第七章)混沌の時代 再会
▪️月と羽根②
「グルゥアァァ!」
偽魔狼が吠える。
多くの魔物は、己の力だけで暴力を振りまき、周囲との協力というものをほとんど考慮しないものだが、一度ここに強力な指導者が現れると話は変わってくる。
魔物の本能は、弱肉強食の掟の下、力の強いものに従うように出来ている。
上位者の号令一つで、地を駆け、牙を剥き、爪で引き裂き、魔法で焼き尽くす。
更には、連携攻撃のみならず、囮や特攻といった犠牲を伴う行動まで行うようになる。
地方の主の号令一つで、烏合の衆であった魔物達は、一頭の獣と化すのだ。
まずはデミヴォルフの攻撃。
基本の行動は、強靭な脚力を生かし、飛びかかってからの噛みつき。
三頭が左右と前方から襲いかかるが、周囲は木々をなぎ倒し開けた空間である。
いくら敏捷性に優れるといえど、単純な放物線しか描けない以上、見切りは簡単。
「あら、よっ、っと!」
姉の冒険者は、手に持つ大剣を軽々と振り回し、三体のヴォルフをあっという間に切り伏せる。
華奢な体格に見えるが、大剣を確実に振るいこなし、振り回されている様子はない。
かと言って彼女が見た目によらない力自慢かと言えばそうでもない。
大剣の柄の部分が内側にカーブしており、僅かな握りの変化によって剣の重心を変え、全身を使って剣筋を変化させている。
柳刃剣舞。
そう命名された剣技は、さほど力が強い訳では無い彼女が、硬く強大な相手を切り伏せるために編み出したものだ。
クルっ、クルっ。
手首を返し、剣筋は弧を描くようにして舞い戻る。
クルっ、クルっ。
上方から袈裟斬りに斬りつけたかと思えば、軽やかなステップで全身のごと大剣を引き、舞うように次々と斬撃を繰り出す。
柳の葉が揺蕩うように、その姿は留まることなく、無限に変化していく。
手に持つ大剣は、長大な刃の部分が緩やかな弧を描いており、大剣に多く見られる叩き切るという作りではなく、むしろ片手剣のように滑らかに斬りやすい、流麗な作りとなっている。
更に、先端に行くに従い厚く重くなっているため、僅かな力で強力な斬撃を生み出すことが出来る。
狐の尾を思い起こさせるその大剣は、四方から次々に襲いかかるヴォルフを、瞬く間に動かぬ屍へと変えていった。
シャシャシャシャシャっ。
姉の冒険者が剣を縦横に奮っている後ろから、明らかに異質な連続音が聞こえてくる。
姉は振り向かずとも、その音の正体を察する。
既に聞きなれたその音は、相棒である彼女の妹によるものだった。
音の正体は、風刃の魔法。
しかし、この脅威的な連続音は、彼女の固有術式によるものである。
回転装填式速射魔法。
最小限の魔力消費によって発現される、脅威の連射術。
その術式は、たった二つの基本的な術によって構成される。
左手の小盾の内側に収納されていた羽根型の魔法触媒を円形に浮遊させる。
これだけなら、魔法として固定させる程にも魔力を消費しない。
初心者が使う物体移動レベルの初級術だ。
次に、円の上下で両手を構え、羽根を回転させる。
これも初級術に過ぎない。
そもそも、魔法の発動には、大なり小なり発動までに“溜め”と“発動”という段階を要する。
“溜め”とは、詠唱や魔力の練り上げに要する時間。
“発動”とは、完成された魔法を開封し解き放つ作業に要する時間だ。
それぞれは数秒にも満たない程の時間しかかからないが、これが四方を敵に囲まれ、連続での使用を迫られた場合には、その数瞬のタイムラグが命取りとなる。
彼女の回転装填式速射魔法は、魔法触媒の回転を利用し、下の左手で魔法の溜め”を、上の右手で“発動”を行うことで、タイムラグを極小にして、魔法の高速射出を可能とさせた、脅威の術式である。
彼女の出身校であるノスマルク冒険者育成学校では、この術の開発によって、特例の飛び級を認められたほどだった。
この術式において、最も有用であるのは、高度な術を用いていないため、誰でも使えるようになる、ということだ。
魔法の術の多くは、個々の才能によるものが多く、新たな術式を開発しても、本人しか使えない場合がほとんどだ。
だが、ガトリングバーストに必要なのは、魔法の連続使用と物体浮遊、物体操作と誰でも使える術だけなのだ。
だが、かといってこの術の習得が簡単な訳では無い。
重複詠唱。
しかも三つの魔法の同時使用とは、言ってみれば、左右で別の文字を書きながら、全く異なる早口言葉を正確に発音するようなものだ。
現在、ノスマルク帝国軍の魔法使い部隊において、この術の習得が昇格の必須条件となっているが、前回の試験の際には、半数以上がこの条件をクリア出来ず、苦杯を飲んでいる。
「やぁぁっ!」
生みの親とはいえ、この少女はその術を苦もなく使いこなしている。
よく見れば、小さく早い魔物には風刃を、固く強い魔物には風弾をと、相手によって魔法を使い分けるほどの器用さすら見せている。
姉の剣舞、妹の魔法掃射。
格下とはいえ、既に数十もの下位魔物が蹴散らされている。
「ははっ、数ばっかり多くても、私たちには通じないよっ!」
「─ならば、俺の拳ならどうだ?」
二体の草原偽狼を大剣で薙ぎ払ったその瞬間、姉の体が数mもの距離を横に吹き飛ぶ。
「がっ、ぐっ。」
盛り上がった木の根や切り株に何度か体を打ち付け、姉は一撃でボロボロとなった体をなんとか引きずり起こす。
決して油断などしていなかった。
グラスヴォルフの影で死角になっていたとはいえ、殴り飛ばされるその瞬間まで、いや、殴られてなお、ヴェアヴォルフの気配を感じ取ることは出来なかった。
「姉さん!」
姉を助けるべく、牽制の魔法を放とうとする。
ヴェアヴォルフに向け、短剣を差し向ける。
「烈風系魔法─」
しかし、魔法が発動することは無かった。
狙いをつけたその瞬間、そこにヴェアヴォルフの姿は既になく、背後から鈍い痛みとともに、凄まじい衝撃が伝わる。
「ちっ、帷子か、運の良い奴だ。」
自分に何が起きたのか分かったのは、相手の声を聞いたからだ。
ローブの下に着込んでいた鎖帷子のおかげで致命傷を避けることが出来たが、一瞬で背後に回られ、鋭い爪を平らにした刺突、貫手を受けたのだ。
おそらく帷子がなければ体を貫かれ命はなかったろう。
姉妹は寄り添うようにして立ち上がる。
姉は殴られた左腕の骨が折れ、大剣を杖にしてようやく立っている
妹は、帷子で守られたとはいえ、その衝撃まで相殺することは出来ず、内蔵にダメージを負ったのか、口元の血を拭い、姉の肩を支えているが、もはや魔力を練るどころではないことは、見ればわかる。
「グハハハ。人間の小娘にしてはよくぞここまで戦ったわ。貴様らの血肉ならば、俺の餌として申し分ないわ。」
ヴェアヴォルフは、舌なめずりをしながら姉妹へと近づく。
姉妹も、もはや再起の目はないと確信していた。
いや、もはや、という言葉は正確ではない。
最初からどれだけの時間を先延ばしに出来るか、それだけの戦いだったのだ。
ヴェアヴォルフが爪を光らせ、右腕を振り上げる。
「ふん、この期に及んで、その目に光るのは絶望ではなく達観か。ここで俺に出会わなければ、いい冒険者になっただろうが、運が悪かったな。」
そう手向けの言葉をかけ、命を刈り取る爪を振り下ろした。
─ドシュ。
姉は、最期のその瞬間、目を閉じてしまった。
グチャリと肉を抉る音。
ビシャビシャと、溢れる血が地面に落ちる音。
だが、肝心の痛みや衝撃が、いつまで経っても襲ってこない。
恐る恐ると目を開けると、そこには信じられない光景があった。
自らに振り下ろされるはずの鋭い爪は、肩口から吹き飛び地面に転がっている。
ヴェアヴォルフは苦悶の表情を浮かべ、左手で右肩を抑え込むが、吹き出す血の勢いは止まらない。
「ぐっ、ガルルルル。誰だ!このガロードを『《咆哮》の魔王』様の配下と知っての─」
だが、その台詞は最後まで口からこぼれることは無かった。
突如ヴェアヴォルフの頭部がぐらつく。
見ると、眉間に矢がくい込んでいる。
どうやら、先ほどヴェアヴォルフの右腕を奪ったのはこの矢だったようだ。
だが、この矢は…。
「烈風系魔法・風刃。」
そして、シャっという音と共にヴェアヴォルフの体は、肩口から斜めに二つに切り裂かれる。
どさっ、と倒れかかるヴェアヴォルフを交わし、声のした方向に目をやる。
聞き覚えのある声。
妹の使う魔法と同じもののはずなのに、その数倍はあるかという威力を持った魔法。
「久しぶりですね、無事なようで何よりです。」
現れたのは、想像通りの人物。
艶やかな黒髪を揺らし、黒のローブと胸当てが、しなやかな褐色の肌を覆っている。
「リリィロッシュさん!」
「お姉さん!」
少し遅れて、矢を放った人物も姿を見せる。
「やぁ、久しぶりだね。メイン、ペルシ。無茶は良くないよ。」
記憶にあるより幾分大人びた青年が、弓を背におい相変わらずの優しい笑顔で声をかけてくる。
「…『神』様に喧嘩売ってる人に言われたくないっス。お久しぶりです、アロウの兄さん。」
冒険者の姉妹、メインとペルシの目に浮かぶ涙は、安堵によるものでは無かった。




