とした少女は、私の大切な友人だ。
「メイン、今更ですがこんな話、あなた達にすべきでは無かったですね。」
だから甘えてしまう。
ラケインやメイシャは大切な仲間だが、私が甘えられるのは、アロウとこの姉妹だけなのだ。
「ん?ペルシの事っスか?まぁ、姉としてはペルシにも幸せになって貰いたいっスけど、あの子はアレで頑固っス。姉さんの邪魔なんかしないとは思うっスけど、絶対諦めないっすから、心配いらないっスよ。」
彼女の妹のペルシは、アロウが好きだ。
それは以前の旅でもよく分かったし、久しぶりに会った今も、行動の端々によく現れている。
だが、
「あなたも、ですよ。」
「うぉっと。」
それはメインも同じはずだ。
ペルシに比べれば分かりづらいが、泥棒生活から足を洗えたのはアロウのお陰であり、彼女もアロウに心を寄せている。
「いやー、はっはっは。」
メインは、下手な演技で誤魔化そうとする。
自分のことでいっぱいだったとはいえ、アロウに想いを寄せる相手に、恋愛相談をしてしまったのだ。
失礼にも程がある。
だが、メインは片目をパチリと閉じて笑いかける。
「ま。うちの事は尚更気にしなくていいっス。アロウの兄さんも大事っスけど、姉さんも大事なんス。お二人が幸せなら、それが一番っスよ。」
メインは、笑い飛ばしてくれた。
大人の対応、というのだろうか。
何か負けた気がする。
「それに…、」
だが、あとに続く言葉で気持ちを新たにする。
「うちもペルシの姉っスからね。姉さんの応援はするっスけど、ダメそうなら遠慮なく行くっス。」
右腕を上にあげ、ぐっと、ほとんどないような力こぶを見せる。
ほんとに、この子は強い。
自分の十分の一も生きていないこの少女は本当に強敵だ。
「言いましたね。いいでしょう。受けて立ちますよ。」
「おっ、元気出たっスね。お手柔らかにっス。」
宿屋の窓辺で女二人。
カップを片手に想い人の帰りを待ち、語り明かすのだった。




