第七章)混沌の時代 冒険者の姉妹
─白とも黒ともつかぬ闇が広がる
産まれたばかりの新星が闇に煌めく
煌々と存在を誇る巨星が闇色に染める
美しきこの鈍色の世界よ─
▪️月と羽根①
緑深い森の中を分け入り、慎重に歩を進める。
森の中は魔物の気配で満ちている。
先を行く相棒である姉は、手に短剣を持ち、薮を切り払って道を作っている。
私も魔法触媒として使えるように、魔石を埋め込んだ小盾を構えつつ、獣道を進む。
普通の行軍なら気を張りつつ武器は納めているのが基本だが、これだけ周りの獣が高ぶっているのなら、常に戦闘状態を保たなければ、いざという時の反応に遅れる。
が、気力も体力も消耗が激しい。
盾も防具もズシリと重く感じる。
「ガオゥ!」
突然、藪の中から、偽魔狼が飛び出す。
最下位Eランクの魔物だとしても、獣型魔物のスピードは侮れない。
それが鬱蒼と茂る藪の中から急に襲いかかってくるのだ。
だけど、魔法使いの私にとって、待ち伏せなど意味は無い。
常に探知を展開しているので、敵の体温、息遣い、敵意を感知し、潜んでいる場所など丸わかりだ。
繋魂で姉と情報を共有し、藪に潜む魔物を教えている。
「はぁっ!」
姉が、ひらりと空中でカウンター気味にサーベルで斬り捨てる。
「ギャン!」
魔物は臓物を撒き散らすも身を翻し、地を蹴り再び飛びかかろうとする。
獣の生命力は驚くほど高い。
余程急所を的確に狙わない限り、一筋斬られた程度では絶命しない。
「火炎系魔法・魔矢射出っ!」
襲いかかる魔物に狙いをつけ、射出速度重視の魔弾を放つ。
すぐに絶命しないと言っても、重傷を負った分、スピードが落ちている。
それなら、魔力感知を研ぎ澄まし、魔物の体内にある魔石を狙うことなど造作もない。
火矢が魔石を穿ち、デミヴォルフは魔力の塵へと帰っていく。
本来なら魔石は冒険者の貴重な収入源ではあるが、今の状態では生き残る方が先決だ。
確実に魔物を殺し、体力を温存する必要がある。
Cランク討伐系依頼「草原偽狼の群れ退治」。
まだ駆け出しの冒険者である二人の少女は、今更ながらにこの依頼を受けてしまったことを後悔していた。
新米ではあるが、Cランク冒険者コンビ「月の羽根」としてこの一年、活躍してきた。
軽装の戦士である姉と魔法使いである私のコンビは、同じCランク冒険者の中では抜きん出た存在として、それなりに名を知られるようになってきた。
だからと油断していた言い訳には通用しないだろう。
今思えば、依頼内容からして胡散臭い匂いもしていたのだ。
僻地にある農村からの依頼で、Dランクの魔物であるグラスヴォルフが、五匹程度の群れで確認され、街道の安全を確保するため依頼だったが、いざ現地へ着いてみるとかなり話が変わっていた。
まず、目撃されたのは確かに指定の草原だったが、巣は近郊の森の中だった。
しかも確認できた範囲でも、5匹程度のグループが数組、数十頭の群れだと考えられる。
おそらく、ギルドへの依頼料が支払えない小村が、依頼内容を偽ったのだろう。
確かに、「草原で5匹程度のグラスヴォルフ」という情報自体に嘘はないが、その大元が森の中に潜んでいたのだ。
それでも、新進気鋭の冒険者として名を挙げてきた自分たちならばと、依頼を強行したのが失敗だった。
もともと貧しい村の出身だったこともあり、依頼主達の苦労が分かってしまったこともある。
無論、これは褒められたことではない。
今回が上手く行けば、次もまた同じことを繰り返す。
そうなれば、情報を鵜呑みにした他の冒険者が、装備も実力もないままに犠牲となったり、血の気の多い冒険者が村へ報復行為を行ったり、ギルドにバレれば今後の依頼は受け付けてもらえなくなったりもするだろう。
たが、それでも実際に困っている人がいるのだと、依頼を続行してしまったのだ。
いざ森の中へと入ると、この判断が間違いだったことをすぐに悟る。
見晴らしのいい草原と、遮蔽物だらけの森の中では、難易度も装備も全く変わってくる。
さらに、グラスヴォルフだけではない、数十頭の下位魔狼や上位大狼などの魔物が、連携して襲いかかってくる。
森の中に多様な魔物が住んでいるのは想定内だが、野生の魔物とは思えないこの連携は、明らかに異常だ。
考えたくもないが、これは…
「グォォォォ!」
そう考えていると、森の奥から魔物の雄叫びが聞こえてくる。
獣の遠吠えではない。
明らかに人語を解する高等魔物の咆哮だ。
そして、魔力探知の網に、これまでとは全く異なる魔物の動きが引っかかる。
森の奥から、10、15、いや、そんなものじゃない。
100匹に近い魔物達が一斉に動き出した。
「いけない!姉さん!魔物の大軍、100匹以上来る!」
繋魂する余裕もない。
いくら依頼だとはいえ、こうなれば撤退の一択しかない。
「だめっ!」
しかし、姉の返事は意外なものだった。
「さっきから来る魔物は、魔狼系がほとんど。なら、いまから引き返しても森を抜けられない。」
確かにそうだ。
木々や藪に阻まれ、足元も悪い森の中、獣たちと走り比べて勝てる道理などない。
だが、100匹を超える大軍に立ち向かって勝てるとも思えないのだ。
だが、姉の考えはその一歩先をいっていた。
「森なら勝てなくても、平地ならまだ向こうの優位は少なくなる。相手が来る前に、この辺りの木を薙ぎ払って。」
目を丸くする。
確かに、私の魔法ならそれが不可能ではない。
だがこの窮地に、大軍と立ち向かう決断をし、森という不利な環境自体を力技で覆すという機転を思いつくとは。
「任せて。姉さんは伏せて。風の精霊よ我が声に耳を傾けたまえ。烈風系魔法・嵐風座段っ!」
周囲を巨大な竜巻が覆う。
本来は、竜巻によって突風の壁を作り、内側からの脱出や外側からの侵入を防ぐ大呪文。
だが、維持に魔力を消費してしまうし、この魔法の発動中はろくに動くことが出来ない。
だが、出力を増して周囲の木々をなぎ倒すだけならこれで充分。
風の刃が大木を切り裂き、突風が倒れた木々を外側へと運ぶ。
切り株が邪魔だが、あっという間に見晴らしのいい平地と簡易のバリケードが完成する。
「さすが魔法使い様ね。」
姉が呆れ返った顔つきで感心する。
「ふふ、まぁね。」
私もそれに軽口で答えるが、そうではない。
さすが、と言うべきなのは姉の方だ。
普段はオロオロしてドジばかり。
だが、いざという時には常識外の機転と決断力でいつも私を助けてくれるのだ。
姉はサーベルをしまい、背負う大剣を手に取る。
姉の本来の得物は、この大剣なのだ。
元々の依頼である草原ならばともかく、この大振りの大剣では、鬱蒼とした木々が邪魔をして、思うように扱うことが出来なかった。
私もまた、腰から大振りのナイフを取り出す。
左手の小盾と同様、このナイフにも魔石が仕込んであり、魔法触媒として使える。
私自身はほとんど武器は使えないが、それでも物理的な防御と攻撃手段は必要だ。
このナイフと盾なら、それを補いつつ、さらに、両手で魔法を使うことが出来る。
相手は強大。
だが、姉と二人なら乗り越えられる気がしてきた。
だが、空気が緩んだのも束の間、すぐに猛威がやって来る。
1m以上もある倒木のバリケードなど、獣型の魔物達にはないも同然とばかりに、ひと飛びに超えてくる。
しかし、すぐにこちらへ襲いかかる様子もない。
五匹、十匹、数えるのも馬鹿らしくなってきた頃、魔物達がやってきた方角の壁が、いきなり吹き飛んだ。
「グォォォォ!ふん、たかが人間二人か。ヴォルフ共を蹴散らしたようだが、このガロード様が治める森に入ったのが運の尽きよ。」
そう言ったのは、二足歩行する狼。
いや、頭こそ狼だが、首からしたはほとんど人間だ。
姉が首を大きく上げている。
そうしないと、奴が視界に収まらないのだ。
「うそ、狼魔人…。」
その姿を見て、姉が悲痛な声を上げる。
大剣こそ落とさないままだが、その声には諦めの色が混じる。
狼魔人
Bランクの魔獣系魔族。
身長は180cmほどで、頭は狼、体は人間という凶暴な魔物。
狼の俊敏さと人の知恵を身につけた凶悪な魔物。
やはり、だ。
知恵を持たない魔物が連携する。
ならば、それを統率する高位者がいる可能性があった。
そしてそれは、正しかったのだ。
魔物ではなく魔族。
知恵を持ち人間に強い敵意を持つ凶悪な種族。
Bランクといえば、訓練された兵士が数百人単位で討伐する、師団級とも呼ばれる化け物だ。
その中でもヴェアヴォルフといえば、上位の力を持ち、残虐で交戦的な魔族として知られている。
しかも、目の前のガロードと名乗るヴェアヴォルフは、ギルドのデータで知られるよりひと回りも大きい。
つまり、より上位の力を持つ個体ということだ。
万全の体制ならばともかく、少なくとも、この大軍を相手にしたあと、適う相手とも思えない。
Bランク以上の魔族など、並の冒険者にとって、その名は絶望そのものなのだ。
なにせ、相手は軍隊一つ分の力を持つと言われているのに対し、こちらはたったの二人。
生きてこの場を離れることが出来るとは、到底思えない。
「ごめん、私の判断が間違ってたよ。さっき逃げだしていれば…。」
姉が悔しげに唇を噛む。
だが、それは間違いなのだ。
「ううん、相手が悪かった、それだけ。あそこで引いていても、不利な状況の中、魔物に追いつかれていた。姉さんは間違ってない。」
姉と背中合わせに立つ。
敵はヴェアヴォルフだけではない。
周りを取り囲む魔物の大軍が、徐々にその輪を縮めている。
「グハハハハ。まだ諦めないとは見上げたものだ。貴様らの肉は俺様にさらなる力を与えよう。やれ、魔狼ども!」
魔族の号令で魔物達が一斉に襲いかかる。
こうして、絶望的な戦いの幕が上がる。




