第二章)冒険者の生活 旅立ちの時
—走れ走れ走れ
急げ急げ急げ
幸運の女神は逃げるのがうまい
運命の女神は追いかけるのがうまい—
■リリィロッシュの冒険者講座①
目が覚めると、全ては終わっていた。
家は崩れていたが、何とか日差しを遮ることができるあたりに寝具を掘り出し、そこに寝かされていたようだ。
双子の太陽が天高くに昇っていることを見ると、すでに正午を過ぎているようだ。
「お、アロウ。やっと起きたか。この寝ぼすけめ」
そう言って、相変わらず豪快な笑顔で近づいてくるのは、ヒゲだった。
「……おはよう」
いっそのこと、記憶を失ったふりでもしてやろうかとも思ったが、それでは母さんが悲しむ。
っ!!
そうだ、母さんは!?
「おぉ、母さんなら夜中のうちに目が覚めて、今は村の連中の治療に回っているよ」
「治療?」
「そうだ。お? 言ってなかったか? 母さんはあれで凄腕の治療術師でな、俺たちが現役の頃にはよく世話になったもんさ」
全く聞いたことはなかったが、あのやさしい母さんが治療術師というのも納得だ。
「おはようございます。アロウ殿、でしたか。ご気分はいかがですか?」
そこにやってきたのは、昨夜の女魔族。
いや、よく見れば角や翼は隠しているし、なんとなく認識阻害の魔術も使っている感じがする。
「おはようございます。と、父さん、この方は?」
よそ行き用に父さんと呼ぶと、勝手にうるっときているヒゲがうざい。
「なんだよ。昨日の騒ぎを聞きつけて駆けつけてくれたこの方に、村を救ってくれるように依頼したのはお前だって聞いたぞ。命の恩人の顔をもう忘れちまったか?」
……なるほど。今はそういうことになっているわけか。
「いやー、実際危なかったんだぜ? あの黒い人形みたいなやつなら何匹いても何とでもなったんだが、村にはその親玉がいてな。さすがにきっついなぁと思ってきたら、この方が割って入ってきてくれてな。何とか二人掛りで仕留めたってところだ」
Cランクのウォーシャドーの親玉といえば、Bランクの怪物、影騎士じゃないか。
あれは、王国軍の一個師団が総掛かりでなんとかするレベルの魔物だ。
そんな化け物まで来てたのか。
今更ながらに戦慄する。
「ところでアロウ、お前について話しておくことがある」
急にヒゲがまじめな顔をしてこちらをみる。
こういうときは、ろくでもないことを言うか、ろくでもないことをしてしまって母さんにとりなして欲しいかのどちらかだ。
「アロウ。お前、冒険者になれ」
ろくでもないことを言う方だった。
「冒険者になれって、いきなり何を言い出すの?」
「だからさ、お前は冒険者になるんだよ。俺が家を出たのもお前ぐらいのときだったんだぜ」
うんうんと勝手にヒゲはうなづいているが、会話が成立していない。
そこへ、
「アーちゃ~ん、起きたのねぇ。おはよ~♪」
この間髪のない間の悪さ、一切ぶれない姿勢。さすがです。
「母さん、ヒゲが僕なんか冒険者になればいいって言うんだけど」
若干涙目で訴えてみる。
「もう、あなた! 何言ってるのよ!」
しめしめ、と思っていると
「そんな話し方でアーちゃんが納得すると思ってるの!」
あれ?
どうやらヒゲ一人の思いつきの話ではなさそうだぞ??
「お、おう、すまんすまん。わが子の旅立ちに感極まっちまってなぁ」
……知らん。
母さんとヒゲは勝手に痴話喧嘩を始めてしまって聞く耳を持っちゃいない。
誰か、この状況を説明してくれ。
すると、そこに救いの手が差し伸べられた。
「僭越ながら、私のほうからお話いたしましょう。そもそもが私から持ちかけた事柄でありますし」
どうやら、彼女は俺の人生で初の常識人であるようだ。
「まず、申し送れましたが、私は、リリィロッシュ。姓はありません。拠点を持たぬ流れの冒険者です。詳しいご事情は、後ほどご両親からお伺いされるとして、お二人とも、今回の活躍を認められ、王国に召し上げられることになったのです。しかし、それがともに別の部署、それも遠方となるため、アロウ殿の処遇をどのようにするか悩まれていたので、差し出がましくも私が一案講じさせていただきました」
黒髪の女性、リリィロッシュは、一息にこれまでの状況を話した。
そして、ちらっと母さんたちの方を見て、
「アロウ殿は、すばらしい資質の持ち主です。その歳で第二領域の魔法を行使されるなど、通常ではありえません。失礼ながら、この小さな村に収まる才ではないと思い、差し出がましいお申し出をしてしまいました」
思った以上に、彼女は優秀なようだ。
つまり、前半は僕の欲しがっていた情報。
後半は、僕が寝ていた間にどこまでが皆に知られているのか、という情報だ。
ヒゲは戦士として、母さんは治癒術師としての能力を買われて、お国から声がかかった。
昨日の今日でということはないだろうから、村のほうでは駐屯部隊が到着しているのだろう。
そして、僕が炎槍を使ったところまでは、ヒゲか誰かに見られていた。
今の僕の身で炎槍は、過ぎた力であるから、今後は軽々しく用いらないほうがいい。
と、このようなところか。
これをあの会話の中に潜り込ませるのだ。
冒険者云々はともかく、彼女、リリィロッシュだったか。
リリィロッシュとは、今後も関係を持っておきたいものだ。
「大体の事情はわかってきたけど、その王国からの召しかかえって言うのは、断れないものなの?」
困惑気に母さんの方へ問いただすと、
「そうなのよねぇ。父さんと母さんが、昔は冒険者だった話はいつかしたわよね?でその頃にちょっとオイタしちゃったことがあって、そのツケが回ってきたみたいなの」
ちょっとオイタって、絶対ヒゲのせいじゃねーか!
そう思ってジト目でヒゲをにらむ。
「おいおい、その言い方だと、二人でしでかしたみたいじゃねーか。大半はお前のせいだろ?」
は?母さんのせい???
う、うそだろ……?
そう思って母さんの方を恐る恐る見てみると、あからさま過ぎるくらいあからさまに、明後日の方向を向いて口笛を吹いている。
……御母堂。なにしてんすか。
軽くこれまでの人生観をひっくりかえされたところで、ヒゲがヒソヒソ声で近づいてくる。
「今の母さんしか知らんから、アロウは驚くと思うんだがな、母さんは冒険者というよりはならず者って言うほうに近い集団の頭だったんだ。戦闘も治療もお手の物。相手を散々いたぶり尽くした挙句に治癒魔法で証拠を消すんだ。おかげで今まで憲兵も捉えることができなかったんだよ」
なん、ですと??
「笑紅のリスキィって言えば、当時のスラム界隈では泣く子も黙るってもんだった。それがお前を生んでからデレたんだ」
そんな情報は知りたくなかった。
って言うかデレたって何!?
がっくりとうなだれ、へたり込む。
「もう! アーちゃんにそんな昔の事言わなくてもいいじゃない!」
プリプリという感じが似合う母さんからは、そんな時代が想像できない。
だが、知ってしまった後では、
―おめぇ、あとでどうなんのかわかってんだろうなぁ―
という副音声が聞こえて仕方ない。
「ま、まぁ、それはともかく、俺たちは国に雇われることになるし、そこにお前を連れてもいけねぇ。この方の申し出は、正にいいタイミングだったんだよ」
話を元に戻そうとするヒゲに、母さんが補足する。
「もうひとつ言うと、なにも今すぐ独り立ちしろって言うわけじゃないの。王都には、冒険者育成の学校があるから、まずはそこに通って欲しいのね。で、入学のシーズンはもう少し先になるから、それまでは、リリィロッシュさんが、冒険者の流儀を教えてくださるそうなのよ」
おぉ、これは願ってもない方向に話が向いてきた。
実際、いきなり冒険者になれと言われて村を追い出されても、どうしたらいいのかもわからなかったのだ。
それが、学校に、リリィロッシュが同行!?
両親の元を離れる事にさびしさがないといえばうそになるが、これは、現在考えられる最善の方向なんではなかろうか?
「母さんと離れるのは寂しいですが、リリィロッシュさんがいてくれるなら安心できます。僕は、そのお話をお受けしようと思います」
そうして、復活した元魔王は、世界の大海原へと旅立つ、その第一歩を踏み出したのだ。