第六章)立ちはだかる壁 水妖聖・ウォルティシア
■vsロゼリア=フランベルジュ⑤
「はぁ、はぁ、」
胸が焼け付く。
「はぁ、はぁ、」
胸が空気を欲しがるが、それに呼吸が追いついていない。
「はぁ、はぁ、」
こんな、こんなのはありえない。
襲いかかる白刃を、狐月大刀で切り払う。
背後から迫る枯れ枝のような手を魔法で弾こうとするが、何故か魔法が発動しない。
「くぅ、うあぁぁ!」
一瞬の遅れに相手の接近を許すが、シルバーテイルで胴体ごと吹き飛ばす。
ガラガラと白い欠片が舞い散る。
しかし、そのすぐそばから新手が襲いかかる。
リリィロッシュが転移した先に現れたのは、視界一面を覆う骸骨兵の群れ。
そして、小高くなっている丘から見下ろす、統率者と思しき人影。
「烈風系魔法・風刃!」
先ほどと同じだ。
左手を突き出し、風の魔法を放とうとするが、その指先から魔法が放たれることはなかった。
その元凶は分かっている。
どのようにしているのかは知らない。
また、そんな事が出来るとも聞いたことはない。
だが、こんな異常事態が起こること自体が、彼女の仕業である何よりもの証拠だ。
「どうして、あなたが!」
メイン達を後ろ手にかばいながら、はるか前方を睨む。
幾多のスケルトン達の向こうに立つ、恐るべき相手に対して。
「ふふ。私を知っているということは、あなたは魔族ですか。かの魔王に付き従う点を考えればおかしくはない、ですね。ですが、それならば私の前に立つことの無意味を知っているはずです。」
その女性は美しかった。
生まれながらに男を惑わす、淫魔であるリリィロッシュから見てでさえ、その美しさに勝る者を知らない。
いや、男を喜ばす為の歪な美を持つサキュバスだからこそ、真の美を内包する彼女に強く惹き付けられた。
その名を知っている。
その姿も見たことがある。
だが、彼女がこんな場所にいるはずはないのだ。
「…四天王、“堕天”ウォルティシア。」
彼女の名を呼ぶ。
いまだ現実を受け止めきれない自身に問いかけるようにして。
その名は絶望と同義だ。
高位魔族として生まれ、アロウと旅し鍛錬も続けたとはいえ、所詮は一魔族。
魔王軍の頂点に立つ四天王の前では、目の前に立つ有象無象とさして変わりはない。
「ふふ、名も知らぬ騎士よ。今の私は“堕天”ではありません。水妖聖・ウォルティシアです。」
ウォルティシア。
魔王軍四天王のひとりにして、最古の魔族。
その強大な魔力は歴代の魔王ですら敵わず魔界随一と噂される、旧魔王軍最強の魔法使い。
“魔剣”。
“断罪”。
“龍王”。
そして、“堕天”。
魔族にとってその名は、ある意味、魔王よりも絶対的な意味を持つ。
世界の歪みによって生まれたイレギュラーが魔王であるなら、この四人は、世界の摂理によって選ばれたのだ。
世界の摂理。
すなわち、弱肉強食。
魔族における四天王とは、“自らの力でその地位を勝ち得た絶対的暴君”なのだ。
「くっ…。」
額を脂汗が流れる。
呼吸は浅く、口が乾く。
背筋は怖張り、指先が痺れる。
腰は引け、膝が笑い、意図せずとも踵がジリっと後ずさる。
これが、恐怖。
リリィロッシュは、生まれて初めて、生を受けて200年近い年月の中で初めて、恐怖というものを知る。
良くも悪くも、リリィロッシュは自棄とも言える戦いを繰り返してきた。
魔法を得手とするサキュバスに生まれてながら魔法を捨て、同族に嘲られながらも剣を学び、戦地においては誰よりも前に突出した。
人間族との長い戦い。
魔王軍からの逃亡。
そして、冒険者として生活する中でも、命の危険は数多くあった。
それでも、身を凍らせるほどの恐怖を感じたことは無かったのだ。
それが、四天王という力。
どれほどの危険も、どれほどの困難も、「切り抜ければなんとかなる」という“希望”があるからこそ立ち向かえる。
しかし、四天王を前にしてソレはありえない。
“絶望”という名の恐怖。
それが。
四天王という力。
「ふふふ、そう怯えないでください。名も知らぬ騎士よ。」
ウォルティシアは歩く。
途端、それまで視界を埋め尽くすほどに群れていた骸骨兵が、その視界に入れることさえおこがましいとばかりに、頭を下げ道を開ける。
大海を分かつかのようにしてできたその道を、優雅に、まるで歌劇の一場面でも見ているかのように軽やかに、一段、また一段と、荒野の石くれの上を歩く。
「同じ魔族の交です。そこの獣人を差し出せば悪いようにはしませんよ。」
くいっと指先を上げる。
スケルトンが武器を手に取り歩を進める。
「お待ちください、なぜ、この少女達を。あなたにとって見れば、このふたりなどなんの価値もないでしょう!」
リリィロッシュは、左腕を広げ、背後の姉妹を守る。
だが、その様子を見て、ウォルティシアは、不思議そうに眉を上げる。
「なぜ?おかしなことを聞きますね。私は魔族で、その娘達は亜人とはいえヒト。滅ぼすのに理由がいりますか?」
白い指先を薄紅の口元に当て、思案げに尋ねた。
その一言は、リリィロッシュの胸の底に溜まる汚泥のような感情を揺さぶった。
「それ、は…、」
それは、あの日、船上でアロウに吐露した自身の矛盾。
自分は魔族だ。
なのに何故、人間と共にいるのだろう?
そして、そんな自分を心地よく感じてしまっている。
相手は、あの人間達なのに。
リリィロッシュは、答えの出ないまま、シルバーテイルを構えなおす。
「ふっ、いいでしょう。あなたに興味が湧きました、名も知らぬ騎士よ。その蛮勇を絶望へと変えて差し上げます。」
そうして、ウォルティシアはスケルトン達に合を送るべく、右手を振りかざした。




